6-28 緊急事態放送
なぜ玄関で靴を脱がなければならないのか、聞いてくるジェシカ。
説得してから、ケイたちは家に上がる。
居間に入ると、久しぶりに嗅ぐ畳のにおいを懐かしく感じた。
「茶を淹れてくる」と言って、祖父は台所へ向かって行った。
祖父が不在の間、居間でクラーク姉妹と待ちながら、ケイはどうしたものかと考え込んでしまう。
これからケイは祖父、雨宮ゲンゾウと話し込む――。
どこまで正直に話すべきかは、悩ましいところだった。
ケイが留守にしていた事情を、事情をなにも知らない祖父へ話すのは、大仕事だろう。それでも今まで、散々に心配させてしまったのだ。話しておかなければ、義理に欠く。祖父だって、ケイにとってはアデル同様に、大切な家族なのだから。いつまでも無視しておけないし、これ以上は隠し通すこともできない。
「ただその間、ジェシカたちをどうしようかな」
畳が物珍しいようで、その上に遠慮なくゴロゴロ転がり、キャッキャッとはしゃいでいるチビっ子2人。それを見下ろし、ケイは頭を抱えてしまう。2人共、白石塔に来るのは初めてらしく、見るもの聞くもの、何もかも新鮮で興味津々らしいのだ。まるで見た目通りの子供である。
とりあえず……子供たちを静かにさせておくなら、子供向けのネット番組を点けておくのが良いと、近所の主婦から聞いたことがある。ケイはおもむろにリモコンを手に取り、テレビの電源を入れてやった。ネット配信されている動画の中から、アニメ番組を選んでやる
早速、興味を示したのはジェシカだった。
「ねえ、ケイ。この変な番組はなに? 絵が動いて喋ってるけど」
「なにって、アニメだろ? アークには、アニメ放送ないのか?」
「アニメ……?」
どうやら、そうしたものは見たことがない様子だ。
帝国の番組放送事情は知らないが、姉妹の興味を惹くことには成功したらしい。
「わぁ!」
「へえ……!」
クラーク姉妹は目をキラキラと輝かせながら、魔女っ子アニメに夢中になっている様子だった。
どう見ても、キッズアニメに喜ぶチビっ子たちにしか見えない。
年下のエマはともかく、本当にジェシカは、ケイよりも年上なのだろうか……。
「おーい。茶が入ったぞ」
盆に湯飲みと急須を載せて、祖父が戻ってきた。
それを受け取り、ケイはジェシカとエマに緑茶を手渡した。
そうしてから、祖父と2人でちゃぶ台を囲んだ。
◇◇◇
「…………たまげたな」
ケイの話しを、黙って聞いていたゲンゾウ。
一通り聞き終えての最初の感想は、その一言だった。
茶を啜りながら、気を落ち着けようとしている。
「お前の携帯電話に付いてた、あの花のアクセサリがアデルの本体だったわけだろ? あの花は人間のように思考できる植物で、今では人間の女の子。お前は、帝国とか言う連中に連れ去られたアデルを追って、東京の外まで行っていたって言うんだろう? 今まで、どこの県に潜伏していたのか知らんが……アデルがまた、東京に戻ってきたと聞いて、お前もこうして戻ってきたわけか」
「すぐには信じられないだろうけど、本当のことだよ」
「2ヵ月以上、行方不明だった孫が帰ってきて、いきなり真顔で喋るような話しだ。疑っていないと言ったらウソになるが……まあ、ケイが真剣に言ってるんだってことは、伝わっておるよ。ただ……ただなあ……」
語調を濁らせるゲンゾウは、困惑を隠せない様子だった。
「お前が連れてきた、そこにいるお嬢さん方は、お前に力を貸してくれてる協力者なんだって? そんなに小さい子たちが、いったいどんな協力をしてくれるって言うんだ?」
「細かいことは言えないけど、彼女たちは、いわゆる“超能力者”みたいなものだよ。不思議な力を持っていて、アデルを探すのを手伝ってくれてるんだ」
「超能力者……ね。テレビでたまに見るような、透視能力者とかか?」
「まあ、そんなところかな」
「……」
ゲンゾウは怪訝な顔で、アニメ番組に夢中なクラーク姉妹を見やっていた。
ケイは……我ながら、苦しい説明だとは思っていた。
だが祖父には、他の人々と同じように、知覚制限がかかっている。話したところで、どうしても信じてもらえないこともあるだろう。たとえば全人類が見せられている“偽の世界像”の話し。その事実に気付いた人類を暗殺する、異常存在たちの存在だ。こうした超常のものは、実際に目にしない限りは、なかなか信用してもらえないだろう。
結局、ケイは細かい背景事情について、説明できなかった。だから、佐渡や葉山の話しもしていないし、アトラスの話しもできなかった。これまでケイが、人目を忍んで、アデルと一緒に怪物狩りをしていた事実も伏せた。祖父が知らなくても良い話しは、なるべくしないようにした結果だ。真実の全てを話さないことは、異常存在たちの暗殺から、祖父の命を守るためでもある。
ゲンゾウは腕を組み、神妙な顔になって言った。
「……少し前の、池袋の乱射事件と良い。昨日の夜の警視庁テロと良い。東京は今、どこもかしこもおかしなことになっておる。その全てが、もしかしたらケイの言う“帝国”とか言う連中の仕業だとしたら、たしかに合点のいくところもある。しかしそれが、まさかアデルを狙ってやって来た連中の仕業だったとは」
池袋で起きた乱射事件や、警視庁の本庁で起きたテロ事件。その話しはケイも、自宅に戻るまでの道中で、電車内の小型モニタに流れるニュースで知った。その事件が、どれだけ深刻なものなのか、外の住人であるジェシカとエマはわからなかったようだ。だがケイは驚いたものだ。
ケイは、ゲンゾウの意見を肯定した。
「……実際、そうだと思う。四条院家の長兄が、アデルを探して東京へ向かったのが10日前くらい。その日を起点に、東京で凶悪な事件が多発してるってことになる。しかも、警視庁のビルを破壊したテロの容疑者が……峰御先輩なわけだし」
「お前と同じ部活の、上級生だったか? テレビで名前を見た時に、どこかで聞いたことのある名前だとは思ったんじゃが……まさかケイの学校の生徒だったとはな」
「オレは先輩を良く知ってるから断言できるけど、こんなこと、先輩にできるわけがない。おそらく帝国にハメられたんだ。仲間の身に、妙なことが起きてる。ならおそらく、アデルのことと無関係じゃない。きっとイリアたちが、アデルを守るために、帝国と戦って起きた事件だろう」
「お前と同年代の高校生たちが、帝国と争って、あんなとんでもないテロ事件が起きたって言うのか?」
「……ああ」
ゲンゾウは渋い顔をしている。
にわかには信じられないのだろう。無理もない。
ゲンゾウは、肝心なことをケイへ尋ねた。
「なら……どうするつもりだ、ケイ。お前も、その戦いに参じるつもりか?」
「……」
「お前は、ただの高校生だぞ? 帝国なんて言う強大な組織や、テロリストを相手に戦うなんて、そんなことできるわけがない。東京が危険だと言うなら、ワシと一緒に、地方へ疎開でもすれば良い。実際、ご近所さんも、最近の東京の治安悪化を怖がって、実家へしばらく帰るとも言っておる。アデルのことは……自衛隊とか、戦える大人たちに任せておくべきじゃろ」
ケイは拳を固く握り、真剣に訴えた。
「じいちゃん、わかってるだろ? アデルは家族だ。たとえ人間じゃなくてもさ。今までアイツの正体を誤魔化してきたことは悪かったと思ってる。けど、オレもじいちゃんも、もう何年もアデルと一緒に過ごしてきた仲じゃないか。他人任せにして、放っておけるのかよ」
「……そうは言ってもな、ケイ。実際のところ、ワシ等になにができる? ただの一市民が、どうこうできる規模の話しじゃなくなっておる。警視庁だって、派手にやられちまったというのに」
ケイは反論しなかった。黙っている。
だが、だからと言って、ゲンゾウの意見に賛同したわけでもないのだろう。
ケイの目は真っ直ぐで、アデルを助けることを諦めていない顔をしていた。
強い眼差しを向けられ、根負けしたのか。
ゲンゾウは厄介そうな顔で、孫のケイを見て頭を掻く。
そうして愚痴るようにぼやいた。
「まったく……。お前は本当に、父親のセイジにそっくりだ」
言いながら、嘆息を漏らす。
「ワシの言うことを聞きやしない。正しいと思ったことなら、命懸けだろうと、何にでも首を突っ込みたがる。見てるこっちは、心配する心臓がいくつあっても足りんくらいだわい。しかし……お前がこうして、帝国とやらに関わるようになったのは、雨宮家の運命なのかもしれんな」
ゲンゾウの発言に違和感があった。
「……運命って。どういうことだよ、じいちゃん」
「ちょっと待っておれ」
ゲンゾウは立ち上がり、居間の隅にあるタンスに向かう。年金手帳や判子などの貴重品を閉まってある引き出しを開け、中から古びた皮の手帳を取り出してくる。それをケイへ手渡し、再びちゃぶ台の前に腰を下ろす。
「……これは?」
「お前の父親が仕事で使っていた手記。“取材メモ”とか言って、後生大事に抱えておったよ。ワシにはもう不要のものだ。今後は、お前が持っておくべきだろう」
ケイは、手渡された手帳を開き、パラパラとページをめくってみた。
手記の中身に目を落とし始めた孫を見て、ゲンゾウは語った。
「勘当も同然で、家を飛び出した不肖のバカ息子だ。結婚して、子供をもうけたと聞いてはいたが、会うことはせんような、ワシ等はそんな関係じゃった。けれど、アイツが殺されたと聞いた時には、いてもたってもいられなくてな……。互いに憎み合っていても、たった1人の息子だ。理不尽に殺されて良いはずがない。ワシは、アイツの身になにが起きたのか知りたくてな。必死に調べておった時期がある。その手記は、その経緯で手に入れた。アイツの遺品だよ」
「……!」
手帳に書かれたメモの1つに、ケイは目を見張る。
気付いた様子の孫へ、ゲンゾウは告げた。
「お前の父親は“帝国”を探っておった」
祖父の言う通り、ケイの父親の手帳には、帝国に関する取材情報が書き込まれている。その全貌を把握していたわけではないようだが、実在していることと、大まかな組織の全体像や関係者などは掴んでいた様子である。父親が帝国の存在を知っており、しかも探っていたという事実は、初めて知った。
「アイツは、妙ちきりんな雑誌の会社で働いておったじゃろ。この世界は、一握りの大富豪エリートたちによって、影から牛耳られておって、その陰謀を暴くのだとか、バカな取材を続けておったようだ。その過程で、アイツが知り得たのは“貴族”と呼ばれる正体不明の富裕層。そやつらが構築した“帝国”という支配体制が実在するのではないかと、探っていたらしい。いろんな犯罪の証拠も掴んでいたようでの。関係者の1人から教えられて、シケイダ暗号とかいうインターネットの謎かけに行き着いたらしい。その暗号を解いたところ、貴族のリストとやらを偶然に手に入れたらしく、目の色を変えて深追いしてた。それが生前の行動だ」
「……!」
手帳の中に、さらに驚くような単語の書き込みを発見した。
ケイは目を見開き、それを凝視して読み上げてしまう。
「……“王冠の秘密”……?!」
「それが、倅の遺した最期のメモだ」
ゲンゾウは茶を一口啜ってから、話しを続けた。
「アデルを拾った後も、色々と探っていたらしい。メモによれば、王冠とかいうものの秘密を探り当てたようで、そのせいで命を狙われることになるだろうと、書かれている。おそらく息子を狙っていたと言うのは、帝国なんじゃないかと、今は思うよ。アイツは、連中にとって都合の悪いことを知ったのかもしれん……」
「待ってくれ、親父が王冠のことを知っているって……罪人の王冠のことか?!」
「……なんだ、ケイ。王冠とやらに、なにか心当たりがあるのか?」
「だとしたら、親父は帝国に暗殺された……? あの日、家を襲って、姉さんや親父を殺した怪物は……帝国の“誰か”が意図的に送り込んできた刺客だった……!?」
「落ち着け、ケイ。なにを言っておるんだ?」
激しく混乱してしまう。
佐渡やその仲間たちのように、ケイの父親もまた、帝国にとって都合の悪い事実を知りすぎたがために、掃除係の異常存在に狙われ、殺されたのだとばかり考えていた。つまり帝国の“目撃者暗殺システム”による、自動的な殺しだとばかり思っていたのだ。
だが……実は“何者かの思惑”によって異常存在を意図的に送り込まれ、暗殺されていたのだろうか。帝国のことを探り、王冠の秘密というものに辿り着いていたためか。そうなってくると、ケイの家族の死の意味が、変わってきてしまう。ケイにとって“仇”となる何者かが存在することになる。
仮に。
もしもそうだとすると。
わからないことだらけである。
異常存在を所有しているのは帝国だ。つまり帝国の誰かが、王冠のことを調べていたケイの父親を、疎ましく思ったことになる。だが帝国にとって、ただの下民に過ぎないケイの父親に、知られて都合が悪い王冠の秘密などあるだろうか?
帝国が下民に知られて困る、王冠の情報。それはやはり、真王を討ち倒せると言われる伝説の罪人の王冠のことだとしか思えない。だがその所在については、七企業国王である、淫乱卿ですら知らなかったではないか。あの男は、罪人の王冠など、実在しない、お伽噺の代物だと小馬鹿にしていたはずだ。では、七企業国王ですら知らない王冠について、知っている帝国の人間がいることになるのか? 何者なのだろう。
疑問が疑問を呼び。推測が連なっていく……。
謎だらけである。
確かなことは、父親が帝国の誰かによって暗殺された可能性だ。
薄れかけていた強大な憎悪が、ケイの胸にこみ上げてくる。
ただならぬケイの雰囲気を察し、ゲンゾウはもう一度、嘆息を漏らした。
「……手記を見せたのは失敗だったかの。ひとまず、夕飯にしよう。あのお嬢ちゃんたちも、今夜は泊まっていくと良い。これからどうするかは、お前の頭が冷えてから、もう一度、ゆっくり話し合おう」
「…………ああ」
あぐらを掻いていたゲンゾウは腰を上げ、ジェシカたちが飲んだ、空の湯飲みを片付け始めた。そうして台所へ引っ込んでいく。遅れながらケイも、祖父が出してくれた茶に口を付け、気持ちを落ち着けようとした。だが、その眼差しから、険しさが失せることはなかった。
「んああっ?!」
唐突に、ジェシカが奇妙な声を上げる。
「ちょ、ちょっと! 今ちょうど、プリティシュア―が悪者をやっつける良いところだったのに! なんで急に終わっちゃうのよ! 続きが気になるじゃない!」
「映らなくなっちゃいました……」
「?」
テレビに詰め寄って怒り心頭のジェシカと、残念そうな顔をしているエマ。
2人が見ているテレビ画面には、奇妙なものが映し出されている。
試験放送画面のような、カラーバーだけの画面だ。
ピピピと甲高い音を何度か発した後、テレビには、白髪の老夫の顔が映し出された。
「……? 総理大臣?」
ケイは怪訝な顔で呟く。
どうやら、首相官邸からの緊急ライブ中継が始まったようだ。
国民なら誰でも知っている日本の顔。仙崎総理が演台に立っていた。
『――――東京都民の皆さんへ、緊急のお知らせです。これは緊急事態放送です』
「……!?」
いきなり不穏な発言をする総理。
電波ジャックや、冗談の類いではなさそうだが、思わず耳を疑ってしまう。
『現在、東京都は未曾有の危機に直面しています。まだ詳しいことはわかっていないため、お話できることは多くありませんが。日本政府は現時刻を以て、日本国憲法の緊急事態条項に従い、東京都に対して“国家緊急権”の行使を行います』
「国家緊急権……?」
「なによそれ。このオッサン誰よ? なに言ってんの?」
驚いている様子のケイは、唖然とした顔で立ち尽くしている。一方、状況がイマイチよく理解できていない様子のジェシカとエマは、ただただ不思議そうな顔をしていた。
総理の演説は続く。
『国家緊急権とは、国家の平和や公衆衛生を脅かす緊急事態に対して、通常の統治秩序では対応できない場合に限って行使されるものです。憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与える非常措置をとることができます。これにより、司令部となる内閣と、自衛隊の権限を一時的に強化いたします。これは国民の生命、財産を遵守するため、やむなしと決断した結果です。緊急事態の収束宣言を政府が行うまでの間、都民の皆様においては、決して自宅から外出せず。戸締まりをして、ご自身の身を守る行動を行ってください。外出中の皆様は、最寄りの自衛隊の指示に従い、避難シェルターへの緊急避難をお願いします。1分1秒でも早い、命を守る行動を行ってください。東京都は今、敵からの“攻撃”に曝されているのです――――』
「これは……ただ事じゃないぞ!」
総理の演説は続いていたが、ケイは皆まで聞かずに居間を飛び出した。
台所へ向かった祖父にも、今の話しを警告しなければならないと思ったからだ。
「じいちゃん! 大変だ!」
「……」
台所の流しに湯飲みを置いたまま、ゲンゾウは呆然と窓の外を見ていた。
ケイが声をかけても、呆けてしまっている様子で、返事をしない。
祖父の異変に気が付いたケイは、何事かと思い、祖父の視線の先に目をやる。
「……こりゃあ、何なんじゃ、ケイ。まだ昼間だって言うのに、空が……“真っ暗”だ」
「!!」
ゲンゾウが見つめる先には、黒い暗雲のように空を覆っているマナの霧がある。
だが、知覚制限をかけられているゲンゾウに、それは見えるはずがない風景なのだ。
普通なら。
「どういうことだよ、じいちゃん! 黒い空が見えてるのか?!」
「ケイ、お前にも見えておるのか……?」
窓の向こうには、犬の散歩中だった主婦や、通行人たちの姿が見受けられた。
いずれもゲンゾウと同じように、唖然とした顔で空を見上げている。
黒い空を初めて見て驚愕した時の、かつてのケイのように。
「まさか……」
恐ろしい推測が脳裏をよぎり、ケイは青ざめてしまう。
「東京都民の知覚制限が、一斉に解かれたのか……?!」