6-22 戦場の警視庁
開戦の合図は、レイヴンの叫びだった。
「撃て!」
発砲のお預けを食らっていた、部下である5人の部隊員たちは、物陰から身を乗り出す。行く手を遮る怪物と、派手なジャケットの少女へ向けて、一斉射撃を行った。
「おっとっと」
連射の効く突撃自動小銃を持っているとは言え、あちこちから自動拳銃で狙われては、呑気に棒立ちして応戦するわけにはいかない。肉体的には、ただの人間にすぎない斗鉤ミホシは、通路の奥へと後退し、扉の向こうへ姿を隠した。
だが、ユエが召喚した巨躯の鬼侍、黒夜叉は怯まない。
正面から何発もの銃弾を撃ち込まれたところで、9ミリ弾では、分厚い皮膚の上にめり込む程度。貫くことはかなわない。小石をぶつけられた程度のダメージしかないのか、黒夜叉はユエを肩に乗せたまま、大太刀を手に、悠然と部隊へ迫ってくる。その攻撃の間合いは広いらしく、まだ3メートル以上はレイヴンたちとの距離が開いているというのに、黒夜叉はすでに横薙ぎを繰り出す構えで、膝を深く沈めた。
「この狭い通路で、そんな長物を振り回せるか!」
部隊の1人が、皮肉を言いながら発砲を続けた。たしかに通路の幅は2メートル強くらいだ。黒夜叉の巨躯は、通路の横幅いっぱいであり、天井に頭を擦りかけるほどの長身である。その狭い空間で、大太刀を振り回すことなど、普通に考えれば不可能だ。そもそも、歩く時さえ身動きが取りづらそうに見えるのだ。
だがレイヴンは、青い顔で部隊へ警告する。
「ヤバいぞ! みんな伏せろ!」
「!」
黒夜叉は――――横薙ぎを繰り出した。
刃で壁を斬り裂きながら。ぶつけた腕で、そのまま壁を打ち砕きながら。自らの周囲を囲む鉄筋コンクリート製の壁面を、まるで小石でも蹴散らすようにしながら、常軌を逸した膂力で大太刀を振り抜いてくる。
レイヴンの警告に従った部隊員たちは、その場に伏せて横薙ぎを回避した。
だが、先ほど皮肉を言っていた男は間に合わず、壁ごと胴体を上下に両断されてしまう。周囲に血風と臓物が飛び散り、斬り伏せられた男の死体が転がった。
間近でそれを見たトウゴとユウトは、顔から血の気が失せてしまう。
士気を失いそうになる味方へ、レイヴンは慌てて作戦を伝える。
「クソ! 近づきすぎるとヤバい! 相手の動きはノロいから、後退しながら撃ち続けろ!」
レイヴンの指示に従い、後退しながら発砲を続ける部隊。
ユウトとトウゴも、自動拳銃を構え、その攻撃へ加わる。
ゆっくり歩み寄ってくるだけの黒夜叉に対して、弾を当てるのは簡単だった。だが、いくら浴びせてもダメージが見られないのだから堪らない。弾倉を交換中の1人が、レイヴンへ進言した。
「隊長! いつまでも後退できません! ここは袋小路で、唯一の出口はデカブツの後ろなんですよ?!」
「わあってるよ!」
レイヴンは舌打ちをする。
そうして、嫌そうな顔をして、渋々とトウゴへ言った。
「しゃーねえか……。俺が道を開くから、その間に他の連中と脱出経路を走れ」
「道を開くって言っても、オッサン! あんなデタラメなのをどうするんだ!」
「まあ、見てなって」
レイヴンは部隊へ発砲を止めるように、ハンドサインを送る。そうして通路の真ん中に堂々と立ち、歩み寄ってくる黒夜叉と、その肩に乗ったユエと対峙する。
「……投降でもするつもりかしら、レイヴン」
「まっさかー。この程度の窮地、今までにも何度となくあったことだよ。こういう時にやることは、だいたい、いつも決まってんだ」
レイヴンはヘラヘラと笑って、ユエを指さして言った。
「お前の一芸は、召喚魔術だろ? 奇遇だよなあ。実は俺の一芸も同じなんだよ」
「……?」
「むかーし。戦場の知り合いから聞きかじって、独学で勉強してたことがあるんだよ、魔術。でも所詮は凡人。俺には才能なくてさー。20年もかかって習得できたのは、単純な1種類だけ。けど、この“武器召喚”ってヤツのおかげで、今まで何度も命拾いしてきてんだよ、こっちは」
レイヴンは、右腕を床へ向けて突き出した。
「――――突撃加速槍」
一言だけ命じるとレイヴンの手の先の虚空に、無数の機械部品が現出し始める。
それは瞬く間に組み上がり、仰々しい“機械仕掛けの大槍”の形を成した。
柄の部分に、手をかけられるハンドル部分がいくつか付いている。しかも、矛と反対側に位置する、柄の端には、チューリップを連想させる、金属製の蕾が生えていた。見た目だけで言えば、ジェットエンジンを取り付けた槍状の機械である。
ユエは冷ややかに告げた。
「それが、重槍騎士レイヴンの、本来の得物ってわけ?」
「わかったところで、ぶっ飛んでくれや!」
レイヴンが機械槍に跨がると、槍の後方で火炎が迸った。柄の端に付いた金属製の蕾は、炎を吹き出す加速装置である。
空気を叩きつける破裂音と共に、槍を構えたレイヴンは、撃ち出された銃弾のごとく、凄まじい速度で黒夜叉へ飛来した。全重量を乗せた、重々しい大槍の突撃。それを大太刀で受け止めることはできない。まともに刃で受け止めれば、刀身が折れて砕け散るだろう。そんなことをすれば、黒夜叉は得物を失ってしまうだろう。
黒夜叉の選択は――――手で受け止めること。
大太刀を手にしていない左腕で、飛来してきた大槍の先端を掴み、受け止める。銃弾で貫けない黒夜叉の皮膚であっても、さすがに手のひらの皮がめくれて鮮血が滴る。非常識な握力で、黒夜叉はレイヴンの突撃槍を掴み止めようとした。
「止められるかよ!」
だがレイヴンが叫ぶと、槍の後方にさらなる勢いで炎が迸った。推進力を上げた槍は、受け止めようとする黒夜叉の腕力を上回り、その左肩に乗っていたユエに向かって飛来する。
「なっ!」
ユエに矛先が届くことを恐れ、ユエを守るべく、黒夜叉は後方へ大きく跳躍した。そうして、レイヴンの突撃の勢いを和らげようとしたのである。だがそうすることで宙に浮いた巨体は、レイヴンの槍を掴んだまま、後方へ連れ去られる。
レイヴンと共に通路の後方、彼方へ飛んでいく黒夜叉とユエ。突き当たりの壁に背中から衝突し、大穴を開け、庁舎ビルの外にまで飛んでいった。巨体が消えると通路はガラ空きとなり、容易に退路まで向かうことができるようになった。レイヴンが活路を開いたのである。
「す、すげえな、あのオッサン! 人間ミサイルかよ!」
「なんだ、アイツらの使う召喚だとか魔術だってのは。現代戦のセオリーを無視しすぎだぞ……!」
「さあ、今のうちに!」
唖然としていたトウゴとユウトへ、財団部隊の隊員が声をかけた。この機を逃さず、本来の計画通りに、警視庁舎から脱出するのである。レイヴンと黒夜叉の攻防がどうなるのか気になるところだが、今は撤退することが優先だ。
留置場フロアを抜け、非常階段を駆け下りる。そうして、地下駐車場に乗り付けたバンに乗って脱出するのだ。その計画を、トウゴとユウトは道中で聞かされた。停電中であればセキュリティゲートは機能しない。その隙を突く必要があるのだが、復旧までは残り僅かな時間しか残されていないようだ。
辿り着いた地下駐車場。パトカーや、SATの装甲車など、警察車両が並ぶ広々とした空間だ。その中に紛れて駐まっている、警察の護送車バン。部隊はそれに駆け寄ると、急いで車に乗り込もうとした。
車両を目前にしたところで、背後から声が聞こえた。
「いたぞ!」
「!」
エレベーターや階段。あちこちから庁舎内に詰めていた刑事たちが姿を現した。
いずれも防弾チョッキを着ており、自動拳銃や短機関銃で武装していた。財団部隊を見つけると、すぐに散開して物陰に身を隠す。そうしてトウゴたちを包囲しようとしてくる。
突撃自動小銃を手にした斗鉤ミホシが、遅れてその場に現れる。
トウゴたちを指さし、刑事たちへ指示を飛ばした。
「警視庁へ攻撃を仕掛けてきたテロ集団だ! 射殺しろ!」
「なっ! 射殺ですか?!」
鎮圧や捕縛ではなく、射殺を命じるミホシ。
殺害の指示を聞いた刑事たちは驚いた顔で、ミホシの顔を見やってしまう。
日本の警察機構が、銃で人を殺すという行為には、尋常ならざる制約と、世論の非難が付きまとう。たとえ相手が、警視庁襲撃班だとしても、殺すという選択肢はやむを得ない場合に限る。だが最初から殺すつもりで事に当たれという命令に、刑事たちは耳を疑ったのだ。
だがミホシはニヤけ、刑事たちへ偉そうに命じる。
「警視総監命令だ! 責任は全て私が取る!」
刑事たちは苦々しい顔だったが、一斉に発砲を開始する。その射撃に紛れ、ミホシも自身の突撃自動小銃を乱射し、楽しそうに声を上げ始めた。四方八方から銃弾を浴びせられ、トウゴたちは近くの警察車両の影へ、身を隠すしかなくなる。
「くっそ! アイツ……斗鉤ミホシ! まさか警視総監になりすましてやがんのか!」
「例の“擬態”っていう、知覚操作の力だったか? もう何でもありだな!」
付近の車両に、銃弾が着弾する音と火花の嵐の中、財団部隊は動じずに刑事たちの攻撃へ応戦する。代わる代わる交互に銃を撃ち続け、弾幕が途絶えぬようにして、刑事たちの行動を封じた。ユウトもそれに協力した。
どうやら、戦闘に慣れた傭兵部隊の方が、偶然この場に居合わせただけの刑事たちより、上手のようである。刑事たちの攻撃の合間に少しずつ移動を繰り返していると、すぐに脱出用のバンの前まで辿り着く。部隊とトウゴたちは素早くそれに乗り込み、エンジンをかけて車を出した。
「逃がすな! 全員で追え!」
ミホシに命じられた刑事たちも、トウゴたちに出遅れてパトカーへ乗り込み始めた。
警察車両の1台にミホシも乗り込み、空になった弾倉を交換する。
そうしながら、急いで車を出すよう、運転席に乗った刑事へ指示をした。
財団のバンが地下駐車場を出て、道路に踊り出す。
その後に続いて、複数のパトカーも飛び出してくる。
どの車両も、サイレンを鳴らしてトウゴたちを追いかけてきた。
「クソやべえぞ、これ! カーチェイスかよ!」
全速力でアクセルを吹かすバンに、警察車両がゾロゾロとついてくる。
トウゴの言う通り、公道でのカーチェイスが開始されてしまった。
ふと、トウゴたちの背後に遠ざかって行く警視庁舎ビルに、横一線の光がひらめいたように見えた。次の瞬間、建物の中央に横一文字の亀裂が入り、その切り口を滑り落ちるように、ビル上層が倒壊していく。
「はあ?!! なんじゃあ!!?」
仰天したトウゴが、素っ頓狂な声を上げてしまう。トウゴとユウトだけでなく、車両後部に乗った財団部隊の隊員たちも、窓の向こうの、信じられないできごとに目を剥いた。
虚空に浮遊している黒夜叉。
その周囲を飛び回っている、槍に乗ったレイヴンの姿が見えた。
レイヴンとの戦いの最中、どうやらあの怪物が、手にした大太刀の一振りで、ビルを一刀両断した様子である。土埃を上げ、派手に崩壊していく警視庁本庁。歴史的なテロ事件の目撃者となったトウゴとユウトは、青ざめた顔で頬を引き攣らせていた。
「ヤバすぎる……退学じゃ済まねえだろ、これ……」
「俺のクビでも済まねえぞ……警視庁の修繕って、何回ローンくらいだ?」
本拠点を失っても、刑事たちの追跡は、いまだ終わっていない。
パトカーのサイレンが鳴り止まぬ漆黒の夜を、バンは疾走し続けた。