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はじまりは銀世界・7

 

 九郎に手を繋がれ長い廊下を歩いていくと、後ろから彼を呼ぶ声がした。少し面倒臭そうな顔をしたが、結の手を離し、目線を合わせるようにかがんだ。

 「そこを右に曲がったら黄色い扉がある。その中に入ってろ。すぐ帰ってくるから、絶対に出るんじゃないぞ」

 「分かりました」

 仕事の邪魔にならないように、結は頷いて素早く言われた通りの場所についた。黄色い扉を一応ノックすると返事はなく、失礼します、と入った。


 「…」

 「…」

 「…」


 中には多数の先客がいた。埋め尽くされるように犬、犬、また犬。どれも真っ黒で、どれも犬になった九郎に似ていた。なんというか圧巻だった。失礼だが非常に獣臭い。

 「おい、閉めろよ」

 「寒いよ」

 犬の口から人の言葉が発せられ、結が慌てて扉を閉めた。すると一番手前の犬が、結をじろりと見るなり、けたたましく吠えた。

 「おい、こいつ、異人だぜ!」

 「ほんとだ!」

 「おい、誰か食ってみろ!」

 またこんな展開か。結の脳内で逃げなさい、と警報が鳴るが、この部屋から出るなと約束したのだ。約束はそう何度も破っては意味がない。

 しかしこのまま食べられてもたまらない。九郎に助けを求めるのが一番の得策に思えたが、仕事の邪魔をするわけにはいかない。近づく犬たちからの恐怖にじっと耐えていると、奥からどけ、と低い声がした。

 その声に犬たちが道を開け、奥から、集団の中一回り大きい犬が歩いていきた。その鋭い目つきに、結は昨日の恐怖を思い出した。


 「…犬神様?」


 そう呼ぶと犬は大きく吠え、すると犬たちが全部外へ外へ逃げていってしまった。狼のように恐ろしい声だ。そして犬神かと思われる犬も、そのまま去っていってしまった。最後に、首から首輪のようなものを置いて。

 恐る恐る拾うと、それは美しい鳥の羽の首輪だった。犬神の大切な物ではないのか、立ち上がって声をかけようとしたそのときだった。

 

 足音が聞こえ、扉が開け放たれた。

 「結」

 九郎だ、結が思わず笑顔になると、彼は高く抱いて思い切り笑ってくれた。

 「よかった無事か…あいつらが城うろうろしてるからな。大丈夫だったか?」

 「はい、なんとか…そうだ。大きな犬が、これを置いておったんですけど」

 これ、と首輪を渡すと、九郎は目を丸くした。

 「…大きな犬…そいつが、これをお前にくれたのか?」

 「くれたというか…置いていったというか」

 「じゃあ、くれたんだ。お前がもらっておけ。俺には必要がないものだから」


 部屋を出ると、九郎がいきなり、廊下を歩いてみろ、と言い出した。九郎の手も九郎自身も離れてしまい、えっと驚いてしまった。すると九郎が先ほどの首輪を首にかけてくれると、軽く背中を押された。

 言われた通りに恐る恐る歩いてみると、早速兵にすれ違った。思わずすくむと、なんと兵がお辞儀したのだ。結が呆けていると、次から次へ、すれ違う人がお辞儀していった。

 「な。すごいだろう、それ。いいものもらったな」

 「…これ…一体、なんなんですか?」

 「この里では偉いです、って物だ」

 「-!返してきます!」

 そういうと、九郎は声を上げて大笑いした。



 その日は九郎が疲れただろう、と外食に連れていってくれた。食事処の人たちが、九郎だけではなく、自分にまで頭を下げて笑ってくれて、申し訳ないがそれ以上に嬉しかった。焼き豆腐と炒め物を九郎と食べていると、彼が急に真面目な顔になった。

 「祭の話し、ばあちゃんから聞いたか」

 「はい」

 「それにお前が参加することが提案された。これは、犬神さんの提案だ」

 「犬神様の…」

 「そうだ。ここはとにかく、よそものを嫌う。お前はそれでたくさん怖い目にあっただろうから、よく分かっていると思う。すぐに殺そうとする、すぐに食べようとする。どうしてか、簡単だ。恐ろしいからだ。異なるものは、どんな力を持っているか分からない」

 「そんな」

 首を思わず、横に強く振った。 

 「私は何もできません」

 「分かってる。けど、それを分かろうとしない奴の方が多い。ここはとにかく雪に囲まれ閉じ込められ、里のみんな全部家族みたいなもんだ。だから異なる者が入ってきたら、警戒する。酷い時は殺してしまう。そこで誰も責めないんだ」

 皆。皆が自分や周りを守りたくて必死なんだ。結が頷くと、九郎が酒を勧めてきたが、さすがに笑って断った。

 「だから、お前が何も力がない無害な者だと分かれば、里の者が警戒を解く。生活はもちろん、元の世界に戻る方法も探しやすくなる」

 「それを…犬神様が提案してくれたんですか?」

 「あの人は顔は怖いけど、本当は女子供に優しいんだ」

 九郎がそう言うのなら絶対そうなのだろう、悪いことをしてしまった。ぎゅっと首輪を掴むと、九郎が頭を撫でてくれた。

 「私は、何をすればいいんですか?」

 「分からない。すまん、本当に分からないんだ。俺はお前の家族だからな。味方には教えられないんだろう。大丈夫。妙なことになったら、絶対に助けるから」 

 「はい」

 それなら大丈夫だ、ほっとしていると、奥から九郎を呼ぶ大声がした。

 「王子様!こっちで飲もうぜ!」

 「ああ?いや、でも今日は-…」

 九郎がこちらをちらりと見たので、結は慌てて立ち上がった。

 「大丈夫です、一人で帰れます」

 「けど」

 「明るい道を通りますし、誰にもついていきません。家も鍵をかけます。外にも出ません。絶対に扉を開けません」

 そこまで強く言うと、九郎は苦笑して、両手を挙げて降参した。



 九郎の笑い声が聞こえて、少し嬉しくなった。考えたら、彼はずっと結に付き合ってくれていた。少しは自分の時間も欲しいだろう。 

 九郎に貸してもらったマフラーに埋もれながら歩いて帰っていると、こんばんは、こんばんは、すれ違う度に会釈され、慌てて返した。本当に大変なものをもらってしまった。

 八百屋の前を通ると、りんごをたくさんもらってしまった。丁重にお断りしたが、あまりに勧めるので、ありがたく持って返った。甘そうなりんごが嬉しい。

 

 「よう、お嬢ちゃん」

 「一人かい?」

 最近思ったのだが。自分は、ものすごく運が悪いのではないか。


 目の前の男たちは、悪事が服を着て歩いているような、どこからどうみても悪者だった。悪そうに笑いながら自分を見下げ、りんごの袋を取り上げてしまった。

 「買い物かい?偉いねぇ」

 「お兄さんたちと遊ぼうよ」

 やらしそうに笑い、男たちが一歩、また一歩と近づいてきた。かなり迷ったが仕方ながなく首輪を握ってみると、奥の男が小さく口笛を吹いた。

 「おいおい冗談だろう、ってことは、この小さいのが九郎の-…」

 「おい、お前。こいつの血を流してやれ。九郎を服従させるいい機会だ」

 この男たちは兵の格好をしてないし、絶対に九郎の味方ではない。そう判断した結は、そのまま駆け足で逃げ出したが、奥からの手に猫のように捕まれてしまった。まだ輩がいたらしい。

 「さて、どう傷つけようかなぁ」


 「おい、何をやっとるか!この愚か者供め!!」


 高らかな声に振り返ると、結はそのまま見入ってしまった。年の頃は十五前後、すらりと伸びたよく日に焼けた長い足と、燃えるように赤く長い髪が、足元の雪によく映えていた。全身派手な布を組み合わせたような服と装飾品が、人形のような美しい顔となぜかよく合っていた。

 「おい、またガキが来たぞ!」

 「お前の不倫相手か?」

 男たちが馬鹿笑いした、その刹那だった。


 結を掴んでいた男は吹っ飛び、まばたきすると結は派手な布の胸元にいた。


 何が起こったのか結はもちろん男たちも分かっている様子はなく、何がなんだか、混乱した男たちは慌てるように剣を取った。

 「おい、やっちまえ!」

 「そんな汚い顔で…僕に近寄るな!」


 たくさんの風、また風、少年の手から産まれたたくさんの風で、悲鳴と供に男たちはあっという間に飛んでいってしまった。開いた口がふさがらないとはまさにこのことだ。

 「おい、大丈夫か」

 「-は、はいっ」

 助けてもらってしまった。慌ててお辞儀をすると、指輪だらけの手が、結の顔を掴んだ。 

 「ふむ、なかなか美しいな。僕のところに嫁がせてやってもいいぞ」

 「…申し訳ありません。それは」

 「む、なんだ、即答か。そんなに九郎がいいか?」

 「そう、ですね」

 自分は九郎がとても好きだ。それに-…


 「女の人と、結婚できません」


 少年、否少女が、真っ赤になって、結から慌てて離れた。


 「な、なななななななな」

 「…あ」

 口調から、格好から、やはり秘密だったのか。謝ろうとすると、またすごい勢いで少女が戻ってきた。

 「どうして分かった!」 

 認めてくれた。どうしても何も、先ほど助けてくれたときの胸元の感触が、筋肉ではなかったからだ。しかしそれを言うのは例え同性でも失礼な気がした。

 「とても…お綺麗なので」

 我ながら酷い言い訳だったが、他に思いつかなかった。本当に、そう思ったから。そろそろと顔を上げると、少女はそれこそ本当に少年のように、悔しそうに頭をかきむしった。

 「あああもう、最悪だ!いいか、お前…っ、ええと」

 「結です」

 「そうだ、結だ!結、僕は絶対に女だと知られるわけにはいかないんだ。僕が女だってばれたら…っ、僕はどうしたらいいのか…」

 するとずっと強気だった肩が小鳥のように震えだし、結が思わず手を握ると、そのまま、少女がその手を見つめた。

 「誰にも…言わないでくれ」 

 「分かりました。誰にも言いません」

 「ありがとう…ありがとう。僕の名前は、一己。家まで送る、それくらいさせてくれ」

 「ありがとうございます」



 屋敷に戻り、一己とりんごをむいて食べていると、ほどなくして九郎が帰ってきた。 

 「ただいま!結、だいじょっ」

 

 ぶ、が風に消えた。笑顔が固まった九郎の視線の先には一己がいて、彼女もとても優しいとは言えない笑顔で立ち上がった。

 「よう九郎、息災のようだな」

 「…っ、てめぇ、山猿!!」

 酷い呼び名に、結は思わずりんごを吹きそうになった。九郎は女の子に絶対そんなことは言わない。嘘は通じてるようだ。

 「人ん家で何してんだよ!結に何した!」

 「あの九郎様、一己さんは、私を助けてくれて」

 「何?」 

 「そうだぞ、お前がへらへら遊んでいる間に、僕が助けてやったのだ。危ないところだったのだぞ。まぁ、あいつらの気持ちも分からないのではない…こんなに美しいのだからな。だから僕も求婚した」

 「はぁ!?」

 一己に軽く抱きしめられながら、結は二人の様子をうかがっていた。挑発され、九郎はどんどん怒りで顔を赤くしていくのに対し、一己はずっと余裕そうに笑っていた。

 「冗談じゃない、結を離せ!」

 「誰が。なぁ、結。お前も冬より、夏が好きだよな?」

 「え?」

 「王子なんかより、王がいいよな。僕は、夏の里の王だぞ」

 驚きすぎて声も出ないとは、このことだった。

 

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