6-27 剣士の帰還
草原をどこまでも続く道路。
地平線しか見えない広大な景色の中に、柵に囲まれた牧場が見えてきた。
放牧された牛たちが、のどかに声を上げている。
そこが目的地だ。少年と少女たちは、黙って母屋を目指した。
……エリーから事前に聞かされていたことだ。
アークの世界において、お金は最重要である。
ケイたちの社会では、人間は、生まれながらに基本的人権を有している。生存権。居住権。移動の自由。そうした数多くの権利を、誕生しただけで享受できる、恵まれた環境にケイたちは生まれた。だが対してアークの人々は、自分たちの人権すら、企業国から金で買わなければならないのだ。市民でなければ、人間扱いすらされない。普通に生きていくことができないのだ。それが帝国の支配体制である。
だからこそ。
時には“ルール違反”を犯すことで、不正に大金を稼ぐ輩が後を絶たない。
かつてケイたちは、東京白石塔から外へ出るために、裏口を貸し出してくれる男を頼ったことがある。ここの農夫も、帝国の目から隠れて、同じ商売をしていると聞いていた。どうやら白石塔の外と中を行き来する「密輸業」が、帝国社会の暗部には存在するようだ。思えば、リーゼが外の世界から白石塔の内部へやって来たのも、こうした業者を使ったのではないかと思われる。
エリーから聞いていた手筈通り、ケイは「シュバルツ家」の名を出した。すると、すぐに農夫はケイたちの事情を察し、信じてくれた様子だった。利用料金も、すでにエリーが支払ってくれているらしく、ケイたちは奥の部屋へ案内された。
その後は、以前と同様だ。
扉をくぐった先は、草原の中の、のどかな牧場の風景ではなくなる。
東京都。新宿駅――――。
最寄りのエスカレーターの立て看板に、その名称が読み取れる。
牧場の裏口は、どうやら新宿駅の駅ナカ、非常扉に続いていたようだ。扉をくぐった先の風景は、アパレルブランドのテナントが犇めく通路だ。様々なデザインの衣装が並ぶ、衣類販売エリアである。
ケイの背に続いて、扉をくぐってきたのは、赤髪の2人の少女だ。魔人族の姉妹は、そこかしこに煌びやかな衣装が並び飾られているのを発見し、キラキラと目を輝かせ始めていた。
「なによここ……天国?!」
「可愛いお洋服がいっぱいあります……!」
周囲の通行人たちが、ジロジロとこちらに視線を向けてきているのに、ケイは気が付いた。そこでようやく、自分たちの格好が、東京を出歩くのに適さないことに気が付く。ケイは腰に帯剣しているし、クラーク姉妹は、修道女のような、妙ちきりんな格好である。大きなキャリーバッグを手押ししており、それに括り付けた杖まで目につく。
「長い間、アークで過ごしてたからウッカリしてたな……。おーい、ちょっと君たち。その服装はまずいから、とりあえず目立たない服を調達しよう」
不用意なケイの発言に、ジェシカとエマが心外だとばかりに憤る。
「なに、アンタ……まさかアタシたちの着てる服がおかしいって言ってんの?!」
「これ、聖団の制服ですけど……変ですか?」
「いや、君たちのファッションセンスが、どうのこうのって話しじゃなくてね……」
白石塔の中で目立つ格好をしているから、周囲に紛れられる服装に替えようという趣旨を、ケイは説明する。いちいち噛みついてくるジェシカをいなすのは、野犬を相手にしているようで、いつもなかなかの労力である。懸命に姉妹をなだめながら、ケイたちはその辺の店で、適当に服を見繕い始めた。
東京はもう冬だろう――。
白石塔を出る前は、秋口くらいだった。
あれから2ヵ月くらいが経っているのだから、駅の外は寒くなってるはずだ。ケイは剣を隠せる適当な布袋と、ジャケットを購入する。支払いは全て、エリーがくれたクレジットカードである。
「何もかも、エリーには、世話になりっぱなしだな……」
シュバルツ家の未来のため。エリーは当人なりの打算があって、ケイに力を貸してくれている様子だった。利用されているのだと、わかってはいても、それでも恩義を感じずにはいられなかった。間違いなく、借りを作っている。いつか、返せる日が来ると良いのだが。
「ちょっと、ケイ……!」
ジェシカが泣きそうな顔で、肩を震わせて怒っている。ケイ同様に、購入した服に着替え、着ていた服はキャリーバッグの中へしまったようだ。キッズ用の、パーカーとスカート姿になっていた。
「なんでアタシたちの服が、お子様用コーナーに展示されてたヤツなのよ!」
「なんでって……君たちの体格に合うサイズって、キッズコーナーにあるヤツしかなかったろ? 大人用のSサイズでも大きいくらいだったし」
「はあ?! じゃあ何!? アタシがお子様だって言いたいわけ!?」
「ええ。そんな無茶苦茶な因縁の付け方ある?」
ジェシカは駄々をこねる子供のように、ブティックの正面に飾られたマネキンを指さす。赤いハイヒールを履いた、スタイリッシュなコートを羽織っていた。
「アタシはあっちの、なんかカッコいい大人な感じのヤツが欲しかったのよ!」
「でもあれ、着れないだろ。大人用の服だし」
「アタシは大人! この中で最年長者よ!? なら、着てみないとわからないでしょ?! もしかしたらワンチャン、着れるかもしれないじゃないのよ魔術とか使えば!」
「もうヤケクソで、悔しまぎれに言ってるだろ……」
「ムキ―!!」
「でもお姉ちゃん、その服も似合ってるよ……?」
「え……」
似合っていると言われて、まんざらでもなかったのか。
ジェシカは「そ、そう?」とエマに尋ね、機嫌を取り戻した様子である。
前々から、ケイは薄々気付いていたが、おそらくジェシカは“チョロい”性格だ。それに気付いているのであろうエマに、いつも巧みに操られているように見える。さすがに考えすぎかもしれないが……もしかしたらエマは、結構な策士であるのかもしれない。一見すると、ただのお姉ちゃん大好きっ子ではあるが、裏を考え出すと、何となくエマの笑顔が怖い。
東京の風景に馴染む服装。
それに着替え、ケイたちは移動を開始する。
途中、「おなかが空いた」と駄々をこねるジェシカに、テイクアウトのハンバーガーを買ってやる。それを行儀悪く、ジェシカは歩き食いして頬張り始めた。満面の笑顔である。嬉しそうにハンバーガーを食べ歩いているジェシカを、通行人の大人たちは、微笑ましそうに見ている。
「これ……周りから、完全に子供だと思われてるよな。本当にオレの年上なのか?」
「なに? 今なんか悪口でも言った? 聞こえなかったんだけど」
「いや、別になにも言ってないよ」
「あ。お姉ちゃん、口にソースがついてるよ」
エマはハンカチを取り出し、ジェシカの口元を拭ってやっている。
どちらが姉なのか、もはやよくわからない。
3人で並んで歩いていると、通路脇の窓からふと、新宿の街の風景が見えた。
大小様々なビルが建ち並び、数え切れない人々が道を歩いている。
それを見やり、ジェシカは感想を口にした。
「フン。白石塔の中って、帝国の技術水準から1世紀以上は遅れてるって聞いてたから、どんな田舎なのかと思ってたけど、思ったよりも建物がゴチャゴチャしてて、近代っぽい場所だったのね。この、はんばーがーとか言う食べ物も、学院前の喫茶店で出してるホットサンドみたいで美味しいし。ケイの故郷も、まあまあじゃない」
「お気に召してくれたなら、良かったよ」
「まあただ、空が真っ暗なのは、辛気臭いけど」
「……」
ジェシカとエマは、人間ではない。生まれながらの知覚制限など関係ないため、白石塔内の、真の姿が見えているのだ。マナの霧で淀んだ暗黒の空。周囲を照らす、謎の発光植物。ケイたちのように偽の世界を見ることができない分、最初から“こちら側”の風景を見ているのだ。辛気くさいという感想は正直だろう。
ジェシカはケイへ尋ねてきた。
「そんで? 探してるって言う、ケイの仲間たちの居場所。心当たりはあるの?」
「今のところないな。そもそも、帝国の追跡の目から逃れるために、白石塔へ逃げ込んだのなら、今頃はどこかに隠れてるはずだろう。必死で隠れているなら、それをノーヒントで見つけるなんて無理だろうね」
「じゃあ……どこへ向かってんのよ、アタシたち?」
「とりあえず今は、オレの家かな」
「は? なんで?」
ケイは苦々しく答えた。
「オレ、じいちゃんがいるんだ。少しの間だけ留守にするって、手紙を残してから白石塔を出た。でも少しどころか、2ヵ月近くも留守にした。……きっと心配かけてる」
「そ、そう……。それは、悪いことしたわね」
「ああ。だから安心させてやるためにも、まずは顔出ししておこうと思ってさ」
ケイは苦笑を浮かべ、ジェシカへ言った。
「オレも帝国に追われてる身だ。適当に動き回っていれば、きっと発見される。敵か味方か、どちらが先にオレを見つけるかわからないけど……今はどっちでも良い。向こうから会いに来るように仕掛けるまでさ」
「雨宮さん……結構、危ない作戦ですね……」
「ああ。でも君たちが力を貸してくれるだろ?」
言われたジェシカとエマは、任せろとばかりに薄い胸を張り出して笑んだ。
そこまで言って、ケイは真面目な顔で尋ねる。
「でも……本当に良かったのか? オレと一緒に来て」
確認しておかなければならないと思っていた。
ジェシカやエマたちの、人生がかかっているかもしれないのだから。
「オレを取り巻く事情は、ここへ来るまでに話した通りだ。仲間を助けるために、淫乱卿の晩餐会へ忍び込んで、ケンカを売った。そのせいで、帝国騎士団から色々と付け狙われることになってる。オレの仲間だと思われたら、君たちだって騎士団に狙われる立場になるかもしれないんだよ? 君たちの学院での立場とかも、まずくならない?」
クラーク姉妹には、道中でケイの身の上を話した。さすがに、ケイが淫乱卿を退けたという件だけは、ケイ自身も信じられない話しのため説明していないが、あらましについてなら、承知しているはずだ。
聞かれたジェシカは、そんなことかと肩をすくめる。
「言ってなかったけど。アタシたちの所属は、どっか特定の企業国じゃなくて、“ロゴス聖団”。帝国で唯一、治外法権が認められている巨大宗教結社よ。どこの企業国も、聖団のやることに対しては不可侵。まあ、それが原因で、企業国と聖団の間で細々としたもめ事が起きることはあるけど、余程のことでなければ、対立したりしないわ。基本は互いに中立。と言うわけで、四条院家の顔色を窺って行動する義理ないのよ」
「へえ、ロゴス聖団ね……。アークには、真王の独裁政治みたいな帝国制度しかないと思ってたけど、それとは別に、宗教組織なんてのもあるんだな」
「帝国には及ばないにしろ、聖団は、真王が創設したもう1つの巨大組織よ。宗教を弾圧すると、ロクなことにならなかった数々の歴史があるから、創ったんじゃないかしら。宗教したいなら、真王公認のロゴス聖団でどうぞ、ってところでしょうね」
「軽いノリだな」
「まあ、アタシやエマは、別に熱心な聖徒ってわけじゃないし。そもそも魔人族だから、教団の制御言語信仰とは、教義が合わないのよね」
そこまで言って、ジェシカは真顔で付け足した。
「ただ…… 企業国とのいさかいについては問題ないってだけの話しで、帝国騎士団がどう動くかって言うのは、また別の話かもね。とりあえず、アンタ程度の小物を、わざわざ本隊が付け狙ってくるとは思えないから、大丈夫だと思うけど」
「本隊……? どういう意味だ? 帝国騎士団のボスは七企業国王なんだから、別の話じゃないだろ?」
「え? アンタ、帝国騎士団の仕組み知らないの?」
「たぶん、知らないけど……?」
「……」
不思議そうな顔をしているケイに、ジェシカは溜息を吐く。
「良いこと? 帝国騎士団は、真王所属の軍隊。そこから派生した軍団が、それぞれの企業国に配属された企業国騎士団よ。つまり帝国騎士団とは、真王から七企業国王に“貸し与えられている軍隊”なわけ。真王直属の本隊――――“真王軍”は、聖団の治外法権なんて関係なく、真王の直接指令によって行動しているわ。そいつらに目を付けられたら、アタシたちの身も危ないわ。まあ、ケイを付け狙ってるのは四条院企業国の騎士団だろうから、関係ないけど」
「へえ。真王直属の本隊と、企業国騎士団ね。なんだか、アメリカの連邦捜査局と市警みたいな関係に聞こえるな」
「そのたとえは、アタシにはよくわからないんだけど……」
「結局……。帝国も、聖団も、騎士団も。七企業国王さえも、みんな真王には逆らえないってことだな」
「アークの創造主であり、アークの主であると言われてる大物よね。会ったことあるヤツは数えるくらいしかいないみたいだし、話しに聞くだけで、下々からすれば実在してるかもわからない相手よ。かく言うアタシも、真王は実在しないと思う派ね。帝国の体制を維持するために必要な象徴で、宗教上の単なる架空存在だと思ってるけど?」
暗い顔をしているケイを心配そうに見て、ジェシカは、自分の髪をいじりながらモジモジと言った。
「ま、まあ、とりあえず。天才魔導兵であるアタシとエマがついてるんだから、そんじょそこらのヤツに狙われたところで大丈夫よ。それにケイは……一応、アタシから魔術を学んでる弟子に当たるわけだし。危ない時は、師匠として助けてあげる責任があるだろうし……」
「お姉ちゃん、雨宮さんと一緒にいたいだけだって、素直に言えば良いのに……」
「な、なに言ってんのよ、エマ! コイツが勘違いするようなこと言わないでよ!」
「だって、初めての人間のお友達だもんね……」
「うぐっ……!」
エマに悪意なく微笑まれ、ジェシカは否定できずに言葉を飲む。
やはりジェシカは、エマに弱い様子だ。
「それでさ……」
おずおずと、ジェシカが聞きづらそうにケイへ尋ねてきた。
なぜか、頬が少し赤らんでいる。
「その、ケイが助けようとした、アデルって子。その子とケイって、どういう関係なの……?」
尋ねられたケイは、迷うことなく答えた。
「……“家族”だよ。血のつながりはないけどな」
「ふ、フーン……」
ケイから視線を逸らし、なぜか少し安堵した顔をするジェシカ。
その頬は、嬉しそうに緩んでいた。
ケイは、券売機での切符の買い方をクラーク姉妹に教える。
そうして改札をくぐり、自宅最寄り駅へ向かう電車へ乗り込んだ。
車窓を流れていく風景を見て、エマが不安そうな顔でジェシカへ耳打ちする。
「お姉ちゃん……」
「わかってるわ、エマ」
ジェシカも神妙な顔で、景色の異常さについて言及する。
「周囲を走ってるEDENの経路。来た時からずっと、攻撃的な通信を意味する、真っ赤な光を放ってるわ。どこもかしこもだし。まるで不浄地よ。ケイにも、基本的な経路障壁の構築方法を教えておいて良かったわ。こんなの、セキュリティ障壁がなかったら、簡単に脳をハッキングされるわよ」
「いったい何が起きてるのかな、この白石塔の中……」
「……」
縦横無尽に虚空を走る経路。
常人には見えないEDENの海は、赤く染まっている。
それは、何者かが大規模なEDEN攻撃を仕掛けていることを意味している。
魔術の訓練を始めたばかりのケイでは、おそらく目を凝らさないと見えない。だからまだ、気付いていない様子だった。だが日常的にそれが見えるクラーク姉妹には、その異様な光景は気色悪いとさえ感じる。誰かの“悪意”が充満した光景であるのだから。
クラーク姉妹の不安を余所に、ケイは「着いた」と告げる。
3人は電車を降りて、ケイの自宅へ向かって歩いた。
「外さっむ! ケイの故郷って、こんなに寒い場所だったわけ?!」
「季節が冬なだけだよ。冬を知らないの? もしかして、ジェシカたちの故郷は暖かい?」
「お姉ちゃん、寒がりなんです……私たちの故郷も、冬は寒いですよ……」
「なんだ。なら、いつものジェシカの不平不満か」
「なんだとは何よ! アタシがいつも不平不満を言ってるみたいじゃないの!」
その通りだとは言わず、ケイはジェシカの文句を聞き流しながら進む。
見慣れた通学路。
見慣れた住宅街。
それら景色を、懐かしいとさえ思いながら、ケイは歩みを進めた。
やがて自宅が見えてくる。ケイが何年も過ごしてきた、我が家だ。
玄関の戸が閉まっていたため、ケイはチャイムを鳴らした。
返事があり、しばらくすると、白髪の老人が戸を開けて顔を出した。
「……!」
祖父。雨宮ゲンゾウは、ケイの顔を見て驚愕していた。口を呆けさせている。
あまりの驚きに声が出ないのだろう、祖父は肩を震わせていた。
唐突に姿を消して、唐突に帰ってきた孫。
黒髪は白髪に変わり、奇妙な姉妹を連れての登場だ。
勝手にいなくなったことを、怒っているのだろうか。
帰ってきたことを、喜んでくれているのだろうか。
その態度から、祖父の真意は読み取れない。
……最後に会った時よりも、祖父は少し痩せて見えた。
白髪は乱れ、頬は痩け。
目の周りには深い隈ができており、ロクに寝れていないことが窺えた。
「じいちゃん。オレ……」
「何も言わんで良い」
祖父はケイの頭を固く抱きしめ、静かに涙した。
自分が、いかに祖父を心配させていたのかを知り、ケイも涙が溢れそうになる。
「よく無事で帰ってきた、ケイ。ワシはそれだけで良い……それだけで良い……!」
これから祖父に話さなければならないことは、たくさんある。
だが今は、そんなものは後回しだ。
ケイも祖父を抱きしめ、涙を流して応えた。
「…………ただいま」