0-1
*** プロローグ「記憶の彼方」 ***
水が流れる。
王装を脱いで、私は城の外へと歩き出す。
地上第六層から幾重もの滝となって大地へ流れゆく水のように、また私も王の住む城から民の生きる場所へとその身を移す。
空の回廊から見る世界は、とても綺麗だ。
島一帯に広がる光り輝かんばかりの森林。
さらにその外側に広がる無限の青海。
そのどれもが、明るくて、綺麗で、尊い……私の大切な宝物。
なによりそれら全ての自然からあまねく恩恵を受け、日々力強く楽し気に生活するテステリアの国民たち。
それらを守るのが、王たる私の最大の使命だ。
遅かったな、***。どこに行ってたんだ?
王宮に戻ると、広場で一人の少年がそんな風に私に声をかけてくる。
少年はひたすらに剣の練習をしていたらしく、少年が剣を振るたびピシッと、少年の体から汗が弾け飛ぶ。
その少年が両手でなおも剣を力一杯振りながら、私に聞いてくる。
後で一戦相手してくれませんか、女王陛下? 今日こそ俺は、お前に勝つ。
少年のそんな言葉を聞いて、私はついクスっと笑ってしまう。
ああ、いいだろう。
私がそう答えてもしかし、少年は一切笑わない。
ありがとうございます、女王陛下。
そう口にする少年の表情は真剣そのものだ。
真剣に女王である私相手にそんなことを言ってくるのだから、余計面白い。
くそ……また負けたっ!
もちろん少年が私に勝てる可能性なんて万に一つもなかったのだけど、それでも少年は何度も何度も女王である私に勝負を挑んできた。それを見ていた周囲の衛兵は私とは別の意味でいつも笑っていたよ。クク、馬鹿だなぁ、あいつ。女王様に勝てるはずもねえってのに、何回も何回も。学習しないのかね? ――なんて。それでつい私も、一度だけ少年に聞いてしまったことがあった。なんでお前は勝てないとわかっていて、何度も何度も私に挑むのか? 世界樹の恩恵を受けている王族に、一般人であるお前が勝てないのは自明の理だろう。にも関わらずなぜ、お前は私に勝負を挑んでくる?
すると少年はいつも通り少しも笑わない真面目な顔でこう答えた。
「あなたを守る騎士が、あなたより弱くてどうするんですか? それにあなただって、俺が何度挑んでもちゃんと勝負を受けてくれる。それはいつか、俺があなたに勝つかもしれないと、あなたも思ってるからじゃないんですか?」
正直私は、その言葉にハッとさせられたよ。
なるほど、確かにそうだ。
私がいつもお前に勝負を挑まれて笑っていたのは、どうせ勝てもしないのに、などとお前を馬鹿にしていたからではなく、むしろ心のどこかでお前が私を超えることを期待していたからなのかもしれない。
なにより衛兵や一般市民だけでなく、いつの間にか私まで『一般人では世界樹の恩恵を受けている女王に勝てないこと』を常識のように受け入れてしまっていた。そのことにお前は気づかせてくれた。その時不思議と、常に張り詰めていた私の肩から何か重いものが一つ取り除かれた気がしたのだ。そして初めて気づいた。お前のちっとも笑わない馬鹿みたいな真面目さの中にある、長剣のような真っ直ぐな優しさに。
「ふふ、そうだな、そうかもしれないな」
「なんで泣いてるんですか?」
「泣いてなどいないよ。もう一戦やるか?」
「……喜んで」
私の剣とお前の剣が重なり合って火花を散らす。
晴天の下、地上300ルートの王宮で繰り広げられる私と少年の楽しき戦い。
……それもすべて、今となっては懐かしい思い出。