5-13 淫乱なる魔王
高周波ブレードを抜き放つ。
鞘から抜かれた刃は、虫の羽音のような音を発して、高速振動を始める。
草陰から飛び出したケイは、闘技場の観客席へ向かって一直線に駆け出した。
クラスメイトの女子が無残に殺されているのを目撃したケイは、完全に頭へ血が上っていた。普段は冷静沈着なケイだが、あまりのことに怒りが自制できず、無謀な突撃という行動に出てしまっている。
――だが決してそれは、勝算がない無策の突撃ではなかった。
格上の相手と戦う時は、逃げ回って隙を窺う。もしくは気付かれる前の奇襲攻撃によって決着を付ける。こざかしい戦術だが、それが、これまでケイが怪物たちと戦って勝利をおさめてきた方法である。この場合は後者を選ぶ。敵の人数が多く、長期戦になれば物量に圧倒されて敗れる他はない現状。勝機があるとすれば一撃必殺、ヒット&アウェイしかない。突撃自動小銃を使った、遠距離射撃には自信がない。ならブレードを使った、接近戦で仕留めるのが確実だろう。
それは雑な作戦だ。
攻撃手段は考えていても、逃げる手間を考えていない。
だが、この行動には打算もある。
ここで親玉の命が奪われたとなれば、城内の帝国騎士たちは穏やかではいられないだろう。アデルを手込めにしようとしている四条院アキラは、帝国騎士団の中でも高位の役職であると聞く。あわよくば向こうから、この場へやって来るように仕向けられるかもしれない。そうした狙いがあるのだ。
「騒ぎを起こしてやる!」
帝国騎士たちや貴族たちは、この場に敵が潜んでいることなど予想もしていないであろう。そこに付け入る隙がある。チャンスは1度だけ。電光石火の奇襲を仕掛けるのだ。闘技場中央の平地で、呑気に佇んで演説している淫乱卿を、瞬く間に斬り伏せる。攻撃が成功しても、失敗しても、即座にこの場を離脱する必要がある。
ケイは観客席へ飛び込み、座席の背もたれや、貴族達の頭や肩を踏みつけて足場にする。そうして一瞬のうちに、城内中央の広場へと到達した。砂地のサークルの上へ飛び降り、着地と同時に転がって、あっという間に淫乱卿の目の前へ躍り出る。
「?」
突然、目の前に現れたケイに気付き、淫乱卿は目を丸くしていた。
虚を突けた。
それを胸中で確信しながら、構わずケイは攻撃体勢に入る。躊躇なく。大胆に。淫乱卿の至近距離へ飛び込み、その首を斬り落とすべく、ブレードで横薙ぎにする。まさに紫電のごとき速度の奇襲だった。
――――硬い手応え。
ガギン! という硬質な音と共に、ブレードの刃は淫乱卿の首を斬り落とせず、皮膚の上にぶつかって止まってしまう。
「!?」
今度はケイが、目を丸くする。
まるで鋼を剣で打ち付けたような感触である。淫乱卿の身体は、まるで金属のように硬く、首を斬り落とすことなどできなかった。予期せぬ手応えに、ブレードの柄を握っていたケイの両手が痺れた。
「クソ、どういう身体なんだ!」
一瞬、殺せたと思った。
だが、奇襲は失敗に終わる。
それを理解し、ケイは淫乱卿から離れる。距離を空けて対峙すると、淫乱卿は、無表情のままケイの姿をマジマジと見つめてきている。その眼差しは、ゾッとするほどに冷たい。もはや完全に、敵対する存在であるのだと認識されたようだ。
ケイの存在に気が付いたのは、淫乱卿だけではない。
観客席で呑気に騒いでいた貴族たちが怒りを露わに、声を上げ始めた。
「刺客!? どこの誰なの!?」
「衛兵は何をしていた!」
「殺せ!」
貴族たちの声に遅れ、会場内を巡回警備していた帝国騎士たちが一斉に動き出す。いずれも高周波ブレードを抜刀し、あるいは突撃自動小銃を構え始めている。会場の帝国騎士たちは、かなりの人数が配置されていたが、おそらく貴族たちの避難誘導を最優先にしているのだろう。ケイに向かってくる人数は、まだそれほど多くない。
「……くっ!」
蜂の巣を突いたような騒ぎになっている。逃げるなら今しかない。対峙している淫乱卿は、動きを見せようとせずに立っているだけだ。ならそれは無視して、ケイはその場から逃げ出すことを考える。
「その場で止まれ!」
騎士たちの避難誘導に従わない、攻撃的な貴族たちは、自身の持つ支配権限の力を使って、ケイの身動きを封じようとしてきた。口々に静止命令をわめき立ててくる。普通のならば、その命令には絶対服従なのかもしれない。だが、ケイにそれは効かないのだ。リーゼからもらった、指輪の効力である。
ケイは命令を無視した。
淫乱卿を警戒しつつ、背後に向けて駆け出す。目指すのは、競技者が出入りするのに使う入場ゲートである。車庫を思わせる鋼鉄のシャッター扉だが、先ほど、調理された人間料理を運び込むために、開け放たれたままになっていた。どこに通じているのかは不明だが、敵の数が少なく、身を隠しながら逃走できそうなルートは、そこしかない。
だが、入場ゲートへ向かおうとしたケイの思惑は、すぐに破綻する。
そこから敵が複数、闘技場内へ駆け入ってきたからである。
3人。いずれも帝国騎士だ。
「略奪の腕――――」
ケイは囁き、異能装具の拡張機能を起動する。
手甲装具の赤い宝石が、淡い光を放ち始め、ケイの手にしたブレードは宙を漂った。ケイは片手で、進行方向の空間を薙ぎ払う。すると、その軌道を追いかけるようにブレードが舞う。目の前の敵3人の首を、一気に跳ね飛ばし、殺害した。
「……ほう」
淫乱卿は感心する。呟いた後、パチンと指を1つ鳴らした。
途端、周囲一帯に、紅蓮の閃光が炸裂する。
目も眩むような光に、その場の誰もが視界を奪われた。光と同時、鼓膜が破れると思うほどの、耳に痛い爆発音が轟く。何が起きたのかわからないまま、ケイは衝撃と熱波に吹き飛ばされる。近くの壁へ、背中から叩きつけられた。
爆発だ。
会場内のあちこちで、立て続けに爆発が起きる。観客席のあちこちや、ケイのいる、決闘場のサークル内。近くの木々の方でも爆発が連続で発生していた。土埃が舞い上がり、黒煙が空へ伸びていく。護衛の帝国騎士たちや、まだ避難の途中だった、数名の貴族たちが巻き込まれて悲鳴を上げていた。
やがて爆発がおさまると、周囲に静けさが戻っていく。ひどい耳鳴りと、全身を打たれたような痛みに歯を食いしばりながら、ケイはよろめくように立ち上がった。
土埃が晴れていき、視界の中央には、何事も無かったように立っている、淫乱卿の姿があった。どういうわけか、付近で複数回の激しい爆発が起きたというのに、ケイのように怪我を負っている様子もなければ、衣服が汚れた様子すらない。
ただ悠然と立ち、口髭を整えながらケイへ微笑みかけてきた。
「――――失礼。飼っている異常存在の暴走や脱走の防止策として、この会場の足下には、あちこちに遠隔操作の高性能地雷が埋まっていたのだ。君と静かに話しをしたかったのだが、周囲が少々やかましかったのでね。それを使って、ギャラリーを黙らせたのだよ」
ただ静かにさせるためだけに、部下や客人を巻き込んで爆発を起こしたと言う淫乱卿。人を傷つけることを何とも思っていない。普通ではない、異常な発想である。
1つ手を叩き、仕切り直すように、淫乱卿は話しを始めた。
「さてと。これはこれは。奇妙な客人だ。帝国騎士の格好をしているようだが、騎士であるなら私へ刃向かおうなどとは考えない。そもそもこのアークに、私を殺せるなどと考え、行動に起こす愚か者は君以外にいないだろう。なら、君は私の部下ではなく、騎士でもない。外部の者なのではないかな? もしかして君は――――下民か?」
淫乱卿と目が合い、ケイは背筋に寒さを感じる。
敵意を向けてきているわけでもなければ、むしろ愛想が良さそうにしている。
相手はただの人間であるというのに、こんな得体の知れない、気味の悪さは初めてだった。
「……だとしたら、どうする」
「実に興味深いじゃないか。普通に考えてありえないことだからね」
淫乱卿は子供のように、キラキラと目を輝かせている。この異常な晩餐会の主催者であるとは思えない、まるで無邪気な態度だ。
「白石塔から下民が抜け出して、しかも帝国騎士に守られた、この会場へ紛れ込んでいる。とてもじゃないが、何かの手違いや偶然でそうなったとは考えられない。それにその手甲装具は、機人族が造ったと思しき、異能装具じゃないか。貴族たちの支配権限にも従わないし、普通の下民でないのは、見て明らかだ。君は何か目的を持って、自主的にこの場へ現れたのだと見るね。私は、その理由が知りたいのだ」
なかなか頭の回る男である。
罪人の王冠の所在を尋ねるという目的はある。だが今は、それを問いただす理性よりも、アデルや子供たちを誘拐し、クラスメイトを殺した淫乱卿への怒りの方が勝っている。殺す前に情報を聞き出せば良い。そう考えたケイは、ブレードの柄を握りしめ、犬歯を向いて相対者を睨み付けた。
「ほほう。良い殺意だ。もしかして、君は私と戦うつもりなのかね?」
何も答えないケイ。
それを肯定と見なし、淫乱卿は歓喜する。
挑発するよう、指を曲げるジェスチャーをし、淫乱卿はケイを挑発する。
「ハハ、面白い! 戦いを挑まれることなど、何百年ぶりのことだろうか。良かろう。遠路はるばる、お越しいただいたのだ。少しくらいは遊んであげよう」
まだ周囲には土埃が漂っている。完全に視界は晴れていない。
その視界の悪さを利用し、ケイは粉塵の中に身を紛らわせ、駆けた。
どういう理屈か不明だが、淫乱卿の皮膚は硬い。高周波ブレードの切れ味でも切断できないほどの硬度である。そうなると、皮膚の上からの攻撃は無効と考えるべきだろう。攻撃が効く可能性があるのは、眼球や口。皮膚に覆われていない人体の急所だ。
まだ淫乱卿が、どんな相手なのか、把握しきれていない。
迂闊に近づくのは危険だ。
余裕のつもりなのだろうか。ケイはすでに行動しているというのに、対して淫乱卿は、その場から動こうとしない。ニヤニヤと笑んで、ケイの出方を窺っている様子だった。おそらくケイを甘く見ているのだろう。油断してくれているのなら、かえって好都合である。粉塵の中に潜み、ケイは突撃自動小銃の銃口を淫乱卿へ向けた。
「動いてない的なら、当てられる……!」
帝国騎士が使っているミスリル製の軽銃は、驚くべきほど反動が少なかった。バースト連射で撃ち出された3発の銃弾は、ほとんどブレず、綺麗に淫乱卿の目に当たった。
だが着弾した銃弾は、淫乱卿の眼球を撃ち抜けない。
弾かれ、パラパラと淫乱卿の足下に転がるだけである。
「そんな馬鹿な……!」
平然としている淫乱卿を見て、ケイは絶句する。
ブレードも、銃弾も、淫乱卿の身体を傷つけられないではないか。これでは、かすり傷を負わせることすらかなわない。
淫乱卿は、少しつまらなさそうに嘆息する。
「なんだ。この程度のことで、もう諦めた顔をしてしまうのか。ネタ切れかね? 威勢が良いだけで、君の戦い方は、ずいぶんと原始的だな。剣を振り回して、銃を撃つだけか。まあ、そこがいかにも、野蛮で脆弱な、下民らしいわけではあるが」
淫乱卿はケイの方へ手のひらをかざした。
「そうだな。世の中には、君の知らない戦い方があることを教えてあげよう。たとえば、これだ」
手のひらを握る。
ぐしゃりと、圧迫された肉が押し潰され、骨が粉砕される音がした。
それだけで、離れた位置にいるケイの左腕が潰れたのだ。
「ぐあ、がああああああああ!」
巨大な手で握りつぶされた痕のように、左肩から先の腕が潰れ、赤黒い血肉の塊と化す。いきなり訪れた、脳を焼くような激痛に耐えかね、突撃自動小銃を取り落とす。堪らずケイは、その場で両膝を崩して跪いた。
いったい何をされたのか、全くわからなかった。
震える全身に冷や汗を流し、苦悶の声を漏らすケイ。
淫乱卿は、それを冷ややかに観察していた。
「この世界に生きる全ての生命は、EDENと呼ばれる、神々のネットワークに接続されている。その接続を利用し、攻撃する。これが“ネットワーク攻撃”と呼ぶものだ。君は何の侵入防壁も持たない、無防備な端末の1つだ。こうして簡単に外部からのアクセスを許し、簡単に肉体の制御を奪われるわけだよ。左腕の自壊を促すことなど容易いとも」
淫乱卿は、身動きしなくなったケイへ説明してやった。
事前に強敵であることは聞いていたが、まるで歯が立たない。鍛錬や訓練などで補えるような、少しばかりの力量差などではなかった。生命体として、本質的な戦闘能力に違いがあるように感じた。たとえるなら、クマに立ち向かう蟻の心境だ。相手は人の姿をしているが、まるで神魔のごとき強さだ。
「勝算があるなんて、考えが甘かったか……!」
こざかしい奇襲などで、どうにかできるようなレベルの相手ではなかった。リーゼが言っていた「戦いにならない」という言葉の意味を、ケイは痛感する。こちらは大立ち回りで攻勢に出たというのに、淫乱卿は、最初に立っていた場所から動いていないのだ。ケイの相手をするのに、身動き1つすら、する必要がなかったということである。
程なくして、淫乱卿の加勢の帝国騎士たちが、闘技場へ集まってくる。100人はいるだろう。その軍勢を率いているのは、ケイと同じくらいの、金髪の少年だった。
「父上! ご無事ですか!」
四条院アキラは、ケイと対峙している父親に声をかけた。だが淫乱卿はニヤけたままで、ただ「構うな」というように、手のひらを見せるジェスチャーをアキラへ送ってくる。騎士たちの加勢を拒んでいるのだ。逆らえるはずがない。
意図を理解したアキラは、配下の騎士たちへ命じた。
「全員、手出しをするな! ただし、侵入者を包囲しておけ!」
「ハッ!」
命令された騎士たちは散開し、闘技場の周辺を取り囲もうと移動を始めた。
「馬鹿な……! 父上に立ち向かうようなヤツがいただと……!」
無謀にも淫乱卿へ戦いを挑んだと思わしき、瀕死の少年。
それを遠目に見やり、アキラは苦々しく呟いてしまう。
その愚かさに呆れながら、内心では軽蔑できずにいる。それどころか、自分にできないことをやってのけた者に対しての、嫉妬のような気持ちさえあった。不敬者への怒りと悔しさとで、アキラの胸中は複雑になる。
「何者なんだ、アイツは……!」
騎士たちの包囲網ができあがるよりも前に、さらなる来訪者たちが、現場へ姿を見せる。
「雨宮くん! 無事か!」
イリアの声である。
耳に聞こえてはいるものの、もはやケイは、その方角を見やる余力もない。
かなりの手負いであるケイの姿を確認すると、イリアだけでなく、同行していたリーゼと葉山も青ざめる。何よりも、白銀の髪の少女が、悲鳴のように声を上げた。
「ケイ!」
誰よりも早く飛び出し、アデルはケイの元へ駆けた。
その姿を目撃したアキラは、驚いてしまう。
「どういうわけだ、なぜアデルがここに……! 支配権限を使って、待っているように命じたはずだぞ……!」
役者は揃い、ついに運命の夜が始まろうとしていた。