6話 自動車教習所3
今日も仁美と遥は自動車教習所に来ている。
大学に通いながら時間があれば教習所に通っているのだ。
仁美と遥は学部が違うので、必ずしもいつも時間があうわけではないのだが毎日のように連絡を取り合い、時間が合えば一緒に行っていた。
それにしても女の子のメッセージアプリでのやりとりはなんととりとめのないことか。
仁美は父和仁と行動を共にすることが多かったので、考え方がどちらかというと理論的であっさりとしたほうだった。
なので、高校時代では女の子同士のメッセージアプリのとおりとめのないエンドレスなやり取りに少々辟易することもあった。
しかし、遥とのやり取りはそうではなく、遥は仁美がそろそろ話を終えたいと思うと察してくれて話を終わろうとしてくれる。
まさに以心伝心、本当にありがたい幼馴染だとしみじみと思った。
もう一人の幼馴染、高橋隆はというと同じ教習所に通ってはいるものの仁美や遥と一緒に行動しているわけではなかった。
先日、はたから見れば颯爽とナンパ男から仁美と遥を助けた隆だったが、大学では相変わらず仁美に話しかけられずヘタレていた。
しかし、仁美のほうはというと隆を見かければあいさつし、他愛のない会話をする程度にはなっていた。
隆はそれだけでとても喜び、満足してしまっていたのだ。
決して自分から仁美を誘うことはなかった。
どうせ自動車学校で会えるからいいかと。
それに、仁美と同じ学科といえど、1年生では専攻科目より共通科目のほうが多く、授業は選択式で必ずしも仁美と同じ授業というわけではないので、いつも同じ時間に終わるわけでもなかった。
それどころかメッセージアプリのIDすら交換していない。
このように、仁美に対してだめだめな隆であるがスペックは決して低くない。
国立大学に合格するほどの学力に、小さいころから続けている合気道で心身ともに鍛えられており、先日仁美と遥を助けに入る胆力を持ち合わせているいることからもそれは明らかだ。
まさに文武両道、ルックスもなかなかに悪くなく高校のころも「高橋ってなんかいいよね」と一部の女子に言われるくらいではあったのだ。
しかし、仁美のことで頭がいっぱいだった隆は高校時代一度も浮いた話はなかったが。
仁美と遥が技能教習を受けるためロビーで時間をつぶしていると、隆がやってきた。
「お、二人とも来てたんだ」
「はーい、隆」
「こんにちは、高橋くん」
隆の言葉に、フランクに返す遥に律儀に挨拶する仁美。
さすがに隆も仁美と普通に話すことができるようになっている。
「隆は今どこまで進んでるの?」
遥が隆に技能の進度を聞く。
密かに隆より遅れてなるものかと気にしているのだ。
「ああ、今度S字とクランクがあるな」
「あー、あれねー。難しいよねー。どうしても乗り上げちゃうんだよね」
遥がうむむー、と唸る。
教習所の技能教習での一つの難関である。
S字とはSの形をした細道を通る教習内容のことで、クランクとはS字の通路形状を直角にしたものだ。
S字より直角のクランクのほうが難しい。
細道の幅が3.5mと車2台分の幅ほどしかなく、ステアリングをうまく切らないとリヤタイヤが縁石に乗り上げてしまうのだ。
車2台分の幅と聞くと結構広く思うかもしれないが、通常の道路の対向1車線の道で路側帯(白線から外側)も入れると道幅は6m以上あるので普通の道の半分ほどしかない。
「それはステアリングを切るのが早すぎて、フロントタイヤが早く内側の縁石に近すぎ過ぎてるんじゃない?」
仁美が遥にアドバイスをする。
「確かにハンドル切るの早すぎって教官に言われるんだけどねー」
遥も分かってはいるんだけどと、仁美に返す。
隆も興味津々といった具合に耳を傾ける。
車は曲がるときにフロントタイヤよりリヤタイヤのほうが内側を通るのだ。
これは、フロントタイヤが操舵輪となっているから起こる現象だ。
フロントタイヤはステアリングで舵角を切るが、リヤタイヤは車に対して真っすぐついていることによる。
フロントタイヤで舵を切れば、フロントタイヤは曲がる方向に、リヤタイヤは車体真っすぐのままの向きとなるし、フロントとリヤのタイヤの曲がり始める位置も違うから、フロントとリヤのタイヤは同じ位置を通らないということだ。
さらに、フォークリフトなどの操舵輪がリヤタイヤの場合は逆に、リヤタイヤがフロントタイヤの外側を通ることになる。
もし、フロントタイヤとリヤタイヤを同じ軌道で通そうと思うなら、リヤタイヤも操舵輪としなればならないことになる。
実際にリヤタイヤに舵角を与えてリヤタイヤにも舵角を与えることでより小回りを効かせたり、コーナリング性能をあげることを目的とした技術があった。
HONDAでは4WS(4wheel steering)、日産でなどではHICASなどと呼ばれていたものだ。
HONDAはプレリュード、日産はシルビア、スカイランなどに搭載されていた。
しかし、スポーツ走行を行う上では不評であり、ドライバーが意図したものと違う動きをすることを嫌ったのだ。
よくサーキット走行に使われるシルビア、スカイラインではアフターパーツにてハイキャスキャンセラーと呼ばれるハイキャスを殺すパーツが販売されていたほどだ。
仁美はそれなら、と続ける。
「フロントタイヤに対してリヤタイヤがタイヤ何個分内側にくるか頭に入れとくといいよ。」
仁美はよく父和仁が行っていた言葉を思い出して言った。
道を走るときも、それこそサーキットを走るときもリヤタイヤを意識するんだよと。
「いやタイヤ何個分って。それをわかりながら運転してるのはここでは仁美ぐらいだよ」
遥はあきれながら言った。
隆はなんとも言えない顔をしている。
隆は仁美の父親がハチロクに乗っていたことは知っていたが、仁美自身が車に詳しいとは思っていない。
仁美の玄人っぽい発言になんと言ったものかといった様子だ。
「そうかな?じゃあ、ハンドルを切る位置をどこか目印にして覚えておくといいと思うよ。もちろん車は端に寄せてからね」
サーキットでもブレーキング位置、ステアリングを切り始める位置は自分なりの目印を作っておくものだ。
「あー、なるほど。ちょっとやってみるね」
遥は納得した様子で、隆もなるほどとうなずいている。
「じゃあ、もう一つ教えて。坂道発進はどうすればいいの?エンストしたり下がっちゃったり、何とか発進できたとしてもうぉーん!とかなるんだけど?」
遥は続けて仁美に質問した。
坂道発進もMT車では難関の一つだろう。
AT車ではそれほど難しくなく、それどころか最近の車では坂道発進時、ブレーキをコンピューターでアシストしてブレーキから足を離してアクセルを踏むまでの間、車が下がらないようにするものもある。
しかし、MT車はクラッチ操作がありエンストする分、難易度は跳ね上がる。
遥の言う通り、半クラッチがうまくできていなかったり、アクセル踏み込み量が足りなかったりするとエンストしたり発進できずに下がったりするし、逆にアクセル量が多すぎても回転数が上がりすぎて、発進はできてもエンジンがうなりを上げることとなる。
「あー、確かに坂道発進難しいよねー」
仁美はうなずきつつも、これも父和仁に聞いていた内容を遥たちに説明する。
「サイドブレーキをかけて半クラッチにしながらアクセル踏んで回転数あげるでしょ?」
「うん。そう習ったけど。」
「でね、半クラッチにしながらエンジン回転数をちょっとずつ上げて行くと、車が前に動きだそうとするの。でもサイドブレーキかけてるから動きはしないでしょ?でも車は前に行こうとするの。その動きを感じるようになれば坂道発進は簡単にできるようになるよ。それこそ、慣れればサイドブレーキ使わずにね」
和仁が当たり前のようにサイドブレーキを使わずに坂道発進をしていたのを、仁美はよく覚えている。
例えば立体交差の合流部信号待ちなどでは傾斜がきつく、MT車が少ない近頃では坂道発進の大変さを知らず車間をつめてくる車も少なくない。
そんな状況でも何の問題もなく和仁はハチロクを発進させていたものだ。
「サイドブレーキかけてるのに車が前に動こうとするの?」
遥は説明を聞いてもピンとこないようだ。
「うん。そうだなー、例えるなら前に歩きだそうとしてるのに後ろから服をひっぱられて前につんのめる感じ?」
「あ、あー。なるほど?」
仁美の説明になんとなくわかったといった様子の遥。
隆はへー、といった感じでまだ技能教習でやっていないので実感はできていない様子だ。
それでも仁美は車のことで遥たちの役に立てたとほくほく顔だ。
私の次の技能はー、と鼻歌を歌いそうな勢いでカバンの中を確認している。
そのスキに隆が遥に小声で尋ねる。
「水島って車詳しいのか?」
「うん、詳しいよ。ずっとお父さんのハチロクの隣に乗ってたからね。かなり仕込まれてるみたい」
「なるほど」
隆はなるほどと言いながらも渋い顔をしている。
なぜなら教習所での運転で仁美にいいところを見せたいと考えていたからだ。
そんな隆を横目に遥は、
「残念ね。仁美にいいところを見せれそうになくて」
「え?は!?何言ってるの!?別にそんなこと考えてないし!」
図星を指された隆は顔を真っ赤にして反論する。
そんな二人を見て仁美が会話に入ってくる。
「なになにー?何の話ー?」
「それがさー、聞いてよー仁美ー。隆がさー」
遥がわざとらしく告げ口するみたいに仁美に返事をする。
「だから、違うって言ってるだろ!」
「きゃー、隆が怒ったー」
「誰も怒ってないし!」
そのままふざけて仁美に抱き着く遥。
何の話かわからないが、楽しそうに遥を抱きとめる仁美。
あわてふためく隆。
そのまま三人はあーだこーだと騒がしくしていると、周囲から白い目で見られていることに気づく。
騒がしくしすぎたことに気づき、
「「「すいませーん」」」」
と、縮こまりながら謝るのであった。
その姿は、まるで小学校時代の仲の良かったころの姿を彷彿とさせるものだった。
疎遠になっていた期間がまるでなかったかのようなそんな様子の三人だった。
Appendix
坂道発進なのですが、作中に書いた通り傾斜のきつい坂で信号待ちしてるとき、こちらがMT車であることにまったく気にしてない、気が付いていない車がべた付けしてきたりするんですよ。
まあ、こちらもそれこそサイドブレーキを使わず全く問題なく発進はできるんですが、あるときちょっとミスって少し下がってしまったんですね。
サイドブレーキを引いていないので、ブレーキを離してすぐにアクセルと半クラを踏むわけですから、タイミングを間違うとブレーキを離した途端車は下がってしまうわけで。
もちろんエンストせずにそのまま何事もなくクラッチをつないで発進したのですが、後ろの車が相当びっくりしたらしく、そのあととても車間を取ってくれるようになりました。
坂道発進はあえてMT車アピールをするのが良いのかもしれませんね。(笑)
それと、こんなステッカーを張ってある車を見たこともあります。
「MT車につき坂道発進注意!」
なるほど、そんな時代なんだなーとしみじみと思った次第です。
古い車の後ろにつくときは坂道発進にぜひ気を付けてみてください。
自動車学校のお話、まだ続きます。
次回もぜひよろしくお願い致します。