6-39 エルフと傭兵
首相官邸の周辺に展開された自衛隊の防衛ライン。
そこから少し離れた場所に、19階建ての大きなビルディングがある。
虎の門病院――――。
臨床研修指定も受けている大病院であり、最新の医療設備が整った、真新しい外観の施設だ。ビル上階は患者たちの宿泊施設が完備されており、下階には、大型のCTスキャン装置やX線装置が設置されている。大まかに言えば、外来や診療設備があるのはビル下層。上層は入院患者向けのエリアになっていた。
リーゼとレイヴンは、正面入り口からエントランスに歩み入る。
建物の周辺道路は、国会議事堂の方面へ向かって殺到するゾンビたちの大軍団に囲まれているものの、獲物がいない無人の病院は、興味を持たれていないのだろう。屋内に、死者たちや人間の気配は皆無だった。
ユエが逃げ込んだビルの内部は、不気味なまでに静まり返っている。
吹き抜けの広間を見渡し、レイヴンは嫌そうな口調で呟いた。
「中に逃げ込んだまま出てこないか……。ユエのヤツ、誘ってやがるな」
「でしょうね」
リーゼは油断なく大弓を構えたまま、エントランスの様子を見渡して応えた。そんなリーゼへ、嘆息を交えてレイヴンはぼやいてしまう。
「……帝国騎士団の中でも、魔術が使えるヤツを魔導兵と呼んでる」
「そんな今さらな話しを、急にどうしたのよ」
「まあ聞けって。特に魔術の扱いに長けていて、1人で中隊以上の戦力があると判断されたヤツらはエリート騎士の扱いを受ける。晴れて、上級魔導兵の権威を与えられるわけだ。んで、権威と共に、2つ名の称号も贈られる」
レイヴンは要点を告げた。
「アイツの称号は“宵闇のユエ”。聞いたことあるんじゃないか?」
言われてリーゼは、思い出す。
「たしか……宵闇から現れる黒鬼を引き連れ、戦列ごと、敵陣を一刀で斬り払う。さっき見た真空刃が、その噂のネタバレかな。四条院企業国と獣人たちとの戦いで、ずいぶん活躍している帝国騎士がいるって、聞いたことがあるわ。もしかして、それなりに有名人?」
「それなりに、な。上級魔導兵と一概に言っても、その実力はピンキリだ。雨宮少年が倒したゲイルよりも、ユエの方が格上。昨日と今日に続いて、すでに俺も何度か殺されかけてるしねえ。まともに正面から立ち向かっても、勝てる相手だとは思えないなあ」
リーゼは呆れた半眼の顔で、レイヴンに言った。
「怖じ気づいてるなら、ここで待っていれば? ユエとは、私が戦うわ」
「誤解すんなって。協力しようって言ってんの。君1人でもキツい相手だよ。ヤツが待ち構えてるってことは、俺たち2人に組まれたら、厄介だと思ってる証拠。俺たちのどっちか1人が相手なら、こんな、まどろっこしいことはしないだろう」
「協力ね……。仲間を殺した、あなたみたいなヒトと組むのは、機人族として不本意だわ」
「別に、俺が過去に殺した機人が、君の親だったってわけでもないんだろ? 会ったこともない同族のことを、ずいぶんと根に持てるこったな」
「ヒトのあなたには、わからないわ。機人の一族としての結束が、どれだけ固いのか」
「へいへい」
エントランスの中央まで辿り着くと、リーゼは吹き抜けの天井を見上げた。観察できる限り、建物内には部屋も死角も多い。入り組んだ構造である。あまり狭い場所では、黒夜叉の巨体を隠しきれないだろうが、それでも潜伏できそうなところは、いくらでもありそうだった。
どこにユエが潜んでいるか、見た目だけでは検討も付かない。
「どこかに隠れているみたいだね。待ち伏せして、不意打ち狙いなのかしら」
「かもな。どちらにしろ、お互いに姿が見えないんだ。先に見つけた者勝ちの、闇討ち勝負になるだろ。EDEN経由で疎通確認信号でもうってみれば、居所なんてすぐにわかるだろうが。ユエを相手にそんなことすれば、こちらの居場所もバレるしねえ」
「そんなことする必要ないわ」
リーゼは言いながら、自身の機械眼の機能を起動する。透視モードだ。瞳の中に緑色の微かな光が灯り、周囲の壁が、まるでレントゲン映像のように透けてみえるようになる。半径30メートルほどの範囲なら、それで丸見えである。
「――先に見つけた者勝ちなら、私の有利よ。この眼は、決して獲物を逃さないから」
リーゼは「ついてきて」と手招きして、レイヴンに背を向けて駆け出す。
感心しながら、レイヴンは呟いて後を追う。
「機械眼か……。そう言えば機人には、短距離なら透視する機能もあるんだったか? 生身で魔術を使えない種族のくせに、異能装具やら有機機械ボディやら、手先が器用なこったな」
弓を前方に向けながら、リーゼは敵影を探る。
なるべく1度で、建物内の広範囲を見通すため、まずは4階フロアの中央付近を目した。停止しているエスカレータを駆け上り、辿り着いたそこから、周囲を透視した。病院の壁は防磁、防音などの特殊な処理がされている場所もあるため、部分的に、鮮明に見透かせない部屋もある。そんな部屋の1つ。頭上方向。透けた天井の向こうに、ユエらしき反応が確認できた。
透視モードの視界は、モノクロ映像のような単色である。生物と非生物の違いが、わかりづらい。動いている姿が見えれば、すぐにそれが生物だと判断できるが、そうでない場合は、形状や輪郭から判別するしかない。しかも特殊な壁越しの像であるため、ユエらしき人影の輪郭はぼやけ気味である。見たところ、リーゼが見つけた人影の形状は、和服姿のユエの格好に見える。何か大きなものに腰掛けている様子であり、おそらくは黒夜叉の肩に乗っているところなのだろう。
「たぶん見つけた。6階、手術室。でも像が鮮明じゃないから、見間違いの可能性もあるわ」
「どっちの方角だ?」
レイヴンに聞かれたリーゼは、上階の手術室の方角を指さす。
それを見上げて、レイヴンは笑んだ。
「確かめるのは、突撃係の役目だよな?」
魔術で大槍を召喚し、レイヴンはそれに飛び乗る。
そのままリーゼの指さす方角に矛先を向けて、声を上げた。
「相手を先に見つけた、先制攻撃チャンスだろ!」
大槍の加速器から衝撃波が撃ち出されるのと同時。レイヴンは勢いよく飛び出した。重厚な円錐形の矛先は、容易く鉄骨の天井を貫き、2階層分の壁を突破する。6階フロアに出た後に方向を変えて、廊下を直進した先の、手術室の壁にぶち当たる。
手術代に腰掛けている、ユエの姿が目に入った。
「もらったぜえ!」
手術室に槍ごと飛び込んだレイヴンの眼下。
部屋の床を突き破って、黒夜叉の巨体が飛び出てきた。
「なっ!」
飛来してきたレイヴンの大槍に下から体当たりし、黒夜叉は、その軌道をユエから逸らす。進行方向を狂わされ、勢いを失った槍は、スピン回転しながらレイヴンごと部屋の壁へ叩きつけられる。
「ぐはっ!」
床に這いつくばっているレイヴンをめがけ、黒夜叉が大太刀を振り下ろそうと構える。
「自分をオトリに、デカブツの方が潜んで待ち伏せてただと?!」
「機人がいるなら、ご自慢の機械眼で、私を探すと思っていたわ。機動力のある、あなたの方が突撃してくることも想定済み。今度こそ、さようならね」
「――――やらせない!」
遅れて6階フロアに辿り着いたリーゼが、廊下の向こうから、手術室に向けて光の矢を放つ。1本どころではない。1度の番え動作だけで、大弓はマシンガンのように無数の光の矢を吐き出し始める。雨のごとく連射される光線は、リーゼの視線誘導によって、一斉にユエの方へ向かって飛来していった。
「追尾してくる矢か……!」
ユエが忌々しそうに呟く。
迫る矢の雨を避けるべく、黒夜叉は大太刀で天井を切り裂き、ユエを肩に乗せて移動する。だがリーゼに視線誘導された矢は、直角に近い不自然な軌道であっても追従し、執拗にユエの後を追いかけた。その追尾から逃れるべく、黒夜叉は次々と天井の壁を切り抜いて上階へ逃れていく。
「逃げても無駄! こっちから見えている限り、矢は誘導できる!」
透視モード。赤外線モード。高倍率モード。リーゼの機械眼には、様々な機能が備わっている。その眼で補足されている限り、ロックオンされ続けているのと同じである。必殺必中。放たれた矢は必ず当たる。それがリーゼの戦闘スタイルである。
「どうでも良いわ」
ユエは苦笑する。
10階のリハビリフロアまで逃れた後、黒夜叉は逃げる方角を変える。
ガラス壁を突き破って、建物の外へ飛び出した。
「――――そうやって、機人がレイヴンを助けに来るのも想定済みなんだから」
ユエが呟くと、黒夜叉は虚空で静止し、大太刀を腰だめに構え直す。
「虚薙ぎ!」
黒夜叉が横一文字に大太刀を振り切ると、特大の真空刃が生じる。見えない鋭利な刃は、病院を撫で斬りにして、横一文字に両断してしまう。斬り付けられたビルは、切断面より上の階が崩落を始め、瓦解していく。地響きと共に崩れ落ちていく天井を見上げ、レイヴンとリーゼはユエの狙いに気付いた。
「ビルの崩落!?」
「ユエのヤツ、俺たちの生き埋めが狙いだったかよ!」
噴煙を巻き上げて派手に崩壊したビル。
それを眼下に見下ろして、ユエは黒夜叉の肩の上から冷ややかに告げる。
「2人とも飛び道具の使い手。遠距離戦に持ち込まれたら、こちらが不利になる。だから早々に行動範囲を狭めて自由を奪う必要があった。入り組んだ建物へ誘導して足止め。トドメで生き埋め。見事に決まったようね」
生身のレイヴンは即死だろう。金属骨格の機人は、もしかしたらまだ息があるかもしれない。だが、瓦礫に埋もれていては動けなくなっているだろう。勝負ありだ。
自身の勝利を確信しつつあったユエの眼下で、異変が起きた。
ビルの瓦礫が積み上がり、煙が立ちこめる中から――――勢いよく大槍が飛び出してくる。
「!?」
大槍の推進力に任せて、レイヴンが強引に残骸の山を突破してきたのだ。
だがそれは、最後の力を振り絞った無茶な脱出だったのだろう。擦り傷と裂傷で、全身が血まみれである。そんなレイヴンの槍に、もう1人が乗っている。
ボロボロになったフードマントを羽織ったリーゼだ。レイヴン同様に満身創痍の姿だったが、上空のユエをめがけ、すでに光の矢を番え終わっている。
「……撃て!」
「言われなくても……!」
血の滲む歯を食いしばり、リーゼは矢を放ってきた。
死んだと思わせた途端、唐突に姿を現し、間髪入れずに攻撃。それは奇襲も同然である。自分へ迫り来る矢の雨を見下ろしていたユエは、レイヴンたちの姿が見えた直後に、回避行動を始めていなければならなかった。そうでなければ、避けるのが間に合わないからだ。
だが、ユエの判断は遅れた。