第4話「じゃない方のアッパティーニ(後編)」
”もう駄目だと思いましたよ。コネで将軍になったような貴族のボンボンの下で戦えってんですから。
蓋を開けてみれば大変な幸運に恵まれていたわけですが”
大公派に従軍した兵士のインタビューより
「今度赴任する司令官ってのはな。”じゃない方のアッパティーニ”って呼ばれてるそうだ」
訳知り顔の上等兵が噂話を披露する。
戦闘食のトウモロコシパンにかぶりつきながらの会話は数少ない戦場の楽しみだ。
「”じゃない方”ですか?」
食いついてきた初年兵たちに、上等兵は笑みを強めて事情通ぶって見せた。
「ああ、弟が海軍に居るんだが、そっちがあまりに優秀なんで兄貴の方は無視されてる。だから”じゃない方”だ」
兵達の表情が後悔に染まる。上等兵は新入りを脅かしてやるつもりだったのだろうが、それなりの場数を踏んだ者までまでうんざりした様子。
皆思っていた。聞かなければ良かったと。
前任のフィリッポ中将は、大きな勝ちこそあげていないが大きな敗北も犯していない。彼我の戦力差を考えればむしろ十分に優秀と言える。
その中将が食中毒などと言う笑えない笑い話で一発退場し、代わりにやって来るのが良く分からない影の薄い人物だとは。
「うちの士官連中が噂してるのを聞いたんだが、兄貴の方が影が薄いのは弟と違って”古代種”じゃないからだそうだ。そう言う意味でも”じゃない方”と言う話だ」
兵たちは皆怪訝そうに上等兵を見つめる。お大尽様の考えることは良くわからない。
ライズには「古代種」と言うものがある。
竜神の寵子たちは基本的に地球人と同じ外見だ。世界が違うからと言って、肌が青かったり鱗で覆われている訳では無い。言語でさえラテン語と類似性が見られる。双方の世界において、多くの学者たちが「ライズ人地球起源説」を主流として支持しているのはそう言った事実からだ。
これは余談だが、逆に「地球人ライズ起源説」がさほど勢いがないのは。
異世界人差別、ではなく、単純に地球側が持つ膨大な古代史の史料に比べ、ライズ側のそれが異様に少ないからである。地球起源とする方が自然なのは、ライズ側の学者もほぼ異論を持たない。
そんな中で例外的に存在するのが、銀髪、赤い瞳、尖った耳と言った地球人には無い特徴である。
これらの特徴を持った子は、先祖返りの人間と言う意味合いで「古代種」と総称されていた。普通の両親から突然生まれてくることが大半であるが、まれに古代種が産まれやすい血筋も存在する。例えばこの国の大公家のようにである。
いずれにせよその多くが優れた魔法の才を持つ事から祝福の象徴とされてきた。
大公カタリーナは古代種の特徴を全て持っており、その意味合いにおいても国民の圧倒的な支持を受けている。
ちなみに地球起源説の論者の中には、「ライズに移民してきた地球人が、ライズ土着の民と混血し、その後者の血が隔世遺伝で現れるのでは?」と言う説を唱えている者も存在する。残念ながら確かな証拠はないが。
「へぇ、でも『古代種』じゃないって、御貴族様から古代種が生まれるとは限りませんよね? 別に古代種じゃないと出世できないわけでも無いでしょうに」
「それがな、アッパティーニ家は特殊らしい」
クロアの名家、アッパティーニ侯爵家は大公家と並んで何故か高確率でそう言った子供が生まれると言われている。
嫡男であっても古代種が下に生まれればその座を奪われると言う程、同家門における古代種信仰は強い。
そんなありさまだったので、当主である父親は生まれてきたアルフォンソの赤毛を一瞥して直ぐに興味を失った。
生母も流行り病であっさりこの世を去り、正室が美しい銀髪を持ったレナートを生んだことで長男はすっかり無視される存在となっていた……、と言うわけである。
確かに母の身分は高いとは言えなかったが、ライズ人はこの世界特有の事情で地球人程身分違いの恋愛や結婚を気にしない。なのに髪の色が気に入らないだけでそこまで邪険にするとは、御貴族様の考えは分からないと皆首をひねる。
そんな育ちのせいなのか士官学校でも全く目立たず、噂では弟のコネで司令官の役職にねじ込んでもらったと皆疑っている。
「俺たち……本当に大丈夫かな?」
誰かが、ぼそりと呟いた。
饒舌に噂話を披露していた上等兵も黙り込んでしまう。
未来の事は誰も分からず、ただ曇天の空が彼らの行く末を予言している様に感じさせた。
◆◆◆◆◆
雛菊城へ向かう車上で、アルフォンソは一枚の写真を取り出す。
そこには、車いすの老人と幼い兄弟が写されていた。
一人は銀の長髪。もう一人は赤い癖毛。
彼らが、本当の家族。
のんびり屋を装っていた自分はただ静かに笑っているだけだった。
周囲がどんなに陰口を叩こうが父親にぞんざいに扱われようが、身を固くしてやり過ごした。周囲は彼を体の良いはけ口とみなした。
アルフォンソなりの処世術でしかなかったのにも関わらず、周囲は彼を体の良いはけ口とみなした。
無論そうする連中とて、流石に無分別な馬鹿ではない。それらは侯爵家の体面は配慮して行われたので父親も動く事は無かった。
そんな彼にも味方は居た。嫡男である弟レナートと、祖父オネストである。
温厚で聞き上手なアルフォンソを気に入って懐いたのがレナートだ。彼は明るく奔放で人に愛されたが、兄を馬鹿にした者は行いを改めるまで口を利かなかった。例え友人であろうとだ。
オネストは「優れたものが中傷を受けるのは宿命」と彼を庇う事は無い。
だが厳しい言葉と同じかそれ以上に、自分が如何に彼を誇りに思っているかを伝える労を惜しまなかった。
「お前とレナートは両輪の様なもの。お前がレナートを必要とするように、レナートもお前が居なければ大事は為せない」
祖父は幼い兄弟に繰り返し語った。
「お前の我慢強さは軍人に向いている」
そう言ってアルフォンソに士官学校行きを勧めたのも祖父だ。
父の存在もあって、軍人と言う職業に今一つ良い印象を持っていなかった兄弟である。だがあの出会いが2人を変えた。
「2人で元帥杖を手にしよう」と誓い合い、勉学やスポーツに励んだ。
兄弟は成人し、アルフォンソは陸軍に、レナートは海軍に入隊した。
「赤毛の方が陸軍に入ったのは、優秀なレナート殿と比較されたくないからだとか」
「同じ兄弟でどうしてああも出来が違うのかしら?」
「恥ずかしくないのかねえ」
世間の噂を兄弟は一顧だにしない。
同じ組織でパイを奪い合うより別の場所で活躍した方が目標に近道だから。別の進路を選んだ理由はその程度に過ぎない。
レナートの方は「海軍はモテる」と言ういささか不純な動機も見え隠れしていたが。
士官学校を目指すうち、元帥杖が生半可な目標で無いことも分かってきもした。
無論諦める気は無い。
具体的に動いてもいるが、明確な筋道があるわけではない。
そんな時、厄災は起こった。
大国間の板挟みで起こった内戦は、兄弟にとって果たして必然であったろうか。
◆◆◆◆◆
ファビオ・ロッソとの出会いは士官学校だった。
アルフォンソの評判は「優秀ではあるが地味」であった。成績優秀なだけでなく恋多き青春を送り奔放で武勇伝に事欠かないレナートに比べ、アルフォンソは影の様に扱われた。
士官学校で頂戴した二つ名は「怒らない男」であった。既に持っていた「じゃない方のアッパティーニ」と言う不名誉な渾名に上乗せされる形で。
馬鹿にされても仕事を押し付けられても、静かに笑う彼である。
周囲は彼を良い様にこき使った。軍隊とは良くも悪くも要領の良さが求められる組織である。そう言った人間を「上手く使う」事も士官の資質だからだ。
事件は起こった。
「あいつが何処までされて怒らないかを試してみよう」
そう思い立ったのは、当時上級生だったファビオ・ロッソである。
だがよりにもよって祖父を遠回しに侮辱する言葉を吐いたのは最悪の選択だった。
アルフォンソは終始無言だった。
ファビオは口を滑らかに動かしながら、彼の目がすっと細まる様に妙な威圧感を覚えたと、後にアルフォンソは本人から聞かされた。
アルフォンソは一礼すると、ファビオの顎を強打したのだ。
脳髄を揺さぶられ意識を失った上級生を見下ろし、「規則を犯したので教官を呼んで欲しい」と穏やかに告げた。
絶句していた生徒たちが一斉に現実へと引き戻され、慌てて駆け出す。
一見、冷静なままに怒った様にと思われたアルフォンソだったが、しかし実際にはようやく頭が冷めて状況を把握した場所は、深夜の反省室だった。
士官学校の規則に即した懲罰は当然課されはしたが、アルフォンソはそれ以上に称賛された。「己の為には決して『怒らない男』が親族の名誉の為に拳を上げた」事が周囲の琴線に触れたのである。
反対に「士官にあるまじき軽挙」と面目を失ったファビオは初めてアッパティーニ家の実状を調べ、とんでもない事をしたと恥じ入った。
そしてアルフォンソも、そんな彼の謝罪をすぐに受け入れた。弟の顔色を窺って態度を改めた者は多かったが、彼の如く真正面から頭を下げる者は稀有だったからだ。
その一件を機に2人は共に行動するようになり、少尉任官してからも度々飲み交わす仲になった。
ただ、ファビオはこの温和な友人をただの飲み友達とは思っていなかったようだ。
飲み交わすたびに「お前は大物になる」だとか「将帥に向いている」と言って聞かせ、その度にアルフォンソを苦笑させた。
曰く、日常会話で交わされる物の見方や組織論、人間の見分け方等、この男は大物だと確信していたとの事である。
アルフォンソは敢えて語る事はなかったが、明らかに”志”を持った行動を取っていたのは事実だ。
補給参謀の職務を行いながら人脈作りに精を出し、これはと思う人間をそう言ったコネクションに推薦する。また却下された上申書や意見書を読み込むのが日課となった。
どうやら、あの気の良い先輩は彼の”志”を助けてやろうと思ってくれたらしい。
日頃から彼は酔いに任せて語っていた。
「友情や国の為にと言う気持ちももちろんある。だがそれ以上にお前が何をやらかすか見てみたい」
確かに名門アッパティーニ家の長男でブルーノ宰相の遠縁である自分なら、抜擢人事でも重臣たちを説得しやすいだろう。水面下で人脈を増やしているから、そちらの方からも口添えがあったかもしれない。
ただし推薦通り有能である事が証明できなければ、自分は少尉からやり直しだ。
いや、その前にこの国は無くなっている。
「わかってるよ。上手くやるさ」
曇天の空を見上げアルフォンソはつぶやく。
それは祖父と自分を推挙してくれた友、何より血と魂と理想を分かちあった弟への言葉だった。
アルフォンソは胸ポケットからもう1通の手紙を取り出した。
冷たい目でそれを見つめたあと、意を決して両手に力を込め、引き裂く。
手紙の文面はシンプルなものだった。
「陛下に辞退申し上げろ。お前では務まらない」
封蝋にはアッパティーニ家の紋章。
差出人は、父だった。
◆◆◆◆◆
大公カタリーナは早速アルフォンソを呼び出し、ブルーノ宰相、ダウディング総司令と共に会談を行った。大公派は散々迷った末にアルフォンソに第5軍の指揮を命じる。
彼は快諾したが、1つだけ条件を出した。
「参謀長の人選は、小官に任せて頂きたいのです」
歴史が動き出した瞬間だった。