14-35 絶対に勝てない敵
異変が起きていた。
「……アキラ……様……?」
雨宮ケイの刃から、主君の身を庇い、抱きしめていたエリーゼ。
その腕の中の四条院アキラの身体が、小刻みに震え始めている。
怯え。そうした負の感情からくるものではないように見えた。
苦しんでいるのだ。
恐怖とは違う、もっと別の。
何か、身体の奥底かこみ上げてくるモノを、懸命に押さえ込もうとしているような震え。
やがて頭を両手で抱え、目玉を剥き出しながら悲鳴を上げた。
「あぎゃ……あがあああああああああ!」
「!?」
唖然とするケイとエリーの目の前で、アキラの頭部が――――割れた。
脈絡もなく。必然性もなく。ケイの攻撃を受けたわけでもないというのに、眉間から左側頭部の皮膚が横一文字に裂けた。露出した血肉の塊の下から骨が見え、それにさえ切れ目ができて、脳漿が覗く。激しい流血を伴いながら、アキラは白目を剥いて意識を失った。
「アキラ様! ああああ! そんな!!」
愛する者の頭部が、目の前で唐突に割れるという、おぞましい光景。
それを眼前にしたエリーは、血の気が失せた顔を悲痛に歪める。
あまりにも理解を超えた出来事を咀嚼しきれず、ただ衝撃を受けたエリーは、気を失ってしまった。
そんなエリーを、ケイは抱き留め、アキラから引き剥がすよう、一緒に後退する。
「いったい……なんだ……?!」
頭部の割れた部位から、マグマのように鮮血があふれ出てきている。どう見てもアキラの怪我は致命傷。死んだとしか思えない状態である。それを見て、ケイは困惑した。
まだ殺してなどいない――――。
殺そうとはしていた。だが手は下していない。そのはずなのにアキラは、未来にケイから受けるはずだった致命の一撃を、先駆けて受けて、ひとりでに死亡したかのように見える。自滅。そうとしか見えない現象だ。その原因は、トウゴが発動した、カースグリフの槍の、時間を制御する力の影響なのだろうか。敵対者が、勝手に目の前で殺されるという、意味不明な状況は、ケイの理解を超えている。
だが次の瞬間、この事態を引き起こしている者の正体だけは理解できた。
「…………“花”か……!」
割れて露出しているアキラの脳漿。その内側。身体の奥底から、一輪の花のつぼみが生え出てきて、見る見る間に咲いた。色素を持たない、ガラスで出来ているような、透明な花弁の花である。頭部の割れたアキラの目玉が、ぐりぐりと四方八方へ蠢いた後、焦点が定まった。
アキラは意識を取り戻し、異様にニヤけた表情で微笑みかけてくる。
軽く手を持ち上げ、挨拶してきた。
「やあやあ。初めまして、雨宮ケイ」
言葉を発した。
初対面ではないケイに対して、なぜか「初めまして」である。
同時に、頭からの流血が止まった。
血まみれの姿になったアキラは、ゆっくりと腰を持ち上げ、その場に立つ。
苦痛など感じていないように見える、気味の悪い笑みを浮かべた表情。
頭部の致命傷など何でもないように、余裕の態度で語りかけてくる。
「僕の名は、ペテロ。ご察しだろうけど“設計者”だよ?」
やはり、である。
身体のどこかに、花を咲かせている人間。
アデルといい、マティアといい、設計者たちの特徴はそうだった。
ペテロも例外ではないのだろう。だからすぐに、正体の予想ができた。
ケイは剣を構え、警戒しながら尋ねた。
「……四条院アキラの身体を乗っ取ったのか?」
そうだとしか思えない状況。
ペテロと名乗った設計者は、アキラの身体を操っているように見える。
「そうだよ」
ペテロは悪びれもせず、素直に認めた。
「僕は兄弟姉妹たちの中でも、とくにハッキングの能力が高いんだ。自我のある魂が入った肉体であっても、心理的に弱体化しているような状態にある個体なら、その制御権を奪う程度のことはできる。君がこの人間を追い詰めた結果、僕が乗っ取りやすい状態に陥ったわけだ」
ケイの疑問に答えた後、ペテロは興味津々といった態度で、ケイのことをジロジロと見てくる。
「雨宮ケイ。僕たちの可愛い妹であるマティアを退け、真王様へ牙剥く者。文明実験の過程のバグで生じたとしか思えない、特異な個体。想像していたよりは、なんか普通の見た目っぽいかな。でも確かに面白いね。機人の骨に、獣人の血肉。魔人から魔術を学んだ人間。君みたいなレア個体はさー。1度、個人的な興味もあって、直に見ておきたかったんだよね。――――僕の家族に、消されてしまう前にさ」
そう話していたペテロの姿が、忽然とケイの目の前から消えた。
設計者は物理法則に縛られない存在だ。人間の目で追えない速度で動き、あるいは空間を自由に転移できてしまう。だがこれまでに何度か設計者と戦ってきたケイは、マナの微量な流れから、気配の移動だけは察知できるようになっていた。
頭上だ。
ケイが見上げた、新東京都の空。黒塊の首都バロールの最上層より、さらに上へ広がる景色は、夜明けの光に照らされ始めていた。いつしか夜は明け、遠く東の空から太陽が姿を見せ始めている。
その空を背負った“13の人影”が、円を描く配置で、虚空に浮いていることに気がついた。
いずれも、身体のどこかしらから花を咲かせた、若々しい見た目の男女。冷ややかな眼差し、あるいは笑みや怒りの表情で、空中からケイの姿を見下ろしていた。その中には、今しがた話していた、アキラの身体を奪ったペテロや、肉体を作り直して復活したのであろう、苛立つマティアの姿も混じっている。
12の設計者に囲まれた中央に漂う、漆黒のローブを羽織った1人の男。
その顔を、ケイはよく知っていた。
「ようやくお出ましだな――――真王ヴィトス!」
空中に漂う、13の上位存在たち。
1人1人が、単独で文明を滅ぼし、消し去るほどの力を秘めた者たちだ。
それが勢揃いして、アルトローゼ王国に姿を現した。
その意図は明白だ。
ついに現代人類を滅ぼす時がきたのだ――――。
戦力差は歴然。万に一つの勝ち目もない。
だが不思議と、ケイの心の火は消えることがない。
怒りに沸き立つ血潮。鋭くなる眼差し。絶対に勝てないという絶望も、殺されるかもしれないという恐怖も、今のケイの胸中にはない。ただ、大切な存在を奪って去った、憎き存在にようやく再会できたという、歓喜に似た思いが溢れている。愛する者たちから託された想いと、それによって切り拓かれた、活路の先を行く覚悟に満ち満ちているのだ。
遅れてケイに追いついてきた、ジェイドとステラの耳に、ケイの呟きが聞こえていた。
「アマミヤは今、何と言った……? 真王と言ったのか?」
「ウソだろ……!? アトラスが言っていた通り、本当に真王の野郎は殺されてなかったってのか……!?」
背後から近づいてくるジェイド夫妻へ、ケイはハンドサインで警告する。「危ないから、それ以上は近づくな」の意図を察し、ジェイドはステラを連れ、その場から踵を返した。
設計者たちの円陣。その中央から、真王の姿が忽然と消える。
容易いことであるように、ケイの前へ空間転移をしてきたのだ。
「……嬉しいね。わざわざ、オレと話しをしてくれるために、地面に降りてきてくれたのか?」
ケイの皮肉を聞いても、真王の表情に変化はない。
冷ややかな。下等生物を軽蔑するような視線。無表情である。
構わず、ケイは不敵に笑んで続けた。
「文明実験とやらの一環で、人間同士が繰り広げる最終戦争の動向を、高見から観察してるんだったよな。その決着がついたと見て、姿を現したのか? だったら、ずいぶんと早まった登場じゃないか。オレは、ベルセリア帝国、四条院企業国の侵攻を止められたが、まだ魔国パルミラと、エレンディア企業国の連中は、戦争を続行するつもりで、やる気満々だろう」
立て続けにケイから皮肉を浴びせられたせいか。
真王は嘆息を漏らす。
「……どこまでも煩わしい存在だ、雨宮ケイ。お前は今、こう思っているからこそ、笑みを浮かべているのだろう。自分が考えた、作戦通りだと」
「ああ、そうだ」
ケイは肯定した。
「お前たちが見たがっていた、人間同士が繰り広げる戦争の行く末。その成り行きを横から邪魔してやれば、看過できずに、また姿を見せるだろうと、目論んでいた通りさ。オレはお前に、また会う必要があった。だから、お前が出てくるしかなくなる状況を作るしかなかった。お前が奪っていった……アデルを返してもらうためにな!」
「……」
真王は表情を変えず、淡々と語り出した。
「私たちの文明実験における“観測”とは、第三者が介在しない、文明の自然な成り行きを見守ることだ。お前のような“異物”が、結果に影響を及ぼす最終戦争など、これ以上、見守ったところで意味はない。欲しているのは、今後、私が創造する新たな文明世界の改善につながる、有用なデータ。その収集ができないと判断した」
真王は前髪を掻き上げながら、ようやく表情に、感情を滲ませて見せた。
静かな怒りである。
「……認めよう。お前は、この第2次星壊戦争を食い止めたと言える。お前は、ベルセリア帝国の首魁を調伏し、四条院企業国とアルトローゼ王国の戦いをおさめた。しかも、魔帝に設計者の脅威を示したことで、エレンディア企業国も一時休戦を検討し始めている。魔国パルミラは、すでに戦争への参戦を中断している今……この戦争は終結に向かっている。1国たりとも陥落することなくな」
「へえ。そんなことになっていたのか。人間同士が繰り広げる、醜い殺し合いの観戦を所望していたんだろうが、それは残念だったな」
「たった1人の人間ごときが、世界で繰り広げられる大戦争を止められるなどと、誰が思うものか。お前は、この私でさえ想定しえなかった事象を引き起こせる存在のようだ。この文明、いいや。私が管理するこの世界に生じた、深刻な異常。……バケモノと呼ぶに相応しいかもしれないな。機人の国で、お前の息の根を、完全に止めておけなかったことを悔やんでいるところだ」
「あいにくと、こっちには全部、嬉しい褒め言葉にしか聞こえてないね」
生意気な口をきくケイに、真王は冷ややかな態度と言葉を浴びせる。
「まだ状況をよく理解していないようだな、雨宮ケイ。お前がやったことは、戦争で死ぬはずだった多くの人間の命を救ったかもしれないが、所詮それは一時しのぎのこと。人類という種が滅亡するタイムリミットを、ただ早めただけ。我々が、この文明を見限るのを早めたのだ。ならばお前は英雄ではなく、罪人と呼ぶのが相応しいだろう。見ての通り、ここには全ての設計者たちが揃っている。文明の滅亡はいつでも始められる状況だ」
真王の眼差しに、薄暗い殺意がにじみ出す。
「だがその前に、私の可愛い娘を傷つけ、我々の観測の邪魔をしたお前には、相応の“罰”を与えておく必要があるだろう。深刻なバグは、この場で確実に、完全消去しておかなければならない。これはアークという人工惑星のシステム健全性を保つために、必須のタスクであると判断した」
「!?」
ケイと真王の、間の空間が歪んだ。
何者かが空間転移してきたのだ。
「雨宮ケイ。お前と私たちとの間には、絶対に穴埋めできない、歴然の力量差がある。それでも予期せぬ方法で、マティアを敗退させたのは事実。お前はいつも、我々の想像を上回った。故に、もう油断はしない。お前を確実に殺すために、お前に特効で、お前では“絶対に勝てない敵”を用意してやった」
転移してきたのは、1人の少女だ。
ミディアムショートの銀髪。美しく整いすぎている顔立ち。憂いを秘めた青の眼差しは、それを向けられた者の、目も心も奪う。漆黒のドレスの胸元は開け、白い素肌の、豊満なバストが覗いていた。ガラス細工のように繊細で華奢な四肢。人間の域を超えていると思わされる、魔性の可憐さだ。
そして側頭部からは、血のように赤い花を咲かせている。
少女の顔を見た途端に、ケイは構えていた剣の先を下ろしてしまう。
青ざめ、震える声で、少女の名を口にする。
「アデル…………?」
感情の起伏がない、機械のような無表情。
アデル・アルトローゼは、人類の敵として、雨宮ケイの前に立ちはだかった。




