第5話 誘拐
愛ちゃんはスマホを見せながら答えた。
「男、もう……ついさっき現れたみたい」
美桜と一緒に、画面を覗き込む。
『うわ、神田さんに話しかけた。あれ男じゃね』
『え、写真と全然違うんだけどw』
『ほんとだww ちげえ』
『普通におっさんじゃんw』
『笑ったw』
『でぶじゃん』
――軽い。
ゲームみたいな空気が、画面の向こうから流れてくる。
更新は三分前で止まっていた。
それ以降の書き込みがない。
「私も今から……合流しようと思って……」
愛ちゃんが言いかけるのを、俺が切る。
「うん。急ご」
そう言って、三人でエスカレーターに乗った。
こういうときに限って、やけに遅い。人の流れが詰まって、足が止まりそうになる。
上へ運ばれながら、愛ちゃんがスマホを見て小さく息を呑んだ。
「あれ……食事しないで、神田さんと男、どっか行ったみたい」
喉が、ひゅっと鳴った。
俺と美桜は愛ちゃんのスマホを覗き込む。
「……見せて」
俺はメッセージの続きを追う。
『あれ、レストラン入らない』
『2人でどこか行くのかな』
『神田、反応して~』
『おーい、どうするのー?』
『誰か追いかけて』
レストランは六階。
今いるのは三階。
焦りが、足首からじわじわ上がってくる。
横で、美桜の握る手が強くなった。指の力が、俺を現実につなぎ止める。
六階に着くと、レストランの前に一年二組の子たちが集まっていた。
見慣れた顔と、見慣れない顔。二年生の先輩も混じっている。
俺は息を整える暇もなく、その輪に近づいた。
「……あの。神田さんは?」
声が思ったより大きく響いて、数人の視線が一斉にこっちへ向く。
頭から足先まで、ひと息に見られる。
「え、朱音ちゃん?」
呼ばれ方に、ほんの一瞬だけ引っかかった。
でも、そんなのどうでもいい。
「神田さんは?」
もう一度。今度は少し強く。
返事をしたのは、神田といつも一緒にいる女子と、隣に立っていた男子だった。
「えっと……神田さん、今、男とスマホ取りに行ってる」
「なんか、下のボックスに入れてるって」
「神田さんから、“戻るから待ってて”って連絡来た」
背中に、冷や汗が流れた。
「先輩が追いかけてたんだけど……エスカレーターで降りるところで、離れちゃったって」
まずい。
「戻らないかも……」
最悪の想像が、口から零れた。
みんなの顔にも緊張が走る。
さっきまでの“ノリ”が、音を立てて剥がれていく。
「朱音ちゃん、気にしすぎじゃない?」
誰かが、顔を引きつらせながら言った。
笑いに戻そうとしてるのに、笑えてない。
俺は、このショッピングモールの構造を頭の中で引っぱり出す。
上の階。エレベーター。ボックス。人の流れ。死角。
胸の奥が、嫌な形に固まっていく。
「手伝ってほしい」
俺は、集まっている顔を順に見た。
「もしかしたら神田さん……レストランに戻らないかもしれない」
言い切った瞬間、みんなの表情が一気に緊張する。
空気が音を失ったみたいに、静かになった。
そのとき、二組の女子がスマホを取り出した。
「……あ、神田さんからメッセージ来た」
全員の目が、その手元に吸い寄せられる。
「でも……これ、なんで音声メッセージ?」
女子は首をかしげながら、再生ボタンを押した。最初は小さかった音が、音量を上げてだんだん大きくなる。
『ねぇ、なんでレストランに戻らないの?』
神田さんの声だった。強がりが消えている。緊張と焦りが混ざって、呼吸が浅い。
『戻る戻る。つーかさ、神田ちゃん……思ったより可愛くてさ。マジで。』
画面の中の丁寧な文章とは別人みたいな声だった。
『ほら、ビビんなって。今から“いいとこ”連れてってやるよ。中学生じゃ入れねー感じのさ。』
『ねぇ、やだ……ちょっと、手を――』
そこで音声が、ぶつりと切れた。
「……え?」
再生した女子の声が震えた。
「え、どういうこと……?」
誰かが息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。
俺の中で現実感が、ふっと遠のいていく。
神田が、どこかへ連れていかれる。
――間に合わなかった。
胸の奥が冷えて、次の瞬間、頭が逆に冴えた。
これは、完全に未成年略取だ。
スマホや食事を餌にして、抵抗を薄くして、誘拐する。甘い言葉の形をした罠。
そう意識した途端、思考が勝手に回り始める。
「……聞いて」
俺は、集まっている顔を見回した。
「駅に隣接してる。駅へ続く通路と改札方向は、二年の先輩が中心で探して」
「残りはフロアごとに分かれて。六階から下、順に」
「絶対に一人で声かけないで。見つけても、まずは距離取って連絡。安全優先」
「相手が本気で連れ出す気だったら、何か持ってる可能性もある。無理に近づかない」
言い終えた瞬間。
みんなが、ぽかんと口を開けて俺を見ていた。
……しまった。
俺だけ温度が違う。現実を一気に叩き込んだ。
でも、二組の男子が、俺の言葉を拾った。
「分かった。俺、一階見てくる」
その一言で、空気が動き出した。
誰かが「私二階」って言い、別の子が「私三階!」と続く。さっきまでの“ノリ”が完全に消えて、みんなの目が本気になる。
俺は愛ちゃんを見た。
「愛ちゃんは、私と一緒でお願い」
「私、グループチャット入ってないから……情報が拾えない」
「うん、分かった」
愛ちゃんの顔は青いのに、目だけが強い。腹が決まった目だ。
隣で美桜が手を握り直してくる。
「私たちはどうする? ここで待つ?」
……美桜は、俺を無理させたくないんだ。
それが握る力で分かる。
でも考える。
犯人なら、どう動く。
一階のボックスにスマホ。
そう言って、いったん下へ向かわせる。
嫌がる中学生を連れて、電車で移動する?
いや――そんな目立つこと、するはずがない。
なら、車。
このモールは上に駐車場がある。
屋上と七階。人が少なくて、音が消える場所。
男は一度エスカレーターで下に見せかけて、エレベーターで一気に駐車場へ上がった……そういう動きが一番それっぽい。
「……駐車場を調べたい」
俺は美桜を見た。
「愛ちゃんは屋上」
「私と美桜で、七階の駐車場を見たい」
「何かあったら、すぐ電話。絶対」
愛ちゃんは俺をまっすぐ見て、頷いた。
「分かった」
そして小走りでエレベーターへ向かっていく。
本当は、誰にも危険なことをさせたくない。
でも今は、一人じゃ何もできない。
頼むから――ケガだけはしないで。
俺は美桜と並んで、七階の駐車場へ向かった。
握っている手が少し汗ばんでいる。たぶん俺だけじゃない。美桜の手も、力が入っている。
エスカレーターを上がる。
七階の駐車場に出た瞬間、空気が変わった。
広い。車は多いのに、人の気配が薄い。エンジン音もほとんどしない。
俺と美桜だけの世界みたいだった。
二人で歩きながら、視線を遠くへ走らせる。
車の列の隙間、柱の陰、非常口の表示。どこも静かだ。
しばらく歩いて、諦めかけた――そのとき。
――いた。
前方。
手を引かれている女の子が見えた。髪の揺れ方、長さで分かる。神田さんだ。
俺の身体が反射で動きかけた。走り出しそうになって、足が前に出る。
でも、美桜が俺の手を強く引いて止めた。
目が合う。
美桜は小さく首を振る。――焦るな、って。
俺は息を殺して、うなずいた。
車の影を使いながら、少しだけペースを上げる。
音を立てない。柱と車の死角を繋いで、距離を詰める。
神田さんは項垂れている。
抵抗しているというより、声を出せないまま引かれている感じだ。




