6-18 人を超える時
荷造りは、昨晩のうちに終わらせていた。
元々、ケイは手ぶら同然である。エリーから支給された数着の着替えをバックパックに詰めるだけで、荷造りと言うほどの作業もなかった。着替えと同様に、エリーから支給された騎士剣を手に、部屋を後にする。
時刻は早朝。
廊下に出ると、ちょうど隣室からクラーク姉妹が退室する場面に鉢合わせた。
2人とも、自分の身の丈に近い、大きなキャリーケースを手にしていた。手押しした方が楽なので、効率を考えたエマはそうしている様子だ。だが、ジェシカは周囲から子供扱いされたくないプライドがあるのか、自身の背の低さに構わず、格好良く引きずろうと頑張っている様子だ。なんだか苦しそうな顔をしている。
帯剣しているケイと、大きな杖を背負った姉妹。
3人は互いの顔を見るなり、不敵に笑んだ。
「フン。寝坊はしなかったみたいね」
「下船の時間まで、残り3時間くらいだ。泣いても笑っても、今日がエリーの課題の最終日。悠長にしていられないだろ」
「ですね……!」
3人はホテルをチェックアウトすると、エリーとの待ち合わせの場所へ向かった。
向かった先は、上部甲板。
巨大な強化特殊ガラスのドームで覆われた、森林公園である。
昨晩のエリーの話しによれば。ザハルの領主たる艦長に掛け合って、今朝は特別に、シュバルツ家が公園を貸し切っているのだと言っていた。思う存分に暴れ回っても、民間人が被害を受けないようにするための配慮である。実際に今朝の公園は、入り口に「関係者以外立入禁止」のホログラム警告が出ている。ケイたち以外に、公園へ立ち入る者はいないだろう。
警告を無視して園内に入り、以前に3人で接覚習得訓練を行った広場を目指す。
そこに佇んでいたのは、1人の少女だ。
緑色の長い髪。エメラルド色の澄んだ眼差し。ブラウスにロングスカート姿の、清楚な雰囲気だ。両手には厳つい皮のグローブをはめており、袖口からは細い鋼線を垂らしている。
「おはようございます、ジェシカ、エマ、ケイ様」
スカートの裾を軽く持ち上げ、エリーは上品にお辞儀をして見せる。
変わらぬ人当たりの良い笑みを浮かべており、ケイたちへ話しかけてきた。
「本日が課題の最終日。これが最後のチャンスですね。皆さん、私を攻略するための良策を思いつくことはできましたか?」
問われたケイたちは、黙って自分の荷物を地面の上に下ろす。
ケイは剣を鞘から抜き放ち、クラーク姉妹は杖を構える。
途端にその場の空気がヒリつき、緊迫感が増す。
ケイはエリーを睨み付けた。
「見て確かめろ」
今日まで何度となく続けてきた戦い。これもその延長だ。
もう今さら、多くの言葉を交わす必要はないだろう。
ケイの一言が開始の合図となり、最終日の戦いが始まった。
◇◇◇
10日間、戦ってきたことで、わかったことがある。
エリーが構築して使っている魔術の現象理論は2種類。鋼線や、自分の身体を、狙った場所へ“飛ばす”ことができる念動力のような力。そして、それを空間へ“固定”することができる力だ。
見てきた限りの情報から推察するに。おそらくだが、いずれの力も、あまり重たいものを飛ばしたり固定することは苦手なのだろう。エリーが重量物を飛ばしたり、固定したりする場面は見たことがない。勝手に相手の限界を決めつけるのは危険だが、せいぜいエリーの体重くらいの重さを扱うのが限界なのではないだろうか。
「いきますよ」
仕掛けてきたのは、エリーの方からだった。
目にも止まらぬ高速で、空間へ鋼線が展開されていく。ケイたちの周囲へ、縦横無尽に張り巡らされた無数の鋼線は、まるで結界である。触れただけで肉が裂け、鋼鉄さえ切り刻まれてしまうほどに鋭利な金属糸である。下手に動き回れば、鋼線に身体を絡め取られて、バラバラになってしまうだろう。
いつもそうされることで、ケイたちは自由な移動を封じられてしまう。
選択できる回避手段が限定されてしまい、袋小路に追い詰められた先でやられるのだ。
鋼線の結界を破るしかない。
すでに現象理論を構築し終わったジェシカが、それを魔術として発現させる。ジェシカの頭部の周辺に一瞬だけ、青白く輝く、複雑な文字列が迸る。
「――――炎熱の剣!」
その言葉で励起されたように、ケイの剣が炎を纏う。あらかじめ、ケイは皮の手袋をしてきたのだが、その炎の強烈な熱波だけで、火傷しそうな熱量だった。ケイは炎の剣で、周囲の鋼線を斬り払っていく。
「……へえ」
高熱の炎で鋼線は溶解し、蜘蛛の巣を払うように、容易く切り裂かれて無力化されていく。
見る見るうちに、鋼線の結界を破られていく様子を見て、エリーは感心する。
「ジェシカ。これまでのような、力任せの大雑把な攻撃ではなく、炎を物質に宿らせるような、繊細な現象理論制御を心がけているようですね。自分が攻撃することにばかりこだわるのもやめて、仲間を支援することを覚えた様子。貴方の魔術の威力は規格外ですが、繊細な制御が苦手ですし、協調性がないので、もったいないと思っていました。素晴らしい意識の転換です」
「力任せができないように、今までわざと人混みの中で戦わせてたんでしょ! 10日も戦いを繰り返していれば“周りの人を活かせ”って言う、エリー先生の意図くらい伝わります!」
結界を破られたエリーは、戦術を変える。
今度は、無数の鋼線を、ケイたちへ向けて突き出すように飛ばしてきた。
正面から飛来してくる細い金属線は、目視が難しい。それなのに、その1本1本が、鉄板を容易く貫くほどの威力であるのだから堪らない。見逃したものが身体に当たりでもしたら、場所によっては即座に致命傷になりかねない。
いつもであれば、エマの強化魔術で肉体硬度を高め、その直撃に耐えていた。そうすれば鋼線に貫かれることはないが、そのまま四肢を絡め取られ、身動きがとれない状態にされてしまうのだ。何度となく、それで敗れてきた。
いつも通りでは勝てない。
守ることはせず、避ける行動を選ぶ。
ケイたちは、バラバラの方角へ分散して駆け出した。
空中を這い回る、数多の蛇のような鋼線。襲いかかる攻撃をかろうじて避けながら、3人は個別にエリーへ向かって駆け、距離を詰めていく。エリーの攻撃先を分散させることで、1人1人への鋼線攻撃が少なくなる。
距離を詰められ始めたエリーは、これまでで初めての後退をする。
「皆さん、本当に“目が良くなりました”ね」
追い詰められながらも、嬉しそうにエリーは呟く。
最初の頃は、高速で飛来するエリーの鋼線を目で追うことすらままならなかった。だが今では、その速度に目が慣れてきている。数十は飛び交っている鋼線の全てを、目で追えるわけではないが、自分の方へ向かってくる“危険なもの”くらいは、察知して避ける程度のことはできるようになった。それは成長と呼べるのかもしれない。
「――――罠の石槍!」
エマが唐突に声を上げ、それを叫ぶ。
「!」
エリーが後退した先。
踏みしめた地面が唐突に隆起を始めたかと思うと、尖った岩石の槍が迫り出てきた。
矛先は、エリーの身体を下から串刺しにしようと、勢いよく突き出てくる。
ケイたちを攻撃するのに用いていた鋼線を数本引っ込め、エリーは咄嗟に、自分に襲い来る石槍をバラバラに切断して無効化する。迎撃することで事なきを得たのだ。
だがそうして、石槍に意識が向いていた最中、ケイがすぐ傍まで接近を終えている。
「!」
ケイは炎を纏った剣を横薙ぎにし、体勢を崩したエリーに斬りかかってくる。
エリーは“飛来”の魔術で、自身の身体をケイから離れた位置へ飛ばした。
宙を飛ぶように移動し、エリーはそうして、ケイから距離を取った。
エリーを追い詰めきれなかったことを悟ると、ケイたちは深追いをせず、その場で足を止める。ケイの剣に灯っていた炎も消えた。そうして再びエリーと離れた位置で対峙し、戦闘は仕切り直しとなる。
「……驚きました。今のは少々、危なかったです」
エリーはスカートの裾を払いながら、変わらぬ温和な笑みを浮かべて言う。
そうしてエマを見やり、褒め始めた。
「強化魔術の一辺倒だったエマが、攻撃魔術を使ってくると言うのは新鮮ですね。あなたは繊細な現象理論制御が得意なのですから、今のように相手の虚を突くような、ピンポイント攻撃も得意なはずなのです。威力がなくても、攻撃は成立するのですよ。貴方は優しすぎますから。いつも相手を傷つけることを嫌っているのでしょうが、今のは思い切っていて、とても良かったと思います」
「守ってばかりいるなって、エリー先生が言ってたから……!」
エリーは拍手をし、クラーク姉妹に賞賛を贈った。
「貴方たちは、1対1で私に敵いません。力量差のある相手と戦っているのに、個々がバラバラで仕掛けて自力の勝負を挑んでくるのですから。最初から勝ち目などありませんでした。ですが、ようやく他人と“連携”した行動が意識できるようになってきたようですね」
ジェシカが、表情を険しくして言った。
「悔しいけど……アタシたちは協力しないと、エリー先生とまともに戦えません」
「恥じることではありませんよ、ジェシカ。いつだって、自分よりも弱い相手とばかり戦えるわけではないのです。自分よりも強い相手と対峙した時には、相応の戦い方が必要になります。この課外授業で貴方たちに学んで欲しかったのは“生き残る戦法”。つまりは格上と遭遇した時の戦い方でした。戦いにおいて勝敗を決める要素は、自分の力だけが全てではありません。周囲の人や環境、自分を取り巻く全てを力に変えることで、私たちはいくらでも強くなれるんですよ」
そこで、エリーは微笑むことをやめる。
急に雰囲気が冷たいものに変わり、その視線には殺意のようなものが滲んだ。
これまでにエリーから感じたことない、おぞましい気配が漂った。
「このまま連携されては、私の分が悪そうです。なら、こんなのはどうでしょうか?」
エリーは両腕を頭上へ掲げて見せる。
その両手の指先から、鋼線が無数に飛び出したように見えた。
鋼線は天高く伸び、そして――――ガラスのドームを切り刻んで破壊した。
「なっ!」
今朝のザハルは飛行高度が高い。気圧差により、船内のものは船外へ吸い出されてしまう。エリーが細切れにした天井部位の残骸は、空の彼方へ投げ出されていく。そこを起点に、ひび割れが始まり、ガラスドームは徐々に崩壊を始めた。
天井の穴が広がっていく。
森林公園内には強烈な突風が巻き起こり、あらゆるものが空へ吸い出されて始めた。土や石、ベンチやゴミ箱。軽量なものから順番に、暴力的な風に巻かれ、ガラスドームに空いた穴の向こうへ吸い込まれる。そうして空の藻屑になっていく。地面に根を下ろした木々だけが持ちこたえており、ジェシカとエマは、必死でそれにしがみついて喚いた。
「ひゃあああ!」
「エリー先生、メチャクチャすぎいいい!」
艦内に緊急アナウンスが流れ、避難勧告のホログラム警告がケイたちの周囲に現出する。砂埃が巻き上げられる森林公園内。エリーは虚空に張り巡らせた鋼線の結界の上で、優雅に佇んでいた。スカートが風でめくれぬように押さえながらも、自分と同様に、鋼線の上に立っている少年と対峙していた。
「…………信じられませんわ、ケイ様」
エリーは背筋に冷や汗を浮かべながら、素直に感想を口にした。
触れただけでモノを切り裂くエリーの鋼線。暴風が渦巻く、足場が不安定なこの環境下でも、自分と同様に、ケイは平然とその上に立っているのだ。普通の人間に、そんなことができるはずはない。なら、今のケイは普通の人間ではないことになる。だからこそ、エリーはこう結論づけるしかない。
「この短期間に、まさか“強化魔術を習得してきた”のですか……」
問われたケイは、不敵な笑みを浮かべた。
「強化魔術が得意な先生だったんでね。まだ、物体の“能力値”の、数値をいじるだけの初心者魔術らしいが、脚部に使えば、こうして硬度や筋力の強化くらいはできるらしい」
「……想定以上です。ケイ様の成長の幅は少々、非常識かと思いますわ」
エリーに言われたケイは、怪訝な顔をした。
「まだ人の戦い方をしているのかと、オレに忠告したろ。あれは魔術を習得しろ、という意味じゃなかったのか?」
「ご冗談を。普通の人間は、10日やそこらで魔術を使えるようにはなりません。生まれたばかりの雛鳥に、空を飛ぶことを強制するようなものです」
エリーは思わず、苦笑してしまう。
「私はせいぜい、今後の戦いに魔術の習得が必要であることを、ケイ様にご自覚いただきたかっただけですわ。クラーク姉妹と一緒に共闘し、彼女たちに教えを請えば、魔術習得のスタート地点くらいには立てると、そう考えていた程度です」
言いながらも、付け加えた。
「ですが、期待していなかったわけでもございません」
「……どういう意味だ?」
「ケイ様を治療したドミニクは、“倫理なき医師団”という団体に所属しています。彼等は治療する相手を選びません。独裁者だろうと、生きる価値のない凶悪犯だろうと、彼等の知の探求と財布を潤せるなら、どんな違法治療も請け負ってくださいます。帝国の息がかかった普通の医師には、ケイ様の治療は頼めませんでしたから、頼れるのはドミニクしかいなかったのです。彼は、人間に後天的な魔術の才能を与える方法を研究しています。ケイ様の治療を引き受けてもらう条件として、ケイ様の身体で、その実験をすることを許可したのですよ」
ケイの身体を使った、危険な人体実験を許可することで、ケイの治療を引き受けてもらった。つまりはそう言うことのようである。そんな重要なことを、勝手に他人に決められたことは不服だった。だが結果として、ケイに行われた人体実験は、吉と出たのかもしれない。
「なら、ドクターの実験は成功だった、ってところか?」
「だとしたら、ドミニクが喜ぶことでしょうね」
エリーは嘆息を漏らした。
「僅かな期間で、私とここまで戦えるようになったことには、賞賛を贈りますわ。けれど、まだまだケイ様には多くを学び、強くなってもらわなければ困るのです。この程度で満足していただいては困ります」
ケイの周囲に張り巡らされた鋼線が、ケイの剣に絡みついた。瞬く間に、ケイは剣を奪い取られてしまう。
「くっ……!」
「こうして得物を奪われたら、戦えますか?」
エリーは皮肉を込めて、ケイを冷ややかに見やった。
だがケイには、動じた様子がない。
それを奇妙に思っていると、ケイがポツリと語り出した。
「魔術の発動は、通常なら単発だ。1つの現象理論実行で、1度の効果しか発現しない。だが――――機人族が造る異能装具は、そんな魔術の現象理論を“保存”しておいて、呼び出して何度でも使える、すごい道具だったらしいな。あまりよく知らずに使っていたよ」
それは、クラーク姉妹から教わった話しである。
だがそんな基本的なことは、エリーほどの手練れであれば当然、理解している。
別にエリーに説明しているわけではないのだろう。
その前置きをしてから、ようやくケイは核心を告げる。
「オレがリーゼからもらった異能装具は、オレの右腕を修復するために分解され、右腕の修復材料の一部として使われたらしい。てっきり、その効力は失われたのだとばかり思っていた。けれど、どうやら違ったらしい。はたしてドクターが、最初からこうなることを予見して、オレを手術したのか知らないが……」
鋼線に絡め取られた騎士剣。
離れたそれに手を伸ばし、ケイは一言、命じるように告げた。
「――――略奪の腕」
すると剣は、刃に絡みつく金属糸を引きちぎるようにして、ケイの手元へ飛来して戻っていく。その柄を摑まえると、ケイは剣先をエリーに向けて言った。
「異能装具が混じった、オレの腕の“掴む”力は、エリーの使う“飛ばす”魔術に、性質が似ているよな?」
遠隔で剣を“掴み”、自分の手元に戻したケイ。
その一部始終を目撃したエリーは、しばらく言葉を失っていた。
「…………本当に、貴方は私を驚かせてくださいますね、ケイ様」
戦いの喜びに狂った、狂喜の笑みを浮かべ、エリーは言った。
エリーは態度を豹変させる。もはやこれまでの、温和な令嬢の面影などない。
ケイとの対決を楽しんでいる。そう言わんばかりに、強烈な殺気を放ち始めた。
「機人の力を振るい、魔人に師事する。いずれも人と相容れぬ他種族。それらの力を束ねるなんて、そんな人間、今までに聞いたことがありませんよ」
ただならぬエリーの気配を前に、ケイは身構える。
「どうしましょう、ケイ様。楽しくて私、貴方を……殺したくなってきましたわ」
「お手柔らかに頼みたいね」
「どの程度か、見せていただけますか? 今のケイ様の“全力”を」
エリーは、次なる鋼線を繰り出してきた。