6-9 ジェシカ・クラーク
空中学術都市ザハル、居住区。
入り組んだ狭い通路に、いくつもの小部屋が存在していて、それぞれに人が住んでいる様子である。この飛空船が、元々は戦艦であったことを考えると、そこは兵舎であった場所なのではないかと思えた。それが今では、住宅地に改修されているのだろう。スラム街とまでは言わないが、狭くて薄暗い路地と言った雰囲気であるため、治安は悪そうである。
エリーの後に続いて、かれこれ20分くらいは艦内を歩き続けていた。
疲れたわけではないが、目的地もわからずに歩き続けるのは、さすがに嫌になってきた。
ケイは、胸中で燻っていた疑問を投げかけることにする。
「なあ、エリー。そろそろ、教えてくれても良いんじゃないか? いったい……どこへ連れて行くつもりなんだ?」
エリーは何も答えなかった。
黙々と歩を進め続ける少女の背を見つめ、ケイはさらに問いかける。
「オレは、イリアやアデルたちと合流したいんだ。エリーがオレの敵じゃなくて、居場所を知っているのなら……連れて行ってくれないか?」
「イリア様やアデル様の居場所について、残念ですが私は、情報を持っておりません。知っていたなら、教えて差し上げられましたでしょう。今のところ、私はケイ様と敵対するつもりなどありませんから」
振り向きもせず、エリーは淡々と答えた。
答えてくれる質問と、答えてくれない質問があるようだ。まだ行き先を教えるつもりはない様子だが、イリアやアデルたちの動向については、教えてくれそうだった。なら遠慮せずに、ケイは質問を続けることにする。
「だったら……仲間の居場所を探すのに協力してくれると助かる。エリーは、アークのことについてオレよりずっと詳しいだろうし。それにアデルは、帝国に狙われている可能性があるんだ。淫乱卿の手下たちが、オレやアデルの行方を追っているなら……助けないと」
エリーは足を止めた。
変わらぬ笑顔ではあったが、冷ややかにケイへ尋ねた。
「失礼を承知で言わせていただきますが。どうやって助けるのですか?」
「……?」
「今のケイ様が、アデル様の元へ戻ったところで、これから先も彼女を守ることができるのですか?」
「……」
痛いところを突かれた。
とても手厳しい意見だった。
それが反論しようのない指摘であるとわかっているからこそ、ケイは口を噤んでしまう。
淫乱卿と対峙した時から、ケイ自身も気付いていたことだ。
どう足掻いても敵わない。
まったく歯が立たないレベルの強敵が、この世に存在していたのだ。
これまでにケイが対決してきた怪物たちは、今にして思えば単純だった。いずれも、戦略や工夫次第で、攻略の糸口を見つけられる相手だったのだから。だが、戦略など通用しない。力だけで真っ向から戦略をねじ伏せてくる、初めから勝機すらない敵が、現実に現れてしまったのだ。
そんな敵たちが、これからアデルを狙い、攻勢を仕掛けてきたのなら……。
ケイはどうやってアデルを守れば良い。無力に等しいではないか。
「ケイ様は、アデル様のことを大切に想っていて、命を投げ打ってまで助けようとする。その覚悟を疑っているわけではございません。実際に貴方は、淫乱卿との戦いで、彼女のために死んで見せてくださいましたから」
エリーは微笑むことをやめ、真顔でケイへ宣告する。
「ですが、あの時のケイ様は、所詮は“死んだだけ”です。企業国王の脅威がアデル様へ及ぶのを、食い止められたわけではありません。ただ一時の盾となって命を散らしただけ。また淫乱卿のような相手と対峙することになった時、ケイ様はアデル様の盾になって、死ぬこと以外、何かできるのですか?」
「……」
ぐうの音も出なかった。
何か言い返したくても、言い返せない。
ケイの力が敵に及ばないことを、エリーは真っ向から指摘してきているのだ。
その鋭い眼差しを見返すこともできず、ケイは苦しげな表情で視線を伏せてしまう。
しばらく無言で対峙し、気まずい沈黙が流れた。
やがてエリーは気を取り直し、先ほどまでのように、優しい微笑みを浮かべてケイへ言う。
「ですから――――これからケイ様には、強くなっていただかなければなりません」
「……?」
「彼女たちと合流するのなら、ご自身が強くなってからでも良いでしょう? これから貴方様が直面するのは、人域を超えた領域での戦いでございます。人の身でありながら、そこへ挑もうとするのなら、必ず“備え”が必要になるでしょう。私は、その一助。私がケイ様を鍛え、簡単には殺されないようにして差し上げます」
エリーの言い出したことに、ケイは困惑した。
「え? 君が……オレを鍛えると言ってるのか?」
「はい。こう見えて私、なかなか強いのですよ?」
エリーはスカートを翻し、踵を返す。
そうして再び歩き出した。
細かい話を、聞き出す間もない。
やがて辿り着いた先は、居住区の一角だ。
薄汚れていた通路が途切れ、途中から、カーペットが敷かれた小綺麗な景観に切り替わった。キャリーバックを転がしている、旅行客らしき格好の人々を多く見かけるようになり、住民たちの姿が途絶える。どうやらそこは、ホテルとして改造されているフロアのようだ。通路脇にフロントがあり、そこで蝶ネクタイ姿の従業員らしき男が、接客をする姿が見受けられた。
ホテルフロアの通路を進み、ある客室の前で、エリーは足を止めた。
部屋の扉には「3075」という、番号の書かれたプレートが突いている。
「ここですわ」
エリーは扉をノックする。
中から「ハーイ」という女の声が聞こえると、エリーは扉を押し開けた。
客室はツインルームだった。2つのベッドが並んでいる。
ブラウンカラーを基調色とした部屋で、クラシックなデザインのランプやテーブルが置かれていた。洒落た雰囲気である。
「エリー先生!」
入室するなり、出迎えてくれたのは2人の少女だ。いずれもケイより、ずっと年下だろう。かなりの低身長で、まだ小学校の高学年くらいに見える。下手をすると、アデルよりも幼く見えた。
特徴のある赤髪の風貌。白の襟掛けに、黒を基調としたワンピースのような服を着ており、まるで修道女のような格好をしている。皮のベルトで固定した、分厚い古書を腰に提げていたり、得体の知れないカラフルな液体が入った試験管を身につけている。旅装した修道女とでも言えば良いのか、そんな格好である。
「……? 誰、アンタ?」
気が強そうなショートヘアの少女が、棘のある態度でケイを指さし、眉をひそめた。
「お、男の人……!」
気の弱そうな、ボブカットのメガネ少女の方は、赤面して、ベッドの陰に身を隠した。遠巻きにケイを見やりながら、警戒している様子だ。
少女たちが何者なのか気になったが、それよりも先に、ケイは少女たちが口にした言葉の方が気になった。思わず怪訝な顔をして、エリーの方を見やる。
「エリーが……先生?」
「ええ。一応は、そういうことになってます」
ニコニコと微笑んでいるエリーを、ケイは神妙な顔で見てしまう。
気の強そうな方の少女が、ケイへ馴れ馴れしく声をかけてきた。
「なに? あんた、エリー先生と一緒に来たくせに、エリー先生のこと知らないわけ?」
「まあ、そんなには。今日、会ったばかりだしな……」
「はあ? いったい、どういう関係なのよ?」
答えが得られずもどかいしのか、少女は苛立った顔をしている。
不思議そうな顔をしているケイに、「仕方ないわね」とぼやきながら、腕組みをして説明した。
「グレイン企業国で最強を誇る武門の名家、シュバルツ家。その当主は、実力だけなら七企業国王にも比肩すると言われる、あの“剣聖”のサイラス・シュバルツよ? そのシュバルツ家の中でも第三階梯の実力を有する上級魔導兵。それが、私たちのエリーゼ・シュバルツ先生なわけ。結構な有名人でしょうに、今まで聞いたことないわけ?」
「なるほど…………よくわからないな」
「なんでわかんないのよ! あんた脳みそ入ってんの!?」
少女は短気なようだ。不思議そうな顔をしているケイに、腹を立てている様子である。
そこでエリーがパンパンと手を叩き、2人の会話を中断する。
3人の視線が、否応なくエリーへ集まった。
「はい。今日から貴方たち姉妹と一緒に訓練する、新しい私の生徒です。雨宮ケイ様ですわ」
エリーがケイの紹介をしてくれる。
それを聞いた少女たちは、明らかに不審そうな顔でケイを見てくる。
「あんた、人間の貴族?」
「え?」
「だってエリー先生が、様付けで呼んでるし」
「いや、貴族じゃないけど……」
「じゃあ何なのよ! 色々とハッキリしない男ね。話してて腹が立つわ」
「ええ……!」
短気な少女は、ケイの襟を掴んで、下から突き上げてくる。小柄なためケイを持ち上げることなどできないが、そうすることで怒りを表現しているようだ。
「早速、仲良しになられたようですね、ケイ様」
「これが、そう見えるのか……?」
「はい」
一方的に因縁を付けられているケイを見て、エリーはにこやかに肯定する。
そうしてから、エリーは2人の少女のことを、ケイへ紹介した。
「彼女たちは私と同じ企業国の出身。魔人族の、クラーク姉妹です。2人とも名門の“クルステル魔導学院”の特待生で、“ロゴス聖団”の特別研修生に抜擢されました。私はその研修の講師として、彼女たちの特別課外授業を受け持っているのです」
ところどころ知らない団体の名前も出てきたが、ケイは目を丸くして驚いた。
「魔人族?! しかも、このチビっ子たちが特待生?」
「誰がチビっ子よ! そう言うアンタは何歳なのよ!?」
「オレ……? 16歳だけど?」
「ならアタシの方が年上じゃない! 18だし!」
「私、15です……!」
「えええ! 2人とも、小学生じゃないのか?!」
「しょ、小学生ですって?! 失礼なヤツね!」
気の弱そうな少女は年下。短気な方は年上だったようである。その姿を見ていても、ケイにはどうしても、2人が自分と同じくらいの年齢であるとは思えなかった。もしかして、魔人族という種族は、この少女たちのように、みんな小柄なのだろうか。
「お2人とも、自己紹介を」
短気な少女は、ケイの襟から手を放し、フンと顔を背ける。
妙にトゲのある態度で、ケイを冷ややかに見ながら名乗った。
「ジェシカ・クラーク」
姉のジェシカが名乗ると、ベッドの陰に隠れていた少女が身を乗り出し、おずおずと名乗った。
「え……え……エマ・クラーク……です!」
耳まで真っ赤になりながら、ギュッと両目をつぶって恥ずかしそうに名乗る。
クラーク姉妹がケイへ名乗ると、エリーは、そんな3人の間に割り込むように立った。改めて一同を見渡してから、話をした。
「生徒同士、お互いに自己紹介が終わったところで、早速、本題をお話しましょうか。これから貴方たちに与える“課題”を発表しますね」
エリーはスカートのポケットから、皮のグローブを取り出した。
それを自らの両手に付けながら、続ける。
「10日間だけ差し上げます。3人で協力し、私に一撃を入れてください」
「!?」
ケイとクラーク姉妹は、驚いた顔をする。
恐る恐る、ケイは尋ねた。
「エリーを……攻撃しろと言ってるのか?」
「はい、その通りです。私に、3人の内の誰かが、一撃でも攻撃を当てることができたなら、その時点で課題は合格とします。私は常に船内のどこかに滞在していますから、その間であれば、いついかなる時に襲撃いただいても、一向に構いません。就寝中でも良いですよ?」
変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべているエリーだったが、その笑顔の陰からは、身震いしてしまうほどの冷たい何かが放たれている。不穏な気配をまとい、エリーは告げた。
「課題をクリアできた時、貴方たちは、今それぞれが足りないものを手に入れていることでしょう。皆さんのご活躍に期待していますわ」