はじまりは銀世界・12
結局おでん屋さんから大量の油揚げを頂く形になってしまった。店のおじさんも最後の方になると、結の顔を見ただけで苦笑してもち巾着からもちを抜いて、そっと渡してくれた。
またお店に借金を作ってしまった、なんだか非常に申し訳ない結の横で、五要は呑気にひたすら食べていた。そしてようやく落ち着いたらしく、大きく息を吐いて地面に腰かけた。
「なんだ、元気がないな」
「い、いえ別に」
「分かったぞ、金の心配だろ。俺が女に払わせるわけないじゃねぇか」
そう言って五要が笑い、おもむろに地面にあった葉っぱを掴むと、それは次の瞬間にはお札になっていた。日本昔話のような光景に、結は思わず息を飲んだ。さすがは狐、というべきだろうか。
「よし、これで払ってこい」
「いえ、でもこれ…その、葉っぱじゃ」
「何?俺はいつもこれで買い物しているぞ」
「ええ!?だっ、駄目です!!」
思わず普通に叱ってしまうと、後悔で赤面してしまう前に、五要が大きく笑った。
満腹になったのだろう、五要が椅子の上で大あくびをした。彼の隣で、結はいつまでもここにいてもいいのか少し迷ったが、さしあたって問題も見あたらないので、真似て隣に腰掛けた。
「眠くてたまらん…今回は一年寝てないからな。こんなことは始めてだ。お前が世界を渡ってきて、時間の流れがおかしくなったかもしれないな」
「あ…すいません」
「馬鹿。お前に会えてよかったと言ってんじゃねぇか」
そう言うと五要は少し赤くなり、結はその表情にそのまま見入ってしまった。今そんなことを言われた気は全くしなかったが、謝るのもおかしいだろうし、お礼を言うのはもっと妙な気がした。要するになんと返答していいものか分からなかったのだ。
結がそのまま困っていると、五要が先に口を開いた。
「俺の寝室は、冬の城にあるんだ。秋は治安があまりよくないからな、呑気に一年も寝ていられない」
「そうなんですか」
「小梅という女を知っているか」
記憶を辿り、結はあっと声を出しそうになった。自分を雇ってくれようとした、そして自分を守ってくれた女性だ。
「あいつは俺の寝室をいつも綺麗にしてくれてるんだが…俺の夢の中に、先日手紙を送ってきた。もうすぐ、新しい人が入ってくるかもしれませんよって。なんでも、小さくて、可愛くて、料理が美味いらしい」
自分のことだと分かるまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
「まるで妹みたいだと喜んだが…悲しかった。けど、実際会ってみたら。楽しいかもしれないと思った。一年に一度起きたとき最初に会うのは、そいつでいいかもしれないと思った」
結は小さく微笑んだ。それはとても光栄なことだ。しかし、胸の中のどうしようもない寂しさが消えなかった。
「私の父親、一日に三時間しか寝ないんですよ」
「は?」
唐突な話題に五要は戸惑っていたが、結は話を続けた。
「もちろん、眠そうにしてます。残業が続いた日は死にそうだって…それでも頑固に、三時間しか寝ないんです。酷い日なんて、二時間ちょっと」
「…ざ、ざんぎょうというのはよく分からないが…何やら大変そうだな。どうしてそこまでして、起きてるんだ」
「もったいないんですって。やりたいことが多すぎて、寝ている時間が」
そこまで話すと、五要は明らかに怒ったようだった。ある程度予想は出来ていたから、結は特別驚かなかった。
「何が言いたい」
「一年に一度しか起きないってことは、100年生きたとしても、100日しか生きられないってことでしょう?そんなの」
「お前に何が分かる!」
そう叫ぶと五要は腰元の剣先を結に向けた。結は動かなかった。震えが出ないようにするのに、ただ必死だった。
「お前は…なんだ、お前は!父親に愛され、こちらに来て九郎に大事にされ…よほど楽しいだろうな人生は。眠るのがもったいないだろうな。だが、俺は違う!俺は妹を殺された!世界に裏切られた!起きていたって楽しいことなんて」
「でも、生きてますよね」
「…え?」
「死を選ばなかったんですよね」
「…それはっ」
からん、と五要の手元から剣が落ちた。結がそっと拾う。よく手入れされている、美しい剣だった。きっと小梅が丁寧に磨いているんだろう。
「笑えばいい。俺は、妹を追えなかった。寂しかったけど…怖かったんだ。死ぬのが」
「笑いませんよ。私も例え、父親が死んでも、きっと後を追えません」
「それは九郎でもか?」
「そんなことをしたら、天国でうんと叱られてしまいます。口を聞いてくれないかもしれません」
「違いない」
そう言って五要が少し笑うと、また、泣き始めた。そっと近づくと、すがりつくように抱きしめられた。背は当然五要の方がずっと高いが、まるで小さい少年を慰めているようだった。
「明日…明日、また起きたい。お前を連れて行きたいところがあるんだ」
「よかった」
結が笑うと、五要の抱きしめる力が強くなった。
五要を救えたとは思えない。だが少なくても、彼にはもっと毎日をしっかり生きてほしかった。生意気だと蔑まれても。
無駄な日々など少しもないこと、教えてくれたのはこの世界だったから。
五要と出店を回っていると、ふと向こうから大きな声が聞こえてきた。
「あーーー!!」
何事かと振り返ると、一己がすごい顔で走ってくるなり、げんこつを作った。
「貴様、五要!起きるなり、姫を攫うとは何事だ!今日こそ殴ってやる!」
そう言って一己が手を回し始めると、結が慌てて五要をかばうように彼の前に立った。
「あの…いじめないであげてください」
「はぁ!?」
「結」
彼は感動したような顔で逃げ込むように結の背中に引っ込んでしまい、一己はどんどん怒りで顔が赤くなっていた。
「結、騙されるな!こいつはずるいんだぞ、何せ狐だからな!僕もこいつの悪戯にどれだけ苦しめられたことか…」
「一己は単純だから」
「何!?」
もう止まりそうにない一己と、結を必死で縦にする五要、二人に押し合われ、結は今にも突っ張って伸びきりそうだった。
三人がそうしてもみあっていると、向こうから大きく鐘を叩く音がした。
「大変だ、龍だ!龍が出たぞ!!」
「…龍だと!?」
そうだ、そういえばそんな話を五要がしていた。何事か分かっていない結の隣で、一己はらしくもなく青ざめていった。
鳥に変身した一己の背中に乗り、結は祭会場近くの湖上空まで飛んできていた。見下ろす湖は人々が騒ぎながら囲み、そしてその中心には、冗談のような大きさの蛇-否。
「…龍」
あまりの恐怖に結は落ちないように、必死で一己の首もとを掴んでしまった。彼女は特に痛がる様子もなく、ただ結の恐怖と一緒にいてくれていた。
キャラクターもの等で当然見たことはあったが、そんなものとは次元が違った。角、目、口、あご、髭、そして体。あらゆるものが巨大すぎて、こんなに遠くにいるのに今にも飲み込まれそうだった。それが湖の中でうねり、ひたすら人々を威嚇している。その度に人々は叫んだり怯えたりするが、龍は湖から上がっては来ないため、野次馬が減る様子はなかった。
ふと知っている声の姿を探すと、犬神が声を荒げて野次馬たちを制していたが、彼だけではどうにもならなかった。周りを囲むように九郎の部下の犬たちも吠えたてるが、龍に夢中の民に、その声は届かなかった。
そういえば五要はどうなったのだろう、と視線だけで探すと、木の陰に狐を見つけた。また、泣きそうにしている気がする。その姿に一己も気づいたのだろう、大きく舌を打った。
「あの馬鹿、龍なんか呼びやがって…!」
「五要様…どうして」
「あいつはいつも考えなしのガキなんだ、年上なんて絶対認めないぞ…僕はあいつのそういうところが嫌いだ」
そう一己が吐き捨てると、ふと彼女が喉の奥で大きく叫んだ。彼女の視線を追うと、結も叫びそうになった。野次馬の中の子供たちが、なんと龍に向かって石を投げていた。
「馬鹿!!」
「一己様!」
それから、全ての情景がゆっくりだった。自分を乗せたまま一己が突っ込むより早く、龍は子供たちの方へ頭を動かした。彼らが泣き叫ぶより早く、一己が子供たちををかばおうとするが、彼女の体を突き飛ばし、龍に捕まってしまったのは、自分だった。
「結!!」
きっと近くにいてくれているのに、一己の声が妙に遠い。ああそうかかばったんだと、まるで他人事のように、情報のように吸収され、そして理解した。
「結!結!今助けるぞ!」
「止めなさい!」
駆けつけてきた犬神が一己をかばうように抱くと、彼女は泣き叫んだ。
「結!嫌だ…結ー!!」
返事が出来ない。どうしたんだろう。目も開かない。死んでしまったんだろうか。
いや、きっと違う。世界が、こんなにも暖かい。
まるで長い眠りから覚めたように結が目を開けると、すぐに状況を飲み込めなかった。自分は宙に浮いていて、龍の鼻先がすぐそこにあった。
龍は何をするでもなく、ただじっと結を見つめていた。その大きな、そしてどこか寂しそうな目はどこかで見たことがあった。
「姫様を守れ!」
ようやく脳が覚醒すると、犬たちが跳びながら、大量の火の粉を飛ばしていた。龍は水の中に逃げながらも、巨大すぎる肉体は火の粉を全て避けきれなかった。痛みに鳴きながら、それでも龍は、結から目を反らさなかった。
「やめっ」
ふと龍を傷つけられるのをなぜか阻止しなければいけない気がして、叫ぼうとするが、声が出せなかった。龍をかばって、一体どうするつもりなんだろう。
結が迷っていると、今度は大量の弓矢が飛んできた。犬神が、姫に当たらないように、と叫んでいるが、目標が大きすぎるためそれは難しいことではなかった。ついには血まで吹き出してきた龍は、水の中に逃げながら、それでもやはり、全て避けきれないようだった。
ふと、結は、ずっと感じていた違和感にようやく気づいた。自分が知っている龍と徹底的に違うもの。
「…あなた、もしかして、飛べないの?」
すると龍の目元から大量に水しぶきが溢れた。それが湖の水ではなく、涙だとなぜか絶対の自信があった。どうしてこの龍と始めて会った気がしないんだろう。
-俺は違う!俺は妹を殺された!世界に裏切られた!
そうだ、五要と似ているんだ。五要の目と、涙と、似ているんだ。
もしかして、予感に結の背筋が凍りそうになった。しかし聞かないわけにはいけなかった。
ふと導かれるように、丘の上を見つめた。するとそこは、処刑場に見えた。きっとあそこで神様は殺されてしまったんだ。もう、聞かない理由はなかった。
「そこに…いるんですか?」
龍は、答えない。
「五要様の妹さんの…神様」
ただ、龍は泣いていた。
「なんだって?」
結の声が聞こえた五要が、信じられない、と言った様子で龍の背中を見た。当然顔も見えない。しかし、都合のいい幻覚かもしれないが、その背中が、一瞬妹に見えた気がした。
「…聞いたことがある」
犬神が現れたが、五要は去ることもなく、じっと彼の話を見た。
「強い魂は、完全に消えることはなく、水や大地に溶け込むことがあると」
「強い…冗談じゃない!あいつはただの女の子だったんだ、なのに、神とか、天才とか勝手に盛り上がりやがって…!」
泣き出した五要の肩を、犬神がそっと叩いた。そして彼は静かに焦っていた。先ほどまでは龍を焼き払ってでも結を助ける気でいたが、今はそんな考えは消えてしまった。五要の前で、そして恐らく気づいているだろう結の前で、焼き払うことなどどうしてくれる。
「私も甘いな」
そういって自嘲して、そして、五要にも気づかないくらい小さな声で、犬神は胸元の傷に向かって小さくすまん、と呟いた。
「攻撃を止めて下さい!私なら大丈夫-」
-やめなさい。
声が耳の奥から聞こえてきた。優しい少女の声だった。神様の声だとすぐに分かった。
-ごめんなさい。あなたを呼んだのは、私です。
「…え?」
-世界を狂わせれば、私も眠れるかと思ったのです。けど結果、あなたが迷い込む、それだけで終わってしまった。私はただ、自分が眠りたかっただけなのに、あなたを巻き込んでしまった。
「…そんな、どうして」
-私がいたら、また、戦争が起こってしまうから。
涙が、我慢できなかった。
到着するなり騒ぎに駆けつけ、高台に上がり、九郎は声が出なかった。信じられない光景だった。龍が湖に浮かび、そしてその前で結が浮かされている。無傷のようだが、泣いていることでもう十分だった。
「結!」
どうしてお前が一人で泣いているんだ、声を張り上げると、結が顔を上げた。
「九郎様!」
思わず結が両手を伸ばすと、彼は吸い込まれるように呼び寄せられ、そして彼女を抱きしめることができた。
そしてそのまま剣を抜こうとすると、結がその手を止めた。
「止めて下さい…龍の中に、神様の魂がいらっしゃるんです」
「…っ、何言ってるんだ、そんなわけ…」
-九郎様。
少女の声に、驚きすぎた九郎の顔は、少し緩んでしまったくらいだった。
「冗談だろう…」
しかし龍の目をいくらか見据え、九郎はようやく納得したように、剣を鞘に収めた。
「いつかは…すまないことをした」
すると、龍が首を大きく横に振った。もう彼女の魂と同化してしまっているようだった。
「重ね重ねすまないが…俺は、この子が好きだ。恋とかよく分からないけど、彼女より大事な子が現れるなんて、想像が出来ない」
突然の告白に結は驚きが隠せなかった。そして、頬が恥ずかしくなるくらい熱くなっていくのが分かった。
ふと大きな音に振り返ると、また弓矢が飛んできていた。結が叫ぶより早く、九郎が全て剣で落としてくれた。
「止めろ!!」
彼の威厳のある怒声に弓矢は静まり、あれだけ威勢良く火の粉を飛ばしていた犬たちも大人しくなった。
「遅いぞ、たわけ!」
目に涙を浮かべた一己に睨まれ、九郎は詫びもせず、もう笑うしかなかった。本当に、遅すぎたから。助けにくることも、気持ちを伝えることも、何もかも。
「おい、五要のボケんだら!」
「ぼっ」
罵倒に少なからず怒ったが、それでも素直に呼ばれるまま、五要が顔を出した。
「どうせ龍を呼び出しのは、お前だろう!さっさと封印しちまえ!」
「あ…ああ!任せてく」
一瞬だった。遠くから飛んできた大砲に、龍の首が一閃された。
流れ落ちるように龍が倒れ、そして、九郎と結も巻き込まれた。血まみれになって動かない龍から逃れられるわけもなく、二人はゆっくりと湖に沈んでいった。
目を覚ますと、岸辺に打ち上げられていた。ずいぶん流されたのだろう、祭会場が遠い。立ち上がって九郎を探すと、彼は倒れていた。青ざめて動かない彼に、す、っと体温が下がっていくのが分かった。彼の頭上で飛んでいる青い光から、しずくが落ちていた。それは少女の声をしていて、ずっと泣きながら謝っていた。
「泣かないで…」
泣かないで。この状況を現実だと思いたくないから。
自分でも驚くほど冷静だった。ゆっくりと両膝から崩れ落ち、そして九郎の脈を確認した。そして、もう戻ってこない彼の顔をじっと眺めた。涙も、悲しむ言葉も出なかった。
「…いき、返らせないんですか?」
そして。
「神様なんでしょう!?」
自分で驚くほどの酷いことを言ってしまったと後悔した瞬間、涙が溢れ出し、そして叫んだ。涙は止まらなかった。しばらくそうしていると、青い光がゆっくりと飛んできた。
「一つだけ方法があります」
「何ですか?」
「犠牲を払えば…魂を救えます」
「…それは」
つまり自分が死ねば九郎が助かるのか、単純明快だった。だがそれは、できないことだった。そんなことは絶対にしてはならないことだと、さっき五要に説明したばかりだった。
「この世界での魂を消しましょう。そして、向こうの魂へと還りましょう」
「え?」
「さぁ、すぐに還らなければ。本当に九郎様が天国へ行ってしまいますよ」
そうか、そういうことか。そういうことにしてくれたのか。泣きながら笑った結は、覚悟を決めて立ち上がった。
「お礼は言いませんよ」
「分かっています。恋敵ですからね」
そう言って青い魂が光ると、結の足元がまるで砂になったようにどんどんつま先から消えていった。下から消えていくものだから、声はいつまでも耳に届いた。一己や、犬神の声も聞こえる。きっと五要も来てくれているのだろう。
何も言わずに帰ること、きっと怒られるだろうなと感じた。けど申し訳ないが、もう、その怒りさえ幸せすぎて、笑顔にしかならなかった。
胸元まで消えていくと、ぴくり、と九郎の腕が動いた。こんなに安堵したことはなかった。
そっと顔に近づくと、顔がどんどん消えてしまった手前、唇が鼻にしか届かなかった。生意気にも、彼の唇まで届かなかったことを、残念に思ってしまった。
まばたきをすると、現実に帰っていた。時間は自分がプールに行った翌日になっていて、友達も、もちろん父親も、世界も何もかも、自分がいた世界と相違なかった。全てが夢だったのではないかと疑いもしたが、胸元の水晶が違うのだと教えてくれていた。
毎晩水晶を握りながら、九郎たちのことを考えていた。そして、会いたいと水晶に吹き込まないようにするのに必死だった。自分が戻れば、九郎の魂がまた消えてしまうかもしれないから。
今日も相変わらず暑い、向こうは今日も寒いんだろうな、なんて、最近笑えるようにはなってきた。でもきっとまた、どこかでみんなに会えたら、何より彼に会えたら、きっとまた泣くのだろう。
「じゃあパパ、いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
-わん!わんわんわん!
ほら。泣いた。
「…っ、九郎様!」
「げ、ばれたか!犬のふりしてようと思ったのに!」
「分かりますよ…何万匹いたって」
そしてきっと言うから。あの日の返事を。
「九郎様」
世界を超えて、何度でも、何度でも。
fin
最後はやたら長くなってしまいましたが、もう切るところがなかったので。
お疲れ様でした。そして読んで下って本当にありがとうございました。
また何かしら書くかもしれませんが、そのときはまた笑って、読んで下されば光栄です。




