はじまりは銀世界
ずぼ、ずぼっと間抜けな音が、ただ耳に届く。
歩くというよりは埋もれながら、結は雪の中をただひたすら歩いていた。吹雪いていないだけマシだが、そのようなことに感謝する余裕などなかった。どこまでも吹き付ける冷たい風はノースリーブに短パンという姿に容赦ない寒波を攻撃し続け、体力を奪っていった。
歩き続けなければ死ぬ、そんな本能にも似た、やる気かもよく分からない衝動だけが結を動かしていた。
一体どのくらい歩いただろう。そしてあとどれくらい歩けばいいのだろう。
それを考えてしまった瞬間、とうとう足が止まってしまった。もう一歩も歩けない。このまま死んでしまうのか、なんとなく見上げた空は、どこまでも曇り、幻想的にちらほらとただ雪を降らしていた。
悲しくはない。死を悲しむのは何か心残りがある人間だ。自分は毎日好きなように寝て、好きなように食べて、好きなように遊んできた。そして好きなだけ愛された。
そこまで考えて、自分が死んだら泣いてくれそうな唯一の肉親を思い出した。自分が死んだら確実に泣いてくれるだろうその人をなだめる周りのことを考えると、すごい勢いで同情した。同時に、愛しさが溢れ出した。
「パパ」
会いたいよ、我慢した涙がとうとう流れてきた。同時に、固まっていた足が動き出した。チャンスだとばかりに、結は再び、ずぼずぼと歩き始めた。
無心に歩いていく中、ふとまばたきされると、地面が近くなっていた。また雪が深くなったのか、嫌そうに足元を確認すると、叫びそうになった。近づいてるのは自分、倒れてしまう寸前だったらしい。
弱々しく周囲を見渡すと、前も後ろも右も左も真っ白で、どのくらい歩いているのか、どこへ続いているのか分からない。
もう嫌だ、結が意識を手放そうとしてしまったそのときだった。
人の声だ。
現金にも脳が覚醒した。思わず緩んだ表情で結が足を早めると、思わず歓喜で叫びそうになった。空耳ではなかった。
「あのぉ!」
よかった助かった、結が必死に声を絞り出すと、振り返った男たちを見て、寒さ以外の理由で固まってしまった。
それはゲームかアニメでしか見たことないような、甲冑の騎士だった。甲冑からはみ出す無精髭と着込んだ厚いジャケットがなんだか妙だった。
彼らはこちらに気づくなり、いきなり槍を突き出してきた。思わず結は両手を挙げた。
「何者だ!」
「このような山にそのような軽装で…ここは神聖なる山だぞ!」
「お前、どこの国の者だ!その肌の色、ここの人間ではないだろう!」
責め立てられ続け、どこから返事していいのか、男たちの迫力に結は戸惑ってしまった。確かに言うことがいちいちもっともだ。こんな雪山でこんな格好をした子供が歩き回っていたのでは確かに不審だろう。
どこからどうやって説明したものか、焦りながらも体は律儀に寒さに震えた。このままでは、風邪ではすまない。
「あ、あの…!話すとややこしいので、とりあえずかくまってもらえませんか!?」
「何!?」
「見ての通り子供です!一人です!ここがどこかも分かりません!死にそうです!寒いんです!助けて下さい!」
もはやヤケで現状をぶちまけると、一瞬の静寂の後、男たちの馬鹿笑いがそこらに響き渡った。
「ではどうやってここまで上ってきたというのだ!」
「子供が一人で…さては敵国のスパイか!?」
ああもうそうさその通りさ、男たちの台詞がまたもっともで、結は先ほどとは違う理由でまた泣きたくなってきた。
「怪しい奴め…引っ捕らえよ!」
「ああ!」
「はっ」
捕まえられてしまうのか、思わず結は逃げようとしたが、そうだ、と思いついた。こんなところでうろうろしているより、彼らに捕まってしまった方が、とりあえずは助かりそうだ。
結が怖がるふりをしながら内心ほっとしていると、奥の男がいやらしく笑って、顔を覗き込んできた。
「おい、こいつ女だぜ。しかも可愛いじゃねぇか」
「ちょっと小さいが、高値で売れるかもな」
売られる-…
冗談じゃない、思わず走りだそうとした結の腕を、男たちが慌てて掴んだ。
「おい逃げるぞ!」
「取り逃がすな!籠持ってこい!」
「籠!?」
私はカブトムシか、必死に暴れるが、体力の損失と凍えと圧倒的な体格差で、全て無意味に終わった。このままでは本当に売られてしまう、結が父親の名前を泣き叫ぼうとしたそのときだった。
「わん!!」
現れたのは、父親でも、まさか白馬の王子様でもなかった。
まぁ、なんというか犬だった。どこからどう見ても犬だった。黒一色で大きな犬は、尻尾を勇ましく振りながら、こちらに近づいてきた。
呆気にとられた結の頭上で、男たちがまた馬鹿笑いした。
「おい、見ろ!お犬様が助けにきてくれたぞ!」
「お前の犬か?」
「いや…知らないです」
思わず正直に告白した。あいにく犬は飼ってないし、もちろん知り合いもいない。ふと金属音に振り返ると、男の一人が槍を構えていた。
「そういや最近犬鍋、食べてねぇなあ」
こいつらの脳内には食べることと売ることしかないのか、呆れてしまった結が、犬に向かって声を張り上げた。
「逃げて!」
助けにきてくれたかどうかも定かではないが、目の前で動物が殺されるのは気持ちのいいものではない。
すると犬は逃げるどころか、こちらに突進してきたかと思えば、あっという間に結の足の間に入り込んだ。要するに、乗せたのだ。
「は」
状況についていけず我ながら間抜けな声を漏らすと、犬はそのまま駆けだした。
「わ、わっ!」
「おい、犬とガキが逃げたぞ!」
「捕まえろ!!」
男たちが追いかけていくが、犬の足は風のように速く、結は振り落とされないように必死で犬の尻尾に捕まった。
痛くないかと思わず犬を心配したか、彼(多分)はどんどん駆けていくため、結はありがたくも捕まったままにしていた。
そうしてしばらく走ると、崖っぷちだった。まさかと思ったが、犬はためらいもなく飛び降りた。結を乗せたまま。
声なき声で叫び、結はとうとう意識を投げ出した。




