1話 父との別れ
日にちに関する記述を修正しました。
誤記修正しました。
水島和仁 享年44歳。
妻と一人娘を残した早すぎる死だった。
父親の死を受け止めきれず、悲しみに暮れる一人娘の仁美。
何もする気になれず、頭痛や吐き気など体調もすぐれない日々が続いていた。
医者には鬱と診断されていた。
高校3年生で厳しい受験勉強をなんとか乗り越えた矢先の父親の死だった。
医者曰く、親しい人の死や人生での大きなイベントはとても大きなストレスで、それが重なってしまったため心身に異常を起こしてしまったとのこと。
学校も授業が終わり、行く必要もなかったので自宅療養していた。
10日ほど過ぎたある日、窓から見えるハチロクに目が留まった。
正式名称スプリンタートレノ、型式はAE86で通称ハチロク。
父親である和仁の愛車だ。
某漫画で有名となり、今や旧車のカテゴリー入りとなっている車だ。
今となっては和仁の遺品となっている。
考えることもおっくうで、食べて薬を飲んで寝るだけの生活を送っていた仁美の、何も映っていなかった瞳にかすかに意識の火が戻る。
「そうだ、エンジンかけてやらないとパパのハチロク動かなくなっちゃう」
車は長い間エンジンをかけていないと、エンジンオイルがシリンダーブロック内から流れてしまいエンジンが始動しにくくなる。
古い車はエンジンが始動しなくなることも多々あるのだ。
自分の二階の部屋から一階に降りて母の佳澄に声をかける
「ママ、パパのハチロクのカギ借りるね」
ご飯の時間以外で仁美が降りてきたことに少し驚きつつも声をかける。
「カギはいいけど、仁美、大丈夫なの?」
仁美は答える。
「大丈夫かどうかわかんないけど、エンジンかけてないとパパのハチロク動かなくなっちゃう」
「そう。じゃあお願いね」
佳澄は他にもいいたげではあったが、しばらく部屋で臥せっていた愛娘の活発さが少し戻った様子を見て、ハチロクのカギをもって玄関を出ていく後姿を見送るのであった。
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和仁と佳澄の一人娘である仁美は愛情たっぷりに育てられた。
小さなころから父親にべったりだった仁美。
定番である「大人になったらパパのお嫁さんになる」との通過儀礼を過ぎた後も思春期を迎えてある程度の慎みを備えはしたものの、世にいう「お父さんの洗濯物とは一緒に洗わないで!」といった父親が娘に言われてショックだったランキング4位の言葉のようなこともなく、父親と壁を作らず困ったことがあればなんでも相談しにきてくれる世の父親の理想の娘だった。
さらに、和仁の趣味である車に妻である佳澄よりも深い理解を示し、高校2年生までは父親と一緒にドライブから果てはサーキットまでついて行くほどだった。
父親の和仁も、
「もう少しで仁美も免許がとれるな。仁美の運転する車に乗るのが楽しみだ」
と、とても楽しみにしてた。
高校3年生になり、受験勉強で忙しくなってからは和仁のそういった趣味につきあう時間はなくなっていたが、受験も終わりあとは結果を待つだけとなり「ではいざ免許を取りに行こう!」と家族で盛り上がっていた矢先のことだった。
休みの日に和仁がサーキットに出かけた日のことだ。
和仁は40歳を超えてからも年に数度はサーキットに通っていた。
「車はライフワークだよ。一生現役だから」
そう公言してやまなかった。
仕事もメーカーで車の開発に携わっており、文字通り趣味も仕事も車だった。
そんな和仁がサーキットから帰ってくるなり、胸が苦しいとうずくまり血を吐いて倒れた。
娘の仁美と妻である佳澄は悲鳴を上げパニックになった。
それでもなんとか救急車を呼び病院に搬送されるも翌日には帰らぬ人になってしまった。
長年のサーキット通いにより知らぬ間に肺が出血していたそうだ。
夫の死に妻の佳澄はずっと泣いていた。
しかし、仁美は泣いていなかった。
それどころか意味が分からなかった。
昨日まで笑っていたパパがもう動かない、自分に対して笑いかけてくれない、そんな事実を受け止めきれなかった。
頭がぐわんぐわんし、他に何も考えられず、食事をしても味はせず、今何をしてるのかもわかっていない状況だった。
それでも時は無情にも過ぎてゆき、葬式が始まった。
故人である和仁の親戚や友人、知人など大勢が参列し、仁美も親戚や友人に声をかけられ何かを話したが、何を話しているのかよくわからないまま生返事をするだけだった。
父である和仁との最後の別れがきた。
棺桶に眠る真っ白な顔をした和仁の顔の横に、子供のころ褒めてくれた折り紙を置いた。
ドラゴンの折り紙だ。
和仁がネットで折り方を調べ、いつも間にか和仁より仁美のほうが上手に折ることがでこきるようになった。
ママは「もっと可愛いもの折ればいいのに」と言っていたが、小学校では大好評だった。
特に男の子たちが揃って「すげー!」って騒いでた。
仁美にとってはそんなことはどうでもよかったが、和仁がほめてくれることが何よりうれしかった。
しかし、真っ白な和仁の顔を見て仁美はこう思っていた。
これはパパではないのではないか?
もう動かない、笑いかけもしてくれない、これはパパの顔をまねただけのものではないのか?
そんなありもしないことを考えているうちに棺桶は閉じられ、火葬場へと運ばれて行ってしまった。
火葬場の炉に入れられる棺桶を見ても心は何も動かなった。
むしろ凍てついて固まってしまい、感情が何もわいてこなかった。
遺体が焼かれて骨だけになり、遺骨を骨壺に入れはしたものの、全く現実味がなく夢の中での出来事に思えていた。
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仁美が玄関を出てガレージに駐めてあるハチロクを前にするとふと昔のことを思い出した。
「パパ、なんでこんな古い車乗ってるの?」
幼き日の仁美が和仁に疑問を投げかける。
「うーん、成り行きではあるけど、今では他の車に乗り換える気もないからなー。まあ、やっぱ好きだからかな」
「ふーん」
そのときの仁美は聞いておきながら興味なさげに答えた。
後に分別がつく年頃になったころに和仁から聞いた話では、結婚を機にガソリン代とタイヤ代を考えて経済的にハチロクに乗り換えたのだとか。
その前に乗っていた車はタイヤも大きく、ターボ車で燃費が悪かったという。
ハチロクはターボがついていないNA(Natural Aspiration:無過給、対してターボ
は過給機という)車だからターボ車よりも燃費が良い。
そのときにハチロクとカプチーノでどちらにするか迷ったとのこと。
カプチーノはスズキの軽自動車のFRターボ車だ。
カプチーノは2シーターだからタイヤが乗らないというのが、カプチーノではなくハチロクを選んだ理由だそうだ。
和仁はサーキットにタイヤをたくさん積んで行くからだ。
よく和仁が仁美に対して言っていた。
「パパは漫画の影響を受けたミーハーじゃない。実際にこのハチロクは前期型で2ドアノッチバックだ。漫画のとは違う」
ノッチバックとはトランクのことだ。
漫画のハチロクは後期型の3ドアハッチバックだからその違いを言っていたのだが、色は漫画と同じの白黒ツートンカラーで、街中を走れば振り向かれたり指をさされたりした。
一般の人にはそんな細かいことわかるわけがない。
それでも仁美は助手席に乗っていてとても誇らしく思ったものだ。
パパの車はすごいでしょ!って。
「ふふっ」
思い出したら少し笑ってしまった。
よくよく考えると笑ったのは数週間ぶりだろうか。
そんなことを考えながら仁美はボンネットを開けてキルスイッチをONにする。
キルスイッチとは車の電気の大本であるバッテリーのマイナスターミナルに直接接続される機械接点スイッチのことだ。
レース車両でも使われていて、その目的は車両火災の防止などである。
レース車両はダッシュボードにスイッチがついているが、和仁のハチロクはエンジンルームについている。
和仁がキルスイッチをつけていた理由は車両火災の防止ではなく、ハチロクの暗電流が大きいためバッテリー上がりを防ぐためだ。
暗電流とはエンジンを止めてキーを抜いていても、ECUや電装部品に流れている電流のことで、待機電力などがそれにあたる。
ハチロクは初年度登録から37年を迎える古い車だ。
そのため電気が通るハーネスも劣化していて抵抗値が上がってしまっているのだ。
ハーネスだけでなく金属は劣化すると電気抵抗値が上がるので、コネクタ端子同士の劣化、汚れなどによる接触抵抗も増加しているし、バッテリーからハーネス、コネクタ、各種電装品、アース端子からボディーをかいしてまたバッテリーまで戻ってくる総抵抗値が新車時よりも上がり、電力を消費してしまってバッテリーが上がりやすくなっているというわけだ。
それ以外にも社外品の電装部品をつけていると、単純に新車時に想定していた暗電流よりも大きくなるのでバッテリー上りが早まる。
和仁のハチロクにも社外メーターなどがついている。
また、暗電流だけが理由ではなく盗難防止も兼ねている。
和仁がハチロクの前に乗っていた車は盗難にあっていたからだ。
さらに大学時代にはバイクを盗まれかけている。
こちらは未遂だったが、それの経験から和仁は盗難に対してとても注意を払っていた。
というか、盗難に対して過敏ともいえるところがあり、それが原因で大きな失敗もしているのだが、それはまた別の話だ。
仁美は運転席のドアをキーを差し込んで開ける。
古い車なのでキーレスなんてものはない。
それどころか集中ロックすらない。(助手席と運転席のカギは連動していない)
仁美は思い出す。
いつもパパがドアを開けてくれたっけ。
「どうぞ、お姫さま」って。
「ふふっ」
また仁美は小さく笑った。
少しずつ感情が動き出したかのようだった。
このハチロク、さらには窓も手動ハンドルでエアコンもパワステもない。
今時、軽トラックでも全部ついているというのに。
だが、これは和仁の趣味で外したり交換したりしてるだけだが。
昔はPS、PW、ACが車の三種の神器なんて言われ方をしたこともあったが、和仁のハチロクはまさに時代を逆行しているものだった。
走るのになるべく不要なものはつけない、軽さは正義、それが和仁の信念だった。
ちなみに、和仁はハチロクを降りるときいつもエンジンを切ってキーを抜いてからボンネットをあけ、エンジンルーム内のキルスイッチを切ってから、ボンネットをロックさせずに降ろすだけなので、車の中のボンネットスイッチを使わずとも先にボンネットを開けてキルスイッチをONできるようにしている。
仁美が運転席に座りキーシリンダーにカギを差し込む。
まだ免許は持っていなかったが、エンジンのかけ方くらい知っている。
このハチロクは仁美が物心つく前から家にあり、エンジンをかけるとこなんて何百回とみてきた。
キーシリンダーを回してスターターを回しクランキングさせる。
そのときにアクセルを少しだけ開けてやる。
エンジンに空気を入れてやりガソリンの燃焼を助け始動しやすくするためだ。
エンジンがドルゥーン!と音を立てて始動する。
無意識にハンドルを握ってエンジンをかけたため、手から、腰から、足からエンジンの振動が感じられ、さらには突然にオイルとタイヤの匂いが仁美の鼻を刺激した。
「あ、あああ・・・!」
仁美の目から涙があふれだした。
「パパの匂いだ」
和仁のハチロクには常にタイヤや工具が乗っており、車内はタイヤや工具などに付着したオイルや潤滑油の匂いが染みついていた。
いつもハチロクの助手席に乗っているうちに、仁美にとってはそれらの匂いが和仁の匂いだという認識になっていた。
ハチロクの音、振動、匂いが一気に仁美の五感を刺激し、それまで機能を停止していた五感が働きだしたかのようだった。
それとともに和仁との思い出もあふれ出す。
「仁美はこの車に乗るのは嫌じゃないのかい?」
あるとき和仁は仁美に言った。
「え?全然嫌じゃないよ?何で?」
「だって、乗り心地悪いし、匂いも臭いし。ママなんてそれが嫌で乗ってくれないよ?」
和仁が悲しそうに言った。
和仁の佳澄へのプロポーズは「俺のナビシートに一生乗ってくれ!」だったそうだ。
なのに乗ってくれないと和仁は嘆く。
「乗り心地は気にならないし、匂いも全然気にしないよ?むしろジェットコースターみたいで楽しい」
「そうか・・・、そうか!」
娘の満面の笑顔の答えにとてもうれしそうな和仁であった。
さらに仁美は続ける。
「それに、ママはおうちの車でパパの隣に座ってるときはとっても幸せそうだよ?」
水島家ではハチロクのほかにファミリーカーであるコンパクトカーを所有している。
仁美が小さいときはベビーカーを乗せるために5ナンバーサイズのミニバンだったが、仁美が大きくなるにつれより経済的なコンパクトカーになった。
「そうかい?それならいっか」
和仁はピンと来ていないようだったが、仁美から見れば和仁と佳澄はそれはもう仲睦まじい夫婦だった。
そもそも車という趣味はお金がかかり、家族の理解がなければ続けられるものでもない。
佳澄はそんな和仁の趣味を理解し、家計の許す範囲でずっと続けさせてくれていたのだ。
それこそ愛情があるからこそである。
さらに、本人たちは全く気にしてないがいまだに行ってきますのキスや、外食時に他人が周りにいるのにあーんしてたりする。
あーんしてるのを見てさすがにそれはどうかと二人に言ったことがあるが、
「これはそういうのじゃなじゃなくて、お互いの料理の味が気になるだけだよ」
「そうそう。それに仁美にも小さいころよくしてあげてたわよ?今もしてあげよっか?」
などと二人してのたまい辟易としたものだ。
しかし、そんな仲睦まじい両親が仁美は大好きで、小さいころは「パパのお嫁さんになる!」と言っていた仁美だったが、今の将来の小さな夢は「パパとママみたいな夫婦になる!」だった。
思い出はもちろんこれだけではない。
雨の日、車内が曇ってて大変だったとか、クーラーがないから夏は暑くて大変だったとか、ハチロクが途中で止まってレッカーにお世話になっただとか、大変な思いばかりしているように見えるがパパと一緒ならどれもこれも楽しいイベントだった。
そんなパパはもういない、このハチロクをもう運転する人はもういないんだ!
唐突にそれが理解できた。
一度流れ出した涙は止まらなかった。
和仁が死んでから今まで溜まりに溜まっていた涙が全部あふれ出てきたように。
ついには声も我慢できなくなり、ハチロクの中で一人泣き続けた。
泣き声はハチロクのエンジン音にかき消され、誰に聞かれることもなかった。
Appendix
過去にABC御三家と呼ばれる軽自動車がありました。
MAZDAのAZ-1
HONDAのビート
SUZUKIのカプチーノ
の3台のことです。
この3台のすごいところが、軽自動車でありながら2シーターのスポーツカーでさらには後輪駆動ということころでした。
さらにはAZ-1とカプチーノはターボ車であり、ビートとAZ-1はMR(ミッドシップエンジンリヤ駆動)、カプチーノはFR(フロントエンジンリヤ駆動)であり、カプチーノはタルガトップ(天井が外せるやつ)、AZ-1はガルウィングドア(ドアが上に空くやつ)といった軽自動車とは思えない、今の時代では考えられない各メーカーのレイアウト、ラインナップでした。
それでも今でもダイハツのコペン、HONDAのS660といった車がありますが、両者ターボではあるもののコペンに至ってはFF(フロントエンジンフロント駆動)です。
S660はビートの後継機ということもあり、ミッドシップエンジンでさらにはターボなのがさすがはHONDAといったところでしょうか。
しかし、ABC御三家の当時の車には安全衝突ボディというものがなく、今の車より200Kg以上軽かったため速さと動きが違いました。
私の走り仲間の先輩たちがたまたま当時3台それぞれ乗っていました。
コペンやS660は試乗しただけではありましたが、やはり御三家と比べると重かったですね。
このような車の話をいろいろしていくつもりですので、ご興味のある方は次回もせひご覧いただければ幸いです。
ちなみに不定期掲載の予定で、書けるときに書いて即投稿していきたいと思います。
よろしくお願い致します。