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「へへ」
「ご機嫌ですね」
「うん! めちゃくちゃ嬉しい!」
朝目覚めると、シャンツァイは「早く気づくといいな」とアユカの頭を笑いながら撫で、シャワーを浴びにいった。
眠気に勝てなかったアユカが2度寝から起きると、朝食の時間はとっくに過ぎていて、シャンツァイは仕事を始めている時間だった。
夕食時に謝ろうと欠伸をした時に、右手の薬指の違和感に気づいたのだ。
目にも止まらぬ速さで右手を顔の前に持っていき、薬指にはまっている指輪を見て叫んだ。
素材は何か分からないが、銀色の土台に赤と黒の宝石が交互に嵌め込まれているパヴェの指輪が輝いている。
「ぎゃーーーーーーー!!!」
アユカの悲鳴に、グレコマとエルダーとチコリがドアをぶち壊すように部屋の中に入ってきた。
「「どうした(っす)!?」」
戦闘態勢だった3人は、アユカを確認して金縛りにあったように動かなくなった。
叫んで心配をかけた張本人であるアユカが、ベッドの上に立ち、右手を掲げてうっとりしていたからだろう。
「なぁなぁ、見て! シャンから指輪もらった! めっちゃ可愛いと思わん?」
ベッドから飛び降り、3人に指輪を見せつけるように手の甲を向けているアユカの手を、グレコマが叩いた。
「いたっ! ひどっ!」
「紛らわしいことすんな!」
「え? なにが?」
「大声で叫んだっす。奇襲かと思ったっす」
「あ、ごめんごめん。嬉しすぎて奇声を上げてもたんやわ」
「何事もなくよかったです」
「あったよ、あった。ほら、指輪もらってるやん」
もう1度指輪を見せようとしたが、またグレコマに手を叩かれた。
「はぁ、こういうのを平和っていうんだろうな」
「疲れる平和っす」
項垂れるように部屋を出ていく2人にアユカは頬を膨らませ、チコリは小さく笑っていた。
「でも、なんで右手なんやろ?」
「左手は印がございますから」
「この印って、なんなん?」
「シャンツァイ様の伴侶という印になります」
「そうなん!? 指輪みたいなもんやん」
「指輪以上に大切な印ですよ」
ほえー。そうなんか。
うちはすでに、指輪以上のものをもらってたってことなんか。
聞かへんかったうちもうちやけど、教えてくれてたらよかったのに。
そしたら、ベッドの上で飛び跳ねることも、奇声を上げることもせんかったはずや。
いや……それでもやっぱり指輪には夢見てたからな。
印とは違う特別感があるし、シャンの渡し方は完璧やったしな。
うん、印を知ってたとしても奇声上げてるな。
着替えて、身だしなみを整えている間、何度も指輪を見てはニヤけていた。
アユカは部屋で遅めの朝食を取り、庭師の所で花束をもらい、馬繋場にやってきた。
待ってくれていたアキレアと挨拶を交わし、馬車に乗り込もうとしたら、エルダーから声をかけられた。
「待つっす。今日って出かける予定だったすか?」
「うん。今日は、グレコマの奥さんのお見舞いに行こう思って」
「は?」
驚いているグレコマやエルダーに微笑んでから、アユカは馬車に乗り込んだ。
「早く用意しないと置いていくぞ」というアキレアの声が聞こえてくる。
ドアが閉められ、出発するんだなと思った十数分後に、再びドアが開けられた。
「アユカ様、到着しました」
「ありがとう」
馬車から降りると、挙動が落ち着いていないグレコマが戸惑い顔を向けてきた。
「アユカ様、本当にいいのか?」
「うちはお見舞いにきただけやで。なんか悪いことでもあんの?」
「そうじゃなくて……」
「早く会わしてよ。どんな人か楽しみやわー」
歯を見せるほど元気よく笑うと、グレコマは瞳を潤ませた。
聞かなくても、エップス草では効果がなかったことが分かる。
もし効果があったのなら、グレコマは何度も切なそうな顔をしないだろうから。
「アユカ様が来たって知ったら、オレガノは腰を抜かしそうだ」
「オレガノさんっていうんやね」
頷いたグレコマが「こっちだ」と歩き出した。
豪邸ではないが、そこそこ大きい屋敷だ。
馬繋場に降りたので、少しだが歩くことになる。
副隊長やってんもんな。
うちの警護も勤務時間長いもんな。
お金には困ってなさそうでよかったわ。
グレコマが帰ってきたことと、聖女だろうお客様を連れているということが使用人たちに伝わったのか、慌ただしい雰囲気が屋敷から漂ってきた。
正面玄関に到着し、グレコマがエントランスのドアを開けようとした時、すさまじい勢いでドアが開いた。
腰が曲がっていてもおかしくなさそうな執事が、肩で息をしながら立っている。
その横には、数人のメイドが頭を下げている。
「よう、ようこそ、おこしくっださ、いました」
「じいや。急に帰ってきて悪かった」
「いっいえ。もんだ、いございません」
これは、前触れもなく来たうちが悪かったな。
72歳のおじいちゃんに無理させてもたよな。
ホンマにごめんよ。
屋敷に着いてから、アユカは鑑定の『アプザル』を発動させていた。
できることは、まるっとやってしまおうと思っているのだ。
左半身に痺れありか。
帰りにでもポーションあげよ。
「アユカ様が、オレガノの見舞いに来てくれたんだ。今はどこにいる?」
「自室にいらっしゃいます」
「俺が案内するから、お茶の用意を頼む」
深々と腰を折る執事と、ずっと頭を下げていたメイドたちの横を通って、奥へと進んでいく。
「オレガノはベッドの上だと思う。無礼だと思うけど許してやってほしい」
「かまへんよ。ってか、失礼なことなんてないやん」
「……ありがとう」




