5-2 錆の村ラヴィス
青空と太陽。
偽装フィルターを切っていても、それは見えた。おそらく、生まれて初めて目撃しているのであろう本物の空を、ケイは感慨深く見上げ続けてしまう。
東京管理区のある白石塔を出て、辿り着いた外側の世界。
アーク。
リーゼがそう呼ぶ場所は、自然が溢れる、未開の地であるように思えた。
最初に訪れた草原は、地平線の向こうまで続いていて、いつまで歩いても、めぼしい人家の1つさえ見当たらなかった。ケイたちはリーゼの背に続いて、かれこれ2時間くらいを休まずに歩き続けている。その間、周囲に見えたのは、いくつもの白石塔の数々だ。
青空を背負った緑の草原に、いくつもまばらに聳える、巨大な白い大樹。大樹の形に見えるだけで、実際には石塊なのだが、いったい誰がどうやって造ったのか、想像もつかない巨大建造物である。それらが見える景色とは、どんな外国の風景とも異なる、どこか幻想的なものである。
「まるでファンタジーの世界だね」
「ええ、本当ですね。地球上に、こんな場所があったなんて……」
「アデルを含め、子供たちが世界の外側に誘拐されているとは……まさか思ってもいなかったよ。リーゼに出会えなかったら、ボクたちは一生、アデルを見つけられなかっただろうね」
イリアと葉山が、話している声が聞こえた。
ケイは無言で、その意見に同意した。
ふと、先頭を歩いていたリーゼが、ケイたちを振り向いて言った。
「目的地、見えてきた」
微笑みながら行き先を指さすリーゼ。
その先には――――廃墟が見えた。
「あれは……都市の廃墟?」
ケイは見たままの感想を呟く。
ファンタジー世界の草原を歩いているかと思いきや、遠くに見えてきたのは、高層ビルが建ち並ぶ、近代的な巨大都市の風景だ。だが都市とは言っても、廃墟である。傾いたビルや、崩壊しかけているビルが犇めいている。遠目に見える限りでは、ほとんどの建物の表面が、緑に覆われてしまった様子である。おそらく長い間、雨風に放置されて朽ちているのだろう。
「あそこ、大昔に崩壊した白石塔。その中にあった、街の廃墟、ある」
「へえ。帝国に放棄された“元”管理区、ってところかな」
「ぷろぴこ!」
「リーゼさんは、その通りだと言っています」
「葉山さん。それ、もう説明されなくてもわかるようになってきました……」
草原を歩いていると、いつしかケイたちは、朽ちた高速道路の上を歩いていた。廃墟都市へ続く、その道路を歩き続けると、周囲の風景は徐々に、人工の建物が建ち並ぶ景色へ変わっていく。高速道路が崩落して進めなくなっている行き止まりへ辿り着き、一同は足を止めた。
「ヒトの都市廃墟、アークのあちこち、ある。こういう場所、白の森、言われてる」
「白の森か……。自然なんてないが、白いコンクリートジャングルではあるな」
「気をつけて。白の森、場所によっては、異常存在、徘徊してる。元々、白石塔の中にいたのが、放置されて、独自進化した奴等。白石塔の中にいなかったような、強力な“クラス5”とかもいる。この森は、大丈夫そうだけど」
「クラス5……外には、そんなのも彷徨いてるのか」
「アークのあちこち、ヒトが立ち寄らない場所は特に、異常存在たち集まって、生態系を作ってるところある」
「ようするに、モンスターもいる世界ってことだろ。ますますファンタジーワールドだ」
「一応、地球ですよね? 私たちが、今までその存在を知らなかった場所というだけで」
頭上を見上げると、高速道路にある、緑の案内標識が見つかった。書かれている文字はかすれ、苔むしていて全ては読めないが、ケイは読める範囲で、地名を確認した。
「……1キロ先、錆谷県? 漢字の案内標識だから日本っぽいけど。聞いたことない地名だ」
ケイの呟きを聞いたイリアが、妖しく笑んで言った。
「もしかしたらだけど。ここはかつて、日本にあった場所で。何らかの事情で帝国に放棄された後、ボクたちは、この地が存在したことさえ忘れさせられてるのかもしれないよ? 彼等の支配権限命令によってね」
「……あり得なくはない。白昼堂々、女子たちが誘拐されても、先生たちは今日も普通に学校を開いてたんだ。知っている人間の存在を忘れさせ、最初からいなかったみたいにすることさえ、帝国の連中には簡単にできるんだろうからな」
「雨宮くんとイリアさんの想像は、恐ろしい話しですね……」
高速道路へもたれかかるようにして、傾き倒れているビルがあった。道路脇すぐの場所に、ビル3階の窓が見えている。リーゼは道路端からジャンプをすると、軽々とそこへ飛び移って見せる。
「このビルの中、通れば下へ降りられそう。ケイたちも、この窓まで、飛び移って」
言われたケイは、リーゼに続き、ジャンプでビルの窓へ飛び込んだ。
簡単に廃墟ビルへ飛び移った2人とは異なり、イリアと葉山は及び腰だった。
イリアは道路端に立ち、その遙か下側に見える瓦礫の山を見下ろした。
「これは……結構な高さだね。落ちたら確実に死ねるよ」
「リーゼさん、私たちが人間だって忘れてません……? ええ、しかし公務員は、これしきのことで公務を投げ出すことはしませんよ!」
恐る恐るであったが、イリアと葉山もジャンプして廃墟ビルへ飛び移る。
傾いたビルの内部であるため、床は傾斜していた。そこをよじ登り、下層へ続く階段を見つけて下っていく。ようやく辿り着いたビル1階から外へ出て、ケイたちは大通りへ出た。
「……これじゃあ、まるで世界が滅びた後の光景、って感じだな」
4人並んで、廃墟の都市を見上げた。
すでに空は茜色に暮れ始めている。燃えるような夕焼けを背負った、傾いた数々のビル。それはケイたちの胸に、もの悲しさを訴えかけてくるようだ。遠いビル廃墟の天辺から、鳥たちが一斉に飛び立ち、どこかにある巣へ帰っていく。その様を眺めながら、ケイたちはしばらく、哀愁の景色に見入ってしまった。
ケイはリーゼへ尋ねた。
「もう日が暮れる。今日は野営の準備を始めた方が良いんじゃないか?」
「野営、しない。近くに、リサイクルの村ある。今日はそこへ泊まる」
「……リサイクル?」
ケイが眉をひそめている傍から、物音が聞こえた。
その方角を見やると――女の子の姿が見えた。
「!?」
汚れたシャツとスカート。
10歳くらいの見た目だ。
中世時代、西欧で市民たちが身につけていたような、麻の服を着ている。衣類は古びているのに、履いているのは、近代製の赤いサンダルという、時代設定がおかしいチグハグな格好に見えた。
ケイたちの姿を見るなり、少女は慌ててどこかへ逃げ出してしまう。その背に「待って」と声をかける暇もなく、姿を見失ってしまった。
唖然とした顔の葉山が、リーゼに向かって尋ねた。
「まさか今のは……白石塔の外に、私たち以外の人がいるのですか……!」
「まあ、ね。あれ、正確にはヒト、違う」
葉山の呟きについて、リーゼは奇妙な否定の仕方をした。
少女が逃げていった方角へしばらく進むと、やがて、集落らしき場所が見えてきた。そこを集落だと感じた理由は、その一帯だけ、傾いた電灯の数々に、明かりが灯っていたからだ。
廃墟の大通り。
さっきの少女以外にも、出歩いている大人の男や女の姿が見受けられた。路上には大布を敷き、そこへ商品を並べて売買をしている露天商らしき者たちの姿もある。いずれも、あまり清潔とは言えない麻の服を着ていた。古めかしい服を着ているのに腕時計をしていたり、メガネをかけていたり、中世と近代が入り交じった、奇妙な出で立ちをしている。まるで時代考証を間違えている、映画の世界へ迷い込んだようだ。
「驚いた。人が住んでるなんて」
「ここは……村なのかい?」
どうやら、この都市廃墟に住み着いている人々の集落だ。周囲を観察してみると、割れた窓を布で仕切ったりして、廃屋やビルの一角を、住居として使っているのがわかる。まるでスラム街の雰囲気だ。街角には、目付きの悪い怪しげな男たちのグループが見かけられた。見慣れない格好をしているケイたち一行を、遠巻きにジロジロと睨み付けてきているようだ。
その視線に居心地の悪さを感じながら、ここへ連れてこられた理由を察した葉山が、嫌そうな顔でリーゼへ尋ねた。
「もしかして……リーゼさんが泊まると言っていたのは、ここなのですか?」
「ぷろぴこ!」
「ぐぬぬ。その通りなのですね……!」
苦悶の顔をしている葉山を横目に、ケイもリーゼへ尋ねた。
「教えてくれ、リーゼ。どうしてアークにも人が住んでるんだ? 人間はみんな、オレたちみたいに白石塔の中に閉じ込められてるんじゃなかったのか」
「あのヒトたち――“再生人”、言う」
リーゼは語り出した。
「元々は、ケイたちと同じ、白石塔の中で生きてたヒトたち。でも本人じゃない。死んだヒトの記憶や経験データを流用して造られた、模造品。白石塔の中の社会を生きて、死んだ後、EDENに還った個人データを復元して、アークで再生させられた」
「……死んだ人たちを、こっちで蘇らせたって言ってるのか?」
ケイは信じがたい思いで、それを尋ねた。
だがリーゼは、首を横に振る。
「正確には“コピー人間”たち。生前の記憶とか、無い。別人。帝国、白石塔の中の、優秀な科学者や技術者だったヒトを、再生人に選んで製造してる。なにかしら、優れたところあれば、選ばれる。みんな、アークの帝国貴族たちの生活を快適にしたり、支えるための、労働者たち。帝国騎士団も、ほとんど再生人ばかり」
不快そうな表情で、イリアはリーゼの話しを聞いていた。
「えげつない話だね。それはつまり、白石塔の社会の中から、使えそうなヤツを選んで、帝国貴族とやらに奉仕するための“人造奴隷”を造ってるってことじゃないか」
「そう。いくらでも代わりを造れるから、酷使しても、貴族たち、気にしない。死んだりしても構わない。貴族たち、下民と呼んでる。下民は人間扱いされない」
「人間を消耗品のように使い捨ててるのか? 自分たちへ奉仕させるためだけに。帝国……反吐が出るようなやり方だな」
イリア同様に、ケイも苛立った顔をしている。
そんな2人へ、葉山が言った。
「クローン実験の話は、白石塔の中の社会でも聞いたことがある話ですが……アークでは、そうした技術が実用化されてるんですかね。とりあえず、彼等と私たちに“出自”の違いはありますが、同じ人間と考えて良いのではないでしょうか」
「うん。再生人たち、ケイたちと同じ。大きな違い、ない」
区別する必要はないのだと、リーゼは告げる。
そうして、暗い顔をしているケイたちへ、リーゼは元気な笑顔で言った。
「ここ、“錆の村ラヴィス”。アデルが連れて行かれた場所から、近い」
「近いって言っても、どれくらい近いんだ?」
「だいたい、ここから北へ10キロくらいの場所、目的地」
「なるほどね。今日はここで夜を過ごして、明日には到着するくらいの距離だ」
「その前に……」
リーゼはケイたちの姿をジロジロと見て言った。
「武器持ち歩くの、旅人の護身のため。アークでは珍しくない。でもケイたちの服装は、ちょっと目立つ。隠した方が良い。……待ってて!」
パタパタと慌ただしく、リーゼは近くの露天商へ駆け寄って行った。そこで自分と同じような、ボロのフードマントを買い取ってきた。3人分である。戻ってきて、それをケイたちに羽織らせる。
「うん、これで良い!」
「ありが……とう?」
昨日はケイのことを殺すつもりだった少女から親切にされ、ケイは少し戸惑う。楽しそうにあれこれと人の世話を焼く姿を見るに、意外とリーゼは、面倒見が良い性格なのかもしれない。
そのままリーゼの背に続いて大通りを進み、やがて辿り着いたのは、「宿屋」という看板が出ている古びたビルだ。5階建てくらいの、比較的小さな廃墟ビルを改築した物件に見えた。窓ガラスはなく、各部屋は、ブラインドのように布が垂れ下がっているだけだ。
リーゼはケイたちを振り返って説明した。
「言い忘れてた。この村、貴族の街から逃げてきた、逃亡者たちの隠れ里。帝国人じゃないなら、部外者、受け入れられる。彼等、オカネ稼ぐために、色々と工夫して商売してる」
「逃亡者の街だったのですか……。それでも、オカネを稼ぐ必要があるのですか?」
「オカネあれば、こっそり貴族の街、潜り込んで買い物できる。オカネ、たくさん稼げれば、帝国人としての“市民権”買えることもある」
「市民権……?」
「ケイたちも、アークにいれば、そのうち色々わかるようになる」
建物の中に入ると、思っていたよりも明るかった。もしかしたら、ロウソクの火くらいしか光源がない可能性を覚悟したが、天井の電灯は灯っている。どこで電力が発電されて、どうやって供給されているのか不明だ。廃墟の中の集落でありながら、都市インフラがある程度、整っている様子である。何ともチグハグな村だった。
「いらっしゃい」
受付カウンターに、やつれた不健康そうな顔の男が立っていた。店主だろう。
店主はリーゼを見るなり、声をかけてきたのである。
ケイたちに理解できる言葉であるため、日本語が話せるようだ。
「……へえ。あんた、機人か。人間の集落に、機人がやって来るなんてのは、珍しいこった。俺も、あんたらを最後に見たのは、何十年も前だよ」
「今、旅の途中。今夜、4人で泊まりたい」
「4人って、後ろの3人がお仲間かい?」
店主はいかがわしそうな目で、ケイたちをジロジロと見やった。
「人間嫌いの機人族が、人間と一緒に行動してるなんて、聞いたこともない。こりゃあ、明日は槍の雨でも降るんじゃないのか?」
「どういうことですか? 機人が人嫌いというのは?」
「……」
葉山の問いかけに、リーゼは答えなかった。
店主はなぜか、葉山の問いかけに対して、唖然とした顔をしていた。
首をかしげて、店主はリーゼへ問いかける。
「なあ。お連れさん、ありゃあ何語を喋ってんだい? 聞いたこともない言葉だぞ」
「……?」
店主の言葉は、ケイたちに理解できている。
バリバリの日本語を話しているからである。
だが店主は、葉山の言葉が理解できないと言い出している。
からかっているのだろうか。
リーゼは忘れていたことを思い出し、納得したように、1つ手を打って見せた。
「あー。そっか。ケイたち“言語翻訳”の拡張機能、持ってない」
「言語翻訳?」
「アークのヒトたち、いろんな言葉や文字使って生活してる。でも、脳内に言語翻訳の拡張機能が標準インストールされてるから、好きな言葉で喋っても、相手に意味伝えられる。このヒトの言葉、ケイたちには伝わる。でもケイたちの言葉、拡張機能ないから伝わらない。純粋な日本語としてしか、相手に聞こえない」
リーゼは店主と話しをつけ、ケイたちが見たことのない紙幣で支払いを済ませる。
そうして、4人分の部屋の鍵を受け取り、ケイたちに手渡してきた。
「この宿屋、全部屋、個室みたい。みんなバラバラの部屋、なった。部屋に貴重品、置いておかないよう、気をつけて。盗まれるかもしれないから。部屋で落ち着いたら、30分後、地下の酒場、集合して。その時に、言語翻訳の拡張機能、ケイたちの脳に入れてあげる」
「酒場に集まって、何をするんだ?」
「お、酒盛りでもするのかい?」
楽しそうに尋ねるイリアへ、葉山が苦言を呈した。
「ダメです! イリアさんたちは、未成年ですよ!」
「外側の世界で、日本国法が適用されるのかい?」
「ぐぬぬ……!」
イリアと葉山のやり取りを見て、リーゼはニコニコ微笑んで言った。
「あとで作戦会議する。明日、たぶん殺し合いになる」