6-13 人類反乱の種火
六本木。東京ミッドタウン。
リッツ・カールトンホテルの上層階。
そこにある室内ナイトプールは今夜、1人の金持ちによって貸し切られていた。
4レーンの20メートルプールサイドには、ベッドのような大きさのラウンジチェアが並べられ、利用客が寝そべってくつろげるようになっている。そのガラス張りの壁は広々としたパノラマであり、夕陽が沈む富士山や、満天の星空が見渡せるようになっていた。
今宵、プールサイドに集まった人々は、水着のホテル利用客などではない。
いずれも、スーツを着た男や女ばかりで、年齢もバラバラだ。若かったり、老人だったり。フォーマルな服装であるということ以外に、見た目の共通点は見られない。それ以外に共通点を挙げるとするなら、これから遊泳を楽しもうとしているような面持ちではないということだ。全員が物々しい表情をしており、薄暗いプールサイドを囲むように佇み、黙り込んでいた。
しばらくすると、入り口の戸を押し開けて、プールサイドへ歩み入ってくる人物が現れた。やはりネクタイをしたフォーマルな格好であり、その出で立ちからして男に見える。金髪のショートヘアで、男にしては華奢な体格だ。身長も低く、年齢は少年と呼べるくらいに若く見えた。
――銀の仮面で顔を隠しているため、その容姿はわからない。
少年の背後に続き、2人の少女も入場してくる。1人は白銀の長い髪をした少女。そしてもう1人は、背中に大きな弓を背負った、不思議な出で立ちをした少女だ。いずれも少年同様に、銀の仮面で顔を隠しているため、素顔はわからなかった。
どうやら、顔を見せられない理由があるらしい。
「やあ、有志の諸君。ボクが主催した、この秘密会議へ、ようこそ。東京に銃乱射犯が潜み、緊急事態宣言が発令されている中、わざわざご足労いただいたことに感謝する」
金髪の少年もプールサイドに立つと、集まった男女を見渡して告げた。
全員、口を閉ざしたまま、疑念の目だけを少年に向けている。
あまり友好的でない雰囲気には構わず、金髪の少年は語り出した。
「君たちは政界や財界、メディア界隈をはじめとする、各界で名の知れた者たちだ。普段は、立場や信条すら違っている者同士だが、面白いことに、今日ここに集まった理由だけは共有している。その理由とは、実にシンプルなものだ」
仮面の下から覗く、少年の唇だけが、笑みの形を作って見せた。
「――――身近なことに疑問を持っているという点さ」
集まった男女は、依然として沈黙したままである。だがそれぞれの表情に、僅かな焦りのようなものが見受けられた。少年の指摘は、おそらく図星だったのだろう。各々の胸中に、何か思い当たることがある様子だ。
少年は続けた。
「民意とは思えない選挙結果。不自然なタイミングで起きる自然災害。人々の記憶から不自然に消える、事件や事故の痕跡。偶然を装っているが、何者かの意図が働いているとしか思えない犯罪。あるいは国際情勢。世界を陰から動かしている“何か大きな存在”の気配を感じているが、それが何であるのかは掴めていない。財団は君たちのような人物を探し出し、選抜して、こうして声をかけて集めたわけさ」
少年は「そうだろう?」と言いたげに、皮肉っぽく肩をすくめた。
「世界を裏から牛耳る大いなる存在がいる。そんな話し、普通なら妄想や陰謀論で片付けられそうなものさ。だが実際に身近で奇妙なことを経験してしまったがために、君たちは“黒幕”が実在することを確信してしまっているんだろう? 友人や愛する者を失った者。家族を失った者。ここに集ったのは皆、得体の知れない誰かの意図によって、大切な何かを喪失した者ばかりだ。それに日頃から、並々ならない疑念と驚異を感じているはずだよ」
「前置きは良い。教えてくれ。君たち――――“アルトローゼ財団”とは何なのだ」
少年の話の腰を折るように、それまで黙っていた1人の男が、口を開いた。
老練な雰囲気の男だ。オールバックにした白髪。幾重にもシワを刻んだ、厳格な顔つき。おそらく高齢者であろう年齢だが、眼差しに宿る熱は強く、見た目よりも若々しい印象を受ける。
老人は目線だけを地面に伏し、悔しそうに歯噛みして言った。
「15年前の、私の娘の事故……。私は失意の底に落ち、選挙戦を戦えるような状態ではなくなった。その結果、私を主とした政治派閥は大敗。今にして思えば、たしかに過去のあの選挙戦は、何者かの意図によって、この国の社会情勢が変化するように導かれた結果に思えている。選挙の結果を操作するために、意図的に娘は殺された。私には、そうとしか思えない状況だった。だが、なぜ今さら、その話しを持ち出して私へ近づいてきた。なぜ私の胸中に、今もその疑念が燻り続けていることを知っている。君たちは……娘の死について、何か知っていると考えて良いのか?」
「もちろんだよ、仙崎ナオヤ総理」
「!」
少年の即答を聞いた老人は、驚いた顔をする。
同時に周囲の人々も、別の意味で驚いてしまう。
星の光のみで照らし出されているプールサイドは薄暗く、互いの顔が見えづらい。だがその老人の顔を遠目に見ていた人々は、先ほどから「どこかで見た顔である」とだけ思っていた。まさかそれが、連日のニュースで見かける現職の総理大臣であるとまでは、想像力が及ばなかったのだ、そのための驚きと、どよめきの声が漏れ出た。
少年は話しを捲し立てるよう、全員に宣言した。
「総理だけじゃない。ここにいる全ての人々に、各々の事情がある。けれど、みんな求めていることは同じさ。自分を追い詰めた“黒幕が誰なのか”を知りたいんだ。ボクは、それを教えることができる」
その場の全員が、互いの顔を見て様子を窺い始める。
お互い、普段は接点のない人間同士なのだ。
少年の話を聞いてどう思っているか。信用するのか。空気を探ろうと必死である。
まだ疑心暗鬼が続いている様子の人々へ向かって、少年は続けて言った。
「ただし、タダで教えると言うわけにはいかないな。ある条件を呑んでもらうつもりだ」
「その、条件とは?」
知りたい真実を教えると告げる少年。
その話に、総理は前向きな態度のようである。
総理が話しに食いついてきたことを気取り、少年は不敵に笑んで答えた。
「――――ボクたちの仲間になることさ」
「仲間だと……?」
そう呟いたのは総理ではない。
プールサイドの隅に立っていた、メガネをかけた面長の男である。
「ああ。この財団について、触れ込みはすでに聞いているだろう? アルトローゼ財団は“人類を驚異から守る”ために発足された。一見してただの慈善団体に見えるようにカモフラージュしているが、実態は、君たちが存在を信じている、人類の驚異たる黒幕に対抗するための組織さ。ボクたちの仲間になるなら、君たちが知りたがっている真実を提供しよう」
「財団への協力と引き換えに、情報を提供すると言うことかしら」
別の女が尋ねてきた。
総理以外にも、ポツリポツリと、人々は口を開き始めている。
少年は肯定する。
「そうなるね。だが少し誤解がないように言っておこう。仲間になることを選んだのなら、引き返すことはできないんだよ。真実を知ったが最後、アルトローゼ財団の庇護がなければ、君たちは黒幕の陣営によって、必ず暗殺されるからだ」
「!?」
唐突に物騒な話しが出て、全員が驚きに目を見開く。
命の危険が伴う判断を求めながら、少年は続けた。
「それが徹底して行われるているからこそ、黒幕の存在は、いまだ世間に知られていないのさ。これまでも、これからもね。実際にボクたちも、殺されかけた身なのでね。それは間違いないと断言しておくよ。事実、君たちの周りでも不審死した者たちがいたんじゃないのかい? 言い方を変えれば、お互いの命を守るために、お互いの助力が必要になると言うことさ」
全員、思い当たることがあると言った表情をする。
「この場に集まる前に、君たちは察しがついていたはずだよ? この話し合いをすることが、どれだけ危険なことなのか。黒幕が、とてつもなく危険な存在であるのか。まさか少しのリスクも負わずに、欲しい情報だけを得て帰れるだなんて思ってなかっただろう? だから判断して欲しい」
少年は両腕を広げ、警告する。
「タダで聞かせられる話しはここまでだ。これ以上のことを求めるのなら、それ相応のリスクが伴う。それを良しとしない諸君がいるなら、今すぐ、この場を出て行ってくれ。引き返すのなら今しかないよ?」
選択を迫る少年。
言われた全員が、神妙な態度で押し黙る。
今夜、集まった人々が、抱えている理由はそれぞれだ。
真実を知りたい者。
黒幕への復讐を求める者。
正義感を滾らせる者。
いずれも並々ならぬ決意と覚悟を持っている。リスクを承知で少年の誘いに乗ってきたのだ。誰も手ぶらで帰るつもりなどないだろう。実際に、少年のその読みは正しかった。
――誰も去る者はいない。
今はただ、全員が決意の眼差しで、少年に注目している。
「クク。誰も退室しないと言うことは、全員、とっくに覚悟は決まっていたようだね。良いことだ。なら君たちを“最初の同士”として、アルトローゼ財団の一員に迎え入れよう」
少年は満足げに笑み、宣言した。
異論を唱える者は、誰もいなかった。
「さてと。ご希望の本題に入る前に、前置きがあって申し訳ないけれどね。まずは財団の“研究チーム”の報告から聞いてもらう必要がある。彼等のプレゼンを、少しの間だけ、聞いてもらえるかな?」
「プレゼンだって?」
「研究チーム……? 私たちの知りたいことと、何の関係が?」
口々に疑問を発する同士たちには構わず、少年は手を叩く。
すると、プールサイドへ新たな人物が入場してくる。
ネクタイはしていないが、ヨレヨレのスーツを着た小太りの中年男である。
あまり清潔感のないその男は、かけているメガネの位置を正して自己紹介をした。
「こんばんは。素粒子物理学を研究しています、真上サトルと申します。一時期、メディアに顔出ししていましたので。もしかしたら、ご存じの方もいると思いますが。京帝大学に勤めており、ノーベル賞を受賞しました」
見た目の貧相さに反して、スケールの大きな挨拶をする男。
真上はニタリと微笑んで、付け足して言う。
「時間も限られていますので。不躾ながら、この場では私の細かい経歴については割愛させていただきます。ただ言っておくと、現在はアルトローゼ財団専任となりまして、“マナ”の研究チームを率いる代表研究員をしています」
「マナ……?」
「聞いたことがありませんね」
真上の口から出た単語に、疑問の声が上がった。
不思議そうな顔をしている人々へ、真上は少し、興奮気味の口調で答えた。
「その存在を、私も2ヵ月ほど前に知ったばかりです。財団から与えてもらった“偽装フィルター”と呼ばれる拡張機能の力で、マナと呼ばれる新たな素粒子の一種を目視することができるようになったのですよ。それ以来、毎日が驚きと発見の連続でして。まさか、長年にわたって研究してきた“常温での量子もつれ状態”が、私たちのすぐ周囲で、自然現象として起きているところを目撃できるなんて、思いもしなくて――――」
「真上先生。話しが逸れそうだが、皆さんにもわかりやすく説明を続けてくれるかな?」
少年に窘められ、真上は我に返る。
「……これは失礼。つい興奮していまいまして」
真上は謝りながら、改めて全員を見渡して話し始める。
「最初に、皆さんには突飛なことをお伝えしなければなりません。それは常識的に考えれば、とても信じられないような話しばかりになります。ですが……どうか説明の途中で疑義の声を挟まず、まずは最後まで、私の話を静聴いただければ幸いです」
「あの……資料とかないんですか? 何か専門的な話しになるのなら、いただけるとありがたいのですが」
早速、疑義の声が上がってしまう。
真上は申し訳なさそうに答えた。
「すいません。今からお話することは極秘事項ですため、情報流出防止の観点から、資料等は用意していません。ですが最後に、皆さんにも偽装フィルターと呼ばれる拡張機能を支給しますので、そうすれば私の話を信じてもらえると思います」
「偽装フィルター?」
総理は怪訝な顔をして呟いた。
これ以上もったいつけると、次々と質問が出てきてしまうだろうことを、真上は予見した。
咳払いをしてから、真上は全員に警告するように話し始める。
「我々、人類は有史以来――――世界の本当の姿を知らずに生きてきました」