5-10 悪魔たちの宴
※今回のお話は、少し過激な表現が使われています。苦手な方は閲覧にご注意ください。
リーゼたちと分かれたケイは、単独での行動を開始していた。
目指すは、四条院アキラの寝室があると言う、ベレル城北東部に位置する塔である。
ケイたちが閉じ込められていたのは、レイヴンの説明によれば、城内の南西部だった。つまり現在地は、目的地の反対側と言うことだ。城内は広いため、目立たないよう、歩いてそこまで移動するとなれば、下手をすれば1時間はかかるだろう。そんな悠長に、迂回している暇はないのだ。最短ルートを選ぶのなら、城の中央。つまり“中央庭園”と呼ばれる、自然公園を突っ切るのが良い。
長らく歩いていた通路脇に、中央庭園へ出られる出口を発見する。
そこを見張っている歩哨の前を大胆に通りすぎると、間もなくして、周囲の風景は木々に囲まれたものになっていく。そこは自然公園のような雰囲気である。ちょっとした森になっていた。
遊歩道の光源は、城内通路を照らしていたのと同じ、宙に浮いている光のレールである。そのレールが続く先へ道が続いているため、行き先を確認する目印としても、利用しやすかった。ふと見上げた空に、月が見えていることに気が付いた。それは偽装フィルターを使わなくても目視できる、本物の月。おそらく、ケイが生まれて初めて見ているのであろう、その月の姿は――――砕けている。
「アデル……無事なのか……」
今いる場所が、自分の常識が及ばぬ地であることを、ケイは改めて痛感する。
そのせいか、心配する一心で、少女の名を呟いてしまっていた。
ここは、困惑するようなものばかりの、謎に満ちた世界だ。白石塔の中のことですら、知らないことだらけのアデルからすれば、どれほど心細く、不安を感じることだろうか。アデルのことを考えると、ずっと胸が掻きなじられているような思いである。
「早く、連れ帰ってやらないと……!」
いつもの眠そうな、アデルの顔が思い浮かぶ。
ドヤ顔で、ケイにどうでも良いことを自慢してくる顔。
無表情なようで、実は感情豊かな少女の態度が、次々と脳裏に思い起こされていった。
今のような人の姿になる前から、アデルとケイは、ずっと一緒だった。苦しい時も。寂しい時も。悲しい時も。楽しい時も。分かち合って生きてきた。家族同然で。今では……言うならば、妹も同然に大切な存在である。それが四条院家の、不遜で身勝手な思惑によって傷つけられることなど、我慢できようはずがない。
急ぎ足が、小走りになってしまいそうなのを、懸命に堪える。
敵だらけの、この場所で、目立つわけにはいかないのだ。
そうして森を歩いていた、ケイに耳へ――微かな銃声が聞こえた。
「?」
銃声を聞いては、警戒せざるをえない。ケイは咄嗟に身構えてしまう。
月明かりに照らされた庭園の風景に目をこらし、耳を澄ませた。すると、進行方向から少し左手に逸れたあたり。その木々の向こうに、明るい光が見えた。そこからは、複数人の笑い声のようなものが聞こえてくる。
「……なんだ?」
寄り道をしている暇はなかったが……。
危険の有無は、確かめておくべきだろう。
ケイは、音が聞こえる方へ向かって行った。
進んだ先に、広場があった。
すり鉢状に地面が窪んでいる場所で、中央は円形の平地に整えられていた。その周囲には観客席が設けられている。小さなスタジアムのような場所に見えた。観客席には、高価そうな召し物で着飾った人々が大勢、腰掛けている。会場内には、護衛の騎士たちや、オードブルを運ぶウエイターたちの姿が見受けられた。料理をつまみ、酒を飲みながら、人々は中央を取り囲み、一心不乱に歓声を上げて熱中している様子だ。
スポーツ観戦でもしているのだろうか。
茂みの陰に隠れて覗き見ていたケイが、そう思った矢先だった。
「……!」
驚き、声が漏れそうになる。
観客たちが観戦しているのはスポーツなどではない。
人と異常存在の――殺し合いだ。
そこは闘技場だったのだ。
砂地の上に、人型の異常存在が立っている。無人都市でケイが遭遇した、怪物紳士に似ていた。あの怪人のようにタキシードや帽子を着てはいない、全裸姿だ。だが、長身で細身な人型である点は同じだ。無数の植物のツタが、背中から触手のように生えていて、複雑に蠢いている。ケイが戦った相手と同格なら、おそらくクラス4の異常存在だろう。
それと対峙しているのは……少年と少女だ。
まだ10歳にもならない、小学生くらいの年齢に見えた。おそらくアデルたちのように、白石塔から誘拐されてきたのではないだろうか。目の前の怪物に、怯え震えている少女は、なす術もなく泣き叫んでいる。その少女を必死に庇うよう、背に隠す少年。その小さな手には、身の丈に合わない大きな剣が握り込まれていた。少年は、剣の切っ先を怪物に向けている。そうする手は、やはり恐怖で震えていた。
「どうした! 怯えてる場合か!」
「がははは! 妹が殺されるぞ! はやく戦え!」
観客の裕福そうな人々は、口々に残酷な激励を飛ばし、少年を鼓舞しようとしている。
ただの人間が。ましてや、あんな小さな子供が。異常存在に勝てるはずなどない。そんなことは、やらせなくてもわかるというのに、周囲の大人たちは、わざと戦わせようとしている。
「さっさと死ぬところを見せろ!」
「下民など、死んで見せることくらいしか、我々を楽しませることもできないだろうに!」
ケイは頭に血が上り、歯ぎしりする。
「コイツら……!」
戦うところを見たいのではない。
この観客たちはただ、人間が無残に殺されるところを、見たいだけなのだ。
異常存在は、背中の触手を刃の形状に整えると、一瞬で少年の胸を刺し貫いた。それは、ケイが助けに入る間もない刹那の出来事である。心臓を一突きにされた少年は、たまらず手にしていた剣を取り落とした。涙ながらに背後の少女を見やり、ただ「ごめんな」と呟いて、倒れ伏す。そうして呆気なく絶命してしまった。
目の前で兄が殺されたのを見て、少女は絶望の叫びを上げた。そんな憐れな少女の頭部を、異常存在は容赦なく斬り飛ばす。頭部を失った首の断面から鮮血を吹き、少女の身体はその場に倒れた。
兄妹の無残な死を見届けた観衆は、歓声を高めた。
何がそんなに楽しいというのか。
嬉しいというのか。
誰も彼もがニヤけて、喜びはしゃいでいる。
「クソッタレ共め……!」
ケイは怒りで目を血走らせる。今にも飛び出して、その場の全員を斬り殺してやりたいところだったが、衝動的な行動を、何とか堪えようとした。噛みしめた唇からは、血が滴った。
異常存在が退場し、兄妹の死体が片付けられる。すると、闘技場の中央に、1人の男が歩み出てきた。その姿を目撃したケイは、目を丸くして驚いた。
「あれは……まさか、四条院コウスケか……!」
忘れていない。葉山の隠れ家で見た、写真に映っていた人物である。白石塔の中では、四条院財閥の主にして、四条院コウスケの名として知られている。その正体は、このアークで、七企業国王と呼ばれ、恐れられている、帝国の7頭角の1人。
淫乱卿――――。
オールバックにした黒髪。整えられた口髭。高価そうなタキシードを着ており、黄金のタイピンや指輪など、数々の宝石を身につけている。洒落た格好をした、美形の中年だった。
「まさか、探しに行った葉山さんやリーゼより先に、オレの方が遭遇することになるとは……」
アデルを救うために道のりを急いでいたケイだったが……。
もう少しだけ、その場で様子を観察してみることにした。
闘技場の中央に立った淫乱卿の頭上に、いくつかの、空飛ぶ光の球体が近づいていった。そこから眩い光が発せられる。光球は、淫乱卿へスポットライトのように光を浴びせかけた。
「紳士淑女の皆様。下民たちによる、今夜の殺人ショーは、お楽しみいただけていますでしょうか?」
淫乱卿が観衆へ問いかけると、観客席からは賛美の歓声が轟いた。会場の賑わいぶりに満足そうな笑みを浮かべ、淫乱卿は語った。
「彼等は皆、白石塔内で、我々の庇護を受けて生かされている下民たちです。たまには命を張ることで、こうして我々、帝国貴族を楽しませ、日々の恩義に報いられているのです。これは存外に本望なことでしょう。全ては帝国のための、尊い奉仕なのです」
「帝国のために!」 「帝国のために!」 「帝国のために!」
観衆の貴族たちは、口々にそれを叫んだ。
狂った熱狂だった。
「さて、この後もショーは続きますが、ここで小休止。美食な皆様へ、私のシェフたちが腕によりをかけて作った、特別なお料理を振る舞いたいと思います」
そう言うと淫乱卿は、闘技場の選手入場口の方へ目を配る。合図を受けたエプロン姿のコックたちが、車輪付きの、銀の“寝台”を、会場内へ次々と運びこんできた。
その寝台の上へ盛り付けられた料理とやらを見て、ケイは思わず目を疑ってしまう。
「…………!?」
調理された“人間”だったのだ。
豚や牛ではない。人間の丸焼きである。切断された四肢や頭部が、大皿の上へ綺麗に盛り付けられており、眼球や舌などが、小皿に取り分けられ、ソースがかかった肉料理の体裁で出されている。いずれも、調理されたのは、誘拐された少女たちのようである。運び込まれる寝台の数からして、20人くらいは殺され、調理されていた。
大皿の1つ。
その上に盛り付けられた生首に、ケイは見覚えがあった。
だからこそ血の気が失せ、絶望してしまう。
「そんな……やめろ……! 藤野……!?」
変わり果てたクラスメイトの姿を目撃し、ケイは無意識に涙を流してしまっていた。こみ上げてくる吐き気。なす術もなく、盛大に吐瀉してしまう。
淫乱卿は、無慈悲に宣言する。
「毎年の晩餐会で、もはや定番料理になってきました。“処女たちの血肉”でございます。ご存じの通り、処女の血や肉には、長寿と美貌を保つための魔力が宿るとされており――――」
長々と演説する淫乱卿の言葉など、すでにケイの耳へ届いていなかった。
ひとしきり胃の内容物をぶちまけ終えたケイは、ただユラリと、その場で立ち上がる。
これまでにケイは、幾度となく怪物たちと対峙してきた。
彼等は人ではなく、名前がないから、怪物と呼ぶ以外に表現方法がなかったのだ。
だからこそ今、ケイは確信を持って断言できた。
「この……怪物どもめ!!」
堪えきれない怒りに、シワを寄せた眉間。
狼のように、鋭く研がれたナイフのような眼差し。
慈悲のない、冷たい眼光は、ただ闘技場に立つ淫乱卿を見据えていた。
「四条院家とは戦うなって…………言ってたよな、リーゼ」
勝ち目などない。戦いにならない。そう、警告されていた。
だが、ケイは腰に提げていた、高周波ブレードを抜刀する。
こめかみに青筋を浮かべ、噛みしめた歯茎から血がにじみ出る。
「もう関係あるかよ、我慢の限界だ!」
怪物殺しの少年は、この場の全ての怪物たちを、殺すことにした。
次話の更新は日曜になります。