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はじまりは銀世界・10

 

 翌朝は、ものすごい犬の鳴き声に飛び起きた。すごい数だ、一匹や二匹ではないだろう。隣に寝ていた九郎から「あいつらに殺虫剤をまいてこい」と恐ろしい命令を受けたが、まさか承諾するわけにもいかず、厚手の着物を一枚羽織り、結は急ぎ外へ出た。


 

 玄関の外はなんというか予想通りの光景だった。庭を敷き詰めるような犬、犬、また犬。その犬がやたら吠え続けているので、結が思わず両手を叩くと、犬たちはようやくこちらを向いて、黙ってくれた。

 「姫!」

 「姫様、おはようございます!お迎えに上がりました!」

 人間の言葉と混じりながら聞こえてくる犬の鳴き声、結はたまらず両耳を塞いだ。

 「お、お迎えですか?」

 「そうです!お祭りです!」

 「お祭り?」

 そうだ、確かそんな話しがあった。まさか今日なのか、と思わず驚いてしまった。九郎は何も言ってなかったし、もちろん他の誰にも聞いていない。

 「今日なのですか?」

 「そう、急に今日になったのです。五要様がお目覚めになられたので」

 「…ごよう、様?」

 「ああ、姫様はご存じないのか…秋の王様です」

 「一年に一回しかお目覚めにならないんですよ」

 「ええ!!」

 思わず大声で驚いてしまった。それが本当ならすごい話だ、失礼だが健康よりもっと前の、生死を心配してしまう。

 「五要様は次はいつお目覚めになるか分かりません。夜には必ず丘へお越し下さい。姫様、夜までに風邪など召されないよう」

 「ありがとうございます」

 思わず丁寧に頭を下げると、あまりの異臭にむせてしまった。大変失礼だが、よく乾いてない洗濯物の固まりのような匂いがする。

 「…あの…皆さん。失礼なことを聞いてもいいですか?」

 「え?」

 「なんですか?」

 「最後にお風呂に入ったのは…いつですか?」

 ぴくり、と両耳を動かした犬たちが、お互いを嗅ぎあい、そしてまた吠えたてた。

 「おい、お前!臭いぞ!姫様がむせておられる!」

 「そっちこそ臭い!そんなことで姫様がお守りできるのか!?」

 お前だ、いやお前だ、ワンワン吠えながら醜く争い合う犬たちを見て、結は今まで一番大きい音で両手を叩いた。

 「皆さん…ちょっとお時間いいですか?」



 平和に二度寝していた九郎がやっと起きてきて、のそのそと居間へ向かったが、結はいない。あれ、と玄関を覗いた。靴はある。洗濯か何かかと脱衣所を覗くと、九郎はそのまま足を止めた。

 風呂を敷き詰めるような犬-まぁ、自分の部下たちなのだが、それが次から次へ結により芋のように洗われている。結はといえば、着物をまくりあげ、腹が丸見えだった。それも気づかないくらい真剣な顔つきで犬を洗い続けている。

 固まってる九郎の元へ、すっきりした顔の犬が一匹近づいた。

 「ああ、九郎様、おはようございます。姫様に洗っていただきました。どうですか?もう臭くないですか?」

 「…っ、お、おまっ、お前等!!」

 ようやく我に返った九郎が怒りで叫ぶと、犬たち、そして結がぎょっと彼を見た。

 「何してんだ、結と風呂になんか入りやがって!出てけ!見るな見るな、結の腹を見るな!!」

 「く、九郎様…犬さんたち、お風呂に入ってなかったみたいだから」

 「俺も犬だ、ボケ!」

 「ぼっ」

 九郎からの恐らく始めての罵倒に未来が少なからずショックを受けている後ろで、濡れた犬たちは必死で笑いをこらえていた。動物相手に嫉妬する上司は、失礼な話だが、大変滑稽だった。



 九郎は完全にへそを曲げてしまい、口もろくに聞いてもらえないまま、結は犬たちにつれられて祭会場につれていかれた。割と大きめな犬が背中に乗せてくれた。道行く子供に「わんわん」と指さされてしまったが、慣れてしまえば快適だった。

 「姫様、もう臭くはないですか?」

 「だ、大丈夫です…なんか。すいません」

 「いえ。いいのですよ。それにしても姫様、よくお似合いだ」

 「そう、ですか?」

 今着ている着物は、犬神から祭りのときに着なさいと渡されたものだ。美しい桜柄の着物が気恥ずかしい。

 「姫様、妙なことされそうになったら、我々が守ります故」

 「あ…ありがとうございます」

 「なんならば、今から間者を飛ばしますよ」

 「いえいえいえ」

 自分は普通だということを証明しに行くのに、それをやる前から不正をしてしまっては元も子もない。それに-…


 自分の拳を、ぎゅっと握る。あの日から、なんだか自分の手が自分のものじゃないみたいだ。あの力は一体なんだったんだろう。また、出たらどうなるんだろう。


 ふ、と下を見ると、足を止めた犬たちが一斉にこちらを向いて、心配そうに小さくわんわん吠えていた。久しぶりに、声をあげて笑ってしまった。



 犬たちとは感謝と供に一反別れ、会場へ行った。出店が並び、中央には高い舞台がある。自分がよく知っている祭と一緒だ。中央へ歩いていくと、大きく手を振っていてくれている一己が見えた。

 「結!」

 「一己様」

 走っていくと、軽く抱きしめ、頭を撫でてくれた。

 「すまないな、迎えに行けなくて。五要が急に起きるなどと抜かすから、用意に手間取ってしまった。あいつ例年なら、あと一週間くらい寝てるのに」

 「本当に一年お休みされてるんですね…一己様、気になさらないで下さい。お忙しいんですから」

 「お前は本当にいい子だなぁ、九郎にもったいな…ん?そうだ、九郎はどうした。もう着いていい頃だろう」

 「それが…怒らせてしまったみたいで」

 「は?」

 「口も聞いてくれなくて」

 なんだか話し始めると本当に悲しくなってきた、沈んだ結の向かいで、一己は慌てた。

 「し、心配するな。な。あいつはああいうやつだから、時間が経てばまた、へらへら笑ってるぞ」

 「…はい」

 一己の気遣いには嬉しかったが、素直に心から笑えなかった。一己が九郎のことを語ると、どうしようもなく悲しくなる。その距離と時間の差に。



 今日は雪もなく、絵に描いたような快晴だった。昼頃になると眩しいくらいで、一己は頭に巻いている美しい布を、結の頭に巻いてくれた。彼女が買ってくれたリンゴアメを一緒に食べながら、二人で出店を見て回っていた。すると、ふと広場に出た。そこではたくさんの男たちが笑いながら、壺に向かって手をかざしていた。

 「なんだ?何をやっている」

 「ん…あ、こ、これは一己様!いや、実は。城で、手をかざすだけで壺を割った奴がいる、などと噂がありまして」

 「それで、道行く輩が試しているのです」

 「なんだそれは」

 軽く笑う一己の隣で、結は体温が下がるのを自覚した。自分のこととまでは分かってないようだが、知られてしまっている。

 「よければ、一己様も」

 「僕はそんな面妖な力はないぞ…ほら!」 

 一己が手をかざすと、壺は宙へ跳んだ。それでもすごい力だ、周りの男たちが拍手する中、ふと誰かが結を見た。

 「おや、そちらは?」

 思わず一己の後ろに隠れそうになったが、そうなる前にかばうように抱いてくれたのは彼女だった。

 「僕の友達だ。なんでもない」

 「そう、言わずに」

 「そら」

 勧められると、手がまた勝手に動き、結は喉の奥で小さく叫んだ。まただ。また勝手に割ってしまう。震える手を必死に挙げまいとあらがっていると、ふと一己が反応した。

 「くせ者!!」

 

 ぱん!!

 

 一己が剣を投げると、右脇にあった出店の一部が壊されてしまった。すると、明らかに黒い影が消えてしまった。今、そこで誰かいたようだ。壺を囲んでいた男たちが我先へと逃げだし、店の者もさすがに怒ったようだが、一己を認知するなりすくみあがった。

 一己はそのまま剣も拾わず、結の手を引いて、早足で人気のないところまで歩いた。小走りでついていった結の両肩を掴んだ彼女の顔は、今まで見た中で一番真剣な顔つきをしていた。

 「いいか結。落ち着いてよく聞け」

 「はい…」

 「お前を…お前を、操ってる者がいる」

 「え?」

 「誰か分からない。検討もつかない。けど、これだけは言える。お前に力があるように見せようとしている奴がいる。どうしてそんなことがしたいのか分からないけど…」

 そこまでしゃべって、一己は深く頭を下げた。

 「すまない。僕は聞いてしまったんだ。お前が城で壺を割ったこと。だから、もしかしてと思っていたけど…お前に力があると、皆の前で証明したい奴がいる。辞退しろ、結。九郎の妻のお前ならどうにでもなる。嫌な予感しかしない」

 「でも」

 「-ここに、いたか」

 空気が変わり、思わず顔を上げると、そこにいたのは犬神だった。



 犬に化けた犬神の背中に乗せられ、結は丘を駆けていた。どこに向かうのか、聞きたくても聞けなかった。彼の緊張がこちらにも伝わってきたから。

 「ここなら、誰もいまい」

 「え?」

 祭り会場からずいぶん離れた野原で、人間の姿に戻った犬神が、手のひらほどの大きさの水晶を渡してきた。美しい紫の色だった。

 「今すぐしまいなさい」

 言われたとおり胸元にしまいこむと、彼は満足げに小さく頷いた。

 「何かあったら、それを口に含め」

 「これは…なんですか?」

 「願いが叶う、と噂のものだ。実際、願いが叶った者はいないがな…いもしない神へ祈るしかないなど、腑抜けにも程がある。君を守る方法が思いつかない」

 「犬神様…」

 「嫌な予感が当たったようだ。君は、恐らく、さらし者にされる。力があってもなくても。ろくな処罰を受けないだろう。力がないときは九郎の屋敷から放り出され、力があるときは春の王に命じられるだろう」

 「私が…ですか?」

 「上の連中は焦っているんだ。君という、異人に。だから、九郎君の見合い話も急に上がってきた」

 見合い、という言葉に思わず目を白黒してしまった。聞いていない、そんな権利ないかもしれないけど。

 「もちろん、会いもしないのに断った。上は恐れている。冬の王子の九郎君は君を慕い、ばば様もそうだ、そして夏の王も…秋の王さえも、お前を気にかけている。お前が神になるのを、恐れているんだ」

 「神、って」

 「昔、いたんだ。春夏秋冬、全てを統べ、そして全ての力を操る者が。しかし、そいつのおかげで戦争が起こった」

 

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