5-14 高貴なる人質
淫乱卿に左腕を潰されたケイは、すでに瀕死の状態だった。
強い圧力によって押し潰された肩から先は、砕けた骨があちこちから飛び出して、グズグズの肉塊と化している。もはや治療不可能なほどに、原型は破壊されてしまっている。絞られた雑巾のようになった腕からは、止めどなく血流が滴り落ち、失血死は免れない容態だった。
顔面蒼白で跪き、俯いて動かないケイ。
そこへ、アデルがいち早く辿り着いた。
アデルは、今にも泣き出してしまいそうな顔で声をかける。
「ケイ、その腕は……!」
「アデル……無事だったんだな。良かった……」
激痛に耐えながら、ケイは脂汗を浮かべている。
それでも無理をしてアデルに微笑みかけた。
「怪我はしてないのか……? 酷いことはされなかったか……?」
「私のことより、今は自分のことを心配してください!」
死にそうな状態だと言うのに、ケイはアデルのことばかり心配している。
それが辛くて、悲しくて、アデルは目に涙を溜めてしまった。
イリア、それに葉山とリーゼが、遅れてアデルの傍へ駆けつけてきた。
血まみれのケイの肩に手を触れていたせいで、アデルのドレスには、その血が染みこんでしまう。止まらないケイの出血に焦り、アデルはイリアたちへ訴えかけた。
「イリア、早くケイを病院へ連れて行かないと!」
「……」
必死に訴えたものの、イリアたちはアデルの方を見ていない。
それよりも、ニヤけた顔でこちらをじっと見ている、不穏な男の方に目が釘付けだった。
イリアは淫乱卿と対峙しながら、険しい顔で応えた。
「そうしてあげたいところだが……どうやらこの状況は、簡単ではなさそうだよ」
急にゾロゾロとやって来て、闘技場へ乱入してきたイリアたち。
その女性陣の登場に、淫乱卿は興味津々な態度だった。
目を輝かせ、この想定外の状況を楽しんでいる様子である。
「フーム。今夜は予定外の客人が多い。そこの少年以外にも、色々と紛れていたようだ。おや? アキラに与えてやった花嫁の姿もあるな。それに何より、1人は機人族ときている。ヒトと一緒に行動する機人がいるとは、実に興味深い」
先ほど遭遇したエリーと同じように、気配で機人だと気付かれたのだろうか。
もはや変装が意味を成していないことを悟り、リーゼはかぶっていた仮面を外して捨てた。
ただ黙って、淫乱卿へ向けて大弓を構える。
武器を向けられていることなど気にした様子もなく、淫乱卿は口髭を指で整えながら、機嫌が良さそうに語った。
「私の予定が狂わされるというのは、本当に久しぶりのことだよ。嬉しいね。何百年もの時を生きていると、スケジュール通りの毎日というものに、退屈してしまうのさ。こうした番狂わせというのは、私にとっては、日常におけるちょっとした刺激でね。“快楽”の一種なのだよ」
「快楽だって……?」
イリアが、思わず尋ねてしまった。
淫乱卿はニコリと微笑み、答える。
「ああ。人には知恵があるだろう? それは呪いなのだよ。動物のように、ただ食べて、寝て、繁殖するだけの人生では“退屈”だということに気付いてしまっているんだ。だからさ。誰もが、生きる“過程”を楽しむをことを求めてやまない。人生の一瞬、一瞬に感じる刺激を最大化し、快楽を得られる時間を持続化することで、人の生とは豊かになるのだ。私は、その探究に熱心なのさ」
唾棄したくなるような淫乱卿の言い分を聞いて、葉山は怒りを覚えた。
「その探究の結果が、この狂った晩餐会だと言うのですか! 白石塔の子供たちを誘拐して、あなたたちの欲望を満たすことに利用し、傷つけて! 大人として恥ずかしくないのですか!」
ここに来るまでの間、イリアや葉山たちは、酷いものを見てきたのだ。
何の罪もないのに……親元から引き離され、誘拐され、洗脳された子供たち。
貴族と呼ばれるアークの富裕層たちが快楽を得るためだけに、玩具として利用されている。
ここで行われているのは、異常者たちの、非道な狂宴である。
それを指摘された淫乱卿は肩をすくめて見せる。
悪びた様子などなく、ただニヤニヤと、葉山を嘲笑っているだけだ。
「クク。白石塔の下民の理屈だな。君たちは、あの虚構の世界の、どこの国の価値観に染まっているのかな。それは知らないが、憶えておくと良い。このアークでは、同じヒトという種族であっても“貧富の差”によって命の価値が決まっているのだ。富を多く集めることができる者とは、それすなわち、そうできない者よりも優れている個体だという証明だ。高貴なる私や、私ほどではないが、それなりに裕福な貴族たちは、言うなれば支配層の存在だ。我々に支配をされる下民の命など、喰われるために育てられた豚や牛と変わらんよ」
「フン。話しが噛み合わないな。下衆の理屈だよ……!」
イリアも、淫乱卿の言い分には辟易していた。
嫌みを言わずにはいられない。
致命的なまでに、価値観が合わない。
お互いに平行線であることがわかると、淫乱卿は話題を変えてくる。
「私のことは良い。それより、君たちのことについて話してくれたまえよ。せっかく命を賭して、こうして私の前に立っているのだ。もちろん、目的があってのことだろう? 久しぶりに、私へ敵意を向けてくるような、身の程知らずな者たちの話しだ。退屈しのぎには、ちょうどいいじゃないか」
イリアたちのことを驚異とも考えていない。むしろ野次馬の根性で相手をしているのだと、淫乱卿は言っていた。
歯牙にもかけられていないのだ。完全に見下されている。
そのことに対する悔しさと苛立ちを露わに、葉山は歯噛みする。
だからこそ、このタイミングで切り札を切ることにした。
「すいません、イリアさん」
葉山は謝罪の言葉を口にしながら、自動拳銃を取り出した。
そうして――――傍らに立っていたイリアを撃った。
「!?」
味方だと思っていた葉山に、いきなり右腕を撃たれた。
イリアは驚き、混乱する。
何が起きたのか、ケイとアデルも理解できず、唖然としてしまった。
「くっ……! いったいどういうつもりで……!」
熱した鉄を押し当てられているような、焼ける痛みが迸る。
撃たれた腕の傷口を庇うようにしながら、イリアは葉山と対峙した。
葉山は冷淡に、イリアの頭部へ向けて銃口を構えた。
その眼差しはイリアを見ておらず、淫乱卿を横目にして警告する。
「彼女こそは、イリアクラウス・フォン・エレンディア。あなたと同じ、七企業国王の1人である“虐殺卿”のご息女です。私たちは、これから彼女を“人質”にします」
それを聞いて、淫乱卿は意外そうな顔をする。
葉山が口にした話しを聞いたイリアは、思わず耳を疑った。
「何だって……!? ボクの父親が……アイツが……七企業国王……?」
その事実を、イリア当人は知らなかったのだろう。
いつもは気丈なイリアの口から、聞いたこともない弱々しい口調で、呟きが漏れる。
構わず、葉山は淫乱卿へ顔を向けて続けた。
「聞いた話によれば、七企業国王たちは、このアークを分割統治していて、基本的にはお互いの国の政治に対して“不干渉の原則”を持っているそうですね。なら、まずいのではないですか? あなたが主催している、この趣味の悪い晩餐会という催しの中で、他国の王族が命を落とすという状況は」
イリアを盾にすることで、淫乱卿が自分たちに手出しできない状況を作る。イリアを人質に取っている間なら、強大な淫乱卿から情報を引き出すこともできるだろう。そのまま逃げることだってできるはずだ。イリアをこうして撃ったことで、本当にイリアを殺すつもりがあるという、意思表示にもなったはずである。
それこそが、葉山の考えた“作戦”の全貌だった。
「ハッハッ。なるほど、なるほど。それが君たちが用意した、私に殺されないようにするための切り札か。そんな隠し球を用意しているとは予想外だ。ますます面白くなってきたな。たしかに、そこのお嬢さんが身につけている十字架は、エレンディア家の直系が有するものだ。身分証明のための拡張機能が格納されているようだし、ウソではなさそうだ」
淫乱卿は口髭をいじりながら、愉快そうに笑んでいる。
絵本の続きをねだる子供のような無邪気さで、淫乱卿は捲し立ててきた。
「それで? エレンディアのお嬢さんを人質にとりながら、このまま尻尾をまいて、この場から逃げる作戦かね? それだけではないのだろう。私をもっと楽しませてくれたまえよ」
イリアを人質に取っていることの効果はあるのか。まるで動じた様子がない淫乱卿の態度を見ていると、その確証がもてなくなる。
葉山が困惑している中、ケイの隣で付きっきりだったアデルが訴えた。
「たしか、名前は葉山と言いましたね。イリアを人質にして逃げられるなら、今すぐこの場を逃げるべきです。……ケイの容態が、危険です」
目が虚ろになり、意識が途切れそうな様子のケイ。
それを見つめ、アデルの顔は青ざめていた。
「私は無死の赤花。私が傍にいる間は、ケイが死ぬことはありません。でも、この様子では、もうすぐ身体が死亡状態に陥ってしまいます。その状態が続けば、後で蘇生ができたとしても、脳へのダメージが大きく、後遺症が免れません。……早く、ケイを連れて逃げないと」
時間がないことを、アデルは警告してくる。葉山は焦りながらも、当初の目的を果たすべく、淫乱卿へ、重要な質問を投げかけることにした。
「――――罪人の王冠の在処について、尋ねにきました」