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はじまりは銀世界・9

 

 ものすごい勢いで飛んでいく一己に必死でしがみつきながら、落ちないように必死で気を配っているうちに、あっという間に地面が近づいた。人間の姿に戻った一己に肩を叩かれると、目を疑った。目の前は、どう見ても冬の城だった。

 「おい、行くぞ」

 「ちょ、ちょっと」

 焦る結の声も聞かず、一己はどんどん歩いていった。



 いきなり子供二人が城に乱入してきた為、兵どころか女たちまで飛び出してきたが、頭を下げるのもまた早かった。一己は結の首輪を掲げるように歩いていったのだ。しばらくそのまま歩いていくと、周りより良い服を着た女性が一人、頭を下げながら跪いた。

 「失礼致します、一己様とお見受けします」

 「そうだ。僕だ。お前、暇か。ちょっと話が」

 「申し訳ありません、女王様がお呼びでございます」

 「ばぁ様が!?」

 らしくもなく慌てた一己が、いくらか足を無意味に動かした後、しっかりと結の肩を掴んだ。

 「では行かねばな…すまないな結。この詫びは必ず」

 「いえ、そんな。大丈夫です、一人で帰れます」

 「何を言っておるか」

 ちょいちょいと女性を手で呼びつけた一己が、彼女にいくらか耳元で囁くと、元気に奥へ飛び出していってしまった。あの方向は確か、女王様がいらっしゃった部屋だ。

 帰ろうかどうか結が迷っていると、先ほどの女性が軽く手を握ってきた。

 「さぁ、どうぞこちらへ」

 「え?」



 案内されたところは、よく片付けられた茶室だった。お茶やお菓子のいい匂いがする。先ほどたくさん団子を頂いたのでさすがにお菓子はいただけそうになかったが、お茶は遠慮なく頂いた。とてもいい香りだ。

 「さて、職を探されているとか」

  一己が説明してくれていたのか、結は思わず姿勢を正した。

 「九郎様の奥方でいらっしゃるのなら…失礼ながら、必要はないと思いますが。それともあの方は、豪遊されていらっしゃるのでしょうか?」

 結は思わず強く横に首を振った。空想の中でしか知らない王子様たちとは、考えられないくらい九郎の生活は普通だ。召使いは一人もいない、屋敷には自分と九郎だけだ。穴の開いた靴下を履いてしまっていたこともあるし、外食だって庶民の居酒屋にしか行っていない。おまけにそれも、自分が自炊するようになってからはめっきり数も減った。

 「では、それでも働きたいと」

 「…それは」

 正直、働くというのは一己の提案だ。しかし、考えてみた。この城で、何か出来ないだろうか。九郎を支えることが、少しでも。

 「出来れば、働きたいです。ここで」

 「失礼ですが、いくら大金を稼いでも、世界を渡ることなど不可能ですよ」

 「それは…私は」

 

 いきなり。いきなりさよならしてしまった世界。ありがとうもごめんなさいも言えなかった。


 たくさんの言葉を伝えに、戻りたい。でもそれは、きっと九郎たちと永遠に別れることになる。


 「帰りたいのか…帰りたくないのかよく分かりません。けど、ここにいさせてもらってる以上は。九郎様のお役に立ちたいです」

 「九郎様を好いていらっしゃるのですね」

 「恋とかは…よく分かりません。すいません。けど、あの人の役に立ちたいのは本当です」


 「素直な子」

 ふ、と溶けるように笑ってくれた女性が軽く長い前髪をかき分けると、息を飲みそうになった。なんて酷い火傷の跡だろう。すると次の瞬間にはもうそれは見えなくなっていて、慌てて平静を装った。彼女は変わらず笑っていた。きっと、全てお見通しなのだろう。

 「私は九郎様の教師をやらせていただいたこともあります。だから、あの方の性格も少しは知っています。あなたがお金を稼いだところで受け取らない。違いますか?」

 「それは…はい。そう思います」

 「では、こうしましょう。お金の代わりに何か差し上げるということで。何か欲しいものは」

 「醤油!!」

 思わず叫んでしまった結を見て女性は目を丸くして、さすがに少し恥ずかしくなった。

 「…っ、すいません…ちょうど、切れてしまっていて…」

 すると、ほどなくして女性は声を上げて笑った。

 「姫様の料理は美味しいそうですからね…分かりました。食べ物や調味料、調理用具を対価にしましょう。そして世界を渡る手段がもし見つかれば、真っ先にあなたに知らせましょう」

 「ありがとうございます」

 「そう…得意は家事なんですね」

 ぱらぱらと本をめくり、彼女がため息をついた。

 「駄目、ですね。調理場が定員一杯だわ。掃除婦も足りている」

 「そうですか」

 「では…これはどうでしょう」

 「はい」


 「女王様を起こす係」

 「は?」


 思い切り失礼な返事を思わずしてしまったが、彼女は気にせず話を続けた。

 「女王様の目覚めの悪さは筋金入りで…目覚まし十個あってもお目覚めにならないのです」

 「…それはそれは」

 呆れを通り越して感心してしまう。

 「寝相も激しくていらっしゃって…この前も、おみ足を頂いた剣士が頭蓋骨を」 

 「ええ!?」

 「止めときましょうね、これは」

 また失礼を承知だが、結は何度も頷いた。さすがに頭蓋骨は守りたい。

 「では、兵はどうでしょう」

 「兵、ですか」

 「といっても、姫様を守りになど行かせては、私の首が飛んでしまいます。ある部屋の前で、立っているだけです。当然食事も出ますし、人もほとんど通りません。まず危険はありません。眠りさえしなければ、本を読んでも、何をしても構いませんわ」

 「それは…」 

 確かにそれは自分でも出来そうだが、いくらなんでも楽すぎやしないか。しかしせっかくの勧めだ、やるだけやってみてもいいかもしれない。

 「その部屋を見せていただいてもいいですか?」

 「ええ。もちろん」


  

 部屋まで案内されている途中、若い兵たちが声を張り上げながら剣の訓練をしていた。中には自分くらいの子供もいて、思わず見入ってしまった。

 「いずれ、あなたの兵になりますわ」

 「そんな」

 自分に兵なんてもったいなすぎる、結がその場を去ろうとすると、兵たちが慌てて頭を下げた。

 「姫様!」

 「姫様!お疲れ様です!」

 「馬鹿、お疲れ様ですはおかしいだろ!」

 子供の兵が頭を軽く殴られてしまい、結は思わず笑ってしまいそうになった。厳しいだけの職場ではないらしい。

 「あの、姫様。俺たち、姫様に憧れて」

 「え?」

 「たった数日で九郎様の奥方になったなんて…普通じゃない。一体、どんな能力をお持ちなんですか?」

 「九郎様は、恐ろしい獣に化けることができるとか」

 今度は吹き出しそうになった。可愛い、はさすがに失礼かもしれないが、大きいけど犬に化けられることに、少し尾ひれが付いているらしい。

 「奥様は何に化けられるのですか?」

 「それとも、何か特別な力がおありなんですか?」

 若い兵たちに興味深そうに近づかれ、結がたじろいでいると、女性がぴしゃりと手を叩いた。

 「止めなさい。姫様はお忙しいのです、さぁ、行きますよ」

 「待て、小梅」

 年長者の兵が顔を出し、女性が足を止めた。彼女は小梅というらしい。

 「わしも興味がある。彼女が一体、何なのか」

 若い兵たちとは違い、彼の目は厳しく、どこか始めて会ったときの犬神に似ていた。自分を警戒するような目に、小梅は声を荒げた。

 「いい加減になさい!姫様になんて無礼を」

 「あそこに壺が見えるか、お姫様」

 そういう兵の指先を追うと、遙か高い天井近くに大きな青い壺が見えた。

 「あの壺を、ここに飛ばせてくれねぇか。俺たちじゃどうやっても届かなくてな」

 「ちょっと!」

 「できないのか。ばば様なら、これくらい寝てたって出来るぞ」

 そんな。そんなことどうやっても出来るわけがない。でも。

 「姫様!」

 どうして自分は手をかざすんだろう、こんな両手をかざしたって


 ぱぁん!!


 壺が、粉々に粉砕してしまった。中は酒だったらしく、酒の匂いがその場に立ちこめた。

 いくらか時間が経つと、兵たちは震え上がり、結に槍を向けた。あまりの出来事に固まってしまっていた結だったが、刃先を見て更に動けなくなった。

 「ばばば化け物だ!」

 「九郎様は、化け物に取り憑かれている!」

 「…っ、控えなさい!!」

 小梅が慌てるように、自分を高く抱いてくれた。体温が近いから、彼女の手が震えているのがよく分かった。

 「この方は、九郎様の奥方です!そのことを忘れたなどと言わせませんよ!このことは、ばば様に報告させていただきます!」

 小梅はそう叫ぶと、兵たちを押しのけ、結を抱いたまま廊下を走った。そして誰もいない廊下の奥までたどり着くと、彼女は酷い咳をした。それほど体が強くないのだろう、慌てた結を、小梅が強く抱きしめた。

 「姫様」

 「…はい」

 「あれは、なんですか?」

 「わかり…ません…手が、勝手に」

 我ながら酷い言い訳だったが、他に言い様がなかった。兵たちが怖くて手どころか指も動かなかったのに。

 「信じましょう」

 「…信じてくださるんですか?」

 「もちろん。私は九郎様の味方ですもの」

 小梅は更に結を強く抱きしめながら、まるで物語を話すように、ゆっくりと結に話し始めた。

 「今日はとりあえず帰りなさい。彼らは私が黙らせておきますから…いいですか。今日のことは、忘れてしまいなさい」

 「はい」



 兵たちが籠で送ってくれるようだったが、丁重に断った。ふらつく足で里までたどり着く頃にはもう夜になっていて、屋敷はもう明かりがついていた。扉を何度か軽く叩くと、九郎が玄関まで走ってきて開けてくれた。

 「結!よかった、無事だったか…一己の野郎が、お前と城ではぐれたとか抜かしやがるもんだか」

 九郎がふ、としゃべるのを止めた。自分の腹にしがみついてきたのを結と認知するまで、数秒かかってしまった。

 「…屋敷に入ろう。風邪、引くから」

 結が小さく頷くと、九郎は彼女を抱いたまま、屋敷へ入っていった。

 


 九郎には教えたくなかったが、他に話す相手も思いつかなかった。今日あったことを全部話した。九郎はじっと黙って聞いてくれていた。

 「私、今日の小梅さんの話しを聞いて思ったことがあるんです。この世界には世界を渡る手段なんてない、そんな力もない-…だったら。世界を渡る原因は私にあったんじゃないかって。今まで気づかなかっただけで、私には力があるかもしれません。恐ろしい力が」

 「…結。お前の世界には犬になれる人間がいたか?」

 「…っ、え、いいえ」

 「でもお前は、前も、今も、俺を信用してくれている。一度も怖がったことがない。どうしてだ」

 「それは」

 

 恩人だから。お世話になっているから。

 大好き、だから。


 「九郎さんは、九郎さんです」

 「俺も一緒だ。お前はお前だ。そうだろう」

 ずっと我慢していた涙が溢れ出した。そのまま流していると、次のまばたきをする頃には、九郎の胸元にいた。

 「大丈夫。俺も一緒に考えるから。考えるの、苦手だけどな。結の為なら頑張るよ。けど、結。一つ約束してくれ」

 「はい」

 「何かあったら、必ず俺を頼ってくれ。いいな。お前が来る前、俺がどう生活してたかなんて、もう思い出すことも出来ない」

 「はい」

 頷きながら、この為だったらいいのにと思えた。この人の寂しさを埋めるためにこの世界に来た、それだけの為だったらいいのに。


  

 

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