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ハチロクと少女  作者: 咲舞佳
2/20

2話 決意

誤字修正しました。

街中の大通りの歩道をスーツを着た二人の男性が歩いていた。

一人は40代、もう一人は20代で上司と部下だろうか。


後ろからフォーン、フォーンと車のエンジン音がしたので振り返った。


「お、ハチロクだ。昔はよく見たけど最近はさすがにあんまり見ないな」


「ハチロクなら俺も知ってますよ。あの漫画のやつでしょう?」


上司らしき男に若いほうの男が答える。

そのハチロクは信号待ちで停車したようだ。


「そうそう。しかも街中なのにしっかりとヒールアンドトゥまでして。今時いないな」


「ヒールアンドトゥってなんですか?」


「片足でブレーキとアクセル両方踏むことだよ」


「へー。課長、車詳しいんですね」


「そりゃ、私も若いころはスポーツカーに乗ってブイブイ言わせてたものだよ」


「ブイブイって、いつの時代の表現ですか・・・。あ!乗ってるの女の子ですよ!?」


「何?そりゃまた珍しい。たまに漫画にあこがれたであろうミーハーな若い男の子が乗ってるのを見ることはあるが、女の子は見たことないな」


「へー、女の子なのにかっこいいですね」


「そうだなー、俺ももっと若ければなー」


「若ければあの女の子ほっとかないんすか?」


「ばか、車のほうだよ、車の」


その上司と部下の男たちは笑いながら話している横を、信号が青になり発進したハチロクが通り過ぎて行った。


「ふー。街乗りならだいぶ慣れてきたかな。回転数もだいぶ合わせられるようになってきたし」


ハチロクに乗っている女の子がつぶやく。

仁美だった。


仁美はキャップを目深くかぶっていた。

そのせいでぱっと見すぐ女の子であることが、先ほどの上司の男性には分からなかったのだろう。


何故車の運転中にキャップをかぶっているかというと、仁美の父和仁が遺したハチロクにはサンバイザーがついていないからだ。

そのため太陽が逆光になるとかなりまぶしい。


そのためにキャップをかぶっているわけだ。

和仁の運転で助手席に乗っていたころからこのスタイルだ。


親子してキャップをかぶってハチロクに乗っていた。

和仁はお揃いであることをとても喜んでいたが。


ちなみに、なぜサンバイザーがついていないかというとサンバイザーの位置にロールバーが通っているためだ。

ロールバーは車体剛性を上げるためにつけるとされているが、ボルト止めしただけでは見た目ほどの効果はない。


レース車両や本気でサーキットを走るような車にはロールバーは溶接で止めてある。

和仁のハチロクはボルト止めだった。


じゃあ、なぜロールバーをつけているかというと、安全のためであった。

サーキットでは車が横転することもある。


ラリーなどの競技では必須といえる部品だ。

そのときに人が乗っているキャビンを守るのがロールバーだ。


天井がつぶれてもロールバーが守ってくれる。

さらに、衝突安全ボディがついていないハチロクには街乗りでの衝突時の安全にも効果が見込める。


そのために和仁はハチロクにロールバーをつけていたのだ。


そして、仁美は一人でにやにやしながらつぶやく。


「回転数うまく合わせて走れると、それだけで楽しくなるよね」


ハチロクの運転が楽しくて仕方ないといった様子だ。


「パパはやろうと思えばクラッチ切らずにシフトチェンジできてたからなー。それくらいできるようになりたいなー」


亡くなった父のことを思い出し少ししんみりする。

父和仁はシフトアップもシフトダウンもクラッチを使わず行うことができたのだ。

これは回転数を完全に合わせ切れていないとできない技だ。


ギヤを変えるということはギヤのサイズ、ギヤの歯の数が変わるということだ。

しかし、タイヤはギヤチェンジする前と後では回転速度は変わらない。


ギヤのサイズが変わるということは1回転する時間がかわるということだ。

このため、シフトチェンジ時にはタイヤにつながったギヤとエンジンの回転数に差が生まれる。


この回転差を吸収するためについているのがMT車ではクラッチというわけだ。

通常は半クラッチでシフトアップとダウンを行うと教習所では習うと思うが、これではギヤをつなぐのに回転数の差分で変速ショックが生まれるし、何よりその分時間がかかる。


サーキットではコンマ1秒を争っているのだから、このロスをなくすためシフトチェンジ時にはエンジンとタイヤにつながるギヤの回転数を合わせてやるのだ。


速く走るための技術ではあるので街中では不要と思うかもしれないが、クラッチの摩耗を軽減することができるので、古い車や強化クラッチをいれてあるような車には必須の技術なのだ。


加速時はギヤをあげるとき回転数が落ちるのを待つ感じだ。

しかし、減速時はブレーキを踏みながらアクセルを踏んで回転数を上げてやってシフトをチェンジする。


もちろんクラッチを踏んでシフトチェンジするわけだが、ペダルは三つあり、足は二本しかない。

そのための技術がヒールアンドトゥと呼ばれる、片足のつま先でブレーキを踏みながらかかとでアクセルを踏む、アクセルを煽る方法だ。


もちろんMT車での技術でAT車では必要はない。

仁美はもちろんAT限定ではなくMTの免許を取っている。


「まー、何事も慣れだよね。練習あるのみ。今日はどこまで流そうかなー」


仁美はウキウキしながら独り言をつぶやくのだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



時は数か月さかのぼる。

仁美がハチロクで泣いた日、ハチロクの暖気が終わり泣き止んだ仁美は家に戻るなり母である佳澄に開口一番宣言した。


「私、免許取ってパパのハチロクに乗る!」


突然の言葉にめんくらう佳澄だったが、目を赤くし何か吹っ切れた様子の娘に真っすぐ向き直りその言葉に返事を返す。


「免許をとるのはもちろんいいけど、車はパパのハチロクじゃなくていいんじゃない?もっと新しくて快適な車にしたら?そのためのお金もパパが用意してくれていたのよ?」


仁美の父和仁は亡くなる前、娘の仁美が免許を取るのを楽しみにしており、娘のための車を買う気まんまんだった。


さらに、持ち家の団体信用保険や生命保険もしっかりかけていたため、今後佳澄や仁美が生活に困ることはない。


「やだ。パパのハチロクがいい!」


「やだって、子供が駄々こねるんじゃないんだから」


娘の仁美が夫の和仁に似て一度言い出したら聞かないことを佳澄はよく知っていた。

それでも佳澄は説得を試みる。


「あんな古くて乗り心地も悪くてエアコンすらついてない車だと、苦労するわよ?もっと新しい快適な車にしなさいな。それにハチロクほど古い車だと安全装置が全くついてないのよ?事故ると危険なの」


「そんなの知ってるよ。パパの隣に何年の乗ってると思ってるの。パパと同じように安全運転するから!」


ハチロクはABSアンチロックブレーキシステムやEBD、VSCといった電子制御ブレーキシステム、横滑り防止機能、そしてトラクションコントロール(空転防止機能)はもちろんのこと、エアバックや衝突安全ボディすらついていない。


衝突安全ボディとは、衝突時にエンジンルームや荷室でその衝突エネルギーを吸収して、人が乗っているキャビンを守る構造をしたボディのことだ。


要は、衝突したときにわざとエンジンルームや荷室がつぶれるように作っている。

もちろん、走行時の強度はきちんと確保したうえでだ。


それらの安全装置がついていないハチロクは、言い方を変えれば事故ればただではすまない車といえた。


これは旧車とよばれるよう車だけでなく、古い車全般に言えることだ。


そんな危ない車に乗ってるのか、と思われるかもしれないが和仁はそれを十分理解したうえでとても安全運転に気を配っていた。


それこそ、無事故無違反、ゴールド免許17年目だった。

それはハチロクに乗ってからずっとということだ。


もちろん仁美もそのことを知っており、安全運転するから大丈夫と言っているのだ。

それに対して佳澄は反論する。


「安全運転するって、そもそもパパのハチロクを運転すること自体難しいのよ?あなたにできるの?」


「できるよ!パパの運転ずっと見てたし。だいたい、私が乗らないとパパのハチロクどうするの!?」


「それは・・・」


佳澄は返答に窮してしまった。

佳澄自身はハチロクを運転することはできない。


MT車の免許は持っているが、ハチロクはいろんなところを改造していて普通の人に乗れる車ではないことを、佳澄は和仁から聞いていてよくわかっていた。


先ほどのハチロクを運転するのが難しいというのはこの話だ。


それでなくても乗り心地が悪く、タイヤやオイルなどいろんな匂いがするハチロクは、車の匂いに過敏な佳澄にとって鬼門といえるほどの車だった。


このままハチロクを置いたままだと確実に不動車になる。

かといって、和仁の遺品であるハチロクを手放すわけにもいかない。


「確かに放っておくわけにもいかないけれど・・・」


佳澄は言葉を濁す。


「そうでしょ!だから私が乗るの!パパもきっとそう願ってるはずだよ!」


ここぞとばかりに仁美がプッシュしてきた。

確かに夫の和仁ならそう願うだろう。

それは間違いないと思う佳澄だった。


「うーん、じゃあ、こうしましょう。パパのように安全運転ができるっていうのなら、教習所も一発合格できるわよね?そして免許取ってとりあえずハチロクに乗ってみてから、やっぱり難しい、大変ってなったら新しい車にするっていうのはどう?」


佳澄は半ば折れて条件を提示した。


「いいよ!教習所一発合格して見せる!それに私がパパの車以外の車がいいなんて言うわけないし!」


仁美は自信まんまんだ。

両手を握りしめてふんすといわんばかりだ。


言い出したら聞かない自分の娘を、あきれた顔で見ながら心では昨日まで臥せっていた仁美がこれだけ元気がでたなら、それはそれでいいかと考える佳澄だった。

念のため確認する。


「それはそうと、体は大丈夫なの?」


「あれ、そういえば。さっきからあんまり調子悪くないかも」


「まあ、あれだけ興奮してればね。反動が来るかもしれないからあとはゆっくり部屋で休みなさい。あと、教習所に行くならしっかり体調を整えなさい。そのために、早寝早起き、朝の太陽をしっかり浴びて、三食しっかり食べなさい。そして軽い運動もよ。規則正しい生活をして、体を動かして、しっかり休めば体調は良くなるはずだから」


興奮すればアドレナリンがでる。

アドレナリンは一種の脳内麻薬だ。

一時的に痛みや苦しみを忘れさせることができたりする。


佳澄は鬱の対処方法を正確に理解していた。

医者にもしっかり話を聞いているし、自分なりに勉強もしていた。


そして何より仁美が生まれる前、夫の和仁がまさに結婚した当時に鬱にかかっていたからだ。

仕事の忙しさと結婚という人生の一大イベントが重なってしまったためだった。


結婚というと喜びこそすれストレスになるのかという疑問もあると思うが、結婚というのはその準備がとても大変であるし、どんなものであれ環境の変化は人にストレスを与えるのだ。


そんな和仁をそばで支えた佳澄だからこその言葉だった。


「はーい。じゃあ、自分の部屋で休んでるね」


そう言って階段を上る自分の愛娘の背中を見守る佳澄であった。



Appendix



二十年前はサーキットに行けば必ずと言っていいほどハチロクを見たものです。

街を走っていてもあちらこちらに見かけたものでした。


当時は漫画も大いに盛り上がっていましたし。

当時の先輩たちは漫画のせいでハチロクの値段が何倍にも跳ね上がったと嘆いていました。


それが今では10倍以上跳ね上がってますよね。

それだけ車の数が減ったということなんでしょう。


しかし、ハチロクだけでなくスカイラインやシルビアなど当時のスポーツカーはいずれも値段が跳ね上がっているんですね。


なぜかというと、輸出されているそうなんです。

初期登録から25年過ぎた車は関税がかからないそうですよ。


輸入車が高いのは税金が高いからなんです。

輸出される日本車も、海外の人にとっては値段が高いわけです。

なので関税がかからなければそれだけ安く買えるというわけで。


しかも、発展途上国では空前のスポーツカーブームらしくて。

それこそ日本のスポーツカーが飛ぶように売れるそうです。


私も本当はターボ車が好きで、ハチロクの次はターボ車を!と思っていたのですが、どの車も値段が上がりすぎてこのまま一生ハチロクに乗っていそうな勢いです。


それこそ手放したら二度と乗れないでしょうからね。

そんなハチロク乗りが書く次の話も興味があればぜひご覧ください。


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