第5話「クロアのハンニバル」
”なんであんなひょろいのを寄こしたのかと上の嫌がらせに辟易したもんだ。
そうしたら意外に使える奴だったから、やっぱり戦争は面白いと神様に感謝したもんさ”
ジョージ・パットン中将の手記より
”クロアでの内戦は、早い話が一神教の連盟国と多神教の条約国の代理戦争である。
だから連盟国の義勇兵は帝国派に、条約国の義勇兵は大公派に志願した。
そもそも、”義勇兵”と言っても、彼らの殆どは職業軍人である。給料も祖国が支援する陣営に送った支援金で支払われているから、実態としては義勇兵でも何でもない。
事実上の派兵である。
連盟国の義勇兵は言う「あいつらは神聖なる竜神様の教えを守らず、邪教を広めている。だから戦う」。
条約国の義勇兵も言う「あいつらは俺達の信仰する神を奪おうとする。だから戦う」。
これは間違いではない。連盟国の盟主であるゾンム帝国は属国の全てに竜神教への改宗を迫っているからだ。
だがそれが全てを語っている訳ではない。
なぜなら対峙する条約国側の主要3国の内クロアとダバートの2国が同じく竜神教を国教としているのは理屈に合わないと言う話になるからだ。
宗教問題だけでは欧州大戦終結以来の関係悪化は説明できない。
同じ竜神教徒同士が宗派の違いから聞くに堪えない舌戦を始めたのは、ごくごく最近の出来事に過ぎないからだ。
では何が原因かと言うと、結局はカネである
そもそも……”
フェルモ・スカラッティ少佐は、最後に残ったコーヒーの一滴を味わいながら、ペンを置いた。
そろそろ貴重な自分の時間は終わりだ。
彼は形の良い口髭を撫でると、机に放りだしていた制帽を手に取る。
立ち上がってから書きかけの原稿を名残惜しそうに見つめて、ドアノブに手をかけた。
もっとも、この原稿は公に晒されることはなく焼き捨てられる運命だろう。軍人がものを書いて保管するのは防諜上宜しくないし、検閲だってある。
書いた原稿は脳内に記録し、この忌々しい軍務を終えたら再び出力されることになるだろう。
ノンポリの若手貴族である彼が、こうして戦場にいる理由はひとつ。実家の意向である。
クロア半島北部に領地を持つスカラッティ家は、公国がゾンム帝国と干戈を交えれば大被害は必至。結果親帝国派の貴族に与し、この忌むべき内戦へ参加したのだ。
できれば野蛮な軍隊とは無縁でいたかったが、恋人との結婚を条件に出されては致し方がない。
彼は公国の雲行きが怪しくなった頃に士官学校に放り込まれ、内戦激化による士官不足と親のテコ入れでスピード出世した。
そして気が付いたら「司令官付特別秘書官」と言う訳の分からない肩書を与えられ、異世界人の使い走りをしている。
異世界「地球」の同盟国アメリカからやってきた破天荒な司令官は、次々と苦情の元をばら撒いて回り、息をつく暇がない。
昨日も「野戦病院から戦争神経症の患者を引きずり出して前線に戻せ」と無理筋の命令を受け、その説得に数時間を要した。
皮肉なことに、彼がなまじこの方面で優秀なのも状況を悪化させた。
本来は家督を兄に任せ、自分は農場の経営でも任せてもらってのんびりと歴史書の執筆に打ち込んでいる筈だった。
領地に残してきた恋人も田舎暮らしを承諾してくれたのに……。
フェルモは司令官の元に向かう途中、原稿の続きを頭の中でまとめる。
この後はどうせあの破天荒な司令のご機嫌取りだ。少しの時間も無駄にできない。
昨日の苦情処理で寝不足で無ければ、本来は開戦の経緯を全てまとめ終えるはずだったのだ。
書きかけの原稿はちょうどこの内戦の元凶を告発する項だった。
そう、こんな感じに……。
”ライズ列強のダバート王国が、”門”で結ばれた先の異世界「地球」で太陽の国、大日本帝国と出会い友好的な関係を結んだのが半世紀前の出来事だ。二国の交流を皮切りに異世界貿易が盛んになると、やがて地球側・ライズ側の双方共に、主要な列国は大まかには2つの勢力に分かれた。
地球側で言えば、イギリスを中心とした勢力が”門”そのものは日本の固有資産であると認めつつ、それを握る日本を上手く手懐けて自国の利益を引っ張り出そうと派閥を作る。
それに対抗するのが米ソを中心とした、”門”を国際管理にして日本から取り上げようと言う勢力である。
純粋な軍事力ではともかく、政治力・外交力は老獪なイギリスをブレーンに持つ親日勢力の方が強い。結果、日本の”門”所有を改めて国際的な承認事項として認める「東京条約」が締結された。
加盟国が”門”を使用する度に、使用料が日本人の財布に入る。その上、事あるごとに身内である友好国に対してだけ便宜を図ろうとしてくる。
米ソらとしては当然これが面白くない。
そして、彼らと友好関係にあるゾンム帝国も面白くない。こうして地球側の分断は世界を越えて飛び火し、ライズ世界もまた2つに分裂した。
国内の改革やインフラ投資が滞っているゾンム帝国で「国民が貧乏なのは異端者共が異世界貿易の利益を中抜きしているからだ」と竜神教会が吹聴し始めた。
戦争を煽りたかった訳ではない。敵を作った方がよりお布施が集まる。ただそれだけの理由だった。
しかし拙い事に当局や貴族達も国民の不満を逸らすため、安易にこれを黙認してしまう。
やがて気が付いた時には既に、人々はその「異端と異教徒」討つべしの聖歌を歌いながら行進していた。タクトを振っているのが軍部だと知りながら。
人間は多少の理不尽には、耐えられはする。
その状況下で誰かが優遇される事に対しては、驚く程免疫が無いけれど。
人々は意図せず、自ら舗装してしまっていたのではなかろうか? ライズを二分する大戦争、そして破局への道を。
そしてこのクロアの内戦は、その予兆に過ぎないのでは……”
しかし、駆け足で彼を探しに来た従兵に呼び止められ、思索の時間はそこで再び中止を余儀なくされた。
◆◆◆◆◆
ジョージ・パットン中将は、戦争の申し子である。
彼にとって、先の欧州大戦で戦車部隊を指揮したのは天運だった。
塹壕を掘って長々と戦い続ける事は無意味だと確信した彼は、戦車の将来性について論文を書いている。
優秀な者、勇気ある者は敵味方問わず称賛し、臆病者と認識した部下は病人であろうと鉄拳制裁あるのみ。
将官でありながら最前線で指揮を執り、旗下に加わった兵士はスパルタ仕様の厳しい練成が待っている。
そんな彼だったから、クロアで苦戦する戦車部隊のテコ入れを命じられた時には喜色満面で快諾した。
何しろ、戦争の無い時の彼はダメダメだった。
飲んだくれるわ、娘の友人に手を出すわと、割とアレな生活を送っていたから、相当にくすぶっていたのだ。
人が変わったようにきびきびと荷物を纏めた彼は、義勇兵の名目でライズ入りした。
何しろ戦争が出来るのである。
”門”を通る際には日本サイドからあれこれと言いがかりをつけられて足止めを食らうが、戦争の為なら必要な試練だ。
とは言え、やりすぎては国際問題になるのは彼らも分かっている。小役人を一喝してやったらすぐに入国、いや入世界を許された。
そうして到着するなり、足を運んで戦車兵達の訓練風景を一瞥した感想は一言だった。
「なっちゃいねえ」
早速自分の世話役だと言う、なよなよとした口髭の少佐に資料を用意させる。
帝国派の戦車運用は、初戦の戦訓から単純な平押しからは転換し、一転突破や側面攻撃と言った機動戦術にシフトしている。それでも自分が育てたアメリカ本国の戦車兵と比べて部隊間の連携があまりに甘い。
彼はその原因に主力を担うソ連製〔T34〕と補助戦力である米国製〔シャーマン〕の特性の違いがあると看破した。
なるほど、一見自国製〔シャーマン〕戦車の性能は一見すれば〔T34〕に見劣りするように感じる。
だから帝国派の兵士たちは走攻守に優れた〔T34〕を主力に定め、〔シャーマン〕を代打要員扱いしている。
とんでもない話である。
強力なる〔T34〕は車内が狭く、指揮を執る車長が砲手を兼ねる。
車長は砲の狙いをつけながら同時に操縦の指示も出さねばならず、専門の砲手を乗せて車長が指揮に専念できる〔シャーマン〕に比べ、即応性や柔軟性に大きく劣る。
巨体とエンジンのパワーに比して変速機などの足回りも貧弱。障害物の無い平地での戦いだからこそ今まで顕在化しなかったが、今後はどうなるか分からない。
もちろん我がアメリカは世界に誇る自動車大国。〔シャーマン〕はその点で〔T34〕の追随を許さないし、操縦系統も実に扱いやすい。
現に上がってくる訓練結果に目を通せば、視界が狭く歩兵の待ち伏せに弱い。小回りが利かない等の弱点もボロボロと出てきた。
要するに〔T34〕は起伏の無い北の雪原で戦う戦車なのだ。高性能であっても万能ではない。
一方〔シャーマン〕にも弱点はある。〔T34〕と比べ、時速にして20Km近く鈍足なのである。
〔シャーマン〕の機動力が悪いのではなく〔T34〕が速すぎるからなのだが、これらを纏めて投入すれば当然速度差から連携が甘くなる。
兵器のカタログスペックばかりに目を向けていると、こう言う事になる。
パットンは性能に劣るが使いやすい〔シャーマン〕と、走攻守共に最強レベルでも粗が目立つ〔T34〕。この2つをどう組み合わせるかを考えねばならなかった。
そんな最中の事である。
「転生者だと?」
ああでもない、こうでもないとノートに書きつけるパットンに、コーヒーを持ってきたなよなよした少佐が世間話を振ってきた。
いちいち持って回った物言いをするのは気に食わないが、博識ではあるし現地事情に明るい為に色々と重宝している。
「ええ、地球では仏教の概念だそうですが、我々の竜神教では常識となっています。ゾンムの上層部の中にも『未来の地球から転生した者が、条約軍の改革をアドバイスしている』と信じている者がいるとかで」
ふんと鼻で笑う。
戦場ではちょっとした不安や願望から、下らない風評が広がりやすい。大方その類だろう。
「そんな人間居るものか。もし前世なんてものがあるなら、俺はさしずめハンニバルの生まれ変わりだ」
もともと日焼けしていない少佐の表情が、ますます青くなった。
パットンとしては「イタリアが支援する半島国家」であるクロアを南進する自分を、ふと古代ローマを震撼させたカルタゴの名将に例えた思い付きの軽い冗談だった。
……だったのだが、兵士たちが行きかう中での発言は失敗だった。
たまたまこれを聞いていた何人かの兵士たちが、「うちの司令官は自分がハンニバルだと、本気で信じているらしい!」と、面白半分に噂し始めたのだ。
クロアに着任するなり、「戦車兵どもに機動戦術の成功例として、ハンニバルの戦いを教えておけ」と士官たちに命じたのは、他ならぬパットン自身である。
ゾンムでもクロアでも、芸術とも言えるハンニバルの包囲戦術は士官学校の教本では必修の知識であった事もあり……。
あろうことかこの噂は、現地に派遣された記者を通じてアメリカ本国にも伝わり、「パットンは痛い人」と言う風評被害が吹き荒れる事になった。
後年の歴史書が「パットンはハンニバルの生まれ変わりを自称していた」などと書き立てるのは、ひとえにこの時の不用意な発言のせいである。
終生の右腕であるフェルモが何度打ち消しても、この風評被害は収まらなかったと言う。
もっとも、面白おかしく取り上げられた将軍の失言は、やがて嘲笑ではなく賞賛と共に語られるようになる。
後に彼が本当にハンニバルの生まれ変わりだと妄信する者が続出し、大いに難儀する程度には。