6-26 タイムリミット
非常階段近くの、物資搬入用エレベータを使い、1階まで降りる。
その先の通路を少し行けば、目的の裏口扉が見えていた。
短い道のりではあっても、途中には、武装した兵隊たちが歩哨として立っているのが見えた。
残された関門は、それである。
……ガムテープで手足を拘束し、口を塞いだ少女。
今、真上が手押ししているワゴンの中には、それが押し込められている。
カモフラージュのために洗濯物をかき集め、少女の上にかぶせて、姿が見えないようにしている。だがもしも、少女に暴れられたら、兵士たちに気が付かれるかもしれない。そうなる前に、この場は早々に通過するべきだろう。真上は固い唾を飲み、緊張を解きほぐすように深呼吸をした。そうして、何食わぬ顔でワゴンを押して通路を進む。
主任研究員である真上は、館内では有名人だ。兵隊たちは顔見知りで、笑顔で挨拶をしてくる。それらに手を振って応じながらも、背筋にはビッショリと冷や汗をかいていた。「なぜリネンワゴンを押しているのか」と尋ねられもしたが、「今は急いでいる」と言えば黙り、それ以上の追求はしてこなかった。真上は首から提げたセキュリティカードを、操作盤に押し当てる。それで、扉のロックは簡単に解除された。裏口扉から外に出ると、冷えた夜気が頬に当たった。
「やった……やったぞ……!」
無事に少女を、外まで運び出せた。
その喜びを噛みしめ、思わずガッツポーズをしてしまう。
今日までに、念入りに準備を進めてきたのが功を成したのだ。少女の体内に埋め込まれた追跡チップを無力化し、兵士たちの巡回パターンを調査し。出口まで最も安全に運び出せる経路を割り出した。大人しくさせるために、友人である吉見サキを人質に取ることも計画通りだった。
「あとは、この子を四条院家へ引き渡せば……僕が貴族……!」
はやる気持ちを抑えきれず、敷地外へ向けて、小走り気味にワゴンを押した。
周囲を囲む衝立の隙間をくぐれば、すぐ傍にコインパーキングがある。
引き渡しの約束の場所は、そこだった。
駐まっている車は1台だけ。スポーツカーだ。
おそらく新車だろう。ピカピカの赤い車体である。
運転席に座っていた少年が、真上の来訪に気が付いたらしく、車から降り立った。
染め上げた金髪。両耳はピアスだらけ。性格の悪さが目付きに出ている、不良然とした風貌である。ロングレザーコートを着込んでおり、シルバーの指輪やネックレスで着飾っていた。吸っていたタバコを、火も消さずにその辺へ放り捨てる。
「おっせーよ、ウスノロ」
斗鉤ダイキは、舌打ち混じりで開口した。
真上は、駐車場でダイキと対峙した。
「お待たせしました……。雨宮アデルを連れてきましたよ」
言いながら真上は、リネンワゴンの中の衣類を取り出して、その下に埋もれていたアデルの身体を引っ張り出す。白銀の髪の美しい少女は、青ざめた顔をしていた。その腕を乱暴に引っ張り上げ、ダイキからも見えるように立たせる。少女の姿を確認したダイキは、満足そうに笑んだ。
「でかしたじゃねえか、科学オタク。間違いなく、雨宮アデルだな。よし、俺様の車のトランクに乗せておけ」
「……待ってくださいよ、ダイキさん」
「あ?」
真上は恐る恐る、進言する。
「僕は約束通りに、彼女を連れてきたでしょう? そちらも約束を守ってくださいよ。雨宮アデルを連れてきた者を、貴族として取り立ててくれるって話しでした。四条院さんに会わせてくださいよ」
「四条院さんはお忙しい方だ。いちいち面会なんかできねえ。俺様が、雨宮アデルの身柄を四条院さんへ引き渡しておく。わかったら、さっさとトランクへ入れろ」
「いえ……その説明だけでは納得できません」
リネンワゴンの中からアデルを出して、真上は少女を背後へ隠す。
「失礼ながら。ダイキさんだって、帝国社会においては白石塔の下民でしかありませんよね? なら、自分が貴族になることを目論んでいる可能性だってある。僕から手柄を奪ってね」
「……」
「四条院さんに直接お会いして、僕から彼女を引き渡したい。あなたを中継したくないんです」
「てめえ……俺様を疑ってんのか?」
「信用できる理由がありますか?」
真上とダイキは、しばし無言で睨み合う。
だがやがて、ダイキは高らかに声を上げて笑った。
「正直言って、見直したぜ。お勉強ばかりが得意な、世間知らずだとばかり思ってたが、意外に勘が鋭いところもあるじゃねえかよ」
――――周囲の暗がりで、複数の人影が蠢く。
「!?」
唐突に第三者の気配が漂う。
真上は咄嗟に自動拳銃を手にして身構えた。
闇の中に身を潜めていた彼等は、コインパーキングの電灯が照らす光の下へ姿を現した。人数は10人くらいいるだろう。ダイキが潜ませていた、伏兵の男たちとみられた。だが奇妙なことに、いずれの男も兵装ではない。私服姿である。武装した小隊が現れたのではなく、近所に住んでいる一般市民たちが顔を出したような雰囲気だ。全員、気味が悪いくらいにニコニコと愛想良く微笑んでいる。
その内の1人の頭が――――形状崩壊する。
人間の頭部だったものは、絡み合う無数の触手に変わる。それが解けたかと思うと、次の瞬間には真上の方へ伸びてきていた。瞬時に腕を絡め取られた真上は、予期せず自動拳銃を取り落としてしまう。他の男たちも頭が形状崩壊し、同様に触手を伸ばして、真上の手足を拘束した。
「ひ! ひぃぃっ! なんだコイツ等! 人間じゃないのか?!」
「借りてきたんだよ。この辺の掃除を担当してる、異常存在の連中だ」
身動きが取れなくなった真上に、ダイキは余裕の態度で歩み寄って行く。
コートの懐からダガーナイフを取り出し、躊躇いもなく真上の脇腹へ突き刺した。
「ぐうあっ……!」
初めて体験する凶悪な激痛に、真上は目を白黒させて呻きを漏らす。脂汗を滲ませ、涙している真上に、ダイキはニヤニヤと笑みを浮かべて言った。
「残念だったなあ。貴族になりたかったよなあ? でも仕方がねえよ。お前は知りすぎてる。後から四条院さんにチクられでもしたら堪らねえからよ、最初からこうするつもりだったわけ」
「ダイキさん……あんた……自分が貴族になるつもりで……!」
「はあ? 貴族? んなもんに興味ねえよ」
ダイキは、真上の推測を鼻で笑った。
「飼い犬じゃねえんだ。拾ったオモチャを渡す主人なんか、俺様にはいねえんだ」
言いながらダイキは、何度も真上の腹をナイフで刺した。
何度目かまでは、刺された痛みに苦しむ真上の反応が見られた。
だがすぐに反応がなくなり、真上は動かなくなってしまう。
真上が力尽きたことを確認すると、異常存在たちは手足の拘束を解いた。ダイキは、面倒そうに、ナイフに付着した血を、倒れ伏した真上の死体の服で拭き取った。
「おい、そこのゴミ。始末しておけ」
ダイキが命じると、異常存在の1人が笑顔のまま頷く。
死体を引きずり、暗がりの方へと消えていった。
「さてと」
そうしてダイキは、アデルへ向き直る。
簡単に人を裏切り、殺してしまった斗鉤ダイキと相対し、アデルは怯えた顔をしていた。そんな相手の恐怖が心地よくて、ダイキは不敵に笑んだ。
「四条院家に引き渡したりなんかしねえ。お前は今から俺様の女だ」
ダイキはナイフの刃を舐め、血の滴で唇を汚した。
◇◇◇
東京スカイツリー。
高さ450メートルの第二展望台から眺める東京の夜景は、広大だった。
一望できる眼下を見下ろせば、消火と救助活動が行われている警視庁ビルが見えた。路上で起きた銃撃戦の被害者救助や、カーチェイスの巻き添えになった車両の撤去作業などが行われていて、都内の道路はどこも封鎖中。パトランプと、消防車のサイレンが鳴り止まない様子だ。遠くには、落下したレインブリッジも見えている。
異様な状況の首都を眺める、1人の男がいた。
エリートビジネスマンと言った雰囲気の、優男である。七三分けにした黒髪。ストライプスーツを着込んだ、スラリとした長身美形の男だった。腰の後ろで手を組み、面白くもなさそうに下界の混乱を見ていた。展望台デッキを貸し切っているため、今夜は、一般客たちの姿はない。
そんな男の背後から、近づいてくる足音が聞こえた。
角刈り金髪の、黒スーツの男である。がたいが大きくて屈強そうであり、ワイシャツのボタンがはじけ飛びそうなくらいの、分厚い胸板である。悪い人相をしていた。
「ゲイル。雨宮アデルの身柄を確保できましたか?」
七三分けの男は、部下を振り向きもせずに尋ねる。
ゲイルと呼ばれた角刈りの男は、敬礼をして報告した。
「時間切れです、キョウヤ様」
「……そうですか」
ゲイルの報告を聞いた四条院キョウヤは、怒るでも落胆するでもない。
ただ冷ややかに、相づちの言葉を漏らした。
10日間だけ、与えた猶予。
その期間内に、雨宮アデルを捕らえることができた者はいなかったようだ。
他人任せにしたせいで、時間を無駄にしてしまったことを、キョウヤは静かに悟る。
「下民たちの世界のことですから、下民たちに探させるのが、1番効率が良いと期待していました。ですが、所詮は下民でしたね。このまま彼等に任せていては、事をし損じます」
「同感であります」
キョウヤの意見を、ゲイルは敬礼したまま肯定した。
面倒そうに、キョウヤは溜息を吐いた。
「私が捜索に介入してしまったら“力加減”などできません。東京を無傷な状態に留めておくことができなくなります。ですからせめてもの慈悲で、下民たちが雨宮アデルを差し出してくることを願っていました。こうなってしまってはもう、私が動くしかありません。私が動くと言うことは、東京が“廃棄処分”になることを覚悟しなければなりませんね」
「キョウヤ様のせいではありません。キョウヤ様の期待に応えられない、下民どもが愚かなのです。この結果は全て、ヤツらの愚かさが招いたものになるでしょう」
ゲイルの意見を聞いて、キョウヤは苦笑を漏らした。
「父上が回復して目覚めるまで、残すところ時間も少ない。その前に、何としても雨宮アデルを手に入れ、この白石塔を離脱していなければなりません。私のこの行動を父上が知ったなら、私が裏切り、父上を殺す手段を探っていたことが知られてしまいます。もう後戻りはできないのです。今後、父上に見つかれば、私たちの命はありません。急ぐ必要がありますね」
キョウヤは、東京の夜景へ手を伸ばした。
「ここからは少々乱暴になりますが、強硬手段でいかせていただきましょう」
接覚を研ぎ澄まし、キョウヤはEDENの海を見る。
広大な夜景の中に張り巡らされた、数え切れない経路の黒い線。あらゆるものがそれによって繋がり、相互に影響し合っている。キョウヤに繋がれた経路が、赤々と色を変えて光り出す。その赤い光は湖面の波紋であるかのように、キョウヤを中心に東京全土の経路へ広がっていく。
「さて。それでは――――地獄を始めます」
キョウヤが仕掛ける、大規模ハッキング。
東京都民全員に対するEDEN介入が始まった。
次話は月曜日に更新予定です。