表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

第3話 点滅


 今日は土曜日だ。

 休みとはいえ、児童養護施設の朝のスケジュールは変わらない。


 朝。布団の中に、ひやりとした空気が滑り込んでくる。

 美桜が起きて、布団から出たのだ。


 私は重たいまぶたを持ち上げて、美桜を見た。


 美桜は眠そうに、目が半分しか開いていない。猫背のまま、ふらふらと数歩。

 壁にぶつかりそうになって、ぎりぎりで止まる。


 しばらくして、目が合った。


「おはよう~」


 掠れた声でそれだけ言って、美桜は着替えのために自分の部屋へ戻っていった。

 眠いのに、ちゃんと動いている。そういうところ、ほんとにえらい。


 私も布団を抜けて、着替えをする。

 今日は――施設の先輩、清美さんが買ってくれた服を着ないといけない日だ。


 私は服にこだわりがないと思っていた。

 けれど、人に服を買われるようになってから気づいた。たぶん私は、“目立たない服”にこだわっていたんだ。


 清美さんが選ぶ服は、正直……恥ずかしい。


 袖口と胸元にフリルのある白い長袖ブラウス。

 その上に、黒いジャンパースカートの重ね着。胸元には白いリボンが並んでいて、膝上丈の裾にはレースと装飾。

 鏡の前に立っただけで、落ち着かなくなる。


 清美さんがバイトで稼いだ、なけなしのお金で買ってくれた服だ。


『朱音は小さいんだから、舐められないように盛れ!』


 そう言い切った清美さんの顔が浮かぶ。

 ……着なさすぎて怒られたから、休みの日のどちらかは着るようにしている。そういう“ルール”が、私の中にできてしまった。


 着替え終わったタイミングで、部屋の扉が開いた。


「お、今日も可愛いねー」


 美桜が入ってきて、にやにやしている。


 その美桜は、黒の長袖カットソーに黒のデニム。

 真っ黒だ。ずるい。


「うぅ……やっぱりこれ、恥ずかしいんだけど」


「そんなことないよ。めっちゃ可愛いから自信もって!」

 言いながら美桜は、俺の髪を手早く整える。指先が器用に前髪を直して、耳のあたりを軽く撫でた。

 それだけで心臓が変なところを打つ。


「……はい、そこで止まって。完成」


「完成って、なに……」


「可愛い朱音、完成」

 言いながら美桜は、私の髪を手早く整える。

 指先が器用に前髪を直して、耳のあたりを軽く撫でる。


 そのまま手を取られて、引っ張られるように食堂へ向かった。


 食堂は、いつもの朝の匂いがした。

 焼いたパンの香ばしさと、湯気の甘さ。食器が触れ合う乾いた音。誰かの笑い声。


「おはよー! 今日も眼福眼福!」


 元気よく挨拶してくれるのは、渡辺ゆかり。中学三年で、声が大きくて場の空気をぶち破るムードメーカー。

 ゆかりの声が入るだけで、眠気の残る空気が一段明るくなる。


 用意されたパンを持って席につき、蜂蜜をたっぷり垂らしてから、かぶりつく。

 甘さが舌に広がって、ちょっとだけ気持ちがほどけた――そのとき。


 私の横に、すっと影が落ちた。


「……はちみつで服、汚すなよ」


 低い声。

 そこに立っているのは、中村清美。服を買ってくれた高校三年生の先輩だ。


 清美さんの視線が、蜂蜜の光るパンから、私の袖口のフリルへ、胸元のリボンへと一瞬だけ滑った。


 ぶっきらぼうなのに、声はどこか早口で、目が合わない。

 怒ってるというより――照れ隠し。そう思うと、逆に返しづらい。


「……気をつけます」


 私がそう言うと、清美さんは「ん」とだけ返して、さっさと視線を外した。

 それ以上は何も言わない。文句も続かない。自分の部屋へ逃げていくみたいに去っていく。


 横で美桜が、口元を押さえて肩を揺らしている。


「……笑ってるでしょ」


「笑ってないよ。……でも、可愛い」


「もぅ……」


「褒めてるのに?」


 美桜は黒の長袖に黒デニム。真っ黒。

 私だけ白いブラウスにフリルとリボンで、落ち着かない。


「ずるい。美桜は目立たない服で逃げてる」


「逃げてない。好きなだけ」


 食堂のざわめきが、土曜の朝を押し進めていく。

 椅子の音、誰かの笑い声、ゆかりの大声。


 私は胸元のリボンを、指でそっと触った。


 食べ終えて、皿を洗って廊下へ出る。

 窓の外は明るいのに、廊下の影はまだ冷たくて、肌がきゅっとなる。


 美桜が先に歩き、途中で振り返る。

「行こ」


 手を引かれて、部屋へ戻る。

 スカートの裾が揺れるたび、まだ落ち着かない。


 ドアを開けた瞬間――私のスマホが、緑色のライトをちかちかと点滅させていた。

 暗い部屋の中で、その光だけが妙に浮いて見える。


 嫌な予感がした。

 一度、手を止める。――見るな、と身体が言っているみたいだった。


 でも、逃げても通知は消えない。

 結局、私は画面を起こした。


 送信者は、愛ちゃん。


 メッセージを開いた瞬間、頭の中がすうっと冷えていった。

 頬の熱が引いて、指先だけが妙に熱い。


 視界の端が、白くなる。


 ――やっぱり。


『今日、神田さん、やっぱiPhoneもらいに行くらしい。

 見張りを付けるらしい。二組だけじゃなくて、二年の先輩も何人か。

 もらったらその場で逃げるって計画してるっぽい』


 呼吸が浅くなる。

 胸の奥が、嫌な音を立てて締まった。


 “見張る”。“逃げる”。

 その言葉の軽さが、逆に怖かった。

 遊びのテンションのまま、危ない場所に踏み込もうとしている。


 私はスマホを握りしめたまま、動けなくなる。


 そのとき、隣で布が擦れる音がした。

 美桜が、私を見ている気配。


「朱音……顔、真っ青。どうしたの?」


 美桜の声はすぐ近い。

 心配の温度が混じっていて、余計に胸が苦しくなる。


 私は一度、唾を飲み込んだ。

 言い訳を探す暇なんてない。


「……美桜、聞いて」


 声が思ったより硬い。

 私はスマホを隠さず、そのまま美桜に見える角度に向けた。


「愛ちゃんから……神田さん、今日やっぱり行くらしい」

「しかも、見張るって。二組だけじゃなくて、二年の先輩も混ざってるって……」

「iPhone受け取ったら、そのまま逃げるって……」


 言いながら、喉が乾く。

 これを口にした瞬間から、もう“戻れない”気がした。


 美桜の表情が、すっと固まる。


 私は続けた。


「……止めないと。このままだと、絶対に何か起きる」


 言い切ったあと、胸の奥で嫌な予感が、形になっていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ