5-12 エレンディアの系譜
ベレル城内で開催されている晩餐会。
それは大きく分けて、4つのイベント会場に分かれていると言う。
美食を楽しむ場。
肉欲を楽しむ場。
観戦を楽しむ場。
殺戮を楽しむ場。
淫乱卿のライフワークである“快楽の追求”の成果。それをお披露目するというのが、晩餐会のお題目の1つにもなっており、そのために白石塔から子供たちを攫ってきていると言うのだから……どれもロクでもない催しであることは間違いないだろう。
4つの会場のどれかに、淫乱卿はいる。
どこにいるのかは、淫乱卿と会ったことがある、レイヴンの予測と勘に頼るしかなかった。そうして、レイヴンが選んだのは“肉欲を楽しむ場”だ。
レイヴンに案内され、一行は城内の南東部にある棟までやって来た。そこは、城を囲む城壁内に建てられた、巨大な洋館のような建造物だ。50室を超える客室がある場所で、迎賓区と呼ばれている。
イリアは周囲の様子を確認した。木々の向こうに、大きな塔が建っているのが見えた。そこはたしか、別行動中のケイが向かったはずの、北東の塔だ。
「……雨宮くんは無事かな」
「きっと彼なら大丈夫ですよ。頭が回りますから、上手く立ち回っていると思います」
建物の前でレイヴンと分かれた。
そうしてリーゼ、葉山、イリアは、3人で行動を開始する。
早速、イリアたちは建物の入り口へ向かった。
周りは、見張りと巡回の帝国騎士だらけである。幸いなことに、帝国騎士に扮しているイリアたちの正体が勘づかれることはない。リーゼが背負っている大弓だけ、少し目立ちはしたものの、特に呼び止められることもなかった。すんなりと、建物内に入ることへ成功する。
「ケイの作戦、正解だった。レイヴンに手引きさせてなかったら、こんなに簡単に侵入、難しかった。敵を殺すだけじゃなくて、懐柔する。ケイ、発想がユニーク」
「わざとレイヴンさんに捕まって投獄された時は、無茶な作戦だと思ってましたが……奇跡みたいですね。こんなことを実行しようとするなんて、内閣情報捜査局の現場捜査官だって、難しいですよ。高校生とは思えない胆力です……」
「まあ、学校でレイヴンの部隊に誘拐されそうになったボクも、実のところ、金で懐柔できそうなヤツに声をかけて、切り抜けようとは考えていたんだ。雨宮くんはボクのことをイカレてると言うけど、発想が似てるんだから、雨宮くんだって大概、イカレているよね」
入ってすぐの場所は、エントランスホールだ。3階層を貫く、吹き抜けの構造となっている。エントランスには扇状に配置された階段があり、各階とも、エントランスから左右へ長い廊下が伸びていた。
廊下にはいくつもの扉が並んでいて、その1つ1つが、豪勢な客室となっているようだ。……あちこちの部屋から、微かに、甘い声が漏れ聞こえてきている。
気が付いた葉山が、少し頬を赤らめて呟く。
「こ、これって……!」
「おそらくそうだろうね」
3人は各階に散って、手分けをして淫乱卿の姿を探すことにした。
各部屋の扉は木製で、ポストの投函口のような、フタ付きの穴が開いている。廊下を巡回している騎士たちが、室内で異変が起きていないかを、外から簡易確認するために設けられた覗き穴だろう。巡回の騎士たちの目を盗み、そこから各室内の様子を見て回る。
……どこも最悪だった。
いずれの部屋にもベッドがあり、そこで男女が営みに励んでいる。男の方は中年だったり、老人だったり、人種や年齢のバリエーションに富んでいる。だが女の方は、どの部屋も年端のいかぬ少女たちばかりだ。中には、少年が犯されている部屋もあれば、四肢を切断された少女が宙吊りで犯されている部屋もある。拷問まがいの乱暴な性行為をする者や、見るに堪えない性癖を発露している者もいる。
我慢して各部屋を確認してみたが、どこにも淫乱卿の姿は見られなかった。仕方なく、3人は再びエントランスホールへ集まることにした。
見合わせた顔は、全員が不快そうだった。
「予想はしていましたが……誘拐した少女たちを、性奴隷のように扱っているのですね。これではまるで、娼館です」
「おそらく全員、支配権限で自我を奪われてるんじゃないのかな。女の子たちは、みんな虚ろな目をしていた。ずいぶんと醜悪なものを見せられたよ」
「ここの貴族たち、最低、最悪。みんな、かわいそう」
3人は思い思いに感想を口にするが、考えていることは同じだった。
逆らえない女を操り、傷つける貴族たち。その悪逆非道な行いは、どれだけ口汚い言葉で罵っても足りないくらい、おぞましい行為である。
このまま少女たちを放置していくのは心苦しい思いだが……今はどうしようもない。敵地のど真ん中で、孤立無援のイリアたちが救える人数ではないのだ。少女たちを見捨てる選択に、納得できるわけではないが、現実を考えれば、無理にでも諦める以外にない。葉山は苦しい思いで、何とか口を開いた
「残念ながら……今の我々には救う術がありません。ここに淫乱卿はいないようですから、他の会場を見に行きましょう」
「嫌だけど……置いていく、仕方ない」
「まだこんなものばかりを見せられるのかと思うと、ウンザリするね」
イリアたちは建物を後にした。
再び外に出ると、今度は中央庭園にあると言う、闘技場を目指すことにする。そこが現在地から1番近い場所であるからだ。レイヴンの説明に寄れば、たしかそこは“観戦を楽しむ場”である。
南東部から中央広場へ向かう道は、騎士たちの警備が厳しい。そのためイリアたちは、迂回するルートを選ぶことにした。少しだけ、東側の城壁沿いを進んでから、広場を目指すのである。
計画したルートをしばらく歩き、周囲に巡回の帝国騎士たちの姿が少なくなったことを確認してから、イリアは厳かに立ち止まった。
「……さて。そろそろ、ハッキリしておこうか」
そう告げると、背後についてきていた、葉山とリーゼへ向き直った。
「葉山さんとリーゼは、ボクの“実家”のことについて、知っているんだろう?」
「……」
イリアの問いに、葉山もリーゼも答えなかった。
真顔で、ただ意味ありげな沈黙しているだけである。
2人の反応には構わず、イリアは続けた。
「敵の大ボスである淫乱卿に会い、人類の解放に必要と言われる、罪人の王冠の所在についてを尋ねる。普通に考えれば、そんなの敵に聞くようなことじゃないだろう。RPGで言えば、これから戦うボスの弱点を、ボス当人に尋ねるようなものさ。立場が真逆の相手なんだ。悠長に話しさえできるわけない」
やはり葉山たちは何も答えない。
イリアは少し苛立ち、しかめ面をしてしまう。
「しかも相手は大金持ちだ。金で買収することだって無理だよ。だがそれなのに、どういうわけか、ボクが同行すれば何とかなるかもしれない。そんな作戦があると言い出してきてるんだ。嫌でも、ピンとくることはあるさ。ボクの“肩書き”を使う作戦を、考えていたんじゃないのかい?」
睨んでくるイリアの目を、葉山は正面から見つめ返して応えた。
「エレンディア家――――」
「……」
その家名を口にする葉山に、イリアは口を閉ざした。
葉山は凛とした眼差しで、イリアの目を見つめ返す。
そうして淡々と話した。
「大陸で起きる、あらゆる戦争や紛争の背後に暗躍し、巨万の富を成した大名家。現代では、世界に存在する複数の軍産複合体を背後から牛耳っている大富豪。その名は“エレンディア”家。その一族の1人――――あなたは、イリアクラウス・フォン・エレンディアさんですよね?」
イリアは険しい顔をする。無言だった。その沈黙こそが、肯定を意味していた。
これまでイリアは、1度たりとも自分の家名を名乗らなかった。ケイの学校へ転校した時にも家名を伏せていたし、ケイたちにも教えたことはない。家名とは、イリアにとって忌々しいものなのだ。できることなら、口にしたくもなかった。
「……家出も同然に本家から飛び出して、放任されてる身だ。金を無心する時くらいしか、実家との繋がりはないよ。それなのにどうして、気付いたんだい?」
「最初はわかりませんでしたよ。イリアさんが私、つまりコトリの正体を探ろうとしていた時、逆に私も、あなたの素性を調べていたんです。そして、その首から提げている十字架を見て気付きました。エレンディア家の家紋、ですよね」
イリアは、自分の胸元にぶら下がっている、十字架のネックレスを手に取った。肌身離さず、いつも身につけている、お守りである。その十字架の中央には、たしかにエレンディア家の家紋である“剣を手にした鴉”が彫り込まれていた。
「なるほどね……。母様の形見から、素性が割れたわけか。うちの家紋なんて、よくわかったものだよ。インターネットを調べた程度では、わからないと思うけど」
「情報を調べるのが、私の仕事ですので」
「そう言えば、職業は捜査官だったか。迂闊だったよ。だが、それで合点がいった。ボクが金持ちだということを、レイヴンはあっさり信じてくれたからね。雨宮くん以外は、みんな気付いていたわけだ」
イリアの実家のことが、葉山に知られた理由はわかった。
問題は“それを知ってどうするつもりなのか”という点である。
「エレンディアの家名を利用すれば、淫乱卿から情報を引き出せるということなのかな?」
「そうだと考えています」
「よくわからないな。どうしてそんなことが言え――――」
「――――これはこれは。イリア様ではございませんか」
「!?」
唐突に割り込んできた女の声。いきなり話の腰を折られる。
その予期せぬ登場に、3人は驚いた顔をした。
気が付けば、イリアたちが向かっていた進路へ立ち塞がるよう、ナイトドレス姿の少女が1人、立っている。緑色の長い髪。エメラルド色の澄んだ眼差し。清楚な雰囲気だ。穏やかな笑みを浮かべている。上品で、物腰の柔らかそうな人物に見えた。
イリアはその顔を思い出し、名を口にする
「エリーゼ・シュバルツ……?」
「お久しぶりでございます。幼少の頃に、ミュンヘンでお会いして以来でしょうか。あの頃は、よく一緒に遊んでいましたね。懐かしいものです」
そのことは憶えている。
エリーは、イリアの旧い友人である。
「いったい、そのお召し物は……どういう状況でしょうか?」
帝国騎士に扮した格好をしているイリアのことを、不審に思っている様子だった。こんなところで旧友に遭遇することなど想定していなかったため、さしものイリアも内心で慌ててしまう。うまい言い訳が、咄嗟には思いつかない。
イリアが黙り込んでしまうと、エリーは優しい笑みを浮かべ、語りかけてきた。
「たしか……イリア様は、ご実家を離れて、お1人で生活されているのだと、風の便りにお聞きしていました。ですがこうして、白石塔の外に出てきているということは、世界の真実を知るに値する、資格ある者の1人として、イリア様もようやく、ご実家から認められたということでしょうか」
「……いったい何の話をしているんだ? ボクの実家が、アークのことを知っていたってことか……?」
エリーの言っていることの意味が、よくわからなかった。
エレンディアの実家に認められれば、アークのことを知ることができる。
そう言っているように聞こえた。
事情を掴めていない様子のイリアを見て、エリーは察してしまう。
不審なイリアを見て、探りを入れたのである。
エリーは微笑むことをやめ、冷ややかな眼差しで告げた。
「そう言うわけでもなさそうですね。ではやはり、そこにいる機人の仕業でしょうか」
「!」
エリーは、リーゼの方に冷ややかな視線を送っている。フルフェイスで顔を覆い隠しているというのに、エリーはリーゼのことを、機人だと見抜いているようである。エリーは上品に、だが嘲るように微笑んだ。
「それくらい、気配でわかりますよ。なるほど…… 機人の手引きで、ここまで辿り着いたわけですか。どうやらイリア様は許可もないのに、外の世界を徘徊なさっておられるようです。しかも変装までして、このベレル城へ潜り込んでいるなんて。大変よろしくない粗相ですよ? そのご様子では、ご実家から、いまだ“出来損ないの下民”扱いなのでしょうか」
「……くっ!」
イリアは悔しげに歯噛みした。
実家にいた時の嫌なことを、様々に思い出させられたからだ。
エリーからただならぬ気配が立ち上る。
どこからともなく皮の手袋を取り出し、それを身につけた。するとドレスの袖の中から、音も無く鋼線が垂れ下がる。月の光が反射することで、わずかに糸の輪郭が闇夜に浮かんだ。月光に照らされているのに、エリーの笑みは不気味に陰る。
「イリア様を死なせるわけにはいきません。ですが、同行している、そこの招かれざる客の2人には、ここで潰えていただく必要がありますね」
背筋に怖気が走る。
反射的に、リーゼは背中の大弓を取り出した。それを素早く構える。ツルに光の矢をつがえ、一瞬で戦闘態勢に入った。エリーを見据え、鋭い声色で警告する。
「イリア! 葉山! 気をつけて! この貴族、たぶんレイヴンより強い!」
イリアの幼なじみが強い?
リーゼは、間違いなく戦闘能力のことを言っているはずだ。だが幼少の頃を共に過ごしたエリーは、泣き虫でおっちょこちょいな女の子だった。記憶の面影は、強いというイメージと、かけ離れている。
――――爆煙が見えた。
「!?」
紅蓮の光に遅れて、地響きがする。
それが生じたのは、中央庭園の方角。目指していた闘技場がある近辺だ。
イリアたちのみならず、エリーも驚いた顔で、その炎を見上げた。
「あれは……いったい何なのですか……!」
木々の向こうに立ち上る黒煙を、ただ唖然と凝視してしまう。
その後も立て続けに爆発が生じて、地面が揺れた。周辺を巡回していた帝国騎士たちが異変に気が付き、慌てて現場へ駆けていく姿が見受けられる。城内のあちこちに、赤い「!」マークのホログラムが現れ、緊急事態を告げるサイレンが鳴り始めた。大混乱である。
「アキラ様!」
エリーが声を上げた。
見れば、闘技場の方角へ駆けて行く、四条院アキラの姿があった。配下の騎士たちを引き連れ、急いで現場に向かっている様子である。鬼気迫る表情の想い人を案じて、エリーはその背を追いかけ去って行った。侵入者であるイリアたちのことなど、もはや二の次な様子である。
「これは……もしかしてラッキーだったのでしょうか?」
「わからない。だが、あまり良い状況じゃなさそうだ。この城で今、こんな騒ぎを起こしそうなのは、雨宮くんしかいないだろう。たぶん何かやらかしてるぞ、彼」
「私たちも、様子、見に行こう!」
イリアたちは、互いの顔を見て頷く。
爆発現場へ向かって駆け出そうとした、その矢先である。
フラフラと出歩いている、ドレス姿の、白銀の髪の少女を見かけた。
「……そんな、ウソだろ?」
一瞬、見間違いなのではないかと、自分の目を疑った。
だが、改めてよく見直してみても、やはり間違いない。
赤い花を、左側頭部から咲かせている少女など、イリアは他に知らない。
「アデル!?」
名を呼ばれた少女は、イリアに気が付いた様子だった。
呑気にパタパタと手を振り、いつものムッツリ顔で、近寄ってきた。