3話 自動車教習所1
誤字修正しました。
仁美はハチロクに乗る約束を母の佳澄とした日以来、規則正しい生活や食事に運動を心がけた。
それまで何もする気力がなくベットに臥せっていたのがまるで嘘のような変わりようだった。
それでも体調は芳しくなかったが、可能な限り行動に移した。
そのかいあり、日ごとに体の調子が良くなっていった。
しかし、仁美が自宅療養している間に高校の卒業式は終わってしまった。
学校には診断書を提出しており、卒業には問題がない。
さらには大学の合否通知も送られてきた。
無事合格していた。
卒業も合格もパパが生きてれば、それこそ私以上に喜んでくれたはずなのに。
仁美はそう思うと気分が沈んでくるが、今はとにかくハチロクに乗ることが優先すべきことだと、自分に言い聞かすことでその思いを振り払おうとした。
一度考え出すとまた引き返せないところまで落ちていきそうな気がしたからだ。
人は絶望に染まると何もできなくなったりするが、それでも一つでも目的や理由があれば生きていけるものなのだろう。
そしてひと月も経つ頃、動き回るのに問題ないほど回復した仁美は医者にも許可をもらい、とうとう自動車教習所に通うことになった。
やっと免許を取りに行ける。
仁美は期待で胸を膨らませた。
しかし、たったひと月で父和仁の死に区切りをつけることができずはずもなく、ふとした瞬間に父和仁との思い出がよみがえっては、涙がでるのを歯を食いしばって耐えることもしばしばだった。
今の仁美にはハチロクに乗ることがすべてだった。
あたかも、ハチロクに乗ればまた和仁に会えると思っているかのように。
ハチロクが父和仁との一番濃厚な思い出の塊なのだ。
そして仁美は自動車教習所に通い出した。
教習所は仁美と同じ年代の若い男女が多く通っていた。
ちょうどこの時期は仁美と同じ高校卒業したての人たちが多く教習所に通っている時期だった。
学科教習では法令や運転マナーなどを学ぶが、仁美は標識の見方や一般道走るためのルールはほとんど知っていた。
父和仁が一緒に車に乗っているときにいろいろ教えてくれたからだ。
小さいころ車に乗っているときは見つけた標識でよくクイズをしたものだ。
仁美はそれを思い出し、教習中にふふっと小さく笑ってしまった。
慌てて周りを見渡すも気にしてる人はだれもおらず、仁美も教習の内容に集中するのだった。
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教習所に白田という教官がいる。
その道40年の大ベテランで、小柄でにこやかな笑顔、ナチュラルスキンヘッドがきらりと光る。
本日最初の教習生は18歳の男性、珍しくMT車を選択している。
白田は思う。
(今ではAT限定が当たり前になったが、ちょっと前まではAT限定は女の子が選ぶもの、男ならMTで当然と言われてたんだがなあ。)
白田はもちろんのこと、今の40代以上の世代はみな同じ考えなのだ。
1980年代からスポーツカーブームが巻き起こり、2000年にかけてスポーツカーは各メーカーから何台も作られていた。
いまでこそ、各メーカーが1,2台は作っているものの、2000年過ぎてからスポーツカーは激減した。
世に言う、若者の車離れである。
売れないから作らない、作らないから若者がさらに興味をなくす、その負の連鎖が今の時代なのだ。
そして、現在ではCVTが主流となっており排気量の大きな車などがAT車で、MT車はスポーツカーや商用車、トラックぐらいしかない。
ちなみにそれぞれ、CVT:Continuously Variable Transmission、AT :
Automatic Transmission、MT : manual transmission の略である。
それぞれの違いはCVTはギヤの代わりに可変プーリーと金属ベルトを使用し連続的にギヤ比を変化させるので変速ショックがなく、それゆえに現在の車の主流となっている。
プーリーとはベルトを介して軸を回す部品のことだ。
しかし、金属ベルトの強度の問題から排気量の大きな力のある車では使いにくいという欠点を持っている。
AT車はMTのクラッチ機構をトルクコンバーターと呼ばれる油圧装置に置き換えたもので、原理としては扇風機を向かい合わせにしたものと想像してほしい。片側の扇風機を回すと相手側の扇風機の羽が風を受け回り始める。この風を油に置き換えたようなものだ。
エンジンの回転がゆっくりではほとんど力は伝わらないが(車は少しずつ動きはする。これをクリープ現象という)、回転を上げていくと力が十分に伝わりエンジンとギヤが直結状態となる。
MT車のクラッチはエンジンの回転軸に円盤をつけてそこにギヤ側の軸につけたブレーキパッドと同様の素材(石材でできている)を押し付けることで、エンジンとギヤを直結させる。
この円盤に押し付ける力をクラッチペダルで操作することで車を発進するのだ。
そもそも、なぜこのような変速装置が必要かというと、エンジンは回転数が上がらないとトルクが弱いからだ。
トルクとは回転する力である。
力が弱いのでそのままエンジンをギヤにつなぐとエンスト(エンジンストール、エンジンストップではない。Stall:失速)してしまうのである。
なので、すぐにつながずに半分ぐらいの力でつないでわざとエンジン側の円盤とギヤ側の素材を滑らせることでエンストさせることなく発進させることができるのだ。
なので、クラッチというものは摩耗する。
これは一般の人にはあまり認知されていない。
そもそもクラッチが必要なMT車に乗る人が少ないせいだが。
そして発進してからの加速、そして速度を上げるためにギヤを変えていくのである。ギヤは自転車のギヤを想像してもらえばよい。
ちなみに、最近では普通にみるようになった電気自動車や一部のハイブリッド車はモーターで駆動するのだが、このモーターは初期回転時からトルクがMAXになるので変速装置が必要なく、それどころか変速ギヤすら必要としない。
その加速力は同サイズのエンジンの比ではないのだ。
まあ、モーターに排気量もなにもないので、同じ車格の車に搭載されたとした場合のサイズとしての比較だが。
白田はMT車の若者離れを嘆きつつも、それでもMT車を選択してくれる若者をうれしく思い、指導にも熱が入る。
乗車前の説明を終え、教習生とともに車に乗り込む。
そして、乗車時の説明を終えエンジン始動、教習生がサイドブレーキを解除しクラッチを踏みギヤを1速にいれる。
「はい、いいよー。それじゃあ、アクセルをちょっとだけ踏んでみてー。エンジン音が変わったなーくらいでいいよー。そうそう、じゃあクラッチをゆっくり離していってー。動き出したらそこでクラッチとめてみてー」
半クラッチと呼ばれる操作だ。
先ほども述べたエンストを起こさず発進させるためである。
すると、車はがくんとゆれエンジンが止まってしまう。
エンストだ。
クラッチを離しすぎてしまったようだ。
「はい、これがエンストね。大丈夫、みんな最初はそうだから。じゃあ次はもっと慎重にやってみよう」
何度か試し、エンジン回転数を上げすぎたり半クラがながすぎたりしたがなんとか発進することができた。
とろとろと車は進む。
「じゃあ、車速を上げて2速に入れてみようか」
教習生は先に習っていた通りにクラッチを踏んで2速にいれ、半クラでつなごうとした。
車ががくがくとぎくしゃくした動きをする。
「ちょっとクラッチつなぐのが早かったねー。何度もやれば慣れるからねー」
教習生の子は気を取り直して教習に集中するのであった。
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仁美の待ちにまった技能教習の時間がやってきた。
少し緊張する。
教官は結構高齢な先生だった。
仁美が見るに、退官まぎわかなーってくらいの先生で頭は見事にナチュラルスキンヘッドだった。
その教官は白田と名乗ったが仁美の中でその教官は「おじゃいちゃん先生」と、名前が決定した。
教習車を前にしておじいちゃん先生の話が始まる。
「本日教習をを受ける水島仁美さんだね?女の子でMT車とはめずらしい。もしかしてもうどの車に乗るとか決まっているのかい?」
「はい。ハチロクに乗ります」
おじいちゃん先生は驚いて目を見開いた。
「これまた、ずいぶんと古い車に乗るんだね」
「父の形見なんです」
「それは・・・。なるほど、ではみっちり教えていこうかね」
「はい!お願いします!」
おじいちゃん先生はうんうんうなずいて、いろいろ指示を始めるのだった。
車に乗る前にいろいろ説明を受け車両前後確認等したあとで、ドアを開け運転席に座る。
仁美は緊張が増してくるのを感じた。
父和仁のハチロクの運転席には何度も座ったことがある。
エンジンも先日かけたばかりだ。
しかし、実際に運転する、車を動かすのは生まれて初めてのことだ。
車内での確認作業、そして車の動かし方の説明を受け実際に動かすことになった。
まずはエンジンをかける。
今の車はカギをキーシリンダーに入れることはなく、無線でつながるスマートキーだ。
スマートキーを持っていればエンジン始動ボタンを押すだけでエンジンはかかる。
和仁などはよく「イグニッションキーを回してエンジンをかけるのがいいのに、最近の車は味気がなくなった」などとよく言っていたものだ。
イグニッションとは点火のことだ。
文字通りガソリンと空気の混合気に点火することでエンジンを始動させる。
仁美は始動ボタンを押して教習車のエンジンをかける。
ぶるぶるうぉーん!とちょっとした音と振動とともにエンジンが始動する。
ハチロクよりだいぶ静かだ。
和仁のハチロクは防音材をすべて取っ払っているし、エアクリーナーからエキマニ、マフラーまですべて社外製品に変えてあるので当たり前といえば当たり前なのだが。
そして、おじゃいちゃん先生の指示通り発進させる。
クラッチを踏み、ギヤをニュートラルから1速に入れる。
教習車は5速Hパターンシフトだ。
車によっては6速もあり、R(リバース、バックギヤ)の位置が1速の横だったり6速の横だったりする。
5速だともちろんRは5速の下だ。
ここからアクセルをちょっとだけ踏みクラッチをじわーっと離しながら発進する。
仁美の緊張はすでにピークに達している。
足が自分の足じゃないみたいだった。
がちがちに固まっている足をなんとか動かし、踏み込んだ足をゆっくり緩めていく。
教習車がすーっと動き出した。
「おー、一発で発進できたね」
おじいちゃん先生がほめてくれた。
仁美は顔がにやけそうになるのを必死で我慢していた。
心の中では「やった!」と両手で小さくガッツポーズしている。
仁美が生まれて初めて車を発進させた瞬間だった。
父和仁だったら大げさに喜んで、それこそ「今日は仁美の発進記念日だ!」とか騒ぎかねなかった。
もちろん、教習車の中ではおじいちゃん先生と仁美の二人だけなのでそのまま粛々と教習は続く。
そのまま2速へのギヤチェンジもスムーズにこなしていく。
教官の白田も驚いた様子で仁美に声をかける。
「ほんと上手だねー。もしかしてどこかで練習してきた?」
もしかして、何か疑われてる!?
そう思った仁美は慌てて答える。
「あ、いや、父の車の横でずっと見てたので!」
決してやましいことはありません!といった勢いだ、
「もしかして、さっきの亡くなったお父さんのハチロクで?」
「そう、そうです!」
疑われてはたまらないとばかりに返事する仁美。
慌てる仁美とは対照的に穏やかな表情で続ける白田。
「そうか・・・。じゃあ、お父さんのためにも早く免許とらないとね」
「は、はい!」
疑われてるわけじゃなかったーっと安心する仁美に、まるで孫でも見るような暖かな視線の白田。
実際に白田には仁美に近い年齢の高校生の孫がいる。
そんな様子で仁美の教習は続いていくのであった。
Appendix
ほんと、自分が免許とったころはAT限定は女の子がとるものだったんですけどね。
男ならMTだろ!っていうのが常識で。
いまじゃ、MT免許取ったっていつMT車乗るの?無駄でしょ!?ってくらいなわけですよ。
個人的には残念でなりません。
作中にもかきましたが、メーカーがスポーツカーが売れないから作らない、街中で走っている姿を見ないから若者が興味を示さないっていう面が多分にあると思ってる次第です。
自分たちが子供のころは世の父親がセダンなどのMT車に乗ってて当然でした。
自分は親が免許持っていなかったので、よくタクシーの運転手さんがシフト操作するのを面白そうに見ていた記憶があります。
実際に幼稚園のころの夢は「タクシー運転手」でした。
子供って、特に男の子って働く車とか誰しも興味を持つと思うんですよね。
DVDシリーズであるくらいですから。
ショベルカーとかの重機に興味をひかれたのって、やっぱりあのレバーをがちゃがちゃするのが面白かったわけで。
それをお父さんの運転するMT車で、シフトレバーをがちゃがちゃする姿を誰しもが見て育ったんですよ。
いつかは自分も車運転するんだ!くらい思った子供が多くいたと思うわけで。
子供は親の背中を見て育つといいますか。
それが、今はお父さんの運転する車はミニバンだったりしてMT車であるわけがなくて。
ミニバンを見てかっこいい!と思う子供も多いはずもなく。
子供が興味を惹かれる、面白そう、自分も運転してみたい、という要素がなくなったんじゃないかと思うんですよね。
偏見を恐れず声を大にして言います。
世の中のお父さんこそスポーツカーに乗るべし!
その背中を子供に見せつけるべきなのです!
ほらー、面白そうだろー?かっこいいだろー?と!
お父さんも面白がらないとだめです!
そんなに面白いなら僕もやってみたい!と思われないと。
これがなくなったから若者の車離れが進んだんじゃないかなーと個人的には思うわけなのです。
まあ、偏見も多分にあるとは思いますが理由の一端ではないかと確信している次第です。
という、偏見を持つ筆者が書くハチロクと少女のストーリーをぜひ次回もご覧ください。
といいつつ、ちょっとハチロクでてこない回がつづくのですがご容赦いただけたらと。




