第26話「介入」
"現場にとって、横槍ほど嫌なものはありませんよ。上手くいってようといまいと、命令系統を無視して安全な場所から適当な注文をする人間を、あなたは信用できますか?"
フェルモ・スカラッティのインタビューより
比較的至近だと判る爆発音と共に、司令部の電力が一斉に停止した。
ちょうどアルフォンソが追撃を命じようと、立ち上がった時である。
「空襲!? 対空監視所へ確認を!」
ヴェロニカが命じるより早く、目端の利く士官が野戦電話の送受話器を取っている。
そして即座に上がった返答はネガティブなものだった。
「繋がりません!」
別の士官が外部の様子を見るべく司令室の扉を開けた時、警備隊員たちが足音を立てて駆け込んでくる。
「送電線が爆破されました! 予備電源も駄目です!」
さしものヴェロニカも言葉を失った。
前線司令部の発電機は、非常時に備えて二重化されている。一本断線しても予備電線が機能するので、よほどの事態で無ければ発電が失われることはありえない。
だが送電線を地下化する工事は、人手不足で先送りされていた。
つまり内情が漏れている。
野戦用の無線電話はバッテリー式なので、当面の指揮連絡は問題ない。が、レーダーはそうはいかない。
つまり、現在の司令部は航空攻撃に対して丸裸である。
ヴェロニカは警備隊員を基地の外周に配置して、双眼鏡で対空監視をさせるように命じた。
参謀の1人が指揮所の銃眼から、頭上で旋回する防空戦闘機を頼りなさそうに見上げる。戦闘機は前線での〔シュツルモビク〕対策に忙殺されて、明らかに直掩の数が少ない。
そんな中で姿を見せた憲兵隊の大尉が、報告をもたらした。
爆発現場近くで不審な行動をしていた警備部隊の一中尉を拘束した処、その所持品に破壊工作を指示する手紙が出て来たと言う。
勤務評価はそこそこだと言うが、血走った瞳でアルフォンソに対する呪詛の声を上げ、意思疎通もままならないそうだ。
辛抱強く聞き取った話によると、彼はロッソ家の元家令の息子を名乗ったそうだ。
代替わりした現当主のファビオに父が失脚させられ、それがアルフォンソの陰謀だと主張していると言う。
アルフォンソもその話に記憶はあるが、不幸な行き違いによるものだと聞いている。もちろん彼は何ら関与していない。
恐らく悪名高いゾンム諜報部に取り込まれたか、買収されたか。
「その中尉は、他に何か言っていたかい?」
憲兵大尉は思わず目を泳がせた。
質問したアルフォンソは、それだけで賊がどんな事を口走っていたか理解したのだろう。それでも眉一つ動かさず、報告を促した。
「クロアの賢者信仰は竜神への冒涜であり、選ばれし古代種の自分がその……、汚らわしい赤毛の出来損ないに使われるのは屈辱である! と申しておりまして」
ガタンと大きな音がした。
自分が立ち上がる時に蹴り飛ばしてしまった椅子の音だと、ヴェロニカは遅れて付く。
どうやらその中尉は古代種の特徴を持っているらしい。
地球人であるヴェロニカには、そもそも的に古代種をありがたがる空気を感覚で理解する事ができない。
ライズの人間ではないこともあるが、古代種は強力な魔法を使える「傾向がある」だけだ。実際、自分の“特徴”をさほど気に留めない古代種も多いと聞く。
ただ、それだけ、……それだけのために!
彼を――自分の”相棒”を後ろから撃つのか? まだ苦しめるのか!?
馬鹿のくせに! 喚くだけで、何もできない癖に!
「その選ばれし古代種サマが、どの程度のものか試してあげようかしら? 選ばれたなら、髪の毛全部剃り落としてもまだ優秀な筈よね?」
そんな下らない遊びに興じる時間はないのは、分かっている。
それでも毒を吐かずにはいられなかった。
「……また、私の邪魔をするの!?」
ヴェロニカは呻くように呟く。
僅かに眉を顰めたアルフォンソにも気づかない。
「ヴェロニカ中佐……」
そう呼びかけた彼の言葉は、横合いで上がった怒鳴り声で遮られた。
無線機に取り付いていた通信士官が、上空のパイロットを詰問しているようだ。
燃料切れで頭上の直掩戦闘機隊が引き上げようとしているらしい。交代はまだ来ていない。
銃眼から外を覗くと、対空監視の歩兵たちが去ってゆく空軍機を不安げに見つめていた。
「空軍司令部に繋ぎなさい!」
ヴェロニカが通信士官に向かってそう命じた時、破綻は訪れた。
その時彼らの頭上では、2機の重戦闘機がまんまと侵入に成功した。
P38〔ライトニング〕、2基のエンジンを備えた大馬力の化物戦闘機は真っ黒に塗装され、機体には国籍マークの他に鍵の意匠がペイントされていた。
襲撃者がレーダーが動かず、直衛の戦闘機がいない隙を突けたのは、様々な不運と不手際の相乗効果であった。
そして翼下に吊るしていた秘密兵器を、眼下の前線司令部周辺に向け「投弾」した。
この機体は塗装に炭素粉が混入されており、限定的ながらレーダー波を吸収する効果があった。つまり最初期のステルス戦闘機である。
同様の試みがドイツ空軍でも行われていたが、米国は試作レベルながら、それに先んじて実戦投入を行ったのだった。
投下されたその殆どが対地攻撃用の集束爆弾で、弾子は落下しながら広範囲にばらまかれ、歩兵や軽車両など装甲を持たない対象を破壊、殺傷する。
だが同時に投下された、燃料増槽をベースにしたものこそが最大の厄災だった。
司令部上空で2つに割れたその“贈り物”から、ガソリンがぶちまけられる。
否、ただのガソリンでは無かった。未知の生成物は大気に触れただけで激しく燃え上がり、着弾した司令部付近の陣地は一気に炎に包まれた!
◆◆◆◆◆
「おやおや、勇将の誉れ高いパットン将軍とその幕僚団らしからぬ音なしの構えですな」
再び入室してきた”青瓢箪中佐殿”が、件の作戦とやらの成功の報告と共に、それによる前進再開を強要――もとい具申してきた。
丘の向こう側に構えられている、しっかり隠蔽され、べトンで固められた敵司令部の周囲が我が方の”新兵器”によって一面炎上し、その機能を失っている。
どうやら通信室の一部を徴用して、自分たちの作戦の戦果確認をしていたと思しき”青瓢箪”の報告を、無論ただ漫然と待っていたわけではなく。
こちらも複数のソースから、それを確認してはいた。
朗報には違いないそんな報告を得た後であるにも関わらず、司令部内の白けた空気が払拭できないのは、ひとえにこの目の前のお邪魔虫のおかげだろう。
(……まだいたのか)
一同はそんな事を思うが、”青瓢箪”の奴もこちらがちゃんと指示通りに行動する事を、承諾するかどうかを見届ける腹積もりだろうから、当然と言えば当然だ。
連絡用のワイバーンも数が足りない事だし。
「そもそも、何故一時的とはいえ後退を? アメリカの軍隊は合理主義が徹底されていると聞きましたが、勝てる戦を前にして攻撃を躊躇するとはね」
やれやれと言う表情で垂れ流す”青瓢箪”の無神経な言に、再び場が殺気立つ。
戦争は大量殺人。それは厳然たる事実だが、兵隊を書類一枚で死地に放り込むことと、指揮官の責任と判断で合理的に殺すのは似て非なるものだ。
指揮官は後方で命令を下す事でもって戦い、見事生き残ったとしてもいつかは天に召される。その際、死ねと命じた部下についてキリストに申し開きをしなければならない。
パットンは言う。
その時に、胸を張って報告できない様な案件は、ほとんど誰かの横槍によって成されると。
以前に聞かされた時にはそんなものかと思いつつ、ライズ人と異なる宗教観に興味を掻き立てられただけに終わったのだったが……。
「これでは、古代の名将とやらの名が泣きますな」
いざ理不尽を目の前にとすれば、戦争嫌いの自分でも流石に目の前のソイツを一発ぶん殴りたい! くらいの事は思う。
「中佐"殿"は、実戦は初めてかな? そこから敵軍の戦いぶりを見てみろ」
パットンは忍耐力を総動員させながら、慇懃無礼な口調で”青瓢箪”にと指し示す。
まったく汚れていない彼の黒い軍服はよく糊が利いている。
だがこの場でそれは名誉ではあるまい。彼が強権を振り回しているこの瞬間にも、将兵たちは泥とガソリンにまみれて戦っているのだ。
この高台から見下ろせる範囲内だけでも、展開した敵軍は崩壊の気配など全く見せていない。
無駄な深追いを避け、乱戦で崩れた陣形を即席で立て直してどうにか戦線を維持しようとしていた。
迅速な”転進”を行った帝国派に、追撃はかけても決して深追いしようとはしない。
流石は、司令官が食中毒で倒れても規律を維持した軍隊だ。
「敵はまだ死んでいない。ただでさえこちらは、後続部隊が追い付くまで継戦能力は半減している。最初の突撃が頓挫した以上、現状のままでの再度の進撃は無意味だ」
そもそも自分たちは、突然上から一方的に割り込んで来たその新兵器とやらの詳細を、一切聞いていない。
あやふやな根拠の上に立てられた作戦、それは勝負ではない。ただ賽を放り投げるだけの、幼児でも出来る遊戯だ。
だが、そんな合理性によって成り立つ当然の疑問に対しての”青瓢箪”からの回答は、想像の範疇外にあった。
「あなた方は偉大なる竜神の加護を理解していない。神がもたらしたものなら、信じてあたりまえでしょう?」
説明不足の理由はこれか!?
ライズに入って日が浅いパットンらは当然怒っているが、こちらは”こういった手合い”にうんざりしている。
発生源はゾンム帝国やガミノ神国のようだが、彼らはライズ中に狂信と迷惑を振りまいている。
しかし、多くの人々は眉を顰めはしても声を上げなかった。
竜鍵騎士団の台頭はその報いであろうか。
「通常の爆弾は直撃しない限り防御陣地に通じませんが、ゼリー状にしたガソリンを燃焼させてばらまけば、広範囲を火の海にする事が出来ます。直接火傷を負わなくとも、酸素が消費されて付近の人間は窒息死するそうです。今回は燃料増槽を使いましたが、ロケット弾に搭載すれば対ゲリラ戦などで大きな成果を上げる事でしょう」
それはご立派な事だ。
本当だとしても、手回しの悪さがそれを台無しにしたわけだが。
「で、何故竜神から授かったと?」
その自信の源は何だ? と、普通人を相手にするのと同じ感覚で踏み込んだことを後悔しているような口調で問うパットン。だがそれは藪蛇であった。
将軍の問いに対する”中佐殿”の返答は、斜め上どころの話ではないものだったからだ。
「機密につき、お答えできません」
血の気が引いた。
将軍が怒りのあまり、腰のリボルバーに手をかけたからだ。
「と、とにかく反撃には転じます! 再配置が終わるまで暫しご猶予を」
とっさ割って入って、フェルモは「平に、平に!」と頭を下げる。
中佐は馬鹿を見るような目で一同の顔を見回すと、やれやれと息を吐いた。
「戦果を期待しますよ。我々はこれだけの支援をしたんですから」
せめて最後までここで見届けるつもりも無いらしい。青瓢箪は言いたいだけ言い終えて、そそくさと退散しようとする。
背中越しのパットンが、「臆病者め!」と唸るように吐き捨てた。
その時、甲高い落下音と、次いで落着の轟音と振動が司令部内を揺らした!
報告によれば、上空を守っていた我が〔ウォーホーク〕戦闘機が、侵入を試みる敵〔ハリケーン〕戦闘爆撃機を撃墜。
結果、直下のこちらに向かって多数の破片とガソリンが撒き散らされた。
その内の一部が土嚢の防壁を飛び越え、指揮所脇の地べたに突き刺さったのだ。
不意の出来事に、流石の彼らも一瞬その身を固くする。
だがすぐに緊張から立ち直った司令部スタッフ達は、皆が含一様に含み一様に笑いを浮かべていた。
幕僚たちだけでなく、下位士官や下士官に果ては従兵まで、にやにやと口角を歪めながら各々の仕事をしている。
彼らのど真ん中で、ただ一人”青瓢箪”が短く、しかし大声で悲鳴を上げて尻もちをついたからだ。
「中佐殿、ここは狙われますので……」
気を利かせてフェルモは、手を差し伸べてやって立ち上がらせた青瓢箪を、そう言って体よく追い出してしまう。
そんなつもりは無しにかけていた言葉が、そのまま痛烈な皮肉にとなっている事には後になって気が付いたのだけど。
「一体何であんな連中が、でかい顔をしてられるんだ?」
それを目にして溜飲が下がったパットンが問いかけるのは、勿論事情通のフェルモだ。
久しぶりに無茶な話を仰せつかった。
そんなもの知るわけがない。無いのだが……。
「噂レベルですが、ゾンム帝国はここ数年になって革新的な発明を色々としているらしいのです。まあ、プロペラの材質だとか照準器の改良とか、地味なものばかりなので専門家以外注目されていないそうなのですが……彼ら曰く、『異常だ!』と」
「異常? 戦時に技術革新が起こるのは、当たり前だろう?」
「それが、それらの『発明』はすべてアメリカに先駆けて為されているとか」
パットンは腕を組んで黙り込む。
祖国より優れていると言われたのが面白くないのだろう。だから言いたくなかったのだ。
「将軍、噂では全て『転生者』が教えたものだそうです。つまりズルです。米国の様に、自分達の力で生み出したものではないと言ってます」
「うむ、そうか」
上官の機嫌が俄かに回復する。
すぐ機嫌を崩すのはウィート山脈の天気の如しだが、すぐ機嫌を直すのでやりやすくはある。
「竜鍵騎士団は転生者がもたらした情報のほとんどを握っているそうなのです。技術革新を希求するゾンム帝国にあって、彼らは情報と引き換えに強い権限を得ているとか。あの中佐の様に」
振り返って、既に撤収していた青瓢箪殿が立っていた辺りを睨む。
我が軍の転進もこれだけ素早ければ、今頃形勢を立て直していたのではなかろうか?
「まあいい。同盟国がどうだろうと、俺たちのやることは変わらん。再編成を急がせろ! 俺は”向こう”の準備にかかる」
「お任せを!」
幕僚たちが一斉に敬礼する。
背中を向けたパットンは、数歩進んで振り返る。
「奴らの動きに警戒しろ! 必ず立て直してくる。死んでいない限りはな」
確信をもって言う勇将の背中には、歴戦の凄みがあった。




