5-11 初恋の初夜
大広間の立食パーティー会場を離れた。
美しい少女を引き連れて、アキラは長い廊下を進む。やがて辿り着いた先は、エレベーターホールだった。そこはホテルのロビーのような雰囲気であり、複数あるエレベーター扉は、どれも金色の鏡面仕上げになっている。
アキラがエレベーター前に姿を見せると、そこに立っていた歩哨の帝国騎士、が敬礼をして見せた。
「お帰りなさいませ、アキラ様。最上階の寝室までですね? 少々お待ちください。この城は旧い造りですので、エレベーター制御も旧式なカード認証方式でして……」
騎士は言い訳をしながら、壁の制御盤にキーカードを差し込み、呼び出しボタンを押してくれる。アキラがエレベーターに乗る時は、途中階で止まらない、最上階への直通モードになるのだ。あまり待つこともなく、小気味よいベル音が鳴と共に扉が開いた。
「乗って」
アキラは、アデルに指示した。
それに黙って従うアデルと共に、アキラはエレベーターに乗って最上階フロアへ向かう。
到着すると、そのフロアはペントハウスになっていた。絵画などの美術品が飾られた部屋。扉を出た先はすぐに、ソファやテーブルが並べられた、広いリビングルームになっている。アキラはアデルの手を引いて、寝室へと向かった。ガラス張りの壁一面に、アグゼリウスの都の夜景が一望できる部屋だった。天蓋付きの大きなベッドがあり、アキラはそこに、アデルを腰掛けさせた。
部屋に連れ込んだものの、この後どうすれば良いのか。
段取りというものが、アキラにはよくわからなかった。
言葉に欠いて、気まずい沈黙を誤魔化すように尋ねる。
「……何か飲むか?」
「飲み物をくれるのですか? では、お水をください」
部屋の隅に置いてあったキッチンカートに、ちょうどグラスと水差しが置いてあった。
そこで調達した、水の入ったグラスをアデルに手渡し、アキラはその隣に腰を下ろした。
渡されたグラスに小さな唇を付け、コクコクと可愛らしく飲むアデル。その横顔を見て、アキラは何だか頬が熱くなる。高鳴る胸の鼓動を懸命に押さえ、アキラは冷静になろうと必死だった。
水を飲み終えたアデルは、空のグラスを、ベッド脇の小テーブルの上へ置いた。
何やら隣で俯いて、気まずそうに黙り込んでいるアキラを不思議に思い、アデルは首をかしげる。アキラがそうしている理由は不明だったが、とりあえず、アデルは思いついた世間話をしてみることにした。
「詳しいことは知りませんが、今日は“ばんさんかい”というお祭りなのですよね? 他の貴族たちは、城内のあちこちにある、別会場へ散って行ったみたいですが。アキラは、お祭りを見て回らないのですか? 私は興味があるので、見てみたいのですが」
「……やめておいた方が良い。普通の祭典なんかじゃない。特に、君のような下民からすれば、見て楽しいものではないからな」
「?」
世間話としては、あまり良くない話題だったのか。
アキラは険しい顔になってしまう。
しばらく黙っていたアキラは、アデルを見ず、静かに語り始めた。
「そうだな。少し事情を話しておこう。七企業国王とは……そもそも、この世界の神である真王様へ、謁見することが許された、人類の最有力者7人のことだ。それぞれがアークを分割統治していて、自分の領内にある白石塔と、その中に住む下民たちの管理を、真王様から任されている」
唐突にアキラが話し始めたことは、アデルにとっては、わからない単語だらけである。何の話しをしているのか。敢えてその疑問は口にせず、とりあえずアデルは、話しの続きを聞くことにした。
「理由は知らないが、真王様は“人のことは人に管理させる”方針らしく、知る限り何千年もの間、七企業国王たちのやり方に口出しをせず、自由にやらせているみたいだ。白石塔の中で築かれた“下民たちの世界”を維持すること。その基本ルールさえ守っていれば、何をしても、お咎め無しだ。だから今では……こんなに狂ってしまったんだと思う」
「狂ってしまった?」
「父上……七企業国王の1人である、淫乱卿のことさ。配下の貴族たちと共に、毎日やりたい放題だ。遊び半分で下民を何万人と間引いたり、わざと戦争を起こして、それを賭けのネタにしたこともある。誰も止められる者がいないんだ。下民たちのことを、家畜、あるいは、好きにしても良い、人型のおもちゃくらいに考えている」
心底、父親の所業にウンザリしている。
アキラの不貞腐れたような表情と、苛立った口調から、それを感じ取れた。
ところどころ細かい単語の意味はわからなかったアデルだが、大まかなことは理解できた。
「とても悪い父親なのですね……。でも、アキラは違うのですか?」
「さあな。なにせ、僕だって下民を殺すことには抵抗が無い」
アキラは肩をすくめて見せる。
「帝国は、真王様という、実在する神を帝位に戴いている。偉大なる神に寵愛された帝国に対し、不敬な下民は、粛正されるべきだと考えている。僕は帝国に忠誠を誓った騎士だからな。でも、そう思うのは、もしかしたら僕にも父上の血が流れているせいなのかもしれない。父上ほど、飛び抜けて残虐ではないが、君たちからすれば、僕も残虐なことに変わりはないんだろう」
アデルは配慮なく、無垢な質問をアキラへ投げかけた。
「父親の行動が、間違っていると思っているのなら……家族であるアキラなら、それを止められないのですか?」
「家族だって?」
あまりにも真っ直ぐなアデルの意見を聞いて、アキラはそれを鼻で笑ってしまう。
「家族の絆なんてもの、僕の家、四条院家には存在していないよ。血縁の無い他人だろうと。血縁のある僕だろうと。誰も父上には意見できないし、逆らうことなんて不可能だ。君は何もわかっていないな。僕の父上……淫乱卿が、どれだけ恐ろしい人なのかを」
「恐ろしいから、父親に何も言えないのですか?」
「……」
アデルの質問は、容赦がなかった。
自分よりも身分が低い、白石塔の下民に、家族のことをとやかく言われているのだ。本来のアキラなら、そのことに腹を立て、無礼を理由にアデルを殺していたかもしれない。だがどういうわけなのか。踏み込んだ内情を尋ねてくるアデルに、腹が立たない。
アキラを見つめてくる眼差しが、あまりにも無垢で、嫌みや悪意がないからだろうか。
アデルと話をしているのは、不思議なくらいに居心地が良かった。
「……これまで淫乱卿は、アークで1000年以上の時を生きている。その1000年の間に、あの人が犯してきた女の数は、星の数ほどだ。淫乱卿が孕ませ、産ませた子供の数は、優に100を超えているはずだ。多くの息子や娘がいたはずなのに、10歳以上まで育てられ、生き残っているのは、もはや僕と兄上の2人だけだ」
「どういうことなのですか?」
「父親の期待に添えなかった者。反抗的だった者。皆、何かしらの“不具合”が見つかって、見捨てられ、飽きられ、殺されたのさ」
「……!」
「わかるか? 淫乱卿の息子であるということは、命懸けなんだ。常に父親の期待と要求に、100パーセントで応えられなければならない。生まれた時から僕は、ずっとそういう重圧の中で暮らしているんだ」
アキラは苦笑する。
「あまりにも強大な異能の力と、あまりにも強大な権力を持っている男だぞ。誰も逆らえないし、意見することだってできない。簡単にひねり潰されてしまうからだ。僕だって、それは変わらないさ。権力者の息子という肩書き以外、何も持っていないに等しいくらい、父上の前では無力なんだ」
「そうだったのですか。アキラは、とても辛い立場だったのですね……」
アデルは悲しそうな顔をしてくれる。アキラの長年の苦しみを、アデルは理解し、本気で同情してくれている様子だった。他の貴族たちが見せるような、ご機嫌取りや打算があっての同情ではない。
そうされていることが、とても幸せに感じられた。
「……君は不思議な子だな。こんなに他人の前で、素直に話しができるのは、いつのこと以来だろう。最近じゃ、エリーの前でだって……」
話しているうちに、いつしかアキラは、アデルと見つめ合う格好になっていた。
可憐すぎる赤花の少女。その澄んだ眼差しと、美しい唇から紡ぎ出される、清涼感ある声を聞いていると、アキラの心臓は痛いほどに、鼓動を早めてしまう。耳の先まで、赤面してしまっているのがわかる。
「参ったな。これじゃあ完全に…………まるで僕は君に……」
おそらく、一目惚れだ。
庭園で出会った時から、少女の存在はずっと脳裏を離れなかった。
アキラは静かにアデルの肩に両手を置き、その華奢な身体を、ベッドの上へ押し倒した。アキラに手首を掴まれ、アデルは仰向けの姿勢で、動けなくなってしまう。不安そうな表情で、アキラへ尋ねた。
「いったい……何をしようとしているのですか?」
「淫乱卿には、誰も逆らえない。反抗すれば、たとえ息子であっても、ゴミのように殺される。支配権限なんてなくても、従うしかないんだよ」
「どういう意味でしょうか……?」
「この部屋へ連れてこられたということは、もうわかっているだろう? これから僕は、君を抱くんだ」
アキラはアデルの上へ覆いかぶさり、その首筋へ優しくキスをする。肌が敏感なのだろう、アデルはその感触に、ゾクリとしてしまった。
「きゃう……!」
思わず、変な声が漏れてしまう。
抱きしめられ、左右の首筋に何度もキスをされ、その度にアキラの温かい鼻息が肌にかかる。背筋がゾクゾクとし、アデルの鼓動が早まっていった。くすぐったいのとは違う。得体の知れない心地よさに、アデルの呼吸は乱れ、身体が熱くなっていく。
「や…………いや……これ、なに……やあ!」
アキラは、ドレスの生地の上から、アデルの胸の膨らみを掴んだ。それを揉みしだかれ、先端を刺激されると、何かがきそうになり、アデルの視界はチカチカとする。いったい何をされているのか、わからない。だが頭がフワフワしてきて、理性を失いそうになってしまう。
「ふあ……! これ、なにか……きそう……?」
怖くて。このままではまずいと思って。
蕩けた顔で、アデルは涙ながらに懇願する。
「やめ……やめてください……怖い、ケイ……!」
無意識に、アデルが口にした名前。
それを聞いたアキラは、思わず手を止めた。
「……ケイ?」
誰か知らない、男の名前のようだ。もしかして、アデルには下民の恋人がいるのだろうか。それよりもアキラは、別のことが気になった。アキラはアデルから離れ、ベッドから立ち上がる。怪訝な顔で、マジマジとアデルを見てしまった。
「どういうことだ……ここに連れてこられた下民は全員、支配権限を使った記憶処理が施されてるはずだ。白石塔での過去なんて、憶えていないはずじゃないのか……?」
晩餐会の生け贄の下民たちは、支配権限による命令で、連れてこられた経緯や、不安や疑念の思いを忘れるように、洗脳されているのである。それどころか、基本的には過去の記憶を全て忘れさせられている。アデルが記憶処理を受けているなら、過去の男の名前など、憶えているはずもないのだ。
――地響きがした。
「!?」
ガラス張りの向こう。その階下に見えている中央庭園で、何度か、爆発の炎が立ち上るのが見えた。爆発のたびに一瞬だけ、夜空が赤く染まり、地響きの振動と共にガラス壁が震える。
「何事だ……!」
断続的な無数の連射音が、程なくして聞こえてくる。帝国騎士たちが手にした、突撃自動小銃の発砲音だろう。賊でも忍び込んだのだろうか。騎士たちと何者かが、交戦を始めたようだ。
「闘技場の方か……? 様子を見てくる! 雨宮アデル――――ここで大人しく待っていろ!」
アキラは支配権限の力を行使し、アデルへ命じた。部屋の隅に置いておいた、自身の剣を手に取り、帯剣する。そうして駆け足で、アキラはペントハウスを出て行った。
命令され、1人で部屋に置き去りにされたアデル。
乱れた衣服と呼吸を整えながら、紅潮した顔で呟く。
「……驚きました。さっきのアキラの行為は……なんだったのでしょう」
アデルはキョロキョロと、誰もいなくなった室内を見渡す。
「……見張りも誰もいませんね。もしかして。逃げる絶好のチャンスでしょうか」
アデルはベッドから立ち上がり、エレベーターの呼び出しボタンを押した。
そうしてアキラに遅れて、部屋を去った。