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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

廃都の竜骨

作者: hatayan

灰都アッシュシティの夜は、いつも雨で始まり、雨で終わる。

 酸性雨の粒がネオンを滲ませ、ガラスとクロームでできた摩天楼を、まるで爛れた竜の背骨みたいに歪めて見せる。

 街の匂いは、焦げたオゾンと魔素ガス、そして安い煙草。


 カラム・ヴェイルは、場末の酒場でグラスを転がしていた。

 琥珀色の液体は、もう味などわからない。喉を焼く刺激が残れば十分だった。


 右目の奥が疼く。義眼——龍眼が「覗け」と囁いていた。

 虚数空間の断片を覗けば、敵も真実も透けて見える。だが同時に、精神を削り取られる。

 刑事を辞めた理由は、それだった。使いすぎて相棒を死なせ、自分も壊れかけた。


「……うるせぇ」

 誰にともなく呟き、グラスを空けた。


 酒場はいつもの通り、壊れかけたホログラム広告と、疲れた客で埋まっている。

 バーテンは無言でグラスを磨き、安酒の匂いと機械油が入り混じった空気が充満していた。

 そこに、異物のように目立つ声が割り込んだ。


「……あんたが、カラム・ヴェイル?」


 顔を上げると、入り口に女が立っていた。

 まだ若い。二十そこそこか。濡れたコートに身を包み、怯えた瞳でこちらを見ている。

 場末の酒場には似つかわしくないほど、必死な表情。


「依頼なら他をあたれ。俺はもう警官じゃねぇ」

 カラムはグラスを指で弄びながら、素っ気なく答えた。


「……私、妹を探してほしいんです」


 その一言で、カラムの背骨に冷たいものが走った。

 女が差し出した写真には、まだあどけなさの残る少女の顔。

 そして名前を聞いた瞬間、カラムは息を呑んだ。


 その名は——竜骨機関に刻まれた制御コードと同じ響きを持っていた。


「名前はセリス。妹はリアナ。三日前から消息を絶ちました」

 女は震える手で写真を押し出した。


 カラムはそれを受け取り、目を細める。

 リアナ。黒い髪、幼さの残る面差し。だが瞳には、どこか都市の光よりも深い色が宿っていた。


「警察に頼んだのか?」

「……ええ。でも動いてくれませんでした。『記録にない市民』だと」


 カラムは煙草を取り出し、火をつけた。紫煙がゆっくりと昇る。

 記録にない市民。つまり、都市の管理システムが存在を認識していない人間。

 生まれながらに外れ者。都市にとっては“存在しない”も同然。


「なるほどな。で、どうして俺に?」


「……刑事だった頃の話を、聞いたんです」

 セリスの声がわずかに震える。

「どんな事件でも、最後まで諦めなかったって。どんなに汚い依頼でも……誰かを助けたって」


 カラムは苦笑し、グラスを置いた。

「随分、古い話を掘り出すもんだ。あの頃の俺はもう死んだ」


「でも——今、目の前にいるのは生きてるあなただ」

 セリスの視線が刺さる。怯えた目の奥に、必死な炎が宿っていた。


 カラムは煙草を咥え直し、灰を落とした。

「……報酬は?」

「これだけです」

 差し出されたのは小さなデータチップ。そこに大した価値はないだろう。


 だが、依頼そのものが厄介な匂いを放っていた。

 ——リアナ。その名前は都市の心臓部「竜骨機関」と響き合っている。

 偶然で済むはずがない。


依頼を受けるか迷う間、カラムの脳裏に過去が蘇る。


 警察時代。

 竜眼を得たのは、ある事件で相棒を守ろうとしたときだった。

 違法な実験に巻き込まれ、竜の遺骸から作られた義眼を移植された。

 未来を断片的に視る力を得た代わりに、常に精神を侵食される。


 相棒はその力を信じた。だが最後は、カラムの“幻視”に巻き込まれて死んだ。

 それ以来、カラムは龍眼を使うたびに胸が抉られる。

 依頼を受ける資格など、とうに失ったはずだった。


 それでも。

 セリスの必死な目を見て、カラムは煙を吐き出した。


「……わかった。引き受けよう」


 セリスの瞳に、ようやく光が戻った。

「本当ですか……!」

「だが一つ言っとく。俺が探すのは妹の“行方”だ。生きてるか死んでるかは保証しない」


「……それでも、いい」

 セリスは深く頷いた。


依頼を受けた以上、やることは決まっている。

 まずは情報収集。行方不明になった場所、足取り、関わった人物。

 それらを辿れば、どこかで糸口に繋がる。


 カラムはコートを羽織り、酒場を出た。

 雨は相変わらず降り続き、街の灯りを歪ませている。

 遠くで雷鳴が轟き、空に走る稲光が、都市を竜の骸のように浮かび上がらせた。


 セリスが後を追う。

「探偵さん、妹は……生きてますよね?」


 カラムは返事をしなかった。

 煙草に火をつけ、灰都の闇へと歩き出した。


 ——竜骨機関と同じ名を持つ少女。

 この依頼が、灰都そのものを揺るがすことになる予感は、既に胸の奥で疼いていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





灰都アッシュシティの下層は、都市の臓腑だった。

 上層に住む企業人たちが知らない場所。光は届かず、常に煤煙と魔素ガスが漂い、電脳残響のノイズが耳鳴りのように響く。


 セリスは息を詰めながらカラムの後を歩いた。

「……ここが、電脳スラム……」


 彼女の靴は濡れた路地に馴染まず、足取りは危うい。

 カラムは振り返りもせず、煙草を咥え直した。

「慣れてないなら、ここから先は引き返せ」


「いえ……妹を見つけるまでは一緒に行きます」


 頑固な目をしていた。怯えは隠せないが、それでも必死に前を見据えている。

 その目に、かつての相棒の面影が一瞬だけ重なった。


 カラムは短く鼻を鳴らし、歩みを進めた。


スラムの奥、崩れたビルの一角。

 そこに「ピクシー」と呼ばれる妖精族AIの情報屋がいる。

 実体はない。だが違法サーバーに根を張り、人間のように会話することができた。


「……探偵。まさかまた、あんたの顔を見ることになるとはね」

 ホログラムが明滅し、青白い妖精の姿が浮かぶ。翅はデータのノイズで揺れている。


「調子はどうだ、ピクシー」

「最悪さ。コーポの監視が厳しくなってる。あんたが来たことも、すぐにバレるだろうね」


 カラムは肩をすくめた。

「それでも知りたいことがある。……この顔に見覚えは?」


 写真を見せると、ピクシーの表情が一瞬だけ硬直した。

「——その子は危険だよ」


「理由を聞こう」

「“鍵”だから。竜を呼び覚ますための鍵」


 セリスが息を呑む。

「どういう意味ですか……?」


「言葉通りさ。メガコーポも、魔導結社も、その子を狙ってる。もし目覚めさせれば、都市そのものが焼かれる」


 カラムは煙を吐き出した。

「だが俺の依頼は、妹を探すことだ。理由がなんであれ、そこにいるなら引っ張り出す」


「探偵……本気で言ってるの?」

「俺が冗談を言ったことがあるか?」


 ピクシーは苦い顔をし、データを吐き出した。

「——スラム東区。地下電脳ノード。そこに痕跡がある。けど忠告するよ、カラム。今回はやめとけ。あんた、死ぬよ」


「ありがとよ。お前がそう言うと、逆に確かだって気がする」

情報を得た直後、店内に鋭い音が響いた。

 銃声。

 ホログラムの壁が破れ、鉄の巨躯が踏み込んでくる。


「……ったく、話が早ぇな」

 カラムが舌打ちする。


 現れたのは、サイバーオーク。

 筋骨隆々の身体を義肢で強化し、半身を鉄に置き換えている。目は赤い光で燃えていた。

 コーポの下請け傭兵——つまり、リアナを追っている連中だ。


「探偵……悪く思うな」

 オークは巨大な銃を構えた。

「お前も、妹も、都市の燃料なんだ」


「そうかよ」

 カラムは煙草を口に咥え直し、拳銃を抜いた。


 銃撃と魔導弾が交錯する。

 セリスは悲鳴を上げて身を伏せた。


 カラムは龍眼を開く。視界にノイズが走り、未来の断片が閃光のように映る。

 弾丸の軌道、敵の動き、その先の結果。

 ——精神を削りながら、未来を先読みする。


 一発。

 カラムの弾丸が、オークの義眼を撃ち抜いた。


 巨体がよろめき、床に崩れる。


戦闘が終わった後、セリスは震えていた。

「……さっきの、目……」


「見なかったことにしろ」

 カラムは短く答え、銃をホルスターに戻した。


 ピクシーのホログラムが揺れる。

「やっぱり来ると思ってた。あんたを潰しに」


「予想通りだな。だが一つ分かった」

 カラムはオークの死体を睨む。

「コーポも、結社も、同時に動いてる。つまり、リアナはただの人間じゃない。都市の心臓部と何かで繋がってる」


 セリスの顔色が蒼白になる。

「妹が……そんな……」


「まだ確証はねぇ。ただ、一つだけ言える。探すのをやめりゃ楽にはなる」

 カラムは煙草に火をつけ、煙を吐き出した。

「だが……依頼を受けた以上、最後までやる」


 ピクシーがデータを差し出す。

「東区地下ノード。ここが次の手がかりだよ。——でも覚悟しな、カラム。そこに待ってるのは、人じゃないかもしれない」

スラム東区。

 崩れた駅跡のさらに下層、閉ざされたトンネルを抜けると、そこは電脳と魔素が混じり合った地下空間だった。


 壁一面にケーブルが這い、腐蝕した端末が無数に点滅を繰り返している。

 魔導式の符号と、旧世代のプログラムコードが混ざり合い、蛆虫のように蠢いていた。


 セリスは吐き気を堪え、カラムに縋るようにして歩く。

「ここが……妹が残した痕跡の場所?」


「ああ。だが雰囲気が悪すぎるな」

 カラムは周囲を警戒しながら進んだ。


 ——龍眼を使うべきか。

 だが、使えばまた精神を削る。未来を視れば視るほど、現実感が遠のいていく。

 それでも。ここで怯んでいては、何も掴めない。


 彼は片目を閉じ、龍眼を開いた。


 視界が白くノイズに覆われ、断片的な未来が閃く。

 闇の中、少女の姿。誰かに引きずられ、消えていく光景。

 そして——黒い“穴”が口を開ける。


次の瞬間。


 闇の奥から「それ」は現れた。


 人の形をしている。だが輪郭は常に揺らぎ、顔はノイズに覆われていた。

 皮膚は剥がれたコードの束で、瞳の奥には無数の魔導回路が走っている。


「……虚ろ、か」

 カラムが唸る。


 虚ろ——電脳と魔術の狭間で生まれた、失われた人間の残滓。

 魂がデータ化の過程で失敗し、肉体を持たぬまま迷い出た存在。


 虚ろは声にならぬ声を発した。

 《……カエ……セ……》


 セリスが震える。

「な、何を……言って……?」


「『返せ』だ。だが何をだ?」

 カラムは銃を構え、目を細めた。


 虚ろは突然、腕を伸ばした。

 ケーブルが鞭のようにしなり、カラムを襲う。

 カラムは身を翻し、銃弾を放つ。

 だが、虚ろの身体は弾丸を吸収するように揺らぎ、貫通を許さない。


「効かねぇか……!」


 龍眼を開く。未来の断片が見える。

 ——右から鞭、次に天井から落下、最後にセリスを狙う。


「伏せろ!」

 カラムが叫び、セリスを押し倒した。直後、鉄骨が落下し、さっきまで二人がいた場所を粉砕する。


 未来を先読みしながら、カラムは銃を撃ち続ける。

 狙うのは虚ろの揺らぎが薄くなる瞬間。その時だけ、実体に近づく。


 一発。二発。三発。

 銃弾が虚ろの身体を裂き、ノイズが飛び散る。


 虚ろが絶叫を上げ、空間そのものが震えた。


ーーーーーーー。

ーーーー。

ーー。


戦いの最中、虚ろの声がカラムの脳に直接流れ込んできた。


《……リ……アナ……》


 カラムは目を見開く。

「今、なんて言った……?」


《……リ……アナ……を……アケ……テハ……ナラナイ……》


 次の瞬間、虚ろは自壊するようにノイズへと溶け、消え去った。


 残されたのは静寂と、耳鳴りだけだった。


セリスが震える声で問う。

「今の……妹の名前を……」


「ああ。確かに言った」

 カラムは銃を収め、深く息を吐いた。


「つまり、妹は虚ろと何かで繋がってる。……いや、違うな」

 彼は煙草に火をつけ、煙を吐き出す。

「虚ろは妹を“封じておけ”と言っていた。つまり——リアナは解き放ってはならない存在だ」


 セリスの顔が蒼白になる。

「妹が……そんな……」


「真実はまだ見えねぇ。ただ一つ確かなのは、奴らが血眼で追ってるってことだ」


 地下ノードの奥、暗闇の中で小さな光が瞬いた。

 古びた端末に残された、少女の声の断片。


《……セリス……ごめん……》


 録音データだった。

 セリスは耳を塞ぎ、膝をつく。

「リアナ……!」


 カラムはその光景を黙って見つめる。

 龍眼の疼きが告げていた。

 ——ここから先は、もう後戻りできない。


地下から地上に戻る頃には、夜明け前の光が街をわずかに染めていた。

 だが灰都に朝の清浄さなどなく、酸性雨が相変わらず街を濡らしていた。


 セリスは黙り込み、カラムの後ろを歩く。

 その瞳には決意が宿り始めていた。


 カラムは煙草をくゆらせ、心の奥で呟く。

「リアナ。お前は都市の心臓《竜骨機関》と繋がってる。……だとすりゃ、次はその心臓に触れなきゃならねぇな」


 雨の街を歩く二人の影は、都市の闇に溶けていった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



灰都を統べる最大企業〈アーク・ディミオン〉。

 その本社ビルは都市のどこからでも見えるほど巨大で、空を貫く黒鉄の塔だった。


 カラムとセリスは、そのビルの下層にある古い区画に潜り込んでいた。

 企業が隠したがる廃棄データや、闇の記録が眠る場所だ。


「ここに妹の痕跡が?」

 セリスは小声で問いかける。


「竜骨機関のログを追えば、必ず引っかかる。あいつがただの人間なら、な」

 カラムは冷ややかに言い、煙草を指で転がした。


 だがすでに察していた。

 リアナはただの人間じゃない。

 都市の心臓と繋がった「鍵」。

 それは、都市そのものを揺るがす存在だ。


都市の中央地下深くに存在する巨大な装置。

 人々はそれを「竜骨機関」と呼んでいた。


 伝承では、かつて大空を翔けた竜の骨を基に作られたとされる。

 魔素と電脳の双方を取り込み、都市に無尽蔵のエネルギーを供給する中枢。


 だが同時に、竜骨機関には封じられたものがある。

 それは都市を焼き尽くす「竜の意識」。


「妹は、その意識を解放する鍵……」

 セリスが震える声で呟いた。


「可能性は高いな。だからコーポも結社も追ってる。だが——俺たちが先に掴む」

 カラムは端末を操作し、封印された地下通路のマップを呼び出す。


二人は深夜、ビルの監視網を抜け、竜骨機関へのアクセス路を進んだ。


 静寂。

 だが機械仕掛けの眼がそこかしこに潜んでいる。

 ドローンの羽音が近づき、セリスが息を呑む。


 カラムは龍眼を開き、未来を先読みする。

 ——数秒後、ドローンが角を曲がる。照射レーザーでセリスを捕捉する。


「動くな」

 カラムは囁き、銃を構えた。

 タイミングを見計らい、一発でドローンのセンサーを撃ち抜く。


「……すごい……」

 セリスの声は震えていた。

「さっきから、どうしてそんなに先を読めるんですか?」


「職業病だよ」

 カラムは淡々と答えた。

 本当は、龍眼の副作用で精神を蝕まれている。だがそれを言うつもりはなかった。


通路を抜けた先、待っていたのは黒いローブの集団だった。

 魔導結社《黒檀環》——竜骨機関の封印を解こうとしている異端の魔術師たち。


「……ここで鉢合わせか」

 カラムは銃を構えた。


 結社のリーダーらしき男が笑う。

「探偵よ。貴様がここに来ることは予見していた」


「予言者気取りか。なら教えてくれ。俺はここで死ぬのか?」


「いや。お前は“鍵”を導く。だからこそ放っておけぬ」


 次の瞬間、魔導陣が展開された。

 炎が生まれ、電脳ノイズと融合する。

 混成魔術——魔導と機械をかけ合わせた呪い。


「セリス、下がれ!」

 カラムは叫び、銃を乱射した。


弾丸は魔導障壁に阻まれ、火花のように散る。

 結社の術師たちは呪文を唱え、闇の刃を放ってきた。


 カラムは龍眼を開く。未来の断片が閃く。

 ——左から斬撃、右から炎弾、背後には落下する瓦礫。


 そのすべてを躱し、反撃する。

 だが数が多すぎる。


「探偵!」

 セリスが叫ぶ。彼女の手のひらから淡い光が生じた。


 結社の術師たちがざわめく。

「……鍵の片鱗……!」


 セリス自身は気づいていなかった。

 妹を探すうちに、自らも“竜骨”の影響を受け始めていたのだ。


 光が弾け、術師たちの陣形を崩す。


 その隙を突いてカラムが一人を撃ち抜く。

「いい援護だ」

「わ、私……今の、何を……?」

「後で考えろ。今は生き延びることだ」


戦闘の余波で通路の天井が崩れ落ち、埃と火花が舞った。

 結社の術師たちは一時撤退し、残されたのはリーダー格の男だけだった。


「……やはりお前たちはここまで辿り着く。運命に導かれてな」

 黒衣の男は、胸元に埋め込まれた黒水晶を光らせた。


 背後には、巨大な扉があった。

 金属と骨が絡み合い、封印の魔導陣が刻まれている。

 そこが——竜骨機関の封鎖領域だった。


「この扉の先に、妹が?」

 セリスが息を呑む。


「否。妹は“鍵”として、扉を開く器だ」

 男は冷酷に言い放った。


 カラムは銃を構えた。

「なら、開けさせるわけにはいかねぇ」


男は笑い、手をかざす。

 闇の炎が生まれ、コードの断片と絡み合う。


「我ら黒檀環は千年待った。竜の意識を解き放ち、都市を浄化するその時を!」


「浄化、ね……」

 カラムは煙草を噛みしめる。

「言葉を飾っても結局は破壊だろうが」


 銃声が轟く。

 弾丸が男の障壁にぶつかり、火花を散らす。


 男が詠唱し、炎刃を放つ。

 未来が閃き、カラムは身を翻す。だが避けきれず、肩をかすめる。


「ぐっ……!」


 セリスが叫び、両手を突き出した。

 再び淡い光が生じ、男の魔導を打ち消す。


 リーダーの瞳がぎらりと光った。

「やはり……鍵の血脈。妹だけでなく、お前もだ!」


突然、扉の封印が震え始めた。

 低い唸りが空間を満たし、壁を伝って鼓動のように響く。


 セリスの瞳が光に染まり、声が漏れた。

「……聞こえる……妹の……声……」


 カラムの龍眼にも、異様な未来が映った。

 ——扉が開く。

 ——都市全体が炎に包まれる。

 ——そしてセリスが、妹と共にその中心に立つ。


「クソッ……!」

 頭痛が走り、意識が揺らぐ。

 龍眼が告げる未来は、どれも破滅の絵だった。


 だがカラムは構え直した。

「セリス! 耳を貸すな!」


「でも、リアナが——!」


「違う! それは“竜”が囁いてるだけだ!」


男が高笑いを上げ、詠唱を続ける。

 扉の封印が崩れ始めた。


「鍵よ、開け! 竜を解き放て!」


 セリスは苦しげに顔を歪め、両手で頭を抱えた。

 妹の声と竜の意識が、彼女の心を引き裂こうとしている。


 カラムは歯を食いしばり、最後の決断を下した。


 ——龍眼を最大限に開く。


 視界が崩壊する。無数の未来が押し寄せ、脳を焼き尽くす。

 その中でただ一つ、僅かな勝利の線を掴んだ。


「今だ……!」


 カラムは引き金を引いた。

 弾丸は男の胸の黒水晶に命中する。


 轟音。

 魔導の暴走が起き、男の身体はノイズの塊となって崩壊した。


扉は揺れたが、完全には開かなかった。

 封印の光が再び収束し、かろうじて閉ざされたままだ。


 セリスは膝をつき、荒い息を吐いた。

「……リアナの声……消えた……」


 カラムはふらつきながら彼女を支える。

 龍眼の反動で視界が霞む。

 だが煙草に火をつけ、無理やり平静を装った。


「扉はまだ閉じてる。だが長くはもたねぇ。妹は……竜骨機関のどこかに囚われてる」


 セリスの瞳に涙が滲んだ。

「リアナを……助けられるんですか……?」


「探偵ってのはな、真実を暴くのが仕事だ。

 だから答えは一つだ——必ず見つける」


 都市の鼓動が低く響き、遠雷のように揺れた。

 灰都の夜明けはまだ遠く、二人の影は再び闇へと消えていった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




竜骨機関の封印が揺らいだ夜から三日。

 灰都アッシュシティは落ち着きを取り戻すどころか、むしろざわつきを増していた。


 ネオンが照り返す路地では、不穏な噂が囁かれている。

「都市の心臓が軋んだ」

「黒檀環の魔導師が消えた」

「企業が秘密裏に“鍵”を探している」


 人々は何かを恐れている。

 だが表向きはいつも通りの灰色の生活が続いていた。


 カラムは安酒場〈クラックド・ヘイロー〉のカウンターで、ウイスキーを転がしていた。

 頭痛は抜けない。龍眼を酷使したせいだ。

 それでも酒を流し込み、煙草で誤魔化す。


「探偵さん、顔色最悪だよ」

 マスターの老バーテンダーが苦笑した。


「いつもだ」

 カラムは短く答え、グラスを空にした。


その夜、灰都の上空に黒い飛行船が浮かんだ。

 〈アーク・ディミオン〉のシンボルを刻んだ軍用艇。


 セリスが慌てて酒場に飛び込んできた。

「カラム! コーポが動いた! 街の至る所で“封鎖令”を敷いてる!」


 彼女の顔には疲労と恐怖が滲んでいた。

 それでも瞳には揺るぎない決意が宿っている。


「狙いは?」

「……妹だと思う。リアナを“回収”するために」


 カラムはグラスを置き、煙草を灰皿に押し付けた。

「となると、次はこっちが先に動く番だな」


二人は地下街に潜り、情報屋〈リリス〉の元を訪れた。

 彼女は電脳と魔導を繋ぐハーフの女で、都市の裏情報を網羅している。


「竜骨機関……そして“鍵”か。高値で売れる話ね」

 リリスは薄い唇を歪めた。


「遊んでる暇はねぇ。リアナの居場所を吐け」

 カラムが冷たく言うと、リリスは笑みを深めた。


「ただじゃ教えない。でも……セリス、その力、もう隠せないわよ」


 セリスが怯えたように顔を背けた。

「力……?」


「竜骨の残響があんたの中で芽吹いてる。妹だけじゃない。あんたも“鍵”なの」


 空気が張り詰めた。

 セリスは唇を噛み、カラムの袖を握った。


「……どうすればいいんですか」

「どうするもこうするも、自分で選べ」

 カラムは淡々と言った。

「だが忘れるな。利用しようとする奴は山ほどいる」


 リリスは端末を操作し、投影された地図を指差した。

「リアナは“ネオン監獄”にいる。企業の研究施設よ」


 〈アーク・ディミオン〉が運営する秘密施設。

 外見は廃墟を装っているが、内部は最新鋭の監視網で覆われている。

 人々はそこを皮肉混じりに「ネオン監獄」と呼んでいた。


「妹はそこに……」

 セリスの声は震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。


 カラムは煙草を咥え、火をつける。

「行くぞ。時間はねぇ」


二人はリリスの手引きで監獄の外壁に辿り着いた。

 センサーが赤い光を放ち、ドローンが宙を巡回している。


「正面から入れば即アウトね」

 リリスが肩を竦める。

「でも、地下の排気路からなら……生きて帰れる可能性は五分」


「五分あれば十分だ」

 カラムは即答した。


 セリスは頷き、深呼吸した。

「妹を……絶対に見つける」


 夜の灰都がざわめき、遠くで竜骨機関の鼓動が低く鳴った。

 運命の歯車が再び動き始めようとしていた。


灰都の地下は、腐食した配管と煤けた壁に覆われていた。

 排気路の空気は酸性の臭いを放ち、肺を刺す。


 カラムは拳銃を片手に先頭を歩いた。

 セリスは後ろで必死に息を整える。

「こんな所から……本当に入れるんですか」


「正面から行けば蜂の巣だ。地下の泥臭さに耐えろ」

 カラムは煙草を咥え、火をつける。

 だが煙はすぐに排気に吸い込まれ、闇に溶けた。


 壁の奥で機械仕掛けの音が響いた。

 ドローンだ。


 カラムは龍眼をわずかに開いた。

 未来が閃き、巡回ルートが脳裏に流れ込む。

「今だ、行け」


 二人は隙間を縫うように走り抜けた。


排気路を抜けると、そこは無機質な廊下だった。

 白い照明が不気味に光り、壁一面に監視カメラが並ぶ。


「……病院みたい」

 セリスが呟く。


「いや、解剖室だな」

 カラムは銃を構え、足音を殺す。


 廊下の奥に、ガラス張りの部屋があった。

 そこに少女が座っている。


 ——リアナ。


 白い服を着せられ、腕に無数のコードを繋がれている。

 虚ろな瞳で、どこか遠くを見つめていた。


「リアナ!」

 セリスが駆け寄ろうとするが、カラムが腕を掴んだ。

「待て、罠だ」


 直後、部屋の周囲に魔導陣が浮かび上がる。

 結界だ。


静かな足音が近づいた。

 白衣を纏った女が姿を現す。

 銀の髪、無表情の瞳。


「侵入者……やはり来たか」

 彼女は冷たく二人を見据えた。


「お前がリアナを監禁してる研究屋か」

 カラムの声は低い。


「私は主任研究員〈ハーシェル〉。

 彼女は竜骨機関と都市を繋ぐ“媒介”。

 無駄に奪うな。都市の未来のために必要だ」


 セリスが叫ぶ。

「未来? ただ利用してるだけじゃないですか!」


 ハーシェルは一瞬だけ微笑んだ。

「利用? 違うわ。

 この都市を維持するためには竜の意識を制御しなければならない。

 そのための“鍵”が彼女なの」


ガラスの向こうで、リアナが小さく瞬きをした。

「……お姉……ちゃん?」


 その声にセリスの心が震える。

「リアナ! 私よ!」


 リアナの頬に涙が伝った。

 だが直後、結界が光り、彼女の身体が痙攣した。


「やめろ!」

 セリスが叫ぶと、ハーシェルは淡々と答えた。

「彼女はもう媒介として同化し始めている。

 感情の揺らぎは制御を乱す。必要な処置よ」


 カラムは拳銃を構え、ハーシェルの額へ狙いを定めた。

「言い訳は結構だ。ガキを泣かせる研究なんざ正義じゃねぇ」


引き金に指をかけた瞬間、建物全体が震えた。

 低い鼓動が響く。

 竜骨機関だ。


 リアナの身体から光が溢れ出す。

 ガラスが砕け、結界が弾け飛ぶ。


「リアナ!」

 セリスが抱きとめる。


 リアナの瞳は蒼白に光り、口から微かな声が漏れた。

「……竜が……目覚める……」


 ハーシェルが顔色を変えた。

「制御が……崩れていく……!?」


 施設の警報が鳴り響き、赤いライトが点滅する。

 天井から装甲兵と魔導兵が雪崩れ込んできた。


 カラムは銃を撃ち抜き、セリスとリアナを庇った。

「チッ……嵐のど真ん中ってわけか」


三人は瓦礫の隙間を駆け抜け、崩れる廊下を進む。

 背後ではハーシェルが叫んでいた。

「捕まえろ! 鍵を逃すな!」


 セリスは妹を抱きしめながら泣き叫んだ。

「大丈夫、絶対に守るから!」


 カラムは銃を撃ち、進路を切り開く。

 未来視が脳を灼く。だが足を止めることはできなかった。


 崩壊する監獄を背に、三人は夜の灰都へと飛び出した。


外に出た瞬間、灰色の空が微かに明るんだ。

 夜明け——それは決して希望ではなく、新たな戦いの始まりを告げる光だった。


 リアナは弱々しく目を開け、セリスに囁いた。

「お姉ちゃん……私、竜の声が聞こえる……」


 カラムは煙草に火をつけ、吐き捨てるように言った。

「なら急げ。奴らも竜も……この街も、待ってはくれねぇ」


 遠く、竜骨機関の低い鼓動が街全体を震わせた。

 灰都の夜明けは、嵐の前触れだった。




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灰都アッシュシティは眠らない。

 だが今夜は違った。

 街のあらゆるネオンが、鼓動のように明滅している。


 竜骨機関——都市の心臓が、不規則な脈を打っていた。

 まるで竜そのものが、檻を破って目覚めようとしているかのように。


 カラムは廃ビルの屋上に立ち、煙草を吸い込んだ。

 背後ではセリスが妹リアナを支えている。

 彼女の瞳は青白く光り、竜の囁きが絶え間なく流れ込んでいた。


「カラム……もう限界かもしれない」

 リアナは震える声で言った。

「竜が、全部、飲み込もうとしてる……」


 セリスは妹を抱きしめ、必死に言葉を絞り出す。

「大丈夫、私が守る。私たちが鍵なんでしょ? 一緒なら——」


 カラムは無言で煙を吐いた。

 その目には疲労と決意が宿っていた。


空が裂けた。

 〈アーク・ディミオン〉の黒い艦隊が、都市上空を覆う。

 無数のドローン、魔導兵、装甲騎士がビルの谷間に降下してくる。


 その中心に、研究主任〈ハーシェル〉が立っていた。

 彼女の瞳は冷たく輝き、背後の投影には竜骨機関の制御図が広がっている。


「鍵を渡せ。さもなくば都市ごと沈むぞ」


 セリスは叫んだ。

「妹を実験道具にして何が未来ですか!」


「道具ではない。器だ」

 ハーシェルは淡々と告げた。

「竜の意識を押さえ込めるのは、この姉妹だけ。

 だが姉は不安定だ……妹だけで十分だ」


 カラムは銃を抜き、低く呟いた。

「選択肢は一つだな」


 弾丸と魔導光弾が交差する。

 カラムは龍眼を限界まで開き、未来を読み切りながら撃ち抜いていく。

 視界が裂け、頭蓋が灼ける。

 だが止まれば終わりだ。


 セリスは詠唱を叫び、雷光の槍を放つ。

 姉妹の力が共鳴し、青白い光が戦場を駆け巡った。


 だが敵は尽きない。

 都市そのものがコーポの兵器と化していた。


「無理だ……全部は倒せない!」

 セリスが叫ぶ。


「だからこそ——竜に賭けるんだ」

 カラムの声は低く、だが確固としていた。


リアナが膝から崩れ落ちる。

 その身体から膨大な光が溢れ出した。

 都市全体が震え、竜骨機関が轟音を上げる。


 ——竜が目覚める。


 幻影のような巨躯が、都市の空に姿を現した。

 鱗は金属のように輝き、瞳は深淵のごとき蒼。


 ハーシェルが狂気の笑みを浮かべる。

「これだ……完全なる竜の再生!」


 だが竜の視線が彼女に注がれた瞬間、彼女は言葉を失った。

 竜は人間を道具と見ていない。ただ微塵の塵としか思っていなかった。


「セリス……」

 リアナが姉に縋る。

「竜の声が……全部、押し流してくる……私、壊れる……」


 セリスは妹を抱きしめ、涙を流した。

「一緒に抗うの。あなたは道具なんかじゃない」


 竜の光が二人を包み込む。

 その中でセリスとリアナは心を重ね、同じ声を放った。


「私たちは人間だ。竜の鎖にはならない!」


 瞬間、竜の咆哮が都市を震わせた。

 それは支配ではなく、解放の叫びだった。


だが制御の奔流は凄まじく、姉妹の身体は砕けそうに震えている。

 カラムは歯を食いしばり、龍眼をさらに開いた。


 未来が洪水のように押し寄せ、意識が崩れていく。

 それでも彼は一歩踏み出した。


「俺が……抑える」


 龍眼と竜の意識が交錯し、都市の時間が歪んだ。

 兵器も、結社の残滓も、すべての未来が見える。

 そして——撃ち抜くべき一点も。


 カラムは最後の弾丸を込め、引き金を引いた。


 弾丸は竜骨機関の中枢を撃ち抜き、光が収束した。


爆音が都市を揺らし、空を覆っていた竜の幻影が霧散していく。

 残ったのは、ただ静かな鼓動。

 竜は眠りについたのだ。


 セリスとリアナは倒れ込んでいた。

 生きている。だが力は失われていた。


 カラムはふらつきながら煙草を取り出す。

 火をつけようとしたが、手が震え、ライターを落とした。


「カラム!」

 セリスが駆け寄る。


 カラムは口元にかすかな笑みを浮かべた。

「上等だ……都市はまだ生きてる」


 龍眼は完全に焼き切れていた。

 彼の瞳はただの人間のそれに戻っていたのだ。




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数日後。

 灰都はまだ灰色のままだった。

 だが街角には、以前より確かなざわめきが戻っていた。


 セリスとリアナは小さな下宿に身を寄せ、静かに暮らしている。

 二人はもう“鍵”ではなく、ただの姉妹だった。


 カラムは酒場〈クラックド・ヘイロー〉にいた。

 片目を失い、未来を視ることもできない。

 だがグラスを傾けるその姿は、いつも通りだった。


「探偵さん、まだ引退しないのかい?」

 マスターが笑う。


 カラムは煙草に火をつけ、薄く笑った。

「仕事がある限りはな」


 灰都の夜は続く。

 竜は眠り、人間は歩き続ける。

 ハードボイルドな街に、わずかな夜明けが差していた。





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