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回り道とその先

作者: ToL

 過程と結果――より大切にすべきなのは、どっちだと思う?

 学校では、試験の成績が芳しくなくても、努力したという過程が後々の糧になると先生たちは教える。

 一方社会では、もちろん途中経過を軽視するわけではないが、結局はちゃんと結果に結びつけた人が勝ちだと、職場の先輩は言う。

 イギリスの劇作家ピーター・シェーファーが書いた『アマデウス』という戯曲の中では、後世にこそ名を遺したものの、決して順風満帆ではない生を送ったモーツァルトと、一見音楽家として最高の地位である宮廷楽長についたものの、世間に評価されなかったモーツァルトの才覚に嫉妬し、盗作や謀殺の暴挙に出たあげく、自殺にまで追いつめられるサリエリが、対照的に描かれている。

 モーツァルトとサリエリ、どちらがより幸せだったのか。

 あるいは今風に言い換えて、どちらかを選んで転生するとしたら、どちらを選ぶのか。

 もちろん答えは人それぞれだろう。

 そこに普遍的な正解はなく、また自分が正解だと思った選択に対し、答え合わせをしてくれるものもいないので、実際この質問はディベートのお題以上の意味はない。

 だからあえて私に言わせるのであれば、過程と結果の関係は、昨日食べた朝食と新版の教科書で見つけた誤字のようなものだ。

 昨日の朝食が豪華だったから、人生が幸せ?

 新版の教科書から誤字を発見したから、人生に達成感を覚えた?

 つまりは、そういうことだ。

 もしそれもわからないと言うのなら、もう一つ長い例え話をしよう。

 これは、今国語教師をしている私がかつて歩いた道の記録。

 ありふれたような、ちょっと意外のような、まっすぐな回り道。

 なるべく短くまとめるので、しばしお時間をいただけると幸いだ。



一、オタクは声優に憧れる

 

 私は、小学校の高学年からアニメが好きだった。

 いや、だったではないか。アニメは三十路を超えた今でも変わらず私の趣味で、むしろ授業にも積極的にアニメのセリフやネタを織り交ぜ、生徒たちの集中をちょくちょく断つのを、自分ならではの授業スタイルにしているくらいだ。

 けれど小学生だった当時の私は、今ほど開き直っておらず、いわゆる隠れオタクの状態を高校卒業までずっと保っていた。

 アニメは一人でじっくり、静かに見る派なので、語り合えるオタク仲間がいなくても全然平気だし、成績がよかったため両親からも特に制限されることなく、実に満足のいく少年時代を過ごせた。

 そして中学卒業を控えるあたりから、私は多くのオタクの例に漏れず、「声優になりたい」と分不相応な夢を持つようになった。当然、一般人の両親には猛反対されたが。

 思えば私が今のずかずかした性格に成長したのは、あの時、3時間かけて粘りに粘ってなんとか両親を説得したのがきっかけだったのかもしれない。

 それまでの実績も功を奏して、私は両親に「高校での成績を落とさない」ことを条件に、日曜日だけ声優の専門学校に通わせてもらう了承を得た。

 日曜日だけとはいえ、その一日で計6時間の授業があるから、決して学費は安くなかった。だから高校に入ったらバイトするつもりだったが、予想外にも厳格な父が「バイトする時間があったら勉強しろ、ちゃんと成績を維持できれば金ぐらいは出す」と言ってきた。

 その年の6月の第三日曜日、私は初めて父にプレゼントを買った。

 それから無事に進学し、晴れてアニメでよく見る高校生の仲間入りを果たした私は、しかしながら高校生活を謳歌することもなく、ただひたすら灰色の勉学に励んだ。

 その代わりに、日曜日に通う声優の専門学校で、青春の爪痕を残した。

 まぁ、逆に言えば、爪痕しか残せなかったが。



二、門外漢ゆえの自信

 

 声優に限らず、演技の課題はチームを組んで臨むことが多い。

 最初の2か月こそ手探りでいろんな人と組んだが、それ以降はほぼ同じメンツに固定したりする。

 もちろん課題によっては2人~7人のチームを組まされて、男女のバランスもまちまちだが、そんな中でも、私がもっとも好んで組もうとしたチームメンバーは、夜来栞さんと李明リーミンくんだった。

 夜来さんはおそらく当時私がいたクラスの一番の実力者。私のたった一つ上だとは思えないほど、いろんなキャラクターを高レベルで演じ分けられた。そして彼女の家はカラオケ店だけあって、歌もクラスで一番上手だった。加えてお店の個室を気前よく練習に貸してくれたという気さくな性格の持ち主ときて、当時下心を我慢していたのは、きっと私だけではなかったはず。

 李明リーミンくんは名前からわかる通り、日本人ではなく中国から来た留学生。平日は専門学校近くの大学に通っている大学生で、アニメが好きで日本語を勉強して留学に来たという。リーくんはハーフではなく、中国人の両親も日本語が全然話せない人らしいが、彼の日本語はそこらへんの日本人と区別できないほどに自然で、そしてそれが演技にも繋がっていた。彼曰く、外国語を話すのと演技をするのとでは、通ずるものがあるという。末恐ろしくも、尊敬できる中国人だ。

 ちなみに私は、自分をそのクラスで夜来さんに次ぐ2番目に上手い人だと自負している。リーくんは申し訳ないが、せいぜい勝てないにしても負けもしないイーブンだと位置づけていた。大人になった今は、そもそも14歳から初めて平仮名を習い始めたという彼のほうがやはり一枚上手だったと、やっと認められるようになった。

 そうして夜来さんは正統派ヒロインからボーイッシュな子まで、リーくんはおちゃらけたギャグ役から親父キャラまで、私は熱血系主人公からゲスい敵キャラまでといった具合で、私たちはわいわい楽しく一年間過ごした。

 ある日の授業で、初めて私たち3人と同じチームになったクラスメイトが、芝居が終わるなり「はぁ、気持ちよかった……」と溢したのが、今でもいい思い出だ。



三、当然の挫折


 専門学校の門を叩いてから一年が経ち、おままごとの連中が抜けていくと、演技の授業が本格的になった。

 その日、特別授業の臨時講師として、第一線で活躍している現役の声優が呼ばれ、私たちはそんなプロの前で演技を披露させられることとなった。

 セリフはホワイトボードに書かれた「もう無くなったんだ、明日買いに行こ」の一言のみで、キャラの指定も「食いしん坊」のみ。それを一クラス全員で順番に演じ、演じた後はどういう考えでその演技をしたのか聞かされた。

 夜来さんはわかりやすく残念そうに、けだるく呟いてみせた。

 リーくんは逆に誰かと会話しているように、提案する風に笑いながら言った。

 私は最後の「行こう」が「行こ」であることから、間延びしないきりッとしたキャラを想像して演じた。

 しかしトップバッターの私たち3人の演技を見て、役に対する考え方を聞いても、臨時教師の現役声優は苦々しい顔を浮かべるばかり。

 それを懸念した他のクラスメイトたちは、その後、既出の演技パターンと被らないように、最終的にはもう迷走爆走とすら感じられた演技を披露するも、ついぞ現役声優から肯定の言葉を引き出すこと叶わなかった。

 ――1年も勉強してこれか。

 ほそぼそと独り言のように溢したそれは、私たち生徒全員にとどまらず、補佐として教室の後ろで待機している教務員のスタッフをも凍り付かせた。

 身じろぎ一つ許されまい空気感の中、その爆弾を投下した現役声優本人だけが悠々と、おそらくその授業の進行スケジュールが記された紙をパラパラと捲っていた。

 その数分間がトラウマになって、私は今もこの声優さんのことは大好きで尊敬しているが、アニメ以外で――たとえばラジオや雑誌インタビューで聞こう見ようと思うことができなくなった。

 加えてそれまでに毎日聞いていた声優とアニメのウェブラジオも、あの後2ヶ月ほど何だか怖くて聞けなかった。本当に恐ろしかった。

 その後、特別授業はその声優さんがたんたんと自分の役作りの仕方について聞かせて終わった。全員が一人ずつ演技を披露するのに時間を使いすぎたためか、それもあっけなくお開きになり、現役の人気声優に授業してもらえる嬉しさより、やっと終わったという解放感のほうが残る結果となった。

「メモ取ろうと思ったのに、怖くて手が動かなかったよ」

 と夜来さんもしっかりトラウマを植えづけられた一方、「スリリングで思わず吹き出さないように我慢するの大変だった」とリーくんは楽しく思い返していた。リーくんはピンチの時ほど、ふてぶてしく笑える主人公タイプだった。

 あれほど恐怖の授業でも――あるいはだからか、当然収穫もあった。

 一口「食いしん坊」キャラと言っても、結果的に私たちは20ものパターンを演じられた。それはつまり役作りには、それだけの可能性があり、その中から「自分の声質に最適したパターンを選択する」ことが、まだ卵も卵である私たちの課題だと、指摘されたことだ。

 プロの声優はもちろん監督のあらゆる要望に応えるべく、あらゆる演技を身につけることが求められる。しかし本当にそれができるのは一部の超ベテランのみ。だから「ハマリ役」という言葉が生まれたという。

 ――自分の声質を見極め、唯一無二の武器に磨き上げ、俺に覚えさせてみせろ。

 翌日、私はボイスレコーダーを購入し、自分の声を録音して聞いてみた。

 結果、あまりもの絶望で、私は夜9時を待たずに寝込んでしまったのだ。



四、己を知る

 

 ボイスレコーダーで自分の気持ち悪い声を聴いた次の日の夜。

 その日も翌日も平日なのにも関わらず、私は最寄りのカラオケ店――夜来さん家のカラオケ店に駆け込んだ。

 ちょうど店番をしていた夜来さんに3時間コースの料金を支払い、私はいつも3人で使った奥の個室で、これまでにやってきた練習用の台本をすべてテーブルの上にぶちまけ、一つずつ録音しながら演じては、自分の声を確かめていった。

 そして約2時間後、私は自分の声の気持ち悪さの正体に気づいた。

 それが、録音された自分の声は、独り言で聴く時より、音が高いからだった。

 すぐさまスマホで検索してみたら、どうやら録音された――つまり他人が耳にする自分の声が、自分が聞こえるの自分の声より高いのは、ごく一般的な現象。自分の耳で自分の声を拾う時は、頭蓋骨による骨伝導の過程で高周波の音が削られやすいからとのことだった。

 「自分の声質を見極めろ」とは、そういうことだったのか。

 目からウロコが落ちたのと同時に、どうして去年の先生は最初に教えてくれなかったのか訝しまずにはいられなかった。

 所詮は日曜日だけの体験コースだから?おままごとだったのは、私たち全員だったわけ?

 怒りや悲しみや思い上がりに対する自責がごちゃ混ぜになって、私はついぞ個室のドアを叩いた夜来さんにも気付かず、時間を知らせる内線電話が鳴るまでたぶん、ただ呆然としていた。

 内線にお暇する旨を伝え、台本を片付けているところに、またドアを叩いてきた夜来さんに今度こそ気づき、私は彼女を個室に入れた。

「どうしたの、朝倉くん?なんかずっと思いつめた顔してたけど、大丈夫?」

 そこで私は一度彼女のノックを無視してしまったことを知った。その申し訳なさと、気弱になっていることも相まって、私は自分の声に絶望したことを夜来さんに吐露した。

 そしたら、彼女は「朝倉くんの声、全然気持ち悪くないよ」って慰めてくれた。

 まぁ、そりゃ当人の目の前で「うん、確かに気持ち悪い声よね」って賛同できるわけないよな。これは、人に相談すべき問題じゃなかったのな。

 そう思って、私は露骨になあなあな態度でお礼を言って帰ろうとしたら、「ちょっと、わたしを信じてないのね!」と夜来さんに引き留められた。

 夜来さんは普段は明るくて優しい先輩だが、アニメや声優関係のこととなるとがらっと意固地になる。それでよくリーくんと「どの声優が好きか」や「どの作品が神か」で口論になったし、一人で堪能する派の私が「どちらもいい作品じゃないか」って口を挟むものなら、「よくない!」と矛先をこっちに向けたりする。

 だから「ちょっとここで待ってて!黙って帰ったらうちの店出禁にするからね!」って言われたら、私は逆らうはずもなかった。逆らう気力もなかったのだが。

 そして待つこと1分弱、夜来さんは戻った。

 両手に顔全体を映せる大きな鏡と、ピンクのデコレーションがいっぱい施された女の子らしいスマホを持って。

「こっち見て」

 と言われて、反射的に顔を向けたところをパシャッとスマホに写真を撮られた。

え?ってなった私を余所に、矢来さんはスマホでさっき撮った私の間抜け顔を見せ、その隣で鏡を並べてこっちに向けた。

 つまり私は、自分の前に自分の顔が二つ並べられた状況に陥っていたのだ。意味がわからなかった。

「……そっか、男の子って髪短いから気づかないのね」

 そう言って、夜来さんは今度は私に左手で左の耳に触るよう指示して、また写メを撮った。

「オッケー、それで左の耳を触ったまま、鏡を見てみて」

 再度差し出されたスマホと鏡を見て、私はすぐにはっとなった。

 スマホの私と鏡の私が上げた手が逆になっているのだ。

「気づいた?そう。鏡に映った自分と、写真に写った自分は、左右逆なのよ」

 さらに夜来さんは続く。

「じゃ今度は自分が聴く自分の声と、他人が聴く自分の声をこれに当てはめてみて。どっちがどっちになると思う?」

 そんなの、当然鏡のが「自分が聴く自分の声」で、写真のが「他人が聴く自分の声」なんじゃ……その時、私にもようやく夜来さんが言いたいことがわかった。

「そう。鏡の中の自分より、写真の中の自分のほうが本当の自分だのと同じで、朝倉くんが思った『自分の声が気持ち悪い』より、他人のわたしが言った『気持ち悪くない』のほうが事実として正しいわけ!」

 現実であんな絵に描いたようなドヤ顔を見たのは、あの時が初めてだった。



五、それぞれが思う未来


 夜来さんに指摘され、私は自分の声を受け入れられた。

 それどころか、このちょっと高い声を生かした演技ができないかと試みた。結果、得意だったゲスいキャラをより一層ゲスくすることに成功した。これが本当の気持ち悪さというやつだろうな。

 一方、熱血系主人公は声質に合わないと判断した私は、代わりに甘いイケボが必要な二枚目キャラや狡猾な敵幹部、さらにはオカマキャラに挑戦し出した。しまいには哀愁漂う不幸キャラすら、苦笑いを絶えない陽気キャラ風に演じてみせた時は、さすがに先生に「やりすぎ」と言われた。

 今思えば、あの時こそ、私が声優を目指していった中で、一番楽しかった時期で、ピークだった。

 2年目も折り返し地点を過ぎたところで、いよいよ子供の私にも未来が見えてきたのだ。

 始まりは、一本のオーディションだった。

 私が通っていた声優の専門学校では、日曜日コースを申し込んだ人は、必ず1年以上勉強してからでないと、どこのオーディションにも出してもらえなかった。

 しかし逆に言えば、2年目に入ったらもういろんなオーディションに応募できるし、それなら数を打てばと思っていたのだが、例の特別授業のトラウマですっかり出鼻を挫かれ、先生に「そろそろオーディションに行ってみるか」と言われるまで失念していた。

 だから先生にある声優事務所の養成所が近々オーディションを開くと聞かれた時、これは絶対参加すると意気込んだ。

 それは夜来さんもリーくんも同じだった。

 私たち3人はオーディションに向けて、ますます夜来さん家のカラオケで自主練するようになった。

 そしてオーディション本番を迎えた私たちは、2時間もしないうちにあっさり散った。

 井の中の蛙だったというわけだ。

 その日の夜、私たちはやはり夜来さん家のカラオケに集まって、歌でうっぷんを発散しながら残念会をやった。

 一発合格は虫が良すぎた、だの。

 高校卒業する前に受かっても大変なたけよね、だの。

 今度からは緊張せずに受けられそう、だの。

 聞こえのいい励ましと慰めが交わされる中、リーくんは唐突に言い出した。

「残念だが、俺はここまでのようだ。この先は陰から応援させてもらうとするか。頑張れよ、夜来さんに朝倉くん!」

 芝居じみたリーくんの言葉セリフは、しかしながら冗談ではなかった。

 中国から来た留学生のリーくんは、今日のオーディションを記念受験に、今月いっぱいで専門学校を去ると、人知れずに決めたのだった。

 留学生のしがらみ、金銭的事情、両親との約束とケジメ――そんなことを年上の大学生に言われたら、高校生の私と夜来さんは到底引き留めることなどできるはずもなかった。

 ならばせめて「帰国した後も、ずっと友達だよ」と言ってあげるのが友情だと思ったが、リーくんは「いや、それは無理だろう」といつになくドライに首を横に振った。

 なんでも中国はインターネットに制限がかかって、ツイッスターもロインも使えないから、友達関係を維持するのは、お互い負担がかかってしまう。それなら日本らしく、一期一会の精神で行こうと、リーくんは言った。

 本当、外国人にしておくのが惜しい人だった。

 そんなリーくんの離脱表明に触発され、夜来さんも改めて、来年大学に進学しても声優を目指すことを諦めないと決心を新たにした。

 一方私は、夜来さんに続き決意表明もできなければ、リーくんのようにきっぱり断捨離もできなかった。

 ――将来のことはわからないが、とにかく今を頑張るよ!

 そんな言葉で空気を壊さないようにするのが、精いっぱいだった。



六、転機


 リーくんが専門学校を去ってから、私は以前と変わらず声優の勉強に尽力しながらも、新たにオーディションを受けることはしなかった。

 夜来さんにどうしてって聞かれた時は、まだ自分の演技に納得していないからと答えたが、実際は受けるのが怖くなったからだ。

 ただそれはオーディションに落ちることへの恐怖ではなく、その逆の、万が一受かった場合への恐怖だった。

 養成所のオーディションに受かったら、当然専門学校を辞めて、その養成所を通うことになるが、そこからはいつかまた正式採用オーディションを受け、事務所所属になり、そしてさらにデビューに向けて作品ごとのオーディションを受けることまで考えると尻込みもする。

 だってたとえそれが全部一発で受かったとして、それは何か月後?養成所の学費はどうする?その間の高校の勉強は?さらに全部うまく行ったとして、声優一本で食べていける人の割合は?私の演技はそれを支えられるほどのものか?

 考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、私は容赦のない現実を突きつけられたような気がして、心がフリーズする。

 演技するのは楽しいよ。より良い演技をするための努力も全然苦にならない。

 でもそれは趣味でもいいだろう?

 たとえば自分の部屋で本を朗読すればいいだろう?一人カラオケで歌えばいいだろう?美少女ゲームで声のない主人公のセリフを勝手に読めばいいだろう?

 どこにプロにならなければならない必要性があるわけ?

 私は自分の問に答えられなかった。

 そして夜来さんや先生たちにも聞けなかった。

 口に漏れた瞬間、裏切り者を見る目で詰られそうで怖かった。

 10月中旬に入ると、私が平日に通う高校では、いつしか学園祭の話が持ち上がったかと思ったら、とんとん拍子に私のクラスの出し物が演劇と決まった。

 高校での私は、専門学校にいる時と違って、昔ながらに大人しくて目立たないようにしていた。しかしせっかくの演劇チャンスも見逃したくなかった。授業や練習ではなく、「本番」を経験することで、何か掴めるかもしれない。そう思って、私はたぶん高校で初めて自分から手を挙げた。

 自薦他薦投票くじ引きのもろもろを経て、演目は当時大人気の漫画『真夜食堂』をもじったオリジナル台本をやることになり、私はその常連客の一人をやることに決定した。

 演劇風の練習なら、専門学校の授業でもやることがある。けれど本番を前提としたちゃんとした稽古は初めてで、私はちゃんとやろうと思った。

 当然――と言ってしまうのは失礼だと重々承知の上だが――クラスメイトたちの演技は下手だったが、私はあえて口出ししなかった。劇全体の質より、残り1年半の平穏な高校生活が欲しかったから。

 そんなある日、稽古も進み、終盤のシーンに差し掛かったところで、常連客の私が店長相手に値切ろうとするシーンがあった。

「今月はお小遣いが厳しくてさ、なんとかワンコインで頼みますよ、店長~」

「お前そんなこと言って、もういくらツケが溜ってるって思ってんだ!」

「せめて600円で!」

「800だ」

「650円で!」

「780」

「もう一声!」

「750」

「もう一声をっ!」

「えい、720だ!これ以上ごねるなら警察呼ぶぞ!」

「ははっ!ありがたき幸せ!」

 学園祭までもう残り何日もないし、私はちゃんと演じることした。

 ちゃんとと言っても、この値切るセリフを、かすれた小さな声から徐々に張り上げる演出にして演じただけだが、それが演じ終わった途端、まさかクラス中から拍手が沸き起こった。

「朝倉、あんたそんな特技を隠し持ってたのかよ」

「先生も今のよかったと思うね!誰か、スマホで撮ってたりしなかった?」

「見てるこっちもうずうずしてきたよ!俺のシーンをやり直なせてくれ!あと演技指導してくれ!」

 クラスメイトたちの過激とも言える反応に、私は茫然と立ち尽くすばかりだった。

 専門学校では、このレベルの演技にいちいち拍手することはなかったから。稀に後から先生に褒められることがあっても、終わった途端の拍手は一度もなかった。

「いやー、朝倉くんの演技がホント迫真だったから、俺もいつもより気合が入れたよ」

 共演した委員長まで拍手をくれたことに、私はメガネの位置を直すふりして、たぶん真っ赤に染まった顔を手で隠しつつ俯いた。

 後日迎えた演劇の本番は、大成功に幕を下ろしたのは、もう語るまでもないだろう。



七、斯くして少年は大人に成長した


 学園祭以降、私は心の余裕を少し取り戻していた。

 私はアニメが好きだ。演技も好きだ。下手でも、プロの声優になれなくても、好きな気持ちは変わらない。

 以前、声優になれないかもしれないことに対して、やり場のない不安とイラつきを覚えたものだが、学園祭での演劇を経て、私は趣味を趣味のままにしておくのも悪くないと感じられるようになった。

 一人で本を朗読するのは寂しい?

 美少女ゲームの主人公を気取ってセリフを勝手に読み上げるのが空しい?

 いいんじゃないか、それでも。

 趣味とは、もともと独りよがりのものだったはずだし、一人で楽しめてこそ、わびさびというものだろう。

 異国へ留学してまで声優の勉強をしたかったはずなのに、あっさり身を引いたリーくんも、こんな心境だったのだろうか。

 心の転機は専門学校の授業にも表れていたらしく、「声も演技も落ち着いてきたな」と先生に言われた。

 もちろん私は手を抜いたつもりは毛頭なかった。むしろプロの声優になれないなら、私にとっての本番はここの授業にしかなくなるのだから。

 2年目もいよいよ終わる頃、足を止めずに前へ進んだ夜来さんは、ついに養成所のオーディションに合格した。来年高校を卒業したら、以前の宣言通り大学と養成所の二足の草鞋で声優デビューを目指すこととなった。

 それは同時に、来年専門学校も卒業することにも意味する。

 彼女ん家のカラオケ店に行けば、簡単に会えるし、一緒に稽古しようと誘っても断られないだろうが、彼女と同じ教室ステージの中で、同じ同級生かんきゃくの前で共演できる時間を、私はこれ以上に大事に思えた。

「朝倉くんも頑張ってね、いつか収録スタジオでまた一緒にやろう!」

 彼女の期待に応えられなかったことは、10年以上経った今でもふとした拍子に思い出しては、胸を締め付ける。

 桜が散り咲き、高校3年生になった私は、なんとかまた親を説得して、もう一年だけ専門学校にいさせてもらうことに成功した。

 この2年間の成績がいい水準に保てたこと、そして私がオーディションに合格してもしなくても、大学の教育学部に進学するつもりだと表明したのが功を奏したのか、父もあっさり了承してくれた。

 ちなみに教育学部を選んだのは、アニメに限らず小説も好きだったのと、演技でクラスメイトたちを引っ張れた経験が強く印象に残ったからだ。

 それまで、自分が教師を目指すかもと考えたことは一度もなかったけど、某アニメで「感情のままに行動するのは正しい人間の生き方だ」という名言もあるだし、気まぐれも案外悪くないかもと思ったのだ。

 それからあっという間に、高校3年目が過ぎていった。

 私は結局、新たに3本のオーディションを受けては落ちるのを繰り返しただけで、声優への道を諦め、大学生になり、そして国語教師になった。


 

 私がそうだったように、だいたいの人はこういう締まりのない人生を生きている。

 その人生を切り取って物語風に書き出しても、ちゃんとした物語にできるほうが稀で、他人の関心を引こうとすれば、多かれ少なかれ虚偽や誇張を加筆しなければ味気ないものになるだけだ。

 なに?私が書いてるこれが、どこまでが事実だって?

 うーん、でもそれを教えたら、もう物語風ですらなくなるから、黙秘させてくれ。

 え?せめて夜来さんが声優になれたかどうかだけでも教えろって?

 そんなこと、別にいいんじゃないか。夜来さんには夜来さんの、リーくんにはリーくんの物語があるわけで、私の物語の中で二人の結末を語るのはなんか違うだろう。

 それともあなたはやはり、過程より結果を重視する派?

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