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はじまりは銀世界・4

 九郎の屋敷に世話になって更に数日、結の体力はすっかり戻った。起き上がるのはもちろん、なんとか歩けるほどに回復した。 

 それを告げると九郎は散歩に連れていってくれた。手を引かれることは正直恥ずかしかったが、雪があまりに深い為、素直に甘えることにした。

 九郎が歩くと、人々がみんな頭を下げた。いちいち頭を下げ返したり、手を振ったりしているのが印象的だった。

 彼は毎日どこかに出かけては、夜になると帰ってきた。そして必ず、自分の手を引いて歩いては、美味しいお店に連れて行ってくれた。

 最初に目を覚ました日以来、女たちは屋敷には来ない。広い屋敷に自分と九郎だけ。

 すっかり歩け回れるほどに回復したある朝、あまりの洗濯物の多さと、台所の汚さに驚いた。勝手に片付けていいかどうかずいぶん迷ったが、一度見つけてしまったため、気がつけば皿を手に取っていた。

 「やるか」


 

 洗剤もない食器洗いは難航したが、なんとか綺麗に片付いた。今度は洗濯だ。文字通り山のような洗濯物を次から次に掘っていく。洗濯機は見あたらないし、まさかコインランドリーがあるとも思えない。一体どうやって洗濯すればいいんだろう。

 いくらか洗濯物を掘っていくと、大きな洗面器と洗濯板が顔を出した。

 「…嘘ぉ」



 「ただいま」

 「お帰りなさい」

 あー疲れた、と上着を結に渡した九郎は、鼻をくんくんと動かした。

 「なんかいい匂いがする」

 「あ…夕飯を作ってみました」

 「え!?」

 大げさに驚いた九郎が、慌てたように台所へ走っていった。そして次に洗面所へ走っていき、忙しく走り回り、ようやくこちらへ戻ってきた。

 「飯が出来てる!」

 「はい」

 「洗濯物が片付いてる!」

 「はい」

 やっぱり迷惑だっただろうか、九郎の顔を見上げると、彼は見たことがない顔をしていた。その驚いているような、喜んでいるような、悲しんでいるような。結がなんて声をかけていいか迷っていると、九郎の額が肩に乗ってきた。

 「…り、がとう。ありがとう」

 「…いいえ」

 よかった喜んでくれた、ほっと笑った結の向かいで、顔を上げた九郎も笑ってくれていた。

 「食べよう」

 「はい」



 「おかわり」

 「はいはい」

 返事も雑になってきた、よく食べるなぁ、と笑いも出てしまった。いつも食事処へ行ってはたくさん食べてはいるが、今日は特によく食べている。自分が作ったから気を利かせているかとも思ったが、こうもたくさん食べてくれては、そんな考えもどこかへ行ってしまった。

 綺麗に味噌汁を飲み終えた九郎が、両手を合わせた。

 「ごちそうさまでした」

 「いいえ」

 お茶を淹れると、九郎は何度目か分からないお礼を言ってくれた。

 「全然王子らしくなくてびっくりしてるだろう」

 「…少し」

 「だよな。俺もそう思う。俺、駄目だったんだ。城で、たくさんの人に囲まれて、朝から晩まで人がやってくれるの。耐えられなかったんだ。だから、飛び出した」

 そこまで一気にしゃべると、九郎が少し照れたように頭をかいた。

 「城に残ってたら、結にもっといいところで寝かせてやったんだがな」

 「そんな、十分です」

 日本ではベッドだったが、敷き布団も慣れてしまえば毎晩快適に熟睡していた。ホットカーペットもヒーターもないが、何枚も重ねた布団と七輪で、十分暖かい。

 「そうか、ならいいけど…あ、そうだ。弁当は作れるか?」

 「はい、大丈夫ですけど」

 「よかった。じゃあ明日頼めるか?城の奴らにお前のこと話したらさ、愛妻弁当作ってもらえって言われたんだ」

 お茶を、吹き飛ばすかと思った。

 「なんか知らんが美味そうだ。大丈夫か?」

 「…頑張ります」

 多分この人は、城ですごいからかわれているのだろうと、あまりの気の毒だったが、教えてやらない自分もまた大概だ。



 「…はい、お弁当です」

 「お、ありがとう!」

 いそいそと嬉しそうに弁当を包む彼を見て、かなり良心が痛んだが、今更弁当の中身はどうしようもなかった。

 この世界の食材は日本と似ていることは助かったが、あいにく自分はあの定番のハート柄の正体が何か分からなかったため、鮭をつぶしてハートにまぶしてみた。おかずもできる限り可愛くしてみた。

 一体自分は何をしているのか、ともあれ、彼が望むなら、なんでもしてやる気にはなっていた。彼には感謝してもしきれない。

 「じゃあ、いってくる」

 「はい、いってらっしゃい」

 それでも少しやりすぎたかな、ごめんなさい、と背中に向かって礼をすると、ふと彼が思い出したように帰ってきた。

 「そうだ。今日は絶対に家から出るなよ」

 「…?はい、分かりました」

 疑問に感じながらも結が言われた通りに頷くと、九郎はにっと笑い、髪をくしゃくしゃに撫で、元気に飛び出していった。



 今日も寒いがいい天気だ、家中の窓を開け、結は大きく伸びをした。洗い物を片付け、洗濯物を干していく。毎日雨のように振る雪の機嫌を伺いながら、干していく。ふと洗濯物の一枚が風に飛んでしまい、庭を出て、道へ出ていってしまった。

 慌てた結が服を追っていくと、当然家から出た。

 ふと九郎との約束を思い出し、思わず辺りを見渡すと、隣のおじいさんが挨拶してくれて、ほっと笑った。何事もなく、家の中へ戻ろうとしたそのときだった。


 ふいに目の前が何か大きなものにふさがれた。それが槍だと分かるまで、ずいぶん時間がかかった。

 「止まれ!」

 「何者だ!!」

 

 振り返ると、やはりというか何というか、甲冑の男たちが立っていた。いつかの雪山の男たちとは声が違ったが、そんなことは問題ではなかった。恐怖がつま先から頭を走り、思わずへたり込むと、男たちが顔を覗き込んできた。

 「やはりこの里の者ではないな」

 「お前、どこの者だ。どこに住んでいる」

 今ここで九郎の名前を出すのは躊躇ったが、それで自分の身に何かあってはもっと叱られると自惚れられたのは、彼の優しさ故だ。

 

 「九郎様の…屋敷に」


 なんとか声を振り絞ってそう答えると、少しの沈黙の後、男たちは大笑いした。

 「嘘をつくならもっとマシな嘘をついたらどうだ!」

 「あの方がお前のような小娘相手にするものか!どのような美女が訪ねてきても、門前払いだったというのに!」

 「それは」

 自分は別世界からやってきて彼がたまたま拾ってきてくれただけだと、説明したくても、そんな勇気はとても出なかった。

 それでも何かしゃべろうとすると、鼻先に槍の矛先が向けられた。死の恐怖を感じたのは、雪山以来だった。

 「おい、皮を禿げ!」

 「はっ…」

 「そこまですれば吐くだろう!」

 冗談ではない、恐怖で声が出ないため周りを見渡してみるが、唯一の顔見知りのおじいさんはもうどこかへ行ってしまったし、道行く人たちも同情的な視線を送るだけで、我先にと逃げ出した。

 

 このことだったんだ。九郎が案じてくれていたのはこのことだったんだ。


 ごめんなさい、見えない九郎に謝っていると、目から涙が噴き出した。こんな形で彼と別れてしまうことが、死ぬより怖かった。

 「九郎様!!」

 思わず助けを泣き叫んでしまうと、ふと、新たな槍が現れた。


 怪訝そうにその方向を睨み上げた男たちが振り返ると、慌てるように頭を下げた。目に涙を溜めた結がなんとか顔を上げると、あまりの恐怖に涙が止まった。

 こんな。

 こんな顔の恐ろしい男は見たことがなかった。

 

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