6-12 刑事買収
病院前で2人の刑事に任意同行を求められた。
峰御兄弟は、それに従うことにする。
あくまで任意での同行であるため、刑事の誘いを断ることもできた。だが変に拒否して、妙な疑いをかけられても面倒である。やましいことがないことを主張するためにも、ここは素直に従った方が得策だと、そう判断してのことだった。
とは言え……やましいことが何もないわけではない。
刑事2人は、峰御兄弟が現場にいたことを知っているようで、その時のことについて話しを聞きたい様子だ。トウゴが未成年なのに、入店してはいけない店に入り込んでいたことは、すでにバレているのだろう。そのことについては、多少の叱責を受けるかもしれない覚悟はあった。だが、警察に尋ねられて困る不都合な事実と言えば、今のところ思いたるのは、それくらいである。任意同行に従うのは、問題ないはずだ。
パトカーに乗る経験など、初めてだった。
後部座席に乗せられた2人は、車窓の向こうに流れていく東京都の景色を、しばし楽しんだ。夕陽が暮れようとする頃、パトカーは中央省庁街へ辿り着く。桜田門前を通過して霞ヶ関に入れば、大きなアンテナが生え出たビルディングが見えてくる。
警視庁本部。
日本国を守護する、警察組織の総本山である。
地下駐車場で車を降り、トウゴとユウトは、刑事の背に続いてエレベーターへ乗り込んだ。先導されてやって来た先は3階フロア。その廊下の奥に進むと「取調室」と銘打たれた部屋がいくつか並んでいた。刑事の1人が、振り返って告げてきた。
「それじゃあ、トウゴくんは3号室。お兄さんは5号室へ。別々の取調室に入ってくれるかな?」
唐突に言われ、2人は驚いた。
先に尋ねたのは、ユウトの方である。
「ま、待ってくださいよ、刑事さん。取り調べ? 任意同行で一緒に来ただけなのに、ずいぶんと物々しくないですか?」
「ご安心を。これが通常の手順ですよ。任意聴取は、取調室でやるものなんです。ナイトクラブに居合わせた他の目撃者の皆さんにも、お2人と同様に、取調室での聴取をさせていただいてるんですよ?」
「……」 「……」
トウゴとユウトは、思わず顔を見合わせてしまう。
通常の手順だと言われてしまうと、そう言うものなのかとも思えてしまうが……。それにしても、取調室で刑事から聴取されるとなると、否応にも緊張してくる。ドラマや映画で、凶悪犯が自白を迫られる場所、というイメージしか持ってなかった。罪を犯したわけでもないのに、まるで犯罪者扱いされているような気がして、何だか落ち着かない。
トウゴとユウトは、その場で別れる。
そうして、別々の刑事に連れて行かれ、別々の取調室へと案内された。
先導していた刑事が、取調室の扉を開けてくれて、背後のトウゴへ入るように促してくる。
トウゴが室内へ足を踏み入れると、刑事はニヤリと微笑んだ。
「それじゃあ、ごゆっくり――――斗鉤さん」
「!?」
刑事が口にした名前を聞いて、トウゴは驚愕する。
聞き間違いではないかと思い、振り返るが、すでに刑事は扉を閉めていた。
外鍵がかかる音がした。閉じ込められた。
取調室は簡素な造りで、広くない。白塗りの壁。はめ殺しになっている格子付きの窓。隣室から他の刑事が監視しているのであろう、マジックミラーになった壁がある。中央にはポツンと事務机が1つ置かれていて、その椅子に、腰掛けている少年の姿があった。
「――よお、底辺野郎のくせに、ずいぶんと俺様を待たせてくれたじゃねえかよ」
染め上げた金髪。両耳はピアスだらけ。ロングのレザーコートを羽織った、チンピラ風の容貌だ。少年の顔を見るなり、トウゴの怒りが沸騰する。
「てめえ、斗鉤ダイキ!」
「やっぱりてめえ、俺様のこと知ってんのか……?」
「……っ!」
怒りにまかせて、思わず名前を口にしてしまった。
迂闊な失態に、すぐに気が付く。トウゴはすかさず、口を噤んだ。
よく室内を見ると、いるのは斗鉤ダイキだけではない。
黒髪で和服姿の、ユエと呼ばれていた少女も、部屋の隅に立っているではないか。明るいところで間近に顔を見ると、不健康そうな色白の肌をした少女だ。全体的に痩せ気味で、頬が少し痩けている。
ユエは無言で、冷ややかな眼差しをトウゴの方へ向けていた。
刑事の任意同行でついてきた先。
しかも警視庁本部に、帝国関係者であるユエとダイキが、なぜ待ち構えているのか。
兄のユウトが予見していた通り、警察も帝国の仲間であったとしか思えない状況だ。
「兄貴の勘、ガチだったのかよ……!」
予期していなかった最悪な状況に、トウゴは毒づいてしまう。
「良いから座れや。そこ」
ダイキは、トウゴへ着席を求めてくる。
事務机を挟んで置かれた椅子が1つ。ダイキの向かい席が空いていた。
渋々と、トウゴはその指示に従うことにする。
トウゴの方から、最初に尋ねた。
「どうなってんだ、お前等は俺と同じで未成年だろ? どう考えても警察なんかじゃねえのに、どうしてこんなところにいるんだよ……!」
「そりゃあ、忙しいお巡りさんたちの代わりに、ナイトクラブへ忍び込んだ不良少年の聴取をやってやろうっていう、親切心からに決まってんじゃねえか?」
わざとらしく、いい加減な説明をするダイキ。
目の前の男が、サキを傷つけたことを思うと――――トウゴは冷静なままでいられなくなりそうだった。ヘラヘラとしている態度も、見下してくる目付きも、何もかもが癇にさわる。今にも飛びかかって殴りつけたくなる衝動を懸命に抑えながら、トウゴは情報を引き出そうと、努力した。
「この部屋、監視カメラがあるじゃねえかよ。俺たちの会話も聞かれてるんだろ? 記録されてるのに、まずいんじゃねえのか。こんなところでペラペラと、お喋りするのは」
「ここのお巡りさんたちは、みんな親切でなあ。カメラもマイクも切ってくれてんだよ。他人に話しを聞かれない静かな場所も、こうして用意してくれてんだぜ? だから安心して喋れよ、なあ?」
「どういうことだ。まるで警察が、お前に協力してるような口ぶりじゃねえか……!」
「お前さー。世間知らずだろ?」
ダイキは椅子の背もたれに寄りかかり、足を組んで皮肉っぽく話した。
「警察で働いてるヤツらが全員、刑事ドラマに出てくるような、品行方正な正義感の塊とかだと思ってんの? ちげーんだな。世の中のヤツらは、どいつもこいつも金欲しさに仕事してるだけの、単なる“労働者”なんだっての。つーまーりー。いつだって、たくさん金を払ってくれるヤツの言うことを優先して聞くんだよ。上司やお偉いさんたちじゃなく、俺様みたいな金持ってるヤツの言うことをなあ?」
「金で買収したって言ってんのか、刑事たちを……!」
「お前を連れてくるだけで200万円。簿給の下っ端どもは、みんな喜んで協力してくれてるぜ?」
ニヤけながら、自慢げに刑事たちを買収したのだと告げるダイキ。
口ぶりからして、警察全体を買収して味方にしているわけではなさそうだ。さすがにダイキにも、それほどの資金力はないのではないかと思った。だがトウゴたちをここへ連れてきた、末端の刑事たちの何人かは、おそらくダイキに金で凋落されている。警視庁の中に、どれほどの人数の汚職刑事が潜んでいて、それがどの程度の勢力になっているのかは、今のところ想像もできない。
「こっちの事情はどーでも良いんだっつの。それよか、てめえの話しだ、底辺野郎?」
ダイキは、トウゴを指さして言った。
「現場から押収された監視カメラ。警察が必死になって解析してた映像になあ、変なシーンが映ってるの、見つかったんだわ。お前さあ――――俺様たちの席に盗聴器しかけたろ?」
「……!」
事件後の警察の捜査で、トウゴが盗聴器を仕掛けていたことが判明したようだ。
おそらく汚職警官が、それをダイキへ報告したのだ。気付かれてしまった。
「はあー。お前やっぱ、頭わりぃんだな。そんな顔して黙り込んだら、認めてるのと同じだろが」
「……くっ!」
「しっかも監視カメラの映像からわかったのは、そんだけじゃねえんだよなあ。警視庁の刑事さんたちは優秀でよー。読唇術ってやつ? 詳しいことは知らねーけど、銃乱射犯を見たお前が、どうしてか“斗鉤”って名前を出してる場面が映ってたんだなー、これが。おかしいよなあ? なんで“偽装”中の俺様たちの正体が、てめえみたいな底辺野郎に見破られてたんだ?」
警察の捜査によって、かなり不味いことを色々と知られてしまった様子である。わざわざトウゴを、こうして警視庁本部に連れ出してまで、話しを聞こうとしている理由がわかった。知りすぎているトウゴのことを危険人物だと考え、警戒しているのだ。
「俺様たちの偽装を見抜けるだけじゃなく、何でか知らねえがー、意図的に俺様たちのことを探っていやがったわけだよな? どうして探ってやがったんだあ。俺様は理由が知りてえんだよ。お前さあ……何者だよ?」
ダイキはニヤけるのを止めて、鋭い目付きでトウゴの顔を覗き込んでくる。
背筋が寒くなるような、ゾッとするほど冷酷な眼差しである。
――殺される。
このまま、ここにいては間違いなくそうされる。
相手は銃を乱射して、無差別に人を殺しても平気な人間だ。
トウゴを殺すことなど、躊躇いもしないだろう。
命の危険を感じ、トウゴは背筋を寒くするしかない。
「まるで知覚制限がかかってねえみたいな感じじゃねえか? けどそうするとおかしいんだよなあ。そういうヤツは必ず、EDENで検知されて、掃除係の異常存在どもに始末されるのが、この白石塔内でのルールだってのに。それ無視してんじゃん?」
「……!」
「ああん? ダンマリかー?」
膝を固く握りしめ、トウゴは全身に脂汗をかいていた。
逃げ出したかった。
だが施錠された密室から。
警視庁本部から。
どうやって逃げおおせれば良いと言うのか。
黙ったまま何も語ろうとしないトウゴに苛立ち、ダイキは面倒そうな顔をした。
「俺様には妹みたいな趣味はないんで、拷問とかするの、かったるいだけなんだよなあ。てっとり早いのが1番だろ。……おい、ユエ」
ダイキは、取調室の隅に立っていた、和服姿の少女へ声をかけた。
ずっと黙って話しを聞いていたユエは、表情1つ変えずに返事をする。
「何かしら」
「お前の支配権限で、コイツに“自白”を命令してくれや。俺様たち下民なんで、そういうのできねえんだわ」
「構いませんよ」
ユエはダイキの傍まで歩み寄ってから、次にトウゴの目を見て命じた。
「――――峰御トウゴ、知っていることを全て教えなさい」
「!」
命じられたトウゴは、自分の意思に反して、これまで自分の身に起きた奇妙な出来事の全てを語り出してしまう。オカルト研究部の動画撮影で、浦谷と遭遇したこと。佐渡と出会い、世界の真実を知ってしまったこと。そして無人都市へ潜入し、アトラスという異形の存在から、人類の未来を託されたこと。その全てを話してしまう。
「くっそぉ! どうなってやがる……何で俺、勝手に全部、喋らされちまったんだよ!」
命じられただけで、強制的に話しをさせられてしまった。
自分の不甲斐なさと、敵側に事情を知られた現実に、トウゴは半泣き顔になってしまう。
一方、トウゴの自白を聞いたユエとダイキは、一様に目を丸くして唖然としていた。
あまりにも予想外な話しをトウゴから聞かされ、呆気にとられてしまっている様子だった。
だがしばらくして、ダイキは哄笑を上げた。
「ハッハッハ! こりゃあすげえ! 予期せず、ずいぶんとまあ、おもしれえ話しを聞いちまったもんだよなあ、ユエ! お前は知ってたのか?」
変わらぬ無表情で、ユエは応えた。
「……いいえ」
取調室に、ダイキの笑い声が響き渡る。
腹を抱え、足でバタバタと地面を蹴り、ダイキは笑い転げた。
「アトラスとか言う機人が匿っていた、人類最後の希望だあ? それが今こうして、追跡を命じられてるターゲットのアデルちゃんだったってのか? 真王様を討ち滅ぼせる存在で、下民が帝国に下剋上するための、重要人物とはなー。こりゃあ、ぶったまげた。恐れ入ったわ」
ひとしきり笑った後、ダイキは席を立った。
トウゴの傍らに歩み寄り、その肩にポンと片手を置いた。
「普通ならよー。信憑性を疑うような、夢物語みたいな話しだ。だが……なるほどなあ。あの“四条院キョウヤ”さんが直接、わざわざ出向いて来た理由も、それなら納得がいくぜ。ターゲットが見つからないなら、東京ごと廃棄処分にしてでも草の根分けて探すってかあ? 10日間の捜索期限がある理由も、なるほど全部繋がるじゃねえかよ」
ダイキは前髪を掻き上げ、天井を仰ぎ見てニヤけた。
「はあー! 最高だ! 知らねえ間に、クソおもしれえ状況になってやがったわけか。こりゃあ下手すりゃ始まるんだろ? 雨宮アデルを巡る、企業国同士の“戦争”ってやつがよ」
不遜な発言をしているダイキに、ユエが冷ややかに尋ねた。
「……何を企んでいるの?」
「ケケケ。さて、どうかなー?」
「何でも良いけど、キョウヤ様の計画を邪魔するつもりなら……あなたを生かしておかないけど?」
「おいおい、そりゃあこええな。別に裏切るつもりなんてねえよ」
「……」
「信じろってー、ユエちゃーん」
ヘラヘラしているダイキ。ユエは無言で、疑念の眼差しを投げかけていた。
ユエは元より、ダイキのことをあまり信用していないのだろう。
感情が表に出ない少女だが、その目に嫌悪が混じっていることはわかった。
ダイキは、トウゴの処分を決めた。
「よし。お前、面白い。もう少し生かしておいてやろう」
言うなりダイキは、取調室の扉を何度か蹴る。
その騒音に気付いた刑事が、扉の外鍵を開けて入室してきた。
トウゴをこの場へ連れてきた刑事である。
「峰御兄弟に、でっちあげでも何でも良いから容疑をかけろ。俺様が良いと言うまで、留置場へぶち込んでおけ」