XI. 柊満 Mitsuru Hiiraghi
柊満は、柊俊介と遺伝的にほぼ同一の双子として生まれた。
だが10代の終わり、わずかな筋力低下とふるえをきっかけに、若年性ALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受ける。
多くの医師が希望を絶った中、満は病と共存する覚悟を決めた。車椅子生活を経て寝たきりとなるまで、彼は世界最高峰の感染症研究機関であるスクリプス研究所に招聘され、客員研究員としてRNAウイルスベクターの研究に従事した。
そのとき彼が関与したのが、後に「NRV系列」と呼ばれる原始株の解析だった。
肉体の自由を奪われる一方で、彼の知性と好奇心は解き放たれていた。帰国後、父・柊裕介が率いる丸菱重工業の次世代義体プロジェクトに協力し、VRとブレイン・マシン・インターフェースを通じて、彼は仮想空間と現実世界の“両方”に生きる者となった。
満は自身の外見を模したヒューマノイド型のアンドロイドの中枢AIとして起動するだけでなく、動物型アニマトロニクス——猫や柴犬の姿となって、こども園や高齢者施設に訪れるのが好きだった。
「この犬、なんかやけに賢いぞ?」「あはは、なんでしっぽで文字を書くの〜?」
子供たちや老人たちとのそうしたふれあいが、彼の研究のインスピレーションにもなっていた。AIの限界は、情報処理能力ではなく“他者の気持ちを読む力”にあると、彼は誰よりも理解していた。
彼の恋人、葛城美鈴は感染症病棟の主任看護師。満の姿がヒューマノイドであっても、彼女はまったく気にしていなかった。むしろ、満の優しさ、理論と現実のバランス感覚、そして研究者としてのひたむきさに強く惹かれていた。
朝の病棟ラウンド、白衣を着たヒューマノイドの満がエレベーターから現れると、看護師たちは自然と笑顔になった。
「おはようございます、満先生。今日も犬型で来るかと思いました」
「今日は真面目モードだよ。葛城主任の前でふざけたら、また消毒薬をぶっかけられる」
「昨日は子供たちにおんぶされてたくせに〜」
笑いが弾け、病棟の空気が柔らかくなる。満の存在は、単なる技術の象徴ではなく、人々の心の拠り所でもあった。
ある休日、美術館でのデート帰り、夕暮れの街を歩く二人。美鈴は満の義手にそっと手を重ねた。
「この街が好き。あなたと、こうして普通に歩けるって、奇跡みたい」
「でも奇跡って、案外、積み重ねた技術と努力の先にあるんだよ」
ホテルのスイートルーム。灯りを落としたベッドルームで、美鈴がそっと満の顔に手を添える。触覚フィードバックは、彼女の熱を忠実に再現していた。
「ねえ……その身体でも、感じてる?」
「もちろん。今の君の声の震えも、肌の温度も、全部伝わってる」
ゆっくりと唇を重ねた。キスは静かで、深くて、どこか祈るような温もりがあった。
その夜は、お互いの存在を確認するように、何度も指を絡め、言葉を交わし、心と身体の境界を溶かすような時間が流れた。彼らにとって愛とは、姿や機能ではなく、意志と感情に支えられた約束だった。
研究所では、彼の解析モデルが国際誌に掲載され、若きエキスパートとして認められていた。しかし満自身は、軍事転用への不安も抱いていた。
「このプロトタイプ、すぐ戦場に運ばれることになる。俺が犬として遊んでる間にも、背中にミサイル積んだやつが出来てるんだ」
それでも彼は開発を止めなかった。理由は一つ。
「誰かが“平和利用”の姿を見せ続けなきゃ、全部、兵器になっちまうからさ」
そして今、彼はかつて扱っていたウイルスが、現実世界を脅かす存在となって現れたことを、誰よりも静かに、そして深く理解していた。
俊介と同じ遺伝子を持ちながら、まったく異なる運命を背負った男——柊満は、機械の体を通じて、再び世界を救う道を模索し始めていた。
その一方で、俊介は満の操るヒューマノイドやアニマトロニクスを、病院の防衛や避難誘導に活用せざるを得ない状況に、複雑な感情を抱いていた。
「本当は、お前にこんな“盾”みたいなこと、させたくなかったんだ……」
満は、VR越しに静かに笑って言った。
「兄さん、俺は誇りに思ってるよ。もし俺が、誰かを守るために動けるなら、それ以上の意味はないさ。俺は“自分の意志”で動いてる」
だが俊介の胸には、満の肉体が既に動かぬこと、そして恋人の葛城までもが自らの代弁者として満の思いを背負い続けていることへの、言い知れぬ罪悪感が重くのしかかっていた。
そして彼には、もう一つの密かな願いがあった。
「俺は——このウイルスが落ち着いたら、自分自身の病気にも向き合いたいと思ってるんだ。ALSそのものの遺伝子修復も、今なら理論的には不可能じゃない。もし、この頭脳がまだ使えるなら、最後に自分自身の“肉体”を取り戻してみせたい」
それは、兄と同じように歩き、同じ景色を見て、同じ空気を吸う未来のために。満の戦いは、まだ終わっていなかった。