6-2 残された者たち
カレンダーの日付は、12月に突入している。
修学旅行先の京都から帰ってきて、かれこれ1ヵ月。
冬休みまでは、あと2週間ほどになっていた。
昼間の気温も、すっかりと低くなり、季節は明らかに冬へ差し掛かっている。
最近では、外へ出る時に、マフラーとコートが必要になるくらいだ。
土曜休みの日。その昼間。
電車に乗って、2人は郊外の田舎駅で降りた。第三東高校の2年生。峰御トウゴと、吉見サキは、駅から続く自動車道に沿って歩き、しばらく行った先にある森を目指していた。
「……ったくよー」
トウゴは、手にしたA4サイズの紙を見下ろしながら歩いていた。大見出しに「行方不明」と書かれたポスターである。そこに印刷されている顔写真は、見知った後輩男子の仏頂面である。
「どこ行っちまったんだよ、雨宮のヤツ。じいちゃんに心配させてんじゃねえってんだ」
苛立ち紛れに、トウゴはポスターを握りしめる。
それを作って、街のあちこちに貼り出したのは、雨宮ケイの祖父である。
「俺たちの修学旅行中に、いったい関東で何が起きてたってんだよ」
ケイの祖父の話では……仮病でケイが学校を休んだ日、「数日の間、留守にする」という置き手紙だけを残し、それから失踪してしまったのだと言う。数日どころか、こうして1ヵ月以上も帰ってこない孫。その身を案じて、祖父は警察に届け出を出したのだそうだ。以後ずっと、寝る間を惜しんで、孫の行方を探しているのだと聞いている。
トウゴの呟きを聞いて、隣を歩いていたサキも、暗い顔をしてしまう。
「雨宮くんがいなくなった日から、イリアとアデルも連絡が取れなくなってるわ。3人の身に、何かあったのは間違いないでしょうね……」
それを口にすると、否応にも嫌な予感がこみ上げてきて、胸中を騒がせる。
姿を見せず、行方が知れないとなれば……もはや最悪の状況になっている可能性だってあり得るだろう。その最悪な予想を口にすることだけは、心理的にはばかられ、トウゴもサキも黙り込んでしまう。
「たしか雨宮……最後に電話した時に、アデルがどうのこうのって言ってたよな。アデルの身に何かあったのかもしれねえぞ」
「しばらく蚊帳の外だった私たちには、わからないことだらけよね……」
歩いた先に、道路脇へ延びる獣道を見つけた。
草藪同然のそこ掻き分け、進んだ先に、目的の建物が見えてくる。
森の中に長らく置き捨てられ、外壁が草木に覆われている巨大ホテル廃墟である。以前に来た時は夜だった。だがこうして、空が明るい昼間に来ても、相変わらず不気味な雰囲気を漂わせている。
「……まーた。ここへ来るとは、思ってもいなかったっつーか」
「沢時ホテル廃墟。今にして思えば、全ての原点になった場所よね」
そこは2ヵ月ほど前に、ケイを連れて3人で心霊動画撮影に来た場所である。殺人事件の死体遺棄があったと噂される地下大浴場で、トウゴが暗闇1人検証をした際、唐突に浦谷が現れた場所だ。浦谷の素性について調べたことが切っ掛けで、サキとトウゴは“世界の真実”という、とんでもない事態に巻き込まれてしまったのだ。
廃墟ホテルを前にして、サキは背負っていたバックパックからハンディカムを取り出す。
内蔵モニタを開いて、録画した動画を再生確認しつつ、トウゴに話しかけた。
「浦谷の件があって以来、あの廃墟について色々調べてたのよね。また浦谷みたいなのが現れるんじゃないかって思って、定期的に定点カメラを仕掛けておいて正解だったわ。これが撮れてたもの」
問題のシーンに差し掛かったところで、サキはカメラをトウゴに渡す。そうして廃墟ホテルに向かって歩き出した。トウゴもサキの背中に続いて歩きながら、ここへ来る前に見せてもらっていた、その映像を、改めて確認する。
「これもう、1週間前の映像だったか? うーん。このシーンなあ……」
トウゴは困惑した顔で、カメラの内蔵モニタを覗き込む。
映し出されているのは、ホテル地下の大浴場である。
深夜の誰もいない廃墟。
夜間撮影機能で撮られた画面は、全体的に緑色である。
何もない空間から――――唐突に4人の男女が現れた。
アデルと思わしき少女を背負った、無精髭の大人の男。それに遅れて現れた、尖った奇妙な耳の少女。そして見知った顔。イリアの姿である。
「なんかマンガみてえな表現だけど。これって、さもどっかから“ワープしてきました”って感じの場面に見えるよな……?」
「そうよね。ワープじゃなかったとしても、無から現れるって時点で、もう常識って何だったのってくらいメチャクチャだわよ……」
「まあ、とりあえず。この映像に映ってる奴等についてだ。イリアとアデルについては良いとしてよ。この知らない無精髭のオッサンと、とんがり耳の女の子は、誰なんだ? なんか弓みたいなの背負ってるし。つーか、雨宮は一緒じゃねえみたいだけど、どこ行った……?」
「その謎を突き止めるために、わざわざここまで来たんでしょ? ツベコベ言ってないで、さっさとイリアたちの行き先に繋がるヒントを探すのよ」
映像の再確認を終えてから、トウゴはハンディカムをサキへ返した。
そうして2人は廃墟へと侵入し、問題の地下大浴場に向かう。
階段を降りた先に、もはや見慣れたとさえ言える、広い暗黒空間が現れた。昼間であっても、太陽光が差し込まないそこは、夜も同然に暗い。そして相変わらず、何とも言えない、淀んだ嫌な空気が対流している。
2人は持ってきていた懐中電灯を点けて、周囲を照らした。
「トウゴ、偽装フィルタを切るわよ」
「おお」
そうすることで、2人はこの世界の“真の姿”を目撃することが可能になるのだ。
「……初めてここへ来た時には、こんなの見えなかったけど。これって、新幹線に乗ってる時に見た、あの馬鹿デカい白い光の壁、だよな……?」
地下大浴場の壁面は、発光する白光の壁として見えた。
懐中電灯など点けずとも、その輝きで周囲が照らされて見えるほどである。
この廃墟ホテルは、どうやらこの、光の壁と重なる位置に建造された建物であったらしい。
「偽装フィルタを切って、こうして知覚制限がかかってない状態で見ると、この廃墟ホテルって、雨宮くんの言っていた“ワープゲート”ってやつと重なる場所に建ってたのよね」
「この馬鹿デカい光の壁がワープゲートだって言うんなら、この廃墟は、その“境目”に建ってるわけか。人間で言うと、ゲートに片脚だけ突っ込んでるみたいな感じの建物か?」
「偽装フィルタをアトラスからもらう前って、浦谷が単独でこの場所へ来た理由が謎だったんだけど……。今にして思えば、このホテルが“境目”に建ってることが、何か関係してたのかもしれないわ」
「まあ、情報が少なくて、結局よくわからんけどな。とりあえず、イリアたちが突然現れた場所が、前に浦谷が棒立ちしていた場所と同じだってことは、わかったぜ」
言いながらサキとトウゴは、周囲を物色し始める。
足下に何かめぼしいものは落ちていないか。怪しいものはないか。
そうして、イリアたちの行方につながる、ヒントになるようなものを必死に探した。
だが、そうしたものが簡単に見つかる気配はない。
「まあ、そうですよねー……」
「一応、念のために探しに来ただけだしな!」
ダメ元。あまり期待せずに来たわけではあるが、実際に収穫がないとわかると、やはり2人の肩は下がってしまう。思わず同時に溜息が出てしまった。
「……!?」
「ん? どうかしたか、吉見」
急に何かに気付いたようで、サキは背後の空間へ目を向けた。
耳を澄まし、しばらく黙り込む。サキが気付いたであろう異変に、トウゴも遅れて気付いた。
「これって……もしかして足音か……!?」
嫌な思い出が蘇り、たまらずトウゴの表情が青ざめる。サキはトウゴの手を引き、近くの柱の陰へ引っ張り込もうとした。
「誰か来たみたい! 隠れるわよ!」
「か、隠れるって! ここは普通、逃げる場面じゃねえのかよ!? 浦谷の仲間くせえだろが!」
「だからよ! ヒント探しに来たんでしょ、様子見るわよ!」
「~~~!!」
相変わらず、肝の据わっているオカルト研究部の部長判断に、トウゴは口を噤む。自分たちは、何か情報を求めてこの場へ来たわけで、そのために身体を張るのは、間違っていないと思ったからだ。だが怖いものは怖い。トウゴは泣きそうである。
柱の陰に2人で身を隠し、何者かの足音が近づいてくるのを待ち受けることにする。
足音は複数である。
やがて地下大浴場に姿を見せたのは、2人組の大人の男だった。
1人は、角刈り金髪の、黒スーツの男である。がたいが大きくて屈強そうであり、ワイシャツのボタンがはじけ飛びそうなくらいの、分厚い胸板である。明らかにカタギとは思えない、悪い人相である。
もう1人は対照的で、エリートビジネスマンと言った雰囲気の優男である。七三分けにした黒髪。ストライプスーツを着込んだ、スラリとした長身美形の男である。
「ぜんぜんタイプが違うおじさんたちね。アイツらって、何者なわけ? 浦谷と違って、普通そうな感じに見えるけど……」
「おい、静かにしろって、バレるだろ……!」
トウゴの忠告など構わず、サキはハンディカムを取り出して撮影を始めていた。それを見守るトウゴは、心臓がいくつあっても足りないくらいの緊張を余儀なくされる。
男たちは、白い光の壁の前に立つ。
そこはちょうど、イリアたちが虚空から現れた場所である。
感慨深そうに、七三分けの男が呟いた。
「……ほう。白石塔と白石塔を繋ぐ境目。こんなところに、転移門の綻びがあったわけですか」
そう言う視線の先。白光の壁に、小さな1点の黒い染みのようなものが見えている。隣に立っていた角刈りの男が、背筋を正し、敬礼しながら応えた。
「ハッ。1週間ほど前、この“抜け穴”が一時的に活性化する反応が検出されました。そのせいで、この区画周辺の異常存在どもが、マナ異常を察知して騒いでいたとの報告があります。連中、こうした穴を見つけると、そこを行き来しようとする者を殺すようにプログラムされてますから。侵入者防止プログラムというヤツです」
「けれど、侵入されてしまったようですね」
「……はい。申し訳ありません。どういうわけか、この区画の掃除担当だった異常存在が、2ヵ月前くらいから行方不明になっていたようでして。それが発覚したのが、つい最近です。しばらく、この抜け穴は監視できていなかったようですな」
「フム。それは奇妙ですね。雨宮アデルと行動を共にしている、機人族の仕業でしょうか。いずれにしても、彼女たちが、この穴を使って白石塔へ潜入したと見て間違いなさそうです」
七三分けの男は、背後の暗がりに目を向ける。
「始められますか?」
暗がりに語りかける男。サキとトウゴは、最初、男が独り言を言ったのだと思った。
だが違った。
暗がりの中に、もう1人、誰かが立っていた。和服を着た小柄な少女だった。黒髪、黒目。感情の起伏が見られない無表情な顔は、まるで日本人形である。
いつからそこにいたのか。
サキもトウゴも気付かなかった。
最初から、まるで廃墟の闇の一部であったかのように、そこにひっそりと立っている。
「…………いつでもできる」
少女の答えを聞き、七三分けの男はニヤリと笑んだ。
そうして、角刈りの男を引き連れ、その場を去って行った。
1人だけ残った少女は、懐からスマートフォンを取り出して電話をかけはじめる。
どこかの誰かとの通話が始まると、言葉短く言った。
「始めるわ。21時、池袋、ラムレッドに集合」
通話を終えて、少女もその場を後にした。
サキとトウゴは、足音が遠ざかるのを確認し、物陰から姿を出す。
「はあーーー! マジでヤバかった。心臓の動悸やべえわ!」
心底から安堵した様子で、胸を撫で下ろすトウゴ。
息を潜める苦しさから解放されて、思わず嬉しそうに深呼吸をしている。
そんなトウゴを横目に、サキは少し考え込んだ。
「見るからに怪しい奴等だったわね。よし、何者なのか探るわよ」
「はあ?! マジ言ってんのか!?」
こんな廃墟にやって来るような3人組である。
明らかに不審で、しかも危険そうだった。
それを追いかけようと言い出す、命知らずなサキに、トウゴは目玉を剥いた。
「当たり前でしょ?」
「あ、はい……。まあ、お前はそう言うヤツだよな……」
「アイツらが言ってた異常存在って、たしか、浦谷みたいな怪物の呼び名だったはずよ。ならたぶん、アイツら浦谷の関係者でしょ。それに口ぶりからして、アデルの行き先を探ってるみたいだったじゃない。ついていけば、アデルやイリアに会えるかもしれないわ」
サキは不敵に笑んだ。
「池袋、ラムレッドって言ってたっけ? 誰だか知らないけど。私たちの求めてたヒントかもしれないわよ?」