はじまりは銀世界・2
人生の中で一番多く言われた台詞を上げてみろと言われれば。
「結ちゃんって、変わってるね」
まず間違いなくこの台詞だろう。新学年に上がり新しい同級生が増える度にそう言われた。
気がついたら父しかいなかった。兄弟も祖父も祖母もおらず、父と二人だけだった。父の作るご飯は給食の100倍美味しかったし、寝る前の父の話は教科書よりずっと面白くて、これ以上の家族の必要性など感じたことがなかった。そんな父といる時間を割いてまで、同級生と遊ぶ必要性も、もちろんだ。人形遊びや鬼ごっこ、ままごと電車ごっこ、あらゆる遊びが楽しいとは思えなかった。
しかし現実はそう甘くなかった。通信簿である。どんなに勉強が出来てもどれだけ足が速くても、友達がいなければ容赦なく、いかにも親が心配しそうな文章を書き立て、更に酷くなると家庭訪問まで来る。
0点取ろうが100点取ろうが基本的に反応が変わらない父も、さすがに目の前で担任女性が泣き出したときには慌てていた。
友達は必要だ、父が恥ずかしがらない為に。こう学んでしまった自分は、やっぱり可愛くないし、変わっているのだろう。
それからというのも不思議な話だが、友達は一人、また一人と増えた。子供の遊びも慣れてしまえば楽しかったし、子供の話も聞いてみれば意外と面白かった。始めて友達を泊まりに来させたとき、父の笑顔を見たとき、大きな仕事をやり遂げた気がして、私はたまらなく嬉しかった。
小学六年生になった。周りがどんどん大人っぽくなるのに対し、自分は著しく成長が遅れているらしく、先日など四年生の輪の中に入れられそうになった。久々に、らしくもなく落ち込んだ。
そんな私を見て友人は気を使ってくれたのか、プールに連れてきてくれた。好きなだけ泳いで、並んでアイスを食べながら帰った。
ふいに、友達が遠くなった。
呼んでも叫んでも友達は止まらなかった。周りの人たちもどんどん先を行っていった。止まっているのは、私の方だった。
そして次にまばたきすると、一面銀世界だった。最初は何かの夢だと思ったが、凍てつく風と足元の雪の冷たさが、どうしようもないくらい現実だった。
寒い。寒いよ。
パパ、パパはどこ。
パパ、助けて-…
「ぃ…おい、大丈夫か?」
耳元で声がして、結はゆっくりと目を覚ました。最初に映ったのは白一色で、まだ雪山にいるのかと再び目を閉じたくなったが、体を包む温もりと空気の暖かさが、違うと言ってくれているようだった。
しっかりと目を開けてみると、低い天井と、畳の匂いと、一面銀世界の美しい庭が迎えてくれた。古いが丁寧に手入れされてある屋敷の中のようだった。
雪山で歩き回っていたはずの自分がどうしてここにいるのか、そういえば騎士の男たちに捕まりかけたような、そして何かに助けられたような-…
-わんっ!
威勢のいい鳴き声が聞こえた気がして、結は完全に目を覚ました。何があったか思い出せた。そうだ、自分は犬に助けられたのだった。そして犬と崖から飛び降りた。
あちこち体が痛むから天国のわけないし、まさか犬小屋でもない、この屋敷の綺麗さからあの騎士たちの住処でもないだろう。あの男たちが住処をこんなに綺麗にできるとはとても思えない。
なら、一体ここはどこだろう。
結がゆっくりと顔を上げると、枕元で正座していた青年が微笑んだ。二十歳前後のいかにも人の良さそうな青年は、肩までの髪も優しい目も、着ている浴衣も全て美しい漆黒だった。
見覚えのない顔、が、少なくてもあの騎士たちよりは信用できた。
「おはよう。どこか痛いところはないか?」
「…全部」
思わず正直に告白すると、男は思いきり笑ってくれた。
「そうか、全部か。そうかそうか。まぁ、とりあえず生きててくれてよかった。全然起きないから、もう駄目かと思った。とりあえずたくさん寝たから、後はたくさん食べて、傷を綺麗にしないとな。飯は今作らせてある。嫌いなものはあるか?」
「ピーマン…」
は、最近攻略したが、どうもまだパプリカは苦手だ。前言撤回すべきかどうか迷っていると、青年は首をかしげた。
「聞いたことがないな…異国の料理か?まあ、とりあえず、そんな食べ物は入ってないぞ。聞いたことがないからな。よし、とりあえず体を拭くぞ」
そう言うと男が、よいしょと結を起き上がらせた。
「はい、ばんざい」
まるで幼子をあやすように青年が結のタンクトップをずるりと脱がせた。いくらか成長した胸が露わになり、思わず結は、あ、と呟いた。
少女のように叫んだのは、青年の方だった。
隅で小さくなり虫のように動かないので、結は思わず声をかけた。
「…あの、お気になさらず…私、まだ子供ですし…」
「…っ、いや、大変なことをしてしまった…まだ婿入り前なのに…!」
震える男の背中を見て、結はため息をついてしまった。どちらが男か分かったものではない。結がもう一度何か声をかけようとすると、男はいきなり回復したのか、こちらにやってきた。
「性別を確認せず、いきなり肌を見たことをまず詫びる。しかし俺はまだ未熟者だ、嫁はまだ取れない」
「いやいやいや」
どこから突っ込めばいいのか、ぱたぱた手を横に振っていると、盛大にくしゃみが出た。するとまた男は慌てて立ち上がった。
「ああ風邪を引いてしまうな…おい!着物!女物の着物だ!それから飯はまだか!?」
叫びながら男が出ていってしまい、結はまたため息をついた。忙しい人だ。
そういえば、名前も聞いていない。あの犬の主人だろうか。というか、そもそもここはどこだろう。もっといえば、今自分がいる”ここ”は日本なのか、地球なのか。
そんな壮大なことを心配しながら、律儀に腹の虫だけは鳴り続けていた。




