噂屋
「それで君のしてきたことは?」
僕のきびきびとした問いかけに対面に座っていた女性はびくりと震えた。
「えっ、えっと……」
「聞こえないよ。もっと大きな声出して。君、ただでさえマスクしているんだから」
「あっ、はい」
声が少しだけ大きくなったけど、それでもまだ小さい。
「えっと。私は、その。人数で言えば、多分、相当な数を……」
苛立ちが募る。
もういい歳しているだろうに、このおどおどした様はなんなんだ?
ポリコレ問題で口やかましい時代であるが、それでも僕は声を大にして言いたい。
これだから女は! なんて。
「全盛期なら、えっと。子供たちは私の名前を聞いただけで、怖がっていたと思います」
「今は全盛期じゃないでしょ。それに僕が聞いているのは『してきたこと』だよ。分かる? つまり、君の実績を聞いているの」
「あっ、はい。だとしたらえっと……」
こちらがため息をつきたくなる。
彼女のこんな姿を見たくなかった。
何せ、僕もまた彼女に魅了された一人だったから。
「一人も殺していません」
「えぇ!? 一人も!?」
予想外の答えに僕は思わず身を乗り出して叫んでいた。
「うそでしょ!? え、だって、君、噂じゃ数えきれないほどの子供を食べて来たって……」
「いや、えっと。それはただの噂ですよ。私、そんなことしていません」
「え、いや。噂って……」
思わず口ごもる僕を見て、彼女は何かに気づいたようで今までと違い妙に良く通る美しい声で言った。
「不安にさせるようなことを言わないでください。ここは『噂屋』でしょう?」
「あっ、あぁ。そうだけども」
噂屋。
今更だが、それが僕が掲げている店の看板だった。
仕事内容は至ってシンプルで要するに客が提示してきた情報を面白おかしく吹聴し世間に流布されること。
時には新商品のPRを。時には政治家の悪評を。時には迷子の子猫の目撃情報を。
客に頼んで金さえ積めば僕はなんだって行っている。
「ねぇ。聞きたいのだけど」
透き通るような声に僕はびくりと震える。
今までに何度か経験したことがある底冷えしたような悪寒。
「あなた。本当に噂を流せるのでしょうね?」
もちろんさ。
そう言いたかった言葉が喉の奥で停滞する。
僕は見てみたかったのだ。
彼女の真の姿を。
「私からすれば死活問題なの。わざわざ言わなくても分かっているでしょうけれど。私達は人々から忘れた瞬間に消えてしまう。藁をも縋る思いで頼ったあなたが一切の役に立たなければ……」
そう言って女性はマスクをゆっくりと取る。
そして現れたのは耳まで裂けた巨大な口。
「あなたを最後の晩餐にしてもいいのよ?」
僕は絶叫する。
そこに居たのは幼い頃、友達の間で数えきれないほど噂となっていた恐ろしい都市伝説『口裂け女』その人だった。
「なんて」
大きな口を慎ましく閉じながら女性は笑う。
「久々に見ました。あなたみたいに大げさなリアクションをする人」
心臓がバクバクと鳴っていた。
息が自分でも分かるくらいに上がっていた。
なんだったら、少しだけおしっこも漏れたかもしれない。
けれど、それら全てをしまい込み僕は汗をだらだらに流しながら言った。
「伝説を見れて嬉しいよ」
マスクをしながらくすくすと笑い女性が言った。
「あなた、やっぱり私のファンだったの?」
「僕が子供の頃、妙に大人びたバカガキ以外で君に魅了されなかった奴はいなかったさ」
「そ。嬉しい。握手してあげようか?」
「うん。ぜひお願いしたい」
そう言って僕は彼女と。
少年時代において最も出会いたくて、同時に決して出会いたくなかった存在と固く握手をした。
しょうもないサクラのようなことしか出来ていなかった噂屋に彼女のような『都市伝説』が客として訪れるようになったのはここ最近のことだった。
先ほど彼女が述べていた通り、彼女たちは人々の記憶から忘れられた瞬間に消えてしまう。
事実、多くの都市伝説が誰も知らないところで失われていった。
現代。
いわゆるトレンドとされる話題達でさえ一瞬の内に移り変わる世界において、過去子供たちを熱狂させた都市伝説の生きる隙間などほとんど存在しない。
だが、それでも。
それでも、と藁にも縋る想いでここに来た一つの都市伝説が切っ掛けとなり、僕の噂屋はくだらないことを面白おかしく吹聴する非生産的な店から、変な層から需要が常に存在する奇妙な店となっていた。
商談は終わった。
僕は口裂け女から金を受け取りこの噂を徹底的に流すことを約束した。
「けど、あまり期待しないでほしい。繰り返しになるが最近では物の消費スピードが本当に異常なんだ。先月の流行りものの事なんてほとんどの人が覚えていないくらいにね」
「うん。そうね。分かった」
口裂け女は椅子から立ち上がると少し間を置いた後に言った。
「私ね。思ったの。こんな馬鹿な商売する人って、今も頭が子供みたいな大人がやっているんじゃないかなって」
酷い言いぐさだが事実だろう。
苦笑いをする僕に彼女は目を細める。
「だけどね。昔、馬鹿みたいな都市伝説を広めてくれたのも子供たちだった。だから、うまく言えないけれど」
彼女のマスクの裏に笑顔が浮かんだのだと僕にはわかった。
「嬉しかった。こんなお店があって」
店の外に出ていく口裂け女を僕は見送った。
お金を受け取った以上、僕は力を尽くして彼女の噂を蔓延させて見せる。
どれだけのことが出来るかは分からない。
けれど、幼い頃、僕らを熱狂させた彼女たちが消え去るのを黙って見過ごすことは出来ない。
「それじゃ、よろしくね」
「任せてくれ」
手を振る口裂け女に僕もまた手を振る。
数歩歩いた口裂け女がふと立ち止まり振り返って尋ねて来た。
「ねぇ、私、綺麗?」
「あぁ、眩しいくらいに」
彼女はマスクをとると恐ろしいほどに満面の笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
雑踏に消えていく彼女の姿を僕は半ば腰を抜かしそうになりながらも見送った。