作者の性格で評価される社会【1000文字未満】
「ねぇ見てよこの服。あの馬叱さんが作ったんだって」
「あぁ、そうなんだ」
と私は答えたが、正直買いたくなかった。夫は購買意欲に溢れているが、あの人が作る服はすぐ壊れるのだ。
考えを悟ったか、彼は擁護を始める。まるでセールスのように。
「馬叱さんはね。毎日寄付をして回ったり、おじいさんを労わってあげたり家族想いな人なんだよ。その気持ちがこの服にこもっているに違いないよ」
私も馬叱さんは嫌いじゃない。けれど、それと商品の質は違う。今やそんな意見は許されざるものであり、異端。物を買う指標は製作者の性格で決めるのだ。
夫に推され、仕方なく買った。無駄なものを買ってしまった。私は帰る前に文具屋に寄る。文房具は好きなのだ。
ボールペンを見る。作者の顔写真が棚に飾られている。性格は真面目、この道一年の新人。見知らぬ子供を庇って事故にあったことあり。試し書きをすると、芯とペンのサイズがあってなくガタガタであった。そもそもボールペンの塗装や加工も粗が多い。
企業のものは端に追いやられている。拝金主義の汚い商品として。そこに置いてあるペン達は機能的で、書き味もいい。けれど、あそこに近付くことは難しい。社会的評価なるものが私に首輪をかける。
ゲーム売り場に行っていた夫と合流しスーパーへ。それぞれに生産者の顔が貼られている。野菜は農薬臭いし魚は痩せているし肉は色がおかしい。どれも生産者の性格のみが謳われ、彼らの素晴らしさが商品を押しのけている。
「この人見てよ」野菜を手に取る「子供亡くしているんだって。めげずに頑張っているんだね」
「そうみたいだね」
私は虚無的に答えた。虫に食われている。泥がこびりついて、洗われていない。有機栽培らしい。野菜や肉、魚は相変わらず企業支配ではない。だからこそ性格で買われる。
マンションに帰る。このマンションも性格で決められた。もちろん困ることはいっぱいある。
作者の性格がそんなに大事なのだろうか。私は小説を読みつつそう思った。
あーどのジャンルに突っ込めばいいのかわかんねーよー