開花 ①
開いて下さりありがとうございます!
短編「私の10年を返していただきます」の付随作品です。短編の方を先に読んでいただければ、より楽しく読んでいただけると思います。
「あの……私はどこへ行くのですか?」
「着いたら分かります」
時刻は夕方の5時を過ぎて外がまだほんのり明るいだけあり、淡々としている使用人の後ろはゾクリと背筋が凍りつく気分だ。
突然呼び出され、要件を知らされないまま目的地へ向かっていく……生徒会役員に抜擢された時のデジャブに襲われる中、使用人は大広間と書かれた扉の前で立ち止まった。
「こちらにお入り下さい。王妃殿下がお待ちです」
「ここに……って、今、王妃殿下って言いました!?」
生徒会選抜の時と重なる状況に、嫌な予感しかしない。何か粗相でもしたのだろうかと、今日一日の足取りを何度も振り返ってみたが、何か怒られるような事に記憶がないのだ。
しかし、ここで慌てても仕方ないと既に実体験済みのリリーフィアは頭を空っぽにし、大きく息を吸った勢いのまま扉を叩いた。
「リリーフィアです」
「どうぞ、お入り下さい」
王妃の声を合図にリリーフィアは扉を開ける。
シャンデリアが広い部屋を照らす大広間には、王妃だけでなく、アメリアが不自然に置かれた椅子に座っていた。
侍女服を着ているアメリアと王妃はただの椅子に座っているだけで絵画のような美しさがある。
思わず言葉を失ったリリーフィアだったが、
「今日は突然呼び出して申し訳ないわ。さぁさぁ、座ってちょうだい?お話があるの」
王妃の綺麗な声で話された”お話”に背筋を強ばらせ、変な歩き方のままふたりが待つテーブルの方へ急いだ。
言われるがまま椅子へ座ったリリーフィアの元には紅茶が差し出され、王妃は直ぐに口を開いた。
「単刀直入に言うわね。王妃直々淑女教育を開催しようと思うの」
王妃は朗らかに、まるで友人達に何気ない会話を振るような口調で重大な事を言ってのけていた。
あまりの事にあのアメリアまでもが目を丸くし、言葉を失っている。
淑女教育は7歳頃から一線を退いた夫人にお金を払って教えてもらうのが一般的であり、教養のある公爵夫人ですら、依頼するにはお金も時間もかかるのだ。
それが一国の王妃ともなれば、教えを乞うなど考える阿呆はいない。
「2週間に教えたい事は山ほどあるの。けれど昼間は貴方達もお仕事があるだろうし、私にも公務があるわ。だから18時から21時までの3時間だけしかとれないけれど……どうかしら」
初め、あまりに驚きすぎてつい固まってしまったリリーフィアだったが聞かれるまでなく、2人の答えはひとつだ。
「「お願いします」」
「じゃあ早速、今から始めましょうか」
微笑んだ王妃の淑女教育は決して優しいものでは無かった。
歩き方、立ち姿勢の基礎から始まったものの、今まで猫背が染み付いていたリリーフィアにとって軸を意識して歩く事すら難題であり、頭の上に本を置いて歩く事から始まる。
笑顔で辛辣な事を言われるのはとても堪える。まだそれ相応な顔で怒られている方がましだ。
隣では格段に上を行くアメリアの姿があり、リリーフィアはその差に唇を噛み締めるも、グイッと上を向いた。
(頑張ろう。それしか出来ないんだから)
◇◇
王妃直々淑女教育の後、リリーフィアの姿は裏庭にあった。王宮で人気のない場所は数える程しかしかなく、リリーフィア専用の侍女に許可を得られたのが裏庭しか無かったのだ。
王宮と言えど、裏庭は殺風景であり、夏を過ぎた夜風が心地よく吹き抜ける。
程よく伸びた芝を踏み、リリーフィアは頭の上に本を置くと真っ直ぐに歩き始めた。
今日、王妃に注意された事は一言一句逃さずメモしてある。軸を意識しながらも、前を向いて、踵からゆっくり歩き始める……文字にすれば簡単に見える行動も、実際やるとなれば難易度が格段に上がる為、何度も落としては元に戻るの繰り返しだ。
途中まで歩いたかと思えば落として元に戻る……何回目か分からないリスタートに一度息をつこうとしたその時
「自主練?リリーフィアは真面目なのね」
そこに現れたのは王妃だった。
従者も付けず、パジャマに布を羽織っただけの軽装備すぎる彼女の姿にリリーフィアは目を丸くすると
「お、王妃殿下!?風邪をひいてしまいます!それに侍女も……私は心配要りませんのでお戻り下さい!」
慌てふためきながら、王妃を部屋に戻そうと手を差し伸べた。しかし王妃はにこやかに首を横に振ると、何も言わず不自然に置かれたベンチに腰をかけた。
「ここに座って空を見るのが好きなの。今日はいつもの日課。だから気にしないでちょうだい?」
そう無邪気に笑われてしまえば、否定などリリーフィアに出来るはずがない。リリーフィアは渋々元の位置に戻ると、本をとって再び練習を始めた。
考える事は淑女教育だけに留まらない。経済部で与えられた仕事の効率化や正確性を上げなくてはインターンシップに来た意味も、身近で父や兄の背中を見ている意味も無くなってしまう。
世間から一目置かれるその存在の意味を知りたかった。その鱗片だけでも知れれば、落ちこぼれであった自分に終止符を打てると信じて。
しかし簡単に同じ作業が出来ることはなく、王妃がみている緊張から動きは先程に輪をかけて鈍くなってしまった。
そんなリリーフィアを見て、王妃は夕方のように一言アドバイスを入れることは無かった。リリーフィアを時折眺めては微笑ましく見守り、本当にただ自分の日常を過ごしているだけの優雅さだ。
そして、そんな王妃の日常が10分ほど過ぎた頃、彼女はおもむろに口を開いた。
「これは独り言なのだけれど……リリーフィアは私の元ではなく、経済部に願書を出してくれたでしょう?それがとても嬉しかったの」
動きを止めたリリーフィアに王妃は「独り言よ?」と、人差し指を口元へ当てる。
「この国の貴族女性の就職率は低く、それあって女性の誰もが仕事に就く事を無意識のうちに諦めている。私の知る限りで、インターンシップの女の子達の希望はひとつしかなかった」
学園長へ申請書を出した時、驚かれたのをよく覚えている。その理由は王妃が話している事なのだろう。
リリーフィア自身、テオドール達に背中を押されるまで経済部なんて夢にも思わなかったし、行くとしたら王妃直属の侍女の元へと半ば決まっていた。
ひとりで決めたわけではないのに、そう王妃に言われるのは心苦しい。
「嬉しかったなんて……身に余るお言葉、ありがとう存じます。しかし、私ひとりでは決して進む事が出来ませんでした。殿下やアメリア様、ルーズ様のおかげで私はここにいるのです」
そもそもあの3人がいなければ生徒会にも入っていない。ずっと縮こまりながら、カインの後ろで立ち止まっていただけだ。
「私ひとりではとても……そのお言葉はぜひ殿下やアメリア様達に」
その言葉には二つの意味があると王妃は悟る。卑下と優しさだ。
卑下することに慣れてしまっているリリーフィアは平然と自分を下に見る癖がある。王妃の前だからという理由ではなく、心からの言葉なのだと悟った王妃はおもむろに立ち上がると、リリーフィアの手にそっと触れた。
「あなたは優しいのね。でもね、謙虚なのは美徳かもしれないけど、使い方を間違えれば毒になるわ」
「毒……?」
触れられた手はほのかに暖かくて、小さいはずの手が大きく見えた。
一国の王妃から向けられる視線は王妃と言うには堅苦しく、慈しむように細められたその眼差しにリリーフィアはどこか懐かしさを感じる。
「あなたを認めてくれた人達の目が悪いって言ってるのと同じなのよ?」
それだけを伝えると、王妃は元の位置に戻りリリーフィアの方に向けた。
「私は女性の選択肢を増やしたいの。実績があれば手を出しやすいのだけれど……貴女なら任せても大丈夫そうね」
ゆったりとした口調に思わず聞き惚れてしまいそうになったが、何か重大な事を話された気がする。
色々答えたいことや聞きたいことがあったが、王妃は伝えたい事を伝え追えると、席を立ってしまった。
王妃を引き止める事をただのいち令嬢ができるはずも無い。リリーフィアはその背中を眺めながら、練習を再開した。
22時を回った頃、明日に備えてリリーフィアは部屋へ戻ることにした。歩き方の矯正をしているせいで、既に足はパンパンで伸ばしている背も少し動かせばつってしまいそうになる痛さだ。
明日に備える前に、今日倒れてしまってもおかしくは無い。
「あれ?ドルファン嬢も今帰りかい?」
廊下を歩いている途中、前から歩いてきたのはテオドールだった。
◇◇
ロザリーは部屋に着くと、直ぐに使用人を呼んだ。
ベルの音を聞きつけた使用人が顔を出す。
「陛下とテオドールに伝えてちょうだい?」
「内容をうかがいます」
「2人の思惑に私も乗せて欲しい。そして、男が守るだけが女だと思わないで……ってね」
使用人が首を傾げる中、ロザリーは何か思惑に満ちた笑顔を浮かべていた。
20話程度で完結予定です。
次話は
リリーフィアの個性のお話です。
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