6-11 任意同行
池袋のナイトクラブで起きた銃乱射事件。
あれから、3日が経っていた。
撃たれて怪我をした被害者たちは、事件現場から最寄りの都内病院に運び込まれていた。テレビでの報道で言われていた通りなら……今のところ、重軽傷者は38名らしい。いまだ意識不明の重体もいて、日が経つにつれ、命を落としてしまうケースも多いと聞く。死者数について言えば、当日に現場で即死した人たちも数えれば、すでに20名以上が亡くなっている。
連日連夜。SNSも、ニュースの話題も、乱射事件で持ちきりである。そして、それは今も続いている。銃の所持が認められていない日本で、本来なら起こり得るはずもない殺戮だったのだ。
まさに日本の犯罪史上、最悪の銃乱射事件として、歴史に刻まれたことだろう。
犯人の少女2人組が、どのように高性能な銃を国内へ持ち込めたのかという疑問も、話題にはなっている。だがそれより、もっぱら人々の関心は、犯人に対する制裁をどうするかにある。事件後、少女たちが路上へ捨てた銃器が押収されているものの、いまだ捕まっておらず、逃走中なのだ。都民たちは安眠できない日々が続いている。ネット上では連日、少女たちの潜伏先を推理する人々や、身元特定に励む者たちが溢れていた。
不幸中の幸いなことに。犯人だと誤解されているアデルとイリアは、淫乱卿の晩餐会のために拉致された時、第138実行小隊員の支配権限によって、学校の人々の記憶から存在を忘れ去られている。学校の在籍記録ごと消されているため、一般人には、身元を捜索しようがない状況である。
しかしそんな事情を、トウゴが知るよしもない。
「……」
夕陽が差す、病院の廊下。
個室の戸の前で、峰御トウゴは立ち尽くしていた。
その手には、人柄には似合わない花束を持っている。
戸のネームプレートには「吉見サキ」の名前が書き込まれていた。
なかなか踏ん切りがつかない。戸を開ける勇気が出なかった。
だが面会時間が、もうすぐ終わろうとしているのだ。
いつまでも、立っているだけと言うわけにもいかなかった。
意を決して、戸をノックする。
「はーい」
サキの声ではない、大人の女性の返事があった。
思わず緊張し、トウゴは固い唾を飲んでから名乗る。
「第三東高校の、峰御トウゴっス。クラスを代表して、お見舞いに来ました」
「……どうぞ」
トウゴは深呼吸をしてから、戸を開けた。
病室はカーテンが閉め切られていている。だが、その布地を貫く眩い夕焼けによって、室内は電灯がついていなくても明るかった。1つだけ置かれたベッドには、トウゴがよく知る少女が横たわり、眠っている様子である。病院服を着せられ、点滴や心電図を取り付けられていた。
病院に搬送されて以来、いまだ目覚めない友人。
その姿は、見るだけで辛い。
吉見サキの、痛々しい姿である。
「あなたが、トウゴくん?」
ベッドの傍らの椅子に、腰掛けているメガネの女性がいた。
サキによく似た顔立ちである。
「あの……。サキさんの、お母さんスか?」
「ええ」
サキの母親は、トウゴへ優しく微笑みかけてくれた。
「トウゴくんって、言ったわよね。あなたのことは、娘からよく聞いているわ。同じ部活で、いつも一緒に、娘の動画撮影に付き合ってくれているお友達でしょう? いつもサキと仲良くしてくれてるのに、こうして会うのは、初めてね。娘と遊んでくれて、ありがとうね」
「と、とんでもないッス! あ、この花。クラス全員が小遣い出し合って買ってきた花ッス。みんな心配してんですけど、病院にあんまり大人数で押しかけてもなので……代表で俺が来ました」
「きっと、起きたらサキも喜ぶわ」
トウゴは花束を差し出すと、サキの母親は、それを受け取ってくれた。
そうして何となく、2人して、眠っているサキの顔を見やってしまう。
サキの母親は、悲しそうに表情を曇らせた。
「まったく……困った子よね。未成年のくせに、ナイトクラブに忍び込んでいただなんて。そのせいで、あんな事件に巻き込まれてしまって。こうして目が……」
「……」
撃たれたサキの左目。そこには分厚いガーゼが当てられ、テープで厳重に固定されている。いまだ出血しているのか、ガーゼは薄らと赤く滲んでいた。それを見ると、トウゴの胸中は苦しくなる。
「サキさんの目……治るんスか」
聞かれたサキの母親は、少し黙り込んでしまう。
娘の頬を撫でてやりながら、トウゴの質問に答えてくれた。
「お医者様の話では、左目は失明してしまったそうよ。もう治らないわ。右目だけでも残っていて、まだ運が良かったのかもしれないけれど……。目が覚めた時に、嫁入り前の顔に傷が付いてしまったのは、きっと、とても傷つくわ。これから娘は、すごく辛いはずよ」
サキの容態を聞かされたトウゴは、歯噛みして、拳をギュッと握り込む。
そうして、サキに何もしてやれない自分の無力さや、悔しい気持ちを抑え込んだ。
「いったい娘は、どうしてナイトクラブになんか行きたかったのかしら。普段のこの子を知っているなら、トウゴくんもわかると思うけど。そんなところへ行きたがる子じゃないはずよ。何か理由があったのだと思うわ。あなたは、何か知らない?」
知っている。
だが、それをサキの母親に説明しても信じてもらえないだろう。
「俺にも、わからないッス……」
気丈に振る舞っている様子だが、娘の痛々しい姿に胸を痛めているはずなのだ。そんなサキの母親を、これ以上、混乱させたり、心配させたりしたくないと思った。だからトウゴは、話したい気持ちを飲み込む。
「すんません。俺、失礼します」
トウゴは踵を返し、逃げるように病室を去ろうとする。
そんなトウゴの背中に、サキの母親は言ってくれた。
「お見舞いに来てくれて、本当にありがとう。サキが起きたら、伝えておくから」
トウゴは唇を噛み、病室の戸を閉めた。
◇◇◇
思い切り、病院の外壁を殴りつけた。
「よくもサキを! アイツら……許せねえ!」
「落ち着けよ、ブラザー。そうして壁に当たったって、手が痛いだけだぞ」
刈り上げの黒髪。ミリタリージャケット姿の、トウゴの兄。
峰御ユウトは、喫煙皿の置かれたベンチに腰掛け、淡々と忠告した。
サキの見舞いのために、トウゴは兄の車で、病院まで送ってもらっていたのだ。病院前の駐車場。その脇にある休憩用のベンチで待っていた兄と合流するなり、トウゴは、壁を殴りつけたのである。
肩を怒らせ、目を血走らせているトウゴ。
弟の憎悪が並々ならぬものであることを気取り、ユウトは溜息を漏らした。
「なあ、トウゴ……。お前、何に巻き込まれてんだ?」
「え?」
兄に問われると、怒り心頭だったトウゴは我に返る。
話しを聞くつもりになった弟の態度を見て、ユウトはタバコを吹かしながら続けた。
「急にナイトクラブへ忍び込みたいだなんて言い出したかと思えば、その日に限って、あの銃乱射事件だ。しかもお前たち、あの事件が起きることを、まるで予見してたみたいなこと言ってたよな? 警察に連絡しろだなんてさ。どう考えても冗談なんかじゃない。いったい何を隠してるんだ? もしかして、犯人たちのことも知ってたりするとかか?」
「……」
すでにユウトは、トウゴとサキが事件について何か知っているのであろうことを確信している様子だ。普段は頭が良くないくせに、勘だけは、野生動物と同じくらいに鋭い兄である。ナイトクラブで警察を呼ぼうとしていたトウゴたちの行動も、誤魔化しようがない。どのみち、今はサキがいないのだから、トウゴの頭では上手い言い訳など思いつかない。
そうは言っても、観念して、素直に説明できるような話しでもない。
言い訳できないのなら、答えないまでである。トウゴは不貞腐れたように答えた。
「……どうせ言っても、信じてもらえねえよ」
「バカ言え。俺はお前の兄貴だぞ?」
ユウトはニカっと笑って、トウゴへ言った。
「どんなバカな話しだって、信じるに決まってるだろ。兄弟なんだから、当たり前だ」
「兄貴……」
思わぬ兄の言葉に、トウゴは涙ぐんでしまう。
そうまで言われてしまっては、話さないわけにもいかない気かした。少し躊躇いはあったものの、トウゴは自身や友人たちを取り巻く状況を説明する。
トウゴが話しをしている間、兄は黙って、ただ耳を傾けてくれていた。険しい顔をしてはいたが、頭ごなしにトウゴの話しを否定しない。そんな兄の態度が嬉しくて、トウゴは胸中に鬱積していた思いを吐き出すよう、饒舌になって話してしまった。
トウゴの話しを聞き終えたユウトは、タバコを吸いながら、険しい顔をしていた。
「……信じるとは言ったが、思っていた以上に、そりゃあ、ぶっ飛んだ話しだな」
「だろ?」
トウゴは、それ見たことかと相槌する。
ユウトは聞いた話しを整理するべく、まとめた。
「有史以来、全人類に偽の世界を見せ続けて、知らぬ間に隷属を強いている真王。その配下である巨大な帝国とかいう組織が、社会を牛耳ってて、そいつらに対抗できるアデルって女の子を、お前たちは守り、戦おうとしてると。そう言ってんだよな?」
「おお」
「んで、行方不明のアデルちゃんの行方を追ってたら、あのナイトクラブに辿り着いたと。銃乱射事件の犯人たちは“姿を偽れる”トンデモ能力を持った帝国側の人間で、斗鉤って名字の兄妹なわけか。まったく、三文小説でも書けそうな、どでかいスケールの事情だぜ」
半信半疑な様子の兄を見て、トウゴは少し落胆する。
「だから言ったじゃねえかよ、兄貴には信じてもらえねえって……」
「べ、別に信じねえとは言ってないだろ! ちょっと予想外すぎて、驚いてるだけだ!」
弟の失望を察知したユウトは、慌てて否定する。
喫煙皿にタバコを押し当てて火を消した。
「しっかし……その話しが事実だとするとよ。お前、かなりヤバい状況になってんな」
「ん? なんでだ?」
わかっていない様子のトウゴに、ユウトは言った。
「ナイトクラブで、お前の友達の姿に化けて犯人は暴れてた。そんでもって今も逃亡中ってことにしてるんだよな。察するに、おそらくその狙いは、彼女を“お尋ね者”にすることじゃないのか?」
「そうする意味あんのか?」
「たぶんだが。市民たちからの“通報”を期待してる、ってとこだと思うわけだ。どういう事情だか知らないが、帝国側も、もうアデルちゃんの存在を知っていて、お前やサキちゃんと同じように、探してるところなんだろうよ。市民たちに探させることができれば、監視の目が都内中に生まれる。そりゃつまり、捜索人数が増えるわけだから、効率が良いだろ」
「おお、なるほどな」
「んで、そういう市民の通報を受け取れるのは誰かっていや……警察だろ。つまり“警察は帝国に通じてる”ってことになるんじゃねえのか?」
「……マジかよ!」
ジャケットのポケットから新たなタバコを取り出して、ユウトはジッポーで火を点ける。
「俺が帝国側の人間だったとすりゃ、次の一手は“関係者”に当たることだな。彼女たちを匿っていそうなヤツ。家族や親族。友人、知人。そういう連中をしらみつぶしにしていって、少しずつ包囲網を狭めていくんだよ。そうすりゃあ、いずれはアデルちゃんに行き当たる。理屈に基づいて捜索範囲を絞っていくのは、人捜しの基本だな。自衛隊で習った。んで、警察が連中の仲間だったとするとだ。たぶんだが――――これから警察が、お前や俺のところへ来るぞ?」
青ざめた顔で、言葉を失ってしまうトウゴ。弟がようやく事態の深刻さを理解してくれたようで、話した甲斐があったのだと、ユウトは納得する。
「……ん?」
ふと、ユウトは気が付いた。
駐車場の奥のスペース。そこへ今しがた、駐車したセダン車から、2人のスーツの男が降りてくるのが見えた。寄り道することすらなく、真っ直ぐに、トウゴとユウトの方角へ向かって歩いてくるではないか。いずれも体格の良い、屈強そうな男たちである。
何となく嫌な予感がして、ユウトは頬を引き攣らせてしまう。
「おいおい、半分冗談で言ってたのに。まさか言ってた傍からなのか……?!」
スーツの男たちは、トウゴとユウトの近くまで来て立ち止まる。
2人の顔をマジマジと見てから、愛想良く微笑んできた。
「峰御トウゴくん。それにお兄さんの、ユウトさんだね」
スーツの男たちの浮かべた笑顔には、計算じみた何かが見え隠れしている。
その機微に、トウゴとユウトは気付いていた。
「我々は警視庁の者です。先日のナイトクラブの銃乱射事件について、2人とも現場に居合わせていましたよね? いくつか質問したいことがあるので、一緒に署まで、任意同行してもらえますか」
次話の更新は月曜日になります。