XIII. 嵐の後で After the storm
新宿総合病院の安全がようやく確保された今、俊介は一人、屋上で東京の朝焼けを見つめていた。
「ひかる……守れなかった。君が最後まで人であろうとした姿が、焼きついて離れない」
彼女は、噛まれながらも仲間を庇い、最期まで理性を保とうとした。それが余計に俊介の胸を締めつける。
「あれが、俺の選択の結果だったのか? 満のアンドロイドを盾にし、仲間を助ける選択をしてきたけれど……誰かを犠牲にしていないと言えるのか?」
葛城美鈴は、ひかるの死を淡々と受け止めながらも、病棟の同僚たちを見回していた。自分と同じように心に穴を空けた仲間を。
「ひかるの分まで、生きる。それしかできない」
祐もまた、夜のナースステーションでそっとひかるの記録を開き、閉じた。
「立派だったよ、あなたは。だから、もう泣かない」
そして——
満の意識は、静かにラボに帰還するアンドロイドの視界を通じて空を仰いでいた。
「ALSになって、最初に思った。俺は、誰かの役に立てるだろうかって。でも今なら……少しは、自信を持って言えるかもしれない」
アンドロイドでありながら、人間以上に“人”であろうとする意志。
俊介は満のことを思い、目を伏せる。
「弟がこんなに強いのに……俺は、何を迷ってる」
だが、それでも彼は立ち上がる。
「技術にできること。倫理が止めること。その両方の間で、俺たちは進まなきゃならない」
世界が壊れかけている今、人の心が、それを救う最後の希望だった。
— 柊満と葛城美鈴 —
夜の病院屋上。空気は冷たく乾いていたが、都市を覆っていた不安は、どこか遠のいていた。
美鈴は満のアンドロイドの手をそっと握った。指の感触は限りなく生身に近く、熱すら伝わるようだった。
「ねえ、今日は……まだ、仕事の続きある?」
「ううん。AIが回してくれてる。君の肌に触れてる方が、ずっと処理効率いいからね」
美鈴は、肩に頭を預けながら、小さく笑った。
「ほんと、あんたってば……仕事中毒で、ロマンチスト」
満の視線は変わらず、まっすぐ彼女に向けられていた。彼の表情は静かだったが、アンドロイドの瞳に走る微細な変化が、感情の高まりを物語っていた。
「この身体じゃ、味覚も性感も“模倣”に過ぎないけど——君といると、模倣が本物になる気がするよ」
「……バカ」
美鈴の指が、満の胸元に触れた。微かに鼓動のような振動が感じられた。生体模倣機構の仕業なのに、不思議と“温かさ”を感じる。
「今日は、帰らない。いい?」
「君が望むなら、どんなかたちでも、君の隣にいるよ」
頬を寄せ合うふたりの間に、夜風が吹き抜けていく。そこには確かに“生”があった。
— 柊俊介と香坂祐 —
俊介は医局の一室に戻ると、ソファに深く沈み込んだ。久しぶりに、戦闘服ではないシャツの襟元を緩める。
そのタイミングで、祐がそっと部屋に入ってきた。目が合うと、どこか“いたずらっぽい”笑みを浮かべた。
「もう、ずっと顔が怖かった。戦闘モード、解除できた?」
「……なんとか」
「だったら、そろそろ“治療”が必要ね」
祐はそう言って、彼の膝の上に座り込む。
俊介の体がわずかに強張った。口を開きかけて、やめた。その代わり、彼女の髪に手をそっと伸ばす。
「こういう時に、どうしていいか、わからなくなる」
「だから私がリードするの。いつも、そうでしょ?」
「……悪いな。シャイな男で」
「好きよ、そういうとこ」
祐の手が俊介のシャツの前をほどいていく。指先が、鎖骨の下をなぞると、俊介の喉がわずかに鳴った。
「今日は、逃がさない」
彼女の声は甘く、それでいて命令のように響いた。
彼の腕が、ゆっくりと彼女の腰を抱き寄せる。戦い続けてきた医師と看護師。その隙間に生まれた静かな夜の悦びは、二人だけのものだった。