おばちゃん、イタズラ王子と一緒に異世界をキレイにする
「神が嘆かれておるー!」
大神官がそんな悲鳴を上げていた。
なぜなら、僕が国宝とも呼ばれる【聖なる鎧】を泥だらけにしてやったからだ。
今日は神がこの地へ舞い降りたとされる【創世の日】で、たくさんの人が大聖堂に訪れる日でもある。
普段ならここで神に対してお祈りを捧げ、人々から祈祷金という形で金を巻き上げる算段だ。
でも、そんな形骸化したイベントに何か意味があるか。
そもそも神なんてものは存在するのか?
それに僕は、この大神官が大嫌いだ。
いつも説教くさい説法を聞かせるし、話はとても長いし、正直ウンザリしてたからね。
だから僕は、日頃の恨みを晴らすためにもこの日を狙ってイタズラを仕掛けた。
大神官に赤っ恥をかかせればいいだけだったんだ。
「クォード! お前か!」
パパが怒り狂ったように叫び、僕の名前を叫んだ。
僕は笑いながら「そうだよぉー!」って尻をペンペンと叩いてやる。
ムカつく大神官はというと、神聖な鎧が泥だらけになったからか青ざめた顔になっていた。
「今日という今日は許さん! 牢へぶち込んでやる!」
「やれるもんならやってみろー! へへへー」
僕はいつもの調子で逃げようとした。
でも、その瞬間に大聖堂が大きく揺れる。
「わわわっ」
なんだなんだ?
なんで突然、地震が起きたんだ?
突然の揺れに僕はバランスを崩し、転んだ。
転んだにも関わらず、地震が収まらない。
大神官はそんな揺れを怖がったのか、身体を丸めながら「神様お許しを」と何度も祈るように言葉を繰り返していた。
「収まった……?」
ようやく地震が収まり、僕は立ち上がれるようになる。
でも、さっきまで明るかった大聖堂が妙に暗くなっていた。
とても嫌な雰囲気が漂ってくる。
この感じはなんだろう。
そんなことを感じていると、パパが叫んだ。
「クォード! 伏せろ!」
パパ、いや国王が僕にそう叫んだ。
思わず国王に振り返ると、そこには剣を握った聖なる鎧が僕に斬りかかろうとしていた。
「うわっ!」
国王が叫んでくれたおかげで攻撃を避けることができた。
でも、聖なる鎧は尻もちついた僕に再び剣を振り上げる。
ヤバい、斬られる!
僕は腕を盾にし、身を守ろうとした。
でも聖なる鎧は遠慮なく剣を振り下ろす。
確実に死んだ。
そう思った瞬間、国王が僕を守るように抱きしめた。
「グゥッ」
「パパッ」
国王が、パパが僕を守って背中を斬られた。
真っ赤な液体が飛び散り、地面に広がっていく。
「しっかりして、パパ! パパァ!」
「何をしておる! 王子と国王を守れ!」
近くにいた大臣が叫んだ。
すぐに呆然としていた兵士達が集まり、陣形を取って僕達を守ろうとする。
だけど、聖なる鎧はそんな兵士達を力任せにぶっ飛ばした。
取り押さえにかかろうとした兵士は次々と放り投げられ、時には剣を突き立てられていく。
強い。
あの屈強な兵士達が、簡単にやられていく。
「このままでは、マズいな……」
「パパ、ごめん……僕がこんなイタズラしなきゃ……」
「神の怒りか。本当にそうなのかわからんが、このままではいかんな」
そういって、パパはよろめきながら立ち上がる。
そして震えて身を屈めている大神官を呼んだ。
「サルーサよ、すまんがクォードを頼む」
「え? しかし――」
「大臣も兵士も手を回せん。できればそのイタズラ好きを遠くへ逃がしてやってくれ」
「そんな、嫌だよ! 僕も戦うよ!」
「クォード、お前が死んだら誰が王を継承する? お前にはワシにはない機転の良さがある。だから、それを活かすためにも今は逃げろ」
「でも、でもぉ!」
「大神官よ、頼んだぞ!」
国王の命令を受け、大神官は僕の身体を抱え上げた。
嫌だ、こんなの嫌だ!
こんな、こんな別れ方なんて嫌だ!
「パパァァァァァ!」
僕は、自分がしでかしたバカな行為に泣いていた。
僕のせいで神様が怒った。だからパパを殺そうとしているんだ、と。
ひどく後悔する中、僕を抱えて走る大神官が声をかけてきた。
「クォード王子、一つの方法があります」
「方法……?」
「はい。神がお怒りになられた時、最後の手段として用いられる方法です。ですが、大きな対価が必要となります」
「大きな対価って、何?」
「わかりません。ですが、非常に苦しいものだという伝承があります」
どんな苦しみなんだろう。
いや、そんなことよりもパパを助けられるなら何でもいい。
「お願い、大神官。その方法を教えて!」
「わかりました。では、この部屋へ」
僕は大神官に案内され、部屋へ入る。
そこには様々な書籍が置かれた本棚がたくさん並べられており、真ん中には不思議な円陣があった。
こんなところで何をするんだろう?
「王子、陣の真ん中に待ってください」
「こう?」
「はい、よろしいです。では、今から召喚の儀を行います。我が命と王子の力を使い、助けを呼びますよ!」
「え?」
大神官がとんでもないことを言った。
僕が思わず止めようとしたけど、その前に大神官が詠唱し始めてしまう。
「〈我が命を使い、異世界の英雄を呼び給え。我が名はサルーサ――神に仕えし反逆者なり〉」
大神官が詠唱し終えると、途端に円陣が輝き出した。
白く、清らかな光だ。
その光は僕の身体を包み込み、大神官すらも飲み込んでいった。
「うわっ――」
何が起きているのかわからない。
でも、力が吸い取られていくことだけはわかる。
これはなんだ?
何が起きているんだ?
わからない、わからない、わからない!
ヤバい、意識が飛ぶ。
今、こんなところで意識を失ったらいけないのに――
「い、や、だ!」
こんなところで、こんな形で、終わりたくない。
僕は、僕は、パパを助けたいんだ。
だから、何でもいい。力を貸してくれー!
僕は手を伸ばす。
途端に手が毛皮に覆われた。
何が起きたかわからない。それなのに意識が飛びそうになる。
くそ、くそぉー!
ダメなのか……
諦めかけたその時、誰かの声がした。
「ちょっとぉ〜! 私の自転車が壊れてるんだけどぉ〜!」
光が消える。
大神官が倒れる。
ついでに僕も倒れた。
朦朧とする意識の中、どうにか立ち上がって声がした方向に顔を向ける。
そこには、モジャモジャ頭の一人の女性が壊れた何かを抱きしめて泣いていた。
「まだ買ったばかりの電動自転車よ! お父ちゃんに怒られるじゃないの! ったく、あのトラックのせいだわ。今度会ったら文句言ってあげなきゃ! あ、そうそう。文句といったらお隣の田中さんが夜中までうるさくしてたわね。後であっちにも文句言わなきゃいけないわ! もう忙しいったらありゃしないわね。これだからアタシ太っちゃうのよ!」
え? えぇ?
な、何これ?
え? この人、え?
とても苦労して呼び出したのが、え? この人なの?
この人、誰がどう見てもいい歳の女性だよね。
普通の人のようにしか見えないけど……
「あら? ここどこかしら? さっきまで町にいたはずだけど? あ、もしかして商店街の出し物かしら! そうね、最近イベントが多いしね。トラックに轢かれて商店街まで飛ばされちゃったかもね! もうあのトラック、ちょっとだけいいことするじゃないのぉ〜」
『あ、あのぉ〜』
「あら、これも出し物? かわいいワンコね! しかも喋ってるし。あ、もしかしてこれが最近流行りのえーあいってものかしら? ホント世の中進んだわねぇ〜」
出し物? 商店街? 流行りのえーあい?
何を言っているんだこの人は。
それより、僕のことをワンコって言ってたな。
あれ? なんでワンコって言われたんだ?
僕は何気なく部屋に置かれていた鏡に目を向ける。
するとそこには人の姿ではなく、黒と白の毛皮に覆われたハスキーな子犬になっていた。
『えぇええぇぇぇえええぇぇぇぇぇっっっ』
な、ななな、なんだこれ!?
なんで僕、犬になっているんだ!!?
まさか、これが助けを呼んだ対価?
姿が変わるなんて聞いてないよぉー!
「それにしてもここ、散らかってるわね。何この散乱した本は! 物はもっと丁寧に取り扱わなきゃダメよ!」
『そ、そんなことよりも助け――』
「そんなことじゃないわ! いい、掃除は生活するうえで基本よ! 部屋が汚かったら気持ち悪い。でもキレイなら心も身体もスッキリ清潔なのよ! これはおばちゃんのお母さんからずっと言われてることだから。もう耳にタコができるぐらい言われてるんだからね!」
『は、はぁ……』
「いい、部屋がキレイならみんな気持ちいい。神様だって汚れているよりもキレイなほうがいいでしょ! だからキレイにするの。わかったっ?」
な、なんだかすごい勢いで言われた。
でも言ってること当たり前な気がするのは気のせいじゃないよね?
頷くしかない僕は、モジャモジャ頭の女性が本を片づけするのを黙って見ているしかなかった。
でも、今はホントにこんなことしている場合じゃない。
早くしないとパパ達が死んじゃう。
そうだ、僕も手伝えばいいんだ!
とにかくこの人に助けてもらわなきゃ。
「あら、手伝ってくれるの? いい子ねぇ〜。思い出すわ、おばちゃんがまだピチピチだった頃、お父ちゃんと一緒に勉強してたの。たまたま同じタイミングで参考書を取ろうとして手が触れて、もうお父ちゃんもおばちゃんも顔が赤くなったわね。きゃっ、懐かしい。これが甘酸っぱい青春ってやつね!」
なんだかすごい話をし始めたんだけど。
でもちゃんと手を動かして本を片づけていくよ。
「あ、そうそう。まだ小さかったまーくんもこんな感じにお掃除手伝ってくれたわね。一生懸命に本を持ってきてくれるんだけど、ちゃんと並べないし適当に本棚に入れるし後で大変だったわ。でも、あれもいい思い出よ。あ、そうだ。後でカレーの具材を買わなきゃ! 今日はカレーよカレー!」
モジャモジャ頭の女性は「きゃ〜!」と叫びながらものすごいスピードで本を並べていった。
なんだかすごいな。
ホント、この人お掃除のプロなのかもしれない。
「さて、キレイに並べられたわね。これで出し物は終わりかしら?」
本を並べ終え、女性は満足そうに微笑んでいた。
うん、確かにキレイになって気持ちがいい。
それにこれでようやくパパを助けにいける。
そう思っていると突然、部屋の扉がバガンっと破壊された。
振り返るとそこには、血まみれになった聖なる鎧の姿があった。
「あら、何かしら?」
『あ、ああ……』
僕は聖なる鎧の姿を見て悟る。
みんな、あいつにやられてしまった。
僕のせいで、神様が怒ってみんなを殺してしまったんだ。
『そんな、こんなの……僕のせいで……』
みんなを助けられなかった。
もう、戦う意味がない。
そう思っていると、隣に立つ女性が叫んだ。
「ちょっと! そんなに汚れて何してるのよ! というか鉄の汚れって取るの大変なのよ! もう、所々錆びついてるじゃないの。ったく、今からキレイにしてあげるからちょっと待ってなさい!」
『あ、待って! そんなに迂闊に近づいたら!』
聖なる鎧が近づいたモジャモジャ頭の女性を斬り捨てようと剣を振り上げた。
このままじゃああの人がやられる。
僕が思わず目をつぶり、女性の最後から目を逸らそうとした。
だが、いくら待っても女性の悲鳴は聞こえてこない。
恐る恐る目を開くと、そこには全身真っ黒で丸々な身体をした中年男性がいた。
よく見るとその中年男性は女性の影から伸びている。
もしかしたらあの中年男性、影を媒体にしているのかも。
その中年男性は振り下ろされた剣を両手で受け止め、女性を守っていた。
「あら、お父ちゃんいたの? もぉ〜、いるならいるで教えてよぉ〜。お父ちゃんとの甘酸っぱい思い出をかわいいワンコに話しちゃったじゃない」
女性がそう声をかけると、全身真っ黒の中年男性の頬が赤く染まった。
いや、照れている場合じゃないでしょ!
「まあいいわ。お父ちゃん、そのままそれを取り押さえてなさい。これからキレイにするから!」
そういってモジャモジャ頭の女性はエプロンのポケットから何かを取り出した。
出てきたのは鉄製のスポンジみたいなもの。
それを聖なる鎧に押し当て、ゴシゴシと磨き始める。
「いい? フライパンでも鉄はまず磨くの! お酢とかサビ落としとかあったらいいけどなかったらとにかくゴシゴシするの! そうすればサビはいつか落ちるからね!」
ああ、そんなことしたら鎧が傷んじゃう!
あ、でも不思議なことに聖なる鎧がピカピカと光り出したよ。
『グォォォッ』
なんだかわからないけど聖なる鎧が苦しんでる!
もしかして、効いているのか?
「お父ちゃん、次前を洗うから後ろに回り込んで!」
中年男性は女性の指示を受け、今度は後ろに回り込んで羽交い締めにする。
暴れる聖なる鎧だけど、無駄だと言わんばかりに女性が金属スポンジでゴシゴシとしていく。
「あら、こっちは泥だらけじゃない。もぉ〜、誰? こんなことしたの? こんなことしたら怒るの当たり前じゃない!」
ごめんなさい。
「まあいいわ、泥もサビも落としてあげるから。おばちゃん、腕を見せるわよぉ〜!」
そういって女性は聖なる鎧の泥を落とし、サビも落としていく。
もうそれはあっという間にピカピカにしていった。
気がつけば僕がイタズラする前よりも聖なる鎧はキレイになっていた。
『グ、グオォォォッッッ』
「お掃除完了! いい感じにピカピカだわ!」
聖なる鎧が光に包まれる。
その光が弾けると、聖なる鎧はバラバラになって倒れたのだった。
勝った、勝ったんだ……!
みんなの仇を討てたんだ!
「全く、キレイにしたのにこんな演出されたらまたキレイにしないといけないじゃない。もぉ〜、イベントの主催者はいないのぉ〜?」
『そんなのいないよ。それにこれは、僕のせいで――』
「何言ってるのよワンコちゃん。あなたみたいないい子がそんなことするはずないじゃない」
『僕はいい子じゃないよ。それに僕のせいで……』
「何があったか知らないけど、おばちゃんはあなたのおかげで助かったわ。ありがとね、ワンコちゃん!」
モジャモジャ頭の女性、いやおばちゃんに僕は感謝された。
でも、僕が救いたかった人は死んでしまったんだ。
僕のせいで、みんな死んでしまった。
「クォードぉぉ!」
そう思っていると、聞きたかった声が聞こえてきた。
目を向けるとそこには国王、いやパパの姿がある。
まさか、そんなまさか!?
『パパァ!』
「その声は、もしやクォードか!? なぜそのような姿に?」
『そんなことどうでもいいでしょ! パパ、パパァァ!』
僕はパパに飛びつく。
パパは姿が変わってしまった僕をしっかり受け止め、よしよしと頭を撫でてくれた。
よかった、ホントによかった。
生きててくれてよかったよ。
「クォード、すまんが喜んでばかりはいられんぞ」
『どうしたの?』
「城にいたアリスが、魔王軍にさらわれたんだ」
『ええ? 魔王軍に?』
もしかして聖なる鎧が暴れ出したのって、魔王軍の仕業だったの!?
だとしてら許せない。
パパを、みんなを傷つけて、妹のアリスを誘拐したんだ。
許せるはずがないよ!
「あら、なんだか大変なことになってるのね」
「あなたが息子を救ってくれたご婦人か。ありがとう、とても助かった。だが、もう少し頼みを聞いてくれないか?」
「あら、どうしたの? 言っとくけどおばちゃん急がないといけないのよ。まーくんにカレーを作らないといけないからね。あ、そうそう、今日のお夕飯はカレーよ! みんな大好きカレーライス! そうね、どうせならあなた達も一緒に食べる? おばちゃん特製のカレーは美味しいのよぉ〜!」
「ぜひ、いただかせてもらおう。そうだな、その手伝いに我が息子を同行させていただけないか?」
え? どういうこと?
確かにアリスを助けにいかないといけないけど、なんで僕も行かないといけないの?
「クォード、召喚の儀をしたんだろ?」
『はい』
「召喚の儀で呼び出した者の力は絶大だ。だが、召喚者が近くにいなければその者は消えてしまう。今はそれが惜しい。だから、アリスを助ける旅に出てくれ」
そ、そんな!
そんな怖い旅に、行かなきゃいけないの!?
で、でも僕が行かなきゃアリスを助けられないし。
僕が迷っていると、おばちゃんがポンと胸を叩く。
そして、僕達に向けてこんな言葉を言い放った。
「いいわ、一緒に行きましょ。おばちゃんのカレーは美味しいわよ! そうね、どうせなら最高のカレーを作ってあげる。だから手伝ってね、ワンコちゃん!」
とても力強い言葉だった。
なんだか勘違いしている気がするけど、でもこの人が一緒にいるならどうにかできるかもしれない。
だから僕は、覚悟を決める。
『うん、美味しいカレーを作るためにも行くよ。あと、僕の名前はクォードっていうんだ。これからはそう呼んで!』
「あら、そうなの? わかったわ、クォードちゃん。あ、アタシはおばちゃんでいいからね!」
『わかった! おばちゃん、行こう!』
こうして僕は魔王軍にさらわれた妹のアリスを助ける旅に出る。
最強のおばちゃんと一緒に――