6-17 野良猫の少女
朝はドクターのところで検診と経過観察。
昼にエリーを襲撃しては敗れ。
夜にはホテルへ戻り、魔術の練習。
それを繰り返すだけで、あっという間に4日が過ぎてしまった。
課題最終日の前夜。
部屋を抜け出し、姿を消したジェシカを探して、ケイはザハルの夜市を歩き回っていた。
ケンカしてしまった夜以来、ジェシカはケイと、まともに口をきいてくれなくなった。話しかけても無視されてしまうし、ケイとは、視線を合わせようともしてくれない。その関係の不和は、エリー襲撃の時に、連携の乱れにもなっているのだから困りものである。せめて課題最終日の戦いの前に、仲直りをしておきたいと、ケイは考えていた。
そうした利己的な理由は建前で。
自分の一言で元気をなくしてしまったジェシカの様子が、単純に心配だった。
余程、友達がいないことを気にしていたのだろうか。
あれからずっと、ジェシカは元気がなかったのだ。
夜市を一通り見て回ったが、ジェシカらしき人影は見られなかった。雑踏を抜けて、転移装置で船内をあちこち巡り、ようやく辿り着いた後部甲板デッキに、見覚えのある小さな人影を発見できた。
ジェシカだ。
今夜のザハルは飛行高度が低いらしく、外気にさらされたデッキに出ることができる。
空に浮かぶ砕けた月。月光に照らし出されて輝く、遙か眼下の海原。
落下防止用の手すりに寄りかかって、ジェシカはそれを眺めている様子だった。
夜風の冷え込みに少し震えながらも、ケイは少女の傍へ歩み寄って行った。
「こんなところにいたんだな。ずいぶん探したんだぞ」
「……」
ケイに声をかけられても、ジェシカは振り向きもしない。
不貞腐れた顔で海を見つめ、応えた。
「……何でアンタが、アタシのことを探すのよ」
隣に立って手すりに寄りかかるケイへ、ジェシカはトゲのある口調で言った。
「アンタだって、他の人間たちと同じ。アタシのことが嫌いなんでしょ?」
「嫌いって……」
「だって、アタシのことにムカついてたじゃない」
「あの時はただ、ジェシカのキツい言い方に腹が立っただけで」
「やっぱり、嫌いってことじゃない」
「あのな……。別にそう言うんじゃ――――」
唇を尖らせて言うジェシカの態度は、まるで拗ねる子供である。
何となく、ケイは言葉を失ってしまう。
会話が途切れると、しばらくしてジェシカが語り出した。
「アンタ、白石塔から外に出てきた、珍しい下民ってヤツなんでしょ?」
「……その呼ばれ方、いまだに好きになれないけど。まあ、下民だな」
「なら知らないことだと思うけど。魔人族の赤ん坊ってね。生まれてすぐに、肉体から魂を分離させられるの」
「?」
唐突に、自分の種族のことを話し出すジェシカ。
その突飛な内容に、ケイは思わず怪訝な顔をしてしまう。
ケイの反応など気にせず、ジェシカは淡々と話しを続けた。
「そうする理由は、宗教的な側面が強いわね。生まれたばかりの肉体は冷凍保存されて、そこから解き放たれた精神、つまり魂は、EDENの海へ放流されるの。だから幼少期を、肉体を持たない“情報生命体”として過ごすのよ。そうすることで、EDENとの親和性が深まり、いつかは、肉体を持たない高度知的生命として、不老不死になれると考えているから。魔人族の目指す究極形態は、自身が神のようになることよ」
「……全身サイボーグみたいな機人族とは、また違った方向ですごい種族だな、魔人って」
「基本的には人間なんだけど、そういう教義を持った宗教団体だったって言うのが、正確なところかしら。何世代もそうしたことを繰り返してる内に、いつしか完全に、人間とは別の種族として派生してしまった存在よ。幼少期をEDENの中で生きている。だからみんな接覚が発達してて、魔術に長けてるのが特徴ね。そういう文化の善し悪しなんて知らないけど、アタシたちは今でも、バカみたいにその教義を守って生きているわ」
なぜ急に、ジェシカがそんな話しを始めたのか。
ケイには皆目、見当もつかない。
だが話したいのだろう。なら、黙って聞いてやろうと思った。
「けどね。……今まで誰も、不老不死の存在になれた者なんていないわ」
「……」
「ある程度の年齢になれば、自我が強くなりすぎて、情報生命体としてEDENの中に留まれなくなる。そうなったらみんな、元の肉体に戻ってくるしかなくなるの。だから魔人族はみんな、精神年齢に比べて、肉体年齢が低いのよ。アンタもアタシのこと、チビっ子って言ってたでしょ。事実、アタシの肉体年齢は、まだ10歳かそこらだし。子供扱いされるのはムカつくけど、間違ってないわ」
ジェシカは悲しそうに目を細めた。
海を見つめながら、告白する。
「アタシとエマが肉体に戻った時――――アタシの村は滅んでいた」
「……!」
「帝国騎士団にやられたんだって、後から知ったわ。アタシたち魔人族や機人族には、連中の支配権限が効かないから。だから帝国は、アタシたちみたいな他種族を脅威と考えていて、見つけ次第に駆除しているの。どんな理由があったのかなんて、今さら知りようもないけど……アタシの村もたぶん、つまらない理由で焼き払われたんだと思うわ」
帝国に故郷を奪われた少女。
ジェシカとエマには、ケイの知らない、辛い過去があったようだ。
「廃墟と化した村の、壊れかけた冷凍カプセルの中で、アタシとエマは、赤子の肉体のまま閉じ込められていた。両親の生死も不明で、助けてくれる大人なんて、周りには誰もいなかったわ。だから2人で、必死に魔術を使って生き延びた。姉妹で助け合って生きる以外に、どうしようもなかったから」
「大変だったんだな……」
滅んだ故郷で、しかも無力な赤子の身体で現世に戻ったというジェシカ。
その時の絶望感は、いかほどのものだったのか。ケイには想像もつかない。
「死にかけていたアタシたちを助けてくれたのは“ロゴス聖団”。そこからの支援を受けて、クルステル魔導学院に入学したわ。アタシたちの村を滅ぼした、大嫌いな帝国の、大嫌いな人間たちが通う学校になんて、最初は行きたくなんてなかった。けど、卒業できればきっと――――シスターが喜んでくれるから」
「……シスター?」
「アタシたち姉妹の恩人よ。アンタには、関係ないわ」
ジェシカはキッと、ケイの顔を睨み上げた。
まるで傷ついた野良猫のような、どこか痛ましい態度である。
「わかったでしょ? アタシは別に、人間と仲良くしたくもないし、馴れ合うつもりもないわ。だからアンタにどう思われようと、何とも思ってないんだから。今はただ、エリー先生の課題を一緒に受けなきゃいけないって条件だから、仕方なく付き合ってやってるけど。課題の期日が過ぎれば、もう2度と会うこともないでしょうよ。ムカつくアタシと別れられて、せいせいするでしょ?」
目尻に少し涙を溜めているジェシカ。
一生懸命に強がっているが、実のところ傷ついている。
何のことはない。ケイに嫌われたと思い込んで、それを辛いと感じているのだろう。本音を隠すのが下手すぎるジェシカを見て、なんだかケイは、おかしくて笑んでしまう。
「いいや。寂しくなるよ」
「……!?」
予期せず、ケイにそう言われたジェシカは、驚いた顔をする。
ケイもジェシカの隣に並んで、海を見やった。
そうして語り出す。
「君たち姉妹を見ていて、懐かしくなったよ。オレにも昔、姉さんがいたから」
「……昔いた?」
「死んだよ。オレが殺したようなものだった」
「……」
「自分の命と同じくらい、大切な家族だった。なのに、守れなくてさ……。あれから強くなろうと、必死に努力してきたつもりだった。けれど、上には上がいて。最近は自分の力不足に、ウンザリしてるよ。オレは、こんなにも弱かったのかって、思い知らされる毎日でさ」
自身の手のひらを見下ろし、ケイは苦笑するしかない。
ふと、ケイはジェシカへ尋ねた。
「エマ、人間の学校でいじめられてるんだって?」
「……なんで知ってんのよ」
「本人から聞いたから。それでジェシカが、いつもエマを助けてるらしいな。大切な者を守ろうとしてるだけなのに、そうすることで別の誰かを傷つけてしまうことって、あるよな。傷つけたかったわけじゃないのにさ。それ……オレも同じなんだ」
同情してくるケイを、ジェシカは不思議に思った。
「……同じって、どういうことよ」
「つい最近のことさ。大切な家族を助けたい一心で、周りが見えなくなってたんだ。友達や、仲間たちを危険にさらしてしまった。傷つけてしまった。今さら謝って、許してもらえるかわからないけど、もう一度会って、謝らなきゃいけないんだ。そのためにも、ここで強くなって、もう2度と同じことを繰り返さないようにしたいと思ってる。そのためには、ジェシカの協力が必要だよ」
「……」
ケイはジェシカへ微笑みかけた。
「別にジェシカのことを悪い奴だなんて思ってないし、嫌ってもない。ちょっと口は悪いけど、妹想いで、良いヤツじゃないか。大嫌いな人間のオレに、魔術を教えようとしてくれるくらいには親切だろ。本当のところ、嫌いな人間が多いだけで、人間自体を嫌ってはいないんじゃないのか?」
言われたジェシカは耳まで赤面しながら、反射的に否定する。
「はあ?! そんなわけないでしょ!? バカなんじゃないの?!」
だが図星だったのだろうか。あまり反論しなかった。
ケイはアクビをして、慌てた様子のジェシカへ告げた。
「明日がエリーの課題の最終日だ。早く寝て、備えておいた方が良い」
「え? あ、うん……」
「お前に助けてもらわないと、人間のオレだけじゃエリーに立ち向かえないからな」
「…………」
「おやすみな」
ケイは踵を返すと、ジェシカに背を向ける。
パタパタと手を振って、ホテルの自室へ帰っていくようだ。
そんなケイの背を見送った後、ジェシカはもうしばらく、デッキに残り続けた。
「ホントなんなのよ、アイツ……!」
顔の赤熱が、なかなか引かない。
胸がドキドキしてしまっている。
そのことに、なんだか腹が立ってきた。
だが、ジェシカは苦笑して呟いた。
「……バカなんだから」




