1-3 ハプニング
トウゴと分かれてから、しばらく経つ。
撮影準備をしていた時の草むらに戻ってきており、そこで、ケイとサキは並んで立っていた。
現在の時刻が気になり、ケイはポケットからスマートフォンを取り出す。
待ち受け画面の表示を確認して言った。
「もう21時ですか……。先輩の検証が終わったら、急いで片付けて撤収しないと、終電に間に合わないですね」
そうぼやくケイの様子を見ていたサキは、微笑んで言った。
「雨宮くんって、いつもかわいいスマホケース使ってるよね」
「?」
「その、赤い花のやつよ」
ケイのスマートフォンの天辺からは、小振りな赤い花が咲いていた。
一見すると、本当に機械から花が生え出ているようにも見えるが、そういう洒落たデザインのケースなのだろう。サキはそう思っていた。
サキに指摘され、ケイは少しだけ困った顔で、苦笑いを浮かべる。
「ああ……。まあ、そうですね。親父からもらったものです」
「ふーん。男の子に、お花のスマホケースか」
「変ですか?」
「正直なところ、ちょっと変な贈り物かも、って思うわね。まあ、変と言えば、うちも余所様のこと言えないかな。ほら。うちのママってカメラマンでしょ? 5歳の娘へのプレゼントが、お下がりの一眼レフカメラよ? その頃の私は、カメラって何をする道具なのかも、わかってなかったのに」
「早すぎるプレゼントな気はしますけど、良い贈り物じゃないですか」
「仕事道具が好きすぎて、カメラとレンズを集めすぎなのよねー、ママ」
「レンズ沼ってやつですね。オカ研の撮影で使ってる機材も、ほとんどが、部長に用意してもらったものですもんね」
言われてサキは、うんうんと頷いた。
「そうねえ。機材関係については、本当に助かってるのよね。カメラとか、家にゴロゴロ転がってるから困らないもん。ちなみに今、定点撮影のために置いてきたハンディカムね。 夜間撮影機能が強い機種で、30万円とかするらしいわ」
「すごい……高級機材だったんですね」
「雨宮くんに貸してるその一眼カメラだって同じくらいよ? 壊したりしないでね」
「気をつけます」
ケイとサキの会話が途絶えると、沈黙の静けさを、スズムシの鳴き声が補ってくれる。昼間の残暑は和らぎ、夜風の肌寒さが、秋の到来を感じさせる今日この頃。月明かりの下で、森の音に耳を澄ませているのは、なんだか心地が良かった。
「……ん?」
廃墟の方角から、かすかに明かりが見えた。
気のせいではない。よく見れば、懐中電灯の明かりである。持っている人物が振り回しているせいか、光はあちこちに向かって暴れ回っていた。
「あー……。あれ、先輩ですね」
トウゴだった。
どうやら懸命に、ケイたちの元へ駆けてきている様子である。
サキは頭を抱え、呆れた顔をしてしまう。
「ガチで? 逃げてきたの? あーもう。カメラ回して撮影しないと」
ケイは一眼カメラの電源を入れ、サキは自分のスマホを動画録画モードにする。
トウゴは、息も絶え絶えで駆け寄ってきた。ケイたちに合流すると立ち止まり、その場でゼーゼーと荒い息をする。戻ってきたトウゴが手ぶらであることに、サキは気が付いた。
「ちょっと、トウゴ! 定点カメラ持ってきてないじゃないの! まさか、置いてきちゃったの!?」
「無理! ムリムリムリ無理……!」
完全に血の気が引いた白い顔で、トウゴは激しく首を左右に振っている。
なにが起きたのか、状況が判然としない。
「どうしたんですか、先輩。これまでにないくらい真っ青ですよ。もしかして、本当に幽霊と遭遇したんですか?」
「違う、そうじゃない! 人来たって、人……!」
「…………?」
ケイとサキは怪訝な思いで、互いの顔を見合わせる。
トウゴは荒い息を整えながら、必死に自分の体験を語り出した。
「雨宮たちがいなくなってから、15分くらい経った頃だよ。なんか急に、上の階から足音が聞こえてきたんだって……!」
「足音って……客室でも聞こえてた、ラップ音じゃないの?」
「最初は俺もそう思ったって! 空耳的な、聞き間違え的なやつ! けど、ハッキリとした足音だった! それが鳴り止まず、廊下に響いてて、しかも階段降りて、どんどん近づいてきやがんの!」
「それガチなの…………?」
思わず尋ねてしまうサキ。
だがトウゴの表情は、冗談を言う余裕などないくらいに、追い詰められて見えた。
「しかも気持ち悪い鼻歌まで聞こえた! 男の声だった! 明らかに人だったんだって!」
「こんな時間に、廃墟のホテルにやって来るような人がいたと……?」
「そう! どう考えてもやべえヤツ! もう俺、パニックになっちまってよ……! 足音がする方とは、逆の出口から急いで逃げてきたんだって!」
「ちょっと落ち着いて! それって本物の幽霊の可能性ない!?」
「はあ?! ちげえって! あれは人だったって! 幽霊だったら怖すぎだっつの! いや、人でも怖すぎだけど!」
「人間だったのかどうか、確認はできてないのよね?!」
「そりゃそうだがよ……! 確認する余裕なんざなかったって!」
サキは考え込む。
「論より証拠が欲しい感じね……。トウゴの話が本当なら、定点カメラにもバッチリ音入ってるでしょ! なら、急いでカメラを取りに戻って確認しないと……!」
「おいおい、やめろって、吉見! 今はマジで戻らない方が良いって!」
トウゴの恐ろしい話を聞いてもなお、鋼メンタルのサキは廃墟へ戻ることを提案してきた。それを心底から危ないと思っているのであろう、トウゴが必死に引き留める。
定点カメラを取りに戻るかどうかで揉める2人。
その傍らで、ケイだけは、あらぬ方角を注視し続けていた。
トウゴを振り切って、廃墟へ戻ろうとするサキの手首を――ケイは黙って掴んだ。
「……え? 雨宮くん?」
「部長。カメラは取りに戻らない方が良いです」
ケイは冷淡な眼差しを、ある1点へ向けていた。それは、廃墟の建っている方角とは逆である。
暗闇の向こうに、ケイは持っていた懐中電灯の光を向けた。
「あれ、見てください」
トウゴもサキも、ケイの視線の先を見やる。
ケイが見ているのは、廃墟の近くを通っている道路の方角だ。
木々の合間の向こうに目をこらせば、僅かに舗装路が見える。実のところ、廃墟は道路から近い場所にあったのだ。その風景の中に、キラキラと鮮明に輝く“何か”があることは、すぐに理解できた。
その正体に気が付き、サキは思わずぼやいてしまう。
「…………あんなところに“車”?」
ケイの懐中電灯が照らした先で、自動車のテールランプに付いてる反射板が光って見える。その反射光を頼りに、よく観察すれば、道路脇にグレーカラーのセダン車が駐車されているのだ。
「さっき……ここで撮影準備をしていた時に、あんな車はありませんでした。オレたちが廃墟を探索している間に、誰かが遅れてやって来たんです」
「誰かって……」
サキは背筋が寒くなる。
ケイの言わんとすることを理解したからだ。
「こんな時間に、誰かがこの廃墟ホテルへ来たって言うの?」
「俺たち以外に……なんの用があるってんだ?」
「……」
「……」
トウゴと同じように、サキの表情からも血の気が失せていく。
ゾワゾワと全身に鳥肌が立つ。
「マジでキモすぎるだろ……。いったいこんなところへ、誰が何しに来たってんだよ」
「心霊的な危険じゃなく、犯罪的な危険を感じますね」
部員たちが、暗に撮影中断を訴えてきている。サキはそれを察していた。
敢えて、ここで危険に飛び込んで、すごい動画を撮るという選択肢も、一瞬だけ頭をよぎりはした。だがそれは我慢し、今は全員の身の安全を確保することが優先だった。
サキは決断する。
「……カメラを回収するのは、明日にしましょう。今日は急いで撤退よ。1秒でも早く、この場を離れた方が良いわ」