I. Prologue 俊介の予感 Ominous premonition
東京、夜明け前の新宿総合病院。
神経内科医・柊俊介は当直明けのカンファレンスルームにいた。照明は落ち、電子カルテの画像モニターには3時間前に撮影されたCTとMRIが並んでいる。
造影した映像を再度入念にみなおすものの、意識障害を起こすような明らかな腫瘍の陰影はない。患者は30代の男性。倦怠感と微熱で入院したが、さきほどから突如、激しい興奮と他害行為を示した。
「前頭葉、やっぱり白質に浮腫があるな……しかも両側性。これは炎症だ。脳炎なんじゃないかな?」
同じく当直で泊だった内科医 青木慎太郎が首をかしげる。意識障害がともなっていることから、最初の段階で髄膜炎を疑って、lumbar tap(腰椎穿刺による髄液採取)を行い結果もとっくに上がっている。
「でもこのLiquor、普通じゃないな。ウイルス性髄膜炎ならリンパ球優位のはずでしょ?これは好中球…しかもCRPも高すぎる」
俊介は、背筋にじとーっと冷たいものを感じていた。
そのころ日本では、
東京、その他の地域でも散発的に“人間性を失ったような興奮状態”に陥る症例が報告され始めていた。交通機関での突然の暴力、家庭内での不可解な傷害、病院内での異常行動。いずれも因果関係は不明のまま処理され、SNSや医療従事者の間では噂レベルで情報が交わされていた。
だが、COVIDが武漢で始まった時と同じように、政府の対応は遅かった。過去の教訓は記録の中に眠ったままで、今回もまた“初動”は致命的に遅れた。