種に水を
開いて下さりありがとうございます!
短編「私の10年を返していただきます」の付随作品です。短編の方を先に読んでいただければ、より楽しく読んでいただけると思います。
「テオドール、約束の期日まであと3年もないぞ?こっちの方は候補者を既に絞ってある」
「父上、あと2年半もあるではないですか。もう歳で数すら数えられなくなったのですか?」
「口だけは達者になったな、愚息よ」
テオドールは王太子だ。その王太子の父は必然的にこの国の王に結びつく。
彼らはそう言いながら仲睦まじい親子を思わせる笑みをお互いに向けていたが、その瞳の奥からは光が見えず、何かを探るような歪な視線を向けあっていた。
テオドールと国王しかいない部屋では、蛇の様な心理戦が繰り広げられていた。
◇◇
「流石はドルファン様ですわ。今回も学年トップだなんて!」
「それも全て100点だなんてそうそう真似できるものではありません!」
1学年の中期に行われる定期考査で、リリーフィアは全教科満点という歴代初の偉業を成し遂げていた。
歴代最高得点で入学されてしまった手前、教師陣は去年よりも遥かに難問を用意し、そのかいもあってかリリーフィア以外の生徒の平均点は50点をきる異常事態に発展。
定期考査の結果は廊下に張り出されるのが伝統であり、結果として、リリーフィアをより一層目立たせる事となってしまった。
いきなりクラスの中心人物に成り上がりつつあるリリーフィアは戸惑いが隠せず、頬を赤らめ「えっと……」と機械のような受け答えしか出来ずにいた。
そんな初心な反応は貴族社会では物珍しく、好感度が上がる一方である。
「カイン様の婚約者ちゃん、目立っておられますね」
「そうだぞ?これじゃあカインも負けていられないな!」
(俺があんなのに負けているだと?)
しかしリリーフィアの注目度が上がる一方で、カインは禍々しい感情を抱いていた。笑っているものの、目の奥はリリーフィアへの憎悪で満ち溢れている。
授業が終わり、放課後になるとカインはリリーフィアを呼び出した。建前として、学年1位になった祝賀会を開きたいと言うことだ。
しかし、リリーフィアは決して祝賀会ではないと確信していた。そもそもカインが自分の為なんかに祝賀会を開くなど考えられなければ「リリーフィア、今日は一緒に帰ろう」と話しかけられた時のトーンや今まさに目の前を歩いている彼の機嫌の悪さが、ひしひしと伝わってくるからだ。
思えば昼間には機嫌が悪かったのか、事ある毎に睨みつけられ、無視される頻度も高かった気がする。
(また知らないうちに何かしてしまったのかしら……)
リリーフィアは震える手を握りしめながら、カインの後ろを追った。
「入れ」
カインが連れてきたのは、彼の自室だった。
定期考査が終了した直後はどこに行っても羽を伸ばしている生徒で溢れかえっている。目立たず2人になれる場所はうんと限られてくるのだ。
リリーフィアは部屋の扉が閉まると直ぐに深く頭を下げた。
「知らないうちにカイン様の意思に反する事をしてしまい申し訳ありませんでした。今後は細心の注意を払い、行動致します」
その行動が幾分かカインの怒りを治めたのか、カインは深く椅子へ腰掛けると
「お前は婚約者である俺に恥をかかせたんだぞ?分かっているのか?何度邪魔をしてくれば気が済むんだ?本当にお前は生きている価値が無いな」
そう言ってテーブルを勢いよく叩いた。
「これはお前のために言ってるんだ。価値を見つけてあげようとしている俺に感謝しろよ?なぁ?」
殴られた時の恐怖がリリーフィアの中でフラッシュバックし、殴られていないはずの頬が急に痛んできた。
その後は遠回しな嫌味や、ため息続きの虚無空間がダラダラと続いた。そんな時間が1時間続いたかと思うと
───トントン……トン
扉を叩く音が聞こえた途端、カインは直ぐにリリーフィアを追い出し、今日の説教は終了した。
部屋から出ると、そこには1か月前くらいに会った桃色の髪をサイドで結った令嬢が立っていた。
すれ違う瞬間、優越感に浸った笑みをしていた彼女は自然とカインの部屋へ入って行く。
リリーフィアの心の中は既に真っ黒に染まっているせいで、もう何も感じないが、油断してしまえばそのまま引きずり込まれるような、どん底の気分だ。
ここは男子寮。定期考査後でまだ人通りは多くないが、人がいない訳ではない。こんな場所で醜態を晒してしまえば、それこそカインに叱られるどころの話ではなくなる。
リリーフィアはおぼつかない足取りで寮へと急いだ。
泣きそうな顔を誰にも見られたくない一心でまともに前を向く余裕はなく、自室へ帰るその途中前から歩いてくる誰かと肩がぶつかってしまった。
「も、申し訳ありません!」
リリーフィアは顔を青ざめさせながら頭を深く下げた。震える手を必死に隠し、どうか怒りが治まってくれるよう願う。
罵倒される覚悟だったが、頭上から響いた声は柔らかく優しい声だった。
「大丈夫ですか?僕も前をよく見ていなくて……お怪我は?」
一度も向けられたことない言葉にリリーフィアは思わず泣き出しそうになってしまった。
しかし、ただでさえ醜態を晒し、失態を犯しているのにも関わらず、泣き出してはもう生きている価値すら見いだせなくなってしまう。
「どうかお顔を上げてください」
リリーフィアは涙を必死に抑え、言われるがままに顔を上げた。顔を上げた先、そこにいた人物を前にしたリリーフィアは、全身から血の気が引くのがよく分かった。
絹のように艶のある綺麗な金髪、シミ一つない白い肌は空のように透き通った碧眼をよく映えさせている。
気崩していない制服はまるで礼服の様に感じ、仕草一つ一つに品を感じさせる気品は一長一短に身につくものでは無い。
友好関係がカインしかいないリリーフィアでもその顔と名前を知っている程、高貴で名高い方。
───テオドール・ロア・ウィリアム王太子殿下
この国の王位継承権第一位の王子様だ。
「も、申し訳ありませんでした」
リリーフィアはなるべく冷静を保ちながら、再び頭を下げた。今の自分に出来る事は謝ることしかない。
(もう一度慈悲をいただけるのならば……どうか家族には被害が及ばないよう懇願しよう)
「どうか頭を上げてください。僕にも非があることなので、僕からも謝罪を。それに……」
優しい方だと、リリーフィアは心の底から思った。もしかしたらこの方は神様の生まれ変わりなのでは無いのかとすら真剣に悩んだくらい、リリーフィアは優しさに慣れていなかった。
家族と呼べる人達は国を跨いでの仕事を抱えるか、学びに行くかで家にはいつもひとり。婚約者となったカインですらあの態度だ。
優しさを優しさだと受け取れなくなるのも、必然であった。
「せっかくの美しい顔が台無しです」
テオドールはリリーフィアの落ちた髪を掬う様に顔を上げさせると、そう言って柔らかい笑みを浮かべた。
心臓が飛び出でる思いだった。それは王太子との恋愛的な意味でなく、カインに叩かれた頬の痛みが思い起こされる恐怖の意味で、だ。
肩を微かに揺らし、怯えるように身構えたリリーフィアにテオドールは包み込むような暖かい手でそっと触れた。
殴られないのかと安堵したのもつかの間、リリーフィアに男女としての距離や言葉に一切免疫などない。
思わず顔を真っ赤にさせた彼女をテオドールは熱の篭った眼差しで眺めると、落ちたサイドの髪を耳へとかけた。
漸く目が合ったその瞳の奥。不安そうにするリリーフィアを見たテオドールは
「大丈夫、ですか?」
そう言って、そっと触れていた指先を離した。
とぼけられる程、思い当たる節がないわけではない。きっと優しい彼には自分の内側が見えているのだろうと、思った。
しかし、こうなっているのは全部自分のせいであり、自業自得なのだ。
リリーフィアは不器用な笑みを零し、
「大丈夫です。申し訳ありませんでした」
再び深く頭を下げると自室へ小走りで向かった。
全て自業自得だと分かってはいたが、”大丈夫ですか?”と、問われたあの言葉に救われそうで怖い。
(反省しなくちゃいけないのに……)
◇◇
「重い男は嫌われますわよ?ウィリアム様?」
「……その言葉は胸に刺さるね」
「当たり前ですわ。初対面の相手にいきなり大丈夫ですか?と問われれば、誰でも一歩後ろに下がります」
一部始終を見ていたアメリア・ヘルベード公爵令嬢に薄ら笑いを向けられたテオドールは返す言葉もなく、困ったように乾いた笑みを零した。
「でも分かっただろう?彼女は能力的にも、彼から離す為にも、生徒会へ迎えいれるべきだ」
「しかしあれはやりすぎですわ。彼の部屋から早くドルファン様を出す為に浮気相手を使うだなんて」
「それは本当に反省してるよ。空き教室での一件ではないけれど、彼女が罵倒され続けるなら……と考えてしまってね」
「だとしても、ですわ。浮気相手の選択ミスです」
「……申し訳ない」
「しかしあんなに心優しい子をあそこまで怯えさせるだなんて、生徒会として……人として許せざる行為ですわ」
「だろう?」
「ウィリアム様は反省もしてください」
アメリアは深いため息を吐き、2人はその場を後にした。
10話程度で完結予定です。
次話は
リリーフィアが生徒会にスカウトされるお話です。
お時間がありましたら
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