第16話 部活
中学生になって一週間が経った。
登校すると、校内は部活動の勧誘合戦でざわついていた。
入学してから一か月以内に、部活には全員入らないといけないらしい。
美桜と手を繋いで歩いていると、先輩たちがチラシを片手に次々声をかけてくる。
美桜は見た目がボーイッシュだからか、運動部の先輩がやたら寄ってくる。
俺のほうは文化系が多い気がした。
「ねぇ、どうする?」
美桜が大量のチラシをひらひらさせながら聞いてきた。
俺だって、本当は新しいことをやってみたい。
前の人生では剣道部だった。正直、臭くて熱くてキツくて嫌いだった。
でも仲間が良かったから続けられた――そんな感じ。
「本当は、バスケとかしたいんだけどね」
ぼそっと言うと、美桜はすぐに眉を寄せた。
「朱音には厳しいと思うよ~。体的に」
分かっている。
やってみたい気持ちはあるけど、自分の体は自分が一番分かってる。
気づけば、もう教室の前に着いていた。
「またね。部活、考えといてね」
美桜はそう言って、少し下のほうで手を振りながら一組のほうへ行ってしまった。
席について、配られた部活動一覧を眺める。
音楽系、写真部、文芸部、科学部……。
うーん。あんまり惹かれない。
放課後。部活見学の時間になった。
「あ、田中朱音さん。放課後、職員室に来てください」
HRが終わって、俺は言われた通り職員室へ向かった。
担任の先生が、ちょっとだけ真面目な顔で言う。
「田中、入学したときの成績がかなり良かった。生徒会に入りたいなら推薦できるぞ」
「ただ、生徒会に入ると部活に入れない。そこはよく考えろ」
……生徒会。
俺の性格的には向いてる気もする。相談とか、仕事とか。
でも忙しいのは目に見えている。
職員室を出ると、廊下に美桜が立って待っていた。
部活見学、一緒に回るために待ってくれたんだ。
「何かあったの?」
「生徒会、入れるって言われた」
美桜が目を丸くする。
「え。すご」
「……入りたいの?」
「ううん。全然入りたくない。忙しそうだし」
(それに――美桜から離れて動き回るの、なんか嫌な予感がする)
「そっか。ふーん」
美桜はそう言いながら、少しだけ肩の力を抜いた。
……安堵してる。
今はこれでいい気がした。
「私も成績悪いから、生徒会は無理だなぁ」
「忙しいし、朱音の体調のこと考えたら……やめとくのが安全かもね」
文化部を順番に巡っていく。
茶道部。興味ない。
放送部。恥ずかしい。
音楽系は、俺のリズム感のなさで絶望的だった。
次は図書部と文芸部に向かう。
「美桜さ、本読むの好きだし、ちゃんとやったら成績上がるよ」
「文章読む力あるもん」
「本読むのは昔から好きなんだよね~」
「でも数学は無理。数字ってさ、何考えてるか分かんないんだもん」
「分かる。文章はさ、“作者の気持ち”とか“行間”とかあるじゃん。優しい」
「数学は急に『よって』とか『従って』とか言って論破してくる感じ、あるよね」
「それそれ! こっちは“ちょっと待って”って言いたいのに!」
「“ちょっと待って”は数学に存在しないよ」
「ひどっ」
「でも朱音って数学好きだよね」
「好きっていうか……分かる感じ」
「数字って、よ〜く見ると“言いたいこと”が分かってくるんだよ。逆に国語のほうが迷走するくらい」
「いやいや、数字に顔ないから! “言いたいこと”とかないでしょ!」
「それがね、ベテランになると、角度見ただけで『30度だよ~』って教えてくれる」
「うっそ! さすがにそれは嘘!」
「仲良くなったら分かるって」
そんなバカなことを言い合いながら、図書部の見学先――図書室に着いた。
「失礼しまーす」
中に入ると、先生が一人いるだけだった。
図書部の活動は、読書が中心。
時々、読書感想文を書いたり、紹介ポップを作ったりもするらしい。
それと、図書委員の仕事の一部を手伝う。
文芸部みたいに小説を書いたりはしない。
それに幽霊部員も多く、部が潰れることもなさそうだ――と先生が苦笑いした。
一通りの説明を受けて、図書室を出た。
⸻
夕飯のとき、また部活の話になった。
ゆかりはいつものように野菜炒めを食べながら聞いてくる。
「部活、何にするの?」
「うーん……文芸部か図書部かな」
「えぇ~、図書部って帰宅部じゃん。もうちょっと面白いのしたら?」
「本読むの、普通に面白いよ」
「新しい世界に入れるし、読み終わったあと頭がぽわぽわする感じ、あれが最高」
最初に会ったときも、美桜はずっと本を読んでいた。
本当に、本が好きなんだと思う。
俺はふと思って聞いた。
「ゆかり姉は、部活やってるの?」
空気が一瞬だけ止まった気がした。
「私? 私は別に……何もしてないよ~」
「え、運動部とかしてそうだけど」
「バレーやってたんだけどね」
「ほら、施設ってお金ないから続けられなくなったんだ」
奥で千夏さんが、気まずそうに目を伏せた。
「それで、千夏さんとすっごい喧嘩になっちゃってね。今はやってない」
「今はここで暮らせるだけで幸せって思ってる」
ゆかりはすぐに手を振って、無理やり笑う。
「あー暗くなった! リセットリセット~!」
たまたま環境が悪かっただけで、普通ができなくなる。
選びたかったものを、選べなくなる。
それが、ここで生きる現実なんだ。
⸻
消灯時間。
施設の廊下の足音が遠ざかって、部屋の中は小さな生活音だけになった。
俺は布団に潜り込みながら、さっきのゆかりの笑い方を思い出していた。
明るい声で、無理やり“普通”に戻すやつ。
あれは強いんじゃなくて――強くならざるを得なかったんだ。
布団の中が、いつもより冷たい。
ドアが開く音。
それから布団が、わずかに擦れる音。
次の瞬間、もぞもぞと美桜が入ってくる。
「……朱音、起きてる?」
小声。
暗いのに、目だけが合った気がした。
「起きてる」
答えると、美桜は少しだけ安心したみたいに息を吐いた。
それから、手探りで俺の指を探してくる。指先が触れて、すぐ絡む。
その手が、温かい。
「……今日さ」
美桜が言う。
声がいつもより落ち着いてる。落ち着かせてる、が近い。
「生徒会、ほんと入らないの?」
「入らない」
即答すると、美桜が少しだけ黙った。
安心したのか、納得したのか分からない沈黙。
「……私、変かな」
「何が」
「生徒会って聞いた瞬間さ。すごい、嫌だった」
美桜の指がきゅっと強くなる。
暗い中でも、眉を寄せてるのが分かる。
「朱音が“みんなの朱音”になるの、嫌だって思っちゃった」
胸の奥が、ぐっと沈む。
美桜のそういう言い方は、素直で、逃げ道がない。
俺は息を吐いて答えた。
「……私も、離れるの、嫌だ」
「なんか朱音って、時々……男の人みたいな言い方するよね」
心臓が止まりそうになる。
合わせてたつもりだったのに。
「でも、その不思議な感じ、可愛い」
「やめろぉー……」
俺はわざと低い声を出して、男の真似をした。
「俺は……離れない」
「ちょ、やめて! 気持ち悪い!」
口ではそう言いながら、胸の奥の固さが少しだけほどけた。
しばらくして、美桜が小さく言う。
「朱音ってさ、真面目すぎるんだよ」
「え」
「生徒会、向いてると思う。でも……向いてるからって、やらなきゃいけないわけじゃないじゃん」
その言葉がまっすぐ刺さった。
俺がずっと、誰かに言われたかった言葉だった。
「……うん」
「だって朱音、忙しくなったら無理するもん」
「で、倒れて、私が怖くなる」
手が震えたのか、絡んでいる指がわずかに動いた。
美桜はそれを誤魔化すみたいに、俺の手を両手で包んだ。
「今日もさ、ゆかり姉の話、聞いて思った」
「普通って、恵まれてるんだなって」
俺は返事ができなかった。
その“普通”を奪われた人が、明るく笑ってたのを見たばかりだから。
美桜がぽつりと言う。
「……私たちも、今の“普通”がいつ奪われるか分かんない」
「だから、せめて……部活くらいは、ちゃんと自分で選びたい」
「朱音も、自分で選んでほしい」
俺は暗い天井を見ながら、ゆっくり頷いた。
「……図書部、いいと思った」
「うん。朱音、あそこ入った瞬間、顔がちょっと楽になってた」
「そんな顔してた?」
「してた。してたよ」
確かに前の人生では、小説なんて読まずに、ひたすら事件に向き合っていた。
美桜は笑って、でもすぐ真顔に戻る。
「私も……図書室、好き」
「静かだし、本の匂いするし。先生も女性で怖くないし」
“女性で”の言い方が、少しだけ引っかかった。
「文芸部は?」
俺が聞くと、美桜は少し悩む間を置いた。
「……書くのは、怖いかなぁ」
「怖い?」
「気持ちが出るから。文字にすると、逃げられない」
美桜の声が少しだけ弱くなる。
暗い中で、過去の影が一瞬だけ覗く。
「でも……小説の世界にどっぷり浸かるのは、好き」
俺は何も言えなくて、代わりに手を握り返した。
「じゃあ、図書部にする?」
美桜が言う。
決めてほしいんじゃなくて、一緒に決めたい声。
「……うん。図書部がいい」
「じゃあ図書部にしよ」
「朱音と一緒の部活、楽しみ」
そう言って、美桜は微笑んだ気がした。
絡めた手が、ぎゅっと強くなる。
明日、図書部を見に行く。
ほんの小さな予定。
なのに、それが“守りたい普通”みたいに思えた。




