1-5 廃墟ホテルの怪人
オレンジ色に暮れなずむ空。それを背負った校舎。
夕焼け空が、廊下の窓向こうへ、美しく広がっていた。
校内放送で、放課後のチャイムが鳴り響く。
生徒たちは席を立ち、思い思いに教室を後にして行った。
友達と一緒に帰る者。所属している部活動へ向かう者。行き先は人それぞれだ。
通学鞄を手に提げ、ケイは廊下を歩いていた。
ふと、背後から肩を叩かれたため、振り返る。
すると、見知ったピアスの少年が立っていた。
「おーっす、雨宮」
「あ。どーも、先輩」
微笑みかけてくる峰御トウゴへ、ケイは挨拶した。
トウゴはケイの隣を歩き始める。
向かっている方角が同じであることを、ケイは不思議に思った。
「あれ。たしか今日は先輩、サッカー部の助っ人に入るって、言ってましたよね? そっちはやめて、オカ研に顔出すことにしたんですか?」
「ああ……仕方なくな」
トウゴは苦々しい表情で認めた。
「雨宮のところにも、吉見からダイレクトメッセージきてるだろ? 見せたいものがあるから、放課後は速攻で部室に集合しろって、急に言ってきやがった。なんでも緊急案件らしいじゃねえか」
「言ってましたね。部長のテンション高すぎでした」
「こういう時は、大抵ロクなことじゃねえんだが……まあ、部長に呼び出されちまったら、行くしかねえだろ」
乗り気でない様子のトウゴと歩いていると、廊下の向こう側から、こちらに歩いてくる坊主頭の集団と出会った。いずれも、白いユニフォームを泥で汚した、野球部の生徒たちだ。
坊主頭の1人がトウゴに気付き、すれ違い様に声をかけてきた。
「よお、トウゴ! 来週の西高との試合、また助っ人してくれるんだって? 今度もよろしくな!」
「任せとけって。西高の奴等なんざ、この俺が軽く捻ってやらあ!」
「だろうな。頼りにしてるぜ!」
袖をまくって力こぶを見せつけるトウゴに、野球部員たちは喜んでいた。
通り過ぎていく野球部員たちを見送り、そのやり取りを傍から見ていたケイは、なんとなく思ったことを言った。
「先輩って、あちこちの運動部から助っ人を頼まれてますよね」
「ああ? まあな」
「スポーツ推薦の話も上がるくらい、運動神経抜群なのに……。なんで運動部に入らないで、オカ研やってんですか?」
「ああ~ん? なんだあ、雨宮。お前が俺にそれを言うのかよ」
「?」
トウゴは奇妙な言い回しで答える。
その意図について、ケイはよくわからなかった。
「もしかして、雨宮は俺にオカ研を抜けることを勧めてんのか?」
「いやいや。そうじゃないですよ。最低でも3人は部員がいないと、部活動認定してもらえないですし。先輩がいないと、オカ研がなくなっちゃいますから。助かってはいますけど、なんか才能がもったいないって言うか」
「かぁ~。他人様のことに気遣いが多いよなあ、雨宮は。まあ、気持ちはありがてえけどよ。俺にも色々と事情があんだよ」
「事情ですか」
「おうよ」
話しているうちに、2人は部室の前にたどり着いてた。
そこは――教材室。
オカ研の部室として割り当てられた、ようするに小さな物置部屋である。
学園祭で使用する立て看板や、体育祭のプラカードなど、使用頻度の低い品々が棚に押し込められている、狭苦しい部屋だ。ただ、オカ研は部員が3名しかおらず、少人数のため、ケイとしては言うほど手狭には感じていない。
引き戸を開けると、その向こうにはすでに、仁王立ちの吉見サキが待ち構えていた。
「遅い! 遅すぎるわ、あなたたち!」
2人の顔を見るなり、サキは詰め寄って言ってきた。
「放課後は速攻で部室に集まれって言ったでしょ! 私が速攻って言ったらダッシュ! 走ってきなさい!」
「いきなりパワハラだな……」
「パワーでハラスメントしたくもなるわよ! 昨日の晩から、あなたたちにコレを見せたいと思って、ずーっと今まで我慢してたんだからね!」
言いながら、サキはハンディカムを手にしている。
それは、先日の廃墟ホテル撮影の時に、定点カメラとして使用したものだ。
ケイとトウゴは、即座に察してしまった。
「やっぱり、定点カメラの映像に、なにか入ってたんですね」
「ヤベえもんが映ってる予感はしてたんだが……ガチかよ」
「ヤバいなんて言葉じゃ、言い足りないくらいにすごいの撮れてるの! とにかく、そこへ座って! これから上映会するわよ!」
サキは2人の背中を押して、用意してあった椅子へ座らせる。
机の上には、サキの私物のモバイルPCが置かれていた。サキが動画編集に使っているものである。すでに動画プレイヤーが起動されており、再生ボタンを押すだけの状態にまで準備されていた。
ふと、ケイのポケットの中で、スマートフォンが震えていた。
どうやらアデルが、「私にも見せてください」と、無言で訴えているようだ。ケイは嘆息を漏らした。ズボンのポケットからアデルを取り出すと、胸ポケットへ移す。アデルの目であるカメラレンズを、PC画面の方に向けてやった。
サキはマウスを操作し、再生ボタンを押した。
「まずは、編集前の生の映像を見てちょうだいよ」
映像は、ハンディカムの夜間撮影機能で撮影されているため、赤外線視である。
全体的に緑色に染まった画面だった。
画面中央には、地下大浴場で、暗闇1人検証を始めたばかりの、トウゴの姿が映っている。
キョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡し、「何にも見えねえぞ」と呟いている声が入っていた。
みっともない自分の姿が映し出され、気恥ずかしさを感じたのか、トウゴは軽く咳払いする。
問題のシーンまで、サキは動画を早送りした。
画面に映ったトウゴの動きが止まる。
何かに気付いたようで、耳を澄ませて周囲の様子を確認している様子である。
やがてハンディカムのマイクが――――鼻歌のような音声を拾い始める。
「これって……男の声ですか?」
「だから言っただろ?! 男の鼻歌が聞こえたんだって!」
トウゴの空耳などではなかった。
鼻歌は徐々に鮮明に聞こえてくる。なんの歌なのかは見当もつかない。
それと共に、マイクは足音も拾っている。大浴場へ続く階段を、誰かが降りてきているような音だ。足音と鼻歌はどんどん大きくなり、恐怖に駆られたトウゴは懐中電灯を点けて、たまらず画面外へ逃げ出した。
「先輩が逃げましたね」
「見事な逃げっぷりよね」
「仕方ねえだろ! 怖すぎだっつの、こんなの!」
「シッ! 静かに! 問題はここからよ!」
トウゴがいなくなってしばらく――――“知らない男“が画面に映る。
ちょうど、トウゴが立っていた場所あたりで立ち止まった。
中肉中背。ネクタイにスーツといった格好を見るに、おそらくは会社員だろうか。
その異様さは、見てすぐにわかった。
「…………なんだ、コイツ……?」
「……懐中電灯を持ってないですよ。明かりも持たずに、あの廃墟の暗闇を歩いてきた……?」
「少なくとも、身なりの良さからして、この廃墟に住んでる浮浪者とかじゃなさそうよね」
男は手ぶらだった。
手荷物どころか、光源となるものさえ何も持っていない。
その場に立ち止まり、だらりと垂れた両肩を、ゆらゆらと左右に揺すっているだけである。 不気味な鼻歌を歌いながら、ニタニタと笑い。そのままずっと、その場に立ち尽くしている。
サキが動画を早送りするが、男はずっとその場に立ったままニヤけているだけである。
「うえええ……! キモいキモい。マジでキモい。なにしてんだよ、こいつ!」
本気で嫌悪している様子のトウゴが、青ざめた表情で画面を注視し続けている。
サキも同意する。
「まるでなにかに取り憑かれてるみたいな……気色悪い、謎の行動……としか言えないわよね」
やがて男は、フラリとその場を離れる。
画面外に去って行き、また鼻歌と足音を響かせ、廃墟を去って行った。
どうやら定点カメラの存在には気付かず、その場を後にした様子である。
サキはそこで、動画を止めた。
「……感想は?」
ケイとトウゴは、言葉に詰まった。
見てはいけない。関わってはいけないものを見た気がしていた。
「殺人事件の遺体処理が行われた現場へ、明かりも点けずにやって来て、何時間もニヤけて突っ立っているだけですか……まともじゃないです」
「キモいとしか、言い様がねえよ……。こいつ、本当に生きてる人間なんだろうな? 冗談じゃなく何かに呪われてね?」
「呪われてるって言われても、私は信じちゃうわね」
なぜだかサキは、嬉しそうにそう言う。
腕を組んで、自慢するように語った。
「こういう映像を求めて、オカ研は活動をしてきたわけよ。プラス思考で考えれば、この映像が撮れたのって大成功よね」
「良かったですね、部長。過去1番の撮れ高じゃないですか。これをニューチューブへアップしたら、かなりの再生数になりそうです。一気にチャンネル登録者数が増えそうですよ」
「おお! じゃあ晴れて俺たちのチャンネル、収益化ができるのか!? 広告料金で、左ウチワな生活できるのか!?」
「捕らぬ狸の皮算用ですが、もしかしたらワンチャンありますね」
「やったな! 吉見! お前も有名ニューチューバーになる夢が叶いそうじゃねえかよ!」
「――――甘いわよ、あなたたち」
「え?」 「はあ?」
サキの意外な言葉に、ケイとトウゴは怪訝な顔をする。
言い聞かせるように、サキは2人へ説明した。
「この動画をネットにアップすれば、たしかにそれなりの再生数が見込めるでしょうよ。けれど、そこまで。単発ネタで終わっちゃうわ」
「なにが言いてえのか……よくわかんねえぞ」
「もしも私が視聴者なら、この動画を見た後に、もっと突っ込んだことが知りたくなるわ。それこそが、視聴者が真に求めているものだと思うのよね」
サキは不敵な笑みを浮かべた。
「――――この男の“正体”を突き止めるのよ」
それを聞いたトウゴは、心底から嫌そうに顔をしかめた。
一方のケイは、感心した表情である。
「今のところ、この男については、廃墟に来て奇行をする謎の変態紳士ということしか、わかってないでしょ。視聴者的には、こいつがどこの誰で、何をしていたのか、すごく気になると思うのよ。もちろんこの国では、変態にもプライバシーがあるから、個人を特定できる情報をネット公開するのはまずいわ。ただその辺は、うまいこと編集して面白くできると思うのよね」
「そうきましたか……」
「マジ言ってんのかよ……」
トウゴは頭を抱えてしまう。
構わず、サキは鼻息を荒くして力説した。
「とりあえず。この動画は、一時的にアップロードを控えるわ。まずは、この男の正体に迫るドキュメンタリーを作成するのよ。そんで、それができたところで何編かに分けた動画投稿するの。そうしたら、これを単発ネタで終わらせずに済むでしょ」
サキは頭上を指さし、胸を張って宣言した。
「次なるオカ研のチャレンジは、題して“廃墟ホテルの怪人の謎に迫れ”よ!」